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09:お行儀の悪さと結婚後の恋愛

 離縁状を叩きつけられて出戻ったアナスタシアを、城中が歓迎した。メール侯爵家成敗の件は既に公然の事実。皆、アナスタシアの事情を悟り、かねてよりの恋人同士であったグラースとの復縁を望んでいた。

 話題の中心にあるアナスタシアは、粛々と国王の後をついていく。


「……お父様、ただいま戻りました」


 父と二人きりになったアナスタシアは、膝を折ってそう言った。拍子にぽろりと、涙がこぼれる。

 元婚約者との婚約が破談になった時でさえ、涙を見せなかった娘の涙を見て、父は全てを悟った。


「……そうか。恋を知って、帰って来たのだな」


 はい、嗚咽と共に、アナスタシアは恋心を吐き出した。




***




 隠居したい。

 もしくは、雲隠れしたい。


 ミツルは机に肘をつき、上唇の上にペンを載せ、バランスを取りながら溜息をついた。


 できる限り叶えると言っていた救世の褒美。ハワイ旅行でも貰おうかな……ハワイ、ハワイ行きたい。砂浜でトロピカルジュース片手に、美女に葉っぱで扇がれたい。この世の贅沢という贅沢と引き換えじゃなきゃ、こんなのもう耐えたくない。


 相思相愛だった姫君を引き裂いたかつて・・・の英雄は、悲劇のお姫様までもを救った更なる英雄へと進化したようだった。そんなの、どっちだって構わなかったミツルはポケットに手を入れ、机の上に足を上げた。ペンが落ちた際、書類にインクが染みを広げた。


 仕事に疲れ、窓の下を覗いても、もう疲れを癒してくれる彼女の姿は無い。


 彼女と共にいた期間はあまりにも眩しくて、一日一日がとても長かった。なのに、振り返ればほんの一瞬。幸せはもう二度と、ミツルの手の届かない場所に帰って行った。


 そう、だからハワイ。無理なら隠居。隠居。隠居ー!


 世界を救った勇者のその後って、山奥に籠って山寺なんかで自給自足したりするもんでしょう。とミツルは思った。漫画などでは、次代の勇者に技を教える偏屈爺のポジションに、自分はもうなっているはずだ。


 領地にしても、適任者が戻ってくればいいだけのこと。ミツルは本気でそう考えた。


 あぁでも、畑だけはどうにかして持っていきたい。少しでいい。土と、苗と、二人で作った実の種だけでも。

 結局、二人で野菜を収穫することはなかった。アナスタシアが心を込めて育てた野菜は、彼女のために尽くしてくれた使用人たちに分け与えた。きっと彼女がいたら、こうしたことだろうから。


「旦那様」


 アナスタシアの事を考えていたミツルは、彼女の声を思い出す。鳥肌が立ちそうなほど、鮮明に思い出せたその声に、ミツルは胸を震わせた。


「旦那様」


 あまりにも彼女の事を考えすぎてしまったのか、幻覚まで見えるようだった。こんな場所にいるはずのない彼女の白昼夢まで見る自分の情けなさにほとほと呆れ、ミツルはそっと目を閉じた。


 こんなものを見てしまう自分の弱さを見つめなければならないのなら、もう目なんてずっと開かなくてもかまわなかった。


「旦那様。机の上に足を置くなんて、お行儀が悪いですよ」

「アナスタシア、忘れたのかい。夫婦とは、お行儀の悪さで愛を乞うのだと、教えてただろう」


 寝言に返事をしてはいけないと教わったことはあったが、妄想に返事をしてはいけないと聞いたことはなかったミツルは、目を閉じたまま口を開く。


「……貴方はとっても嘘つきなのに……そんなことを言われたら、やっぱり、どれも信じたくなってしまうではないですか」


 がばり


 ミツルは机に置いた足に力を入れて起き上がった。ポケットに入れていた手も、不自然にならないように引き抜く。


「……アナスタシア、なんでここに……」

「……ご自分の最後のお言葉、覚えてらっしゃらないんですか?」


 ほんのりと頬を染め、不貞腐れたようにアナスタシアが顔を背けた。そして、机の上にばんっと封書を叩きつける。彼女らしからぬ、何と言うお行儀の悪さだ。ミツルが目を見開いてみたそれは、彼が渡した離縁状だった。


「わ、私、まだこれを司祭様に届けておりませんからっ。きょ、教会が受け取らない限り、この世界では離縁できないんですっ! だから、私はまだ、貴方の妻で――貴方が例え厭っても、私にはここにいる権利があって、だからっ!」


「……あぁ、結婚後の恋愛」


 いつの日だったか、「貴族は不倫が文化」だと執事に言われたことをミツルは思い出した。ミツルの言葉を聞いたアナスタシアは、涙目で訴える。


「そ、そんなの、させませんからっ!!」

「ちがうよ、今まさに、そうだなと思って」

「えっ」


 ミツルはポケットに手を入れると、既に茶色く色褪せたボロボロのハンカチをアナスタシアに差し出した。


「……俺とするために、戻ってきたんだよね?」


 それとも、ちょっと己惚れてる? いつもの笑みを消し、少しだけ照れくさそうな、彼の素の笑顔でミツルが言う。


 アナスタシアは、自らが育てた野菜のように顔を真っ赤に染める。そして自らも、ハンカチをミツルに差し出した。丁寧に折りたたまれ、繊細な刺繍が刺されている。


 ミツルは少し意外そうに眉を上げると、ふふと柔らかく微笑んだ。お互いにハンカチを交換し合ったあと、アナスタシアは大きく息を吸って、ゆっくりと膝を折った。


「どうぞ美味しく、召し上がってくださいまし」




 かくして、婚約者がいるのに勇者に嫁にと望まれたよく熟れたお姫様はその晩勇者に食べられ――たかどうかは、残念ながら、遠く離れた王都まで届くことはありませんでした。


 けれど、これだけはしっかりと言えます。


 これからはきっと、どんなことだって二人で乗り越えられることでしょう。


 だって涼しくなってきた頃、仲睦まじげに花畑に眠る私の元に幸せを伝えに来た二人は、毎朝お行儀の悪さを競っているようですから――




 おしまい




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