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第5話 決算跨ぎ

二本目のダイブの後は、昼食だ。


マンタシティーに集結した船団から離れ、出張った岬の影になるような場所に船を停める。

緩やかな波と風が心地よい。


俺にとっては、絶好のトイレタイムだ。

船のトイレは、決して気持ちいいものではない。ウエットスーツのまま入るので、床がビチャビチャになる。絶対にオシッコが混じっていると思えてくるわけだ。


ここで俺は、濡れてギチギチになったウエットスーツを腰まで下ろし、非常に難しいバランスをとりながら、用を足す。

まあ、マナー的に座っていたすべきなのだが、ビチャビチャの便座は、コロナ世代の新人君と宴席で隣り合うくらい抵抗がある。


何事もなかったかのようにトイレから出ると、キャビンには、ほっともっとの弁当が積み上げられていた。

ダイビング料金には、昼食のお弁当が含まれている。


俺の利用してるショップは、必ずレディーファーストを貫く。

ねらいを定めてみたところで目当ての弁当をゲットできる確率は低い。残り物が回ってくるわけだ。だから、優雅にトイレに行っていられる。

石垣島にまで来てロースかつ弁当やチキン南蛮弁当は邪道だ。だが、不思議とレディーはそういうやつから選んでいく。

俺の弁当は、カツカレーだった。


――邪道?

そんなこと言ったかな。残り物には福があるのだ。

ショップの代表のIっちーさんから、それは僕が心の底から狙っていたやつだ、と言われた。

なんという至福。俺はカレーの香りを代表の前で楽しみながら、また思い出していた。




大台の1,000万円は目の前だった。

しかし遠い。あと少しのところでズドンと落とされる。


ペッパーフードサービスには見切りをつけたが、上方修正の恩恵を受けた俺は、フィックスターズの業績を信じていた。


そう、決算に賭けたのだ。

好決算を見越して決算前に仕込む。これを『決算跨ぎ』という。


2025年になってから、フィックスターズ株は一時2,300円をつけ、2,000株程度に増やした手持ちだけで、80万円の利益が出た。

資産は一時、980万円に達し、これはもう間違いないと確信した。

ところが、また1,700円まで下落、2月の決算で過去最高益を叩き出して上昇、また下落、5月の決算でまたまた過去最高益を出して上昇、また下落を繰り返す。

どう考えても『俺の資産を1,000万円にさせたくない』という市場の意思が働いているとしか思えなかった。


この間のイライラは相当なものだった。

あと少し、ほんの少しまで迫りながら、キングボンビーに憑りつかれる。

なぜもっと買っておかなかったのか、どうして、売らなかったのか、クソ。と。


こうした思いが募り、8月の決算でフルベットに向かう流れは仕方がないというものだろう。


8月になってからフィックスターズ株は横ばいで、1,900円後半から2,000円をウロウロしていた。

資産は900万円。それをフルベットし、4,700株購入するという賭けに出た。


賭けといっても、勝算――というか、確信に近い自信があった。

業績は常に過去最高を更新し続けているし、これまでも会社予想値を上回る決算を出している。

ここで(つまず)くなど考えられない、というのが根拠だ。


決算日は、8月15日。

多くの企業は、その日の市場が閉まった(引けという)直後の15時30分に発表される。

中には、場中決算といって14時に発表されるケースもあるが、フィックスターズは前者だった。


これは、昨日のことである。

今日、8月16日は土曜日で、次に市場が開くのは、8月18日の月曜日だった。

つまり、決算が出ていた。


なんとなくしか決算書を読めない俺が見ても、良い内容だった。

過去最高益を更新したし、コンセンサスというプロのアナリストが出す業績予想値(の平均)を上回っていた。

超絶決算というわけではないが、決して暴落するような内容ではないと思った。


俺は昨日、一日目のダイブを終えて戻った石垣島のホテルで、iSPEEDを見ながら、安西先生のように優雅に微笑んだものだ。


その表情が一変したのは、Yahoo掲示板を開いた時だった。

これは多くの投資家(特に初心者)が見ていると思うが、こういう時に役に立つ。

自分で分析できなくても、誰かが分析してくれて、それをああでもない、こうでもないと論評してくれているからだ。

まあ、決して優しくないコメントが溢れているが、煽り(買いや売りに誘導するようなコメント)以外は参考になる。


そこで見たのは、絶賛ではなく落胆のコメントだった。


――ああ、ダメだなこりゃ。

――逝った。


みたいなコメントが溢れていた。


なぜ?


俺は知らなかった。

決算が良ければ株価が上昇するわけではないことを。

今ではもう聞きなれた言葉だが、『材料出尽くし』と『織り込み済み』というやつだ。


同じような意味だが、好決算が出たことで、これ以上いい内容は当分見込めないというのが『材料出尽くし』、業績を見込んで株価が上がってきた、ここがピークというのが『織り込み済み』だ。

つまり、投資家にとっては想定内で、それを超えるものではなかったということだ。


ただ、フィックスターズの場合はそれだけではなかった。

来季がわずかながら減益(通期予想から逆算すると残り三ヶ月は減益計算になる)という予想を出していたのだ。


俺は前期の決算書しか見ていなかった。

この場合、その良さは織り込み済みで、問題は今後の見通しだったのだ。

それが、減益。

つまり、順調だった成長過程に陰りが見えたということになる。

掲示板の住人は、それを理解していたわけだ。




――それが、昨日のこと。

今日も引きずっている。

だからマスクも曇るし、酸素ボンベも開け忘れる。


食事の味も薄いことだろう。

と思ったが、沖縄のカツカレー。

めっちゃ旨かった。


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