十九話 一歩ずつ進めば、嘲弄される。
天幕を出たソラが向かうのは、彼の所。
入るね。と入り口の兵士に断り、当然のように天幕に入ろうとする。
当然兵士は引き留めるが、その脇をするりと抜けたソラはもうテルンムスの前へ。
「重要な話があります」
書類に向かっていたテルンムスはちらりと目だけを上げて、
「例の事なら何も話さんぞ」
「それとは別に、とても重大な、アルカーナ王国軍の危機ですよ。帝国に負けてもいいんですか?」
挑発するように囁いたソラに、テルンムスは眉を僅かに動かし、
「【観測者】は絶対中立だと聞いていたのだが」
ソラは手をヒラヒラと動かし、
「これは僕の個人的な、そう。趣味ですから。それに【観測者】は絶対中立なんかじゃありません。【観測者】の味方です」
「ハッ」
テルンムスは心底詰まらなさそうに鼻で笑い、ソラの後ろでおろおろしていた兵士を下がらせた。
二人きりになったそこで、ソラは早速話を切り出す。
「テルンムスさんは、どれくらい強いんでしょうか」
「は?」
何の脈絡もない質問に、テルンムスの口から訝し気な声が出た。
「ああ、勿論『詠唱魔法』も使ってくれてかまいません。剣で戦ってもいいし、『汎用魔法』も、持てる全ての力を使ったとして、狂った猛獣七万体に勝てますか?」
妙に具体的な数字。それが何を意味しているか、テルンムスはまだ知らない。
「『詠唱魔法』を使えば可能だと思うが」
間髪入れずソラが訊ねる。
「本当に?」
矢継ぎ早に、ソラは続ける。
「本当にそう思っていますか?」
「………………」
「大丈夫。ここには僕とあなたしか居ませんよ」
長い沈黙の後、テルンムスは重い口を開いた。
「…………無理だ」
そうでしょう、とソラは満足げに、口の端を歪めて頷く。
「何の代償も要らないと思われている『詠唱魔法』。でもあんなに強力で、常識外れなアレが代償無しである筈がない」
この世界で数千年もの間、信じられてきた常識を、ソラはいとも簡単に否定する。
「あの月の大きさからして、殺せるのはせいぜい三千程度。七万相手だと、二十回は最低でもかかります。本当に耐えられますか?」
既に答えを聞いているのに、再びソラは問うた。
テルンムスは目を堅く瞑り、悔しそうに答える。
「…………無理だ。きっと私は耐えられない。その前に、気が狂ってしまうだろう」
ソラは顎に手を当て、少し俯く。そして自信ありげな顔を上げ、
「推察するに、『詠唱魔法』の代償は、あなたそのもの、ですね」
無言のテルンムスに、ソラは一切気を遣わずに、一方的に続ける。
「実は一度、テルンムスさんに会った時に、あなたの事を『世界の記録』で視たんです。その時は最近の情報しか視ませんでしたが、他の人より少しだけ不鮮明であることを除けば、特に問題なく視れました。でも二度目、あなたが『詠唱魔法』を使った後、少しおかしかったんですよ。直近の記録が、前より一度目よりザラザラしていたんですよね。その時は他に重要なことがあったので、後回しにしていましたが、今考えてみると、『詠唱魔法』の影響だったんですね」
早口で、自分の世界に浸るように、ソラが喋った。
どこか、気味が悪い。
ソラは口にしないが、昔同じ【観測者】であるウミが『詠唱魔法』を使った後に、体調が非常に悪くなり、死にかけたという事も踏まえた上での確信だ。
「さぁて、そんな事は置いておいて、近い内に帝国軍七万が、『呪い』に侵された状態でここになだれ込んでくるでしょう」
ソラはウミから伝えられたその情報を、僅かに誇張してテルンムスに伝える。そんな事を言われたテルンムスは、ぽかんと呆ける。
「は」
「これが最初に伝えた、王国軍の危機です。『呪い』の形にも因りますが、ソレに侵された人は大抵非常に危険です。並の兵士じゃあ到底太刀打ち出来ませんね。待っているのは王国軍の全滅、そして王国の滅亡。そんなところでしょうか」
テルンムスは信じるか信じないかを一瞬悩み、直ぐに考えても意味がないと思考を中断する。そして、
「…………何が望みだ」
「簡単なことです。ただ――――」
数分後。
ここでの目的を達したソラは、満足げに帰っていった。
そして残されたテルンムスは。
己の過去から目を逸らさず、彼女の多彩な表情を脳裏に焼き付け、人生を振り返る。
その行為が、必要だと聞いたから。
紅い地面のほんの一部が、暗くなった。
帰ってきたソラは、どこか楽しそうで、待ち遠しそうだった。。
まるでクリスマスが待ちきれない子供のような、でも純真な彼らとは明らかに一線を画す、軽薄な笑みだ。薄っぺらい作られた皮が張り付いているような、見ている者が寒気を覚える、そんな表情だった。
湿気が多く、明かりも殆どないとある地下室。男は独りで笑みを隠すことなく晒していた。
いつでも破滅へのスイッチを押せる。今はせいぜい最期の安寧を堪能しておけ、と。
男は地上で楽しく騒いでいる帝国軍兵士を思い浮かべ、その凄惨な終わりを確信していた。
そんな男の後ろに気配が一つ、突然現れる。しかし、彼は戦闘の心得がないので、ソレに声を掛けられるまで気付かなかった。
「こんにちは」
「ッ!? 誰だッ!?」
バッと振り向いた男に、酷く冷たい灰色のフードを被った少年が面白そうに言葉を投げかける。
「あなたが『呪い』の研究をしている人、であっていますよね」
とっさに逃げ道を探す男だったが、どこにも逃げ場がないことを悟り、諦める。
「どこから洩れた?」
情報を洩らしたのが、誰かを問うてから、この場所は誰も知らないことを思い出し、疑問に思う。この部屋を造らせた者はとっくに口封じをしてあるのに。
「どうして……」
「そんなことはどうだっていいんです」
事も無げに言い切った少年は、自分の言いたいことだけを言う。
「たしかもう準備は終わっているんですよね?」
少年が何のことを言っているのか、持ち前の頭脳で一瞬で理解した男は、白を切ろうとする。
「何の事かな」
「わかっているんでしょう? 『呪い』をばらまく準備ですよ」
「チッ」
軽い舌打ち。どうすれば切り抜けられるか、脳を焼けるほど回転させる。目的を果たすまでは決して死ねないのだ。
「…………」
考えるために黙り込んだ彼の動きを別の意味で捉えた少年は、予備動作もなく男の懐に入り、耳元でこう囁く。
「『擬非人』化を少し遅らせてくれるだけでいいんです。具体的には明日の正午。その時なら、存分に解放して構いません。それさえ守ってくれるなら、僕は一切邪魔をしないと誓いましょう」
圧倒的な優位に立つ少年からもたらされた、予想以上の好条件に、男は疑り深い目を向ける。
「何が目的だ?」
少年は一度どう目して、
「…………個人的な趣味ですよ」
男の人生を懸けた計画に、呆れるほど軽い理由で干渉してきた少年。しかし男はそれ以上何も言わず、
「わかった。明日の正午だな」
「ええ。では、僕はこれで」
男が瞬きをした瞬間、少年の身体は忽然と消えていた。
少年が去った後、男は震えていた身体を無理矢理押さえ、深い深い溜め息を吐く。
「何なのだ、アレは」
私が知っている生物ではない。
アレは私を一切見ていなかった。まるで別の何かを観ていたかのように、目が合わなかった。
計画に於いて、不確定因子は排除しなければならない。
しかし、男にはその方法の一片すらも思いつかなかった。
一切邪魔をしないという言葉を信じられるほど、男の頭は幸せに出来ていなかった。だが、それを信じる他ないと悟れないほど、男の頭は凡庸ではなかった。
「…………ああ、畜生」
これは男の、被験体一号と呼ばれた男の復讐の道。
終わりの始まりが見えたその時に、イレギュラーが現れた。
「人間以上に狂った生物も存在するのだなぁ」
閉鎖空間故に暗い声が反響し、男の耳に再び声が届いた。それが何故か可笑しく、乾いた笑いが喉から吐かれた。
男の背中はすり減ったネジの様に草臥れていた。
一瞬でも面白い、続きが読みたいなど思ってくださったら、評価の方よろしくお願いします。
感想も待ってます!




