現る?!ぶちギレの男装乙女!
◇
ガヤガヤ
カチャカチャカチャ
モグモグモグモグ
――ゴッキュン。
お嬢さんに連れられてやってきた居酒屋で、わたしは今、塞ぎ込んでいます。
けれど、塞ぎ込みながらもむしゃむしゃと口を動かしているため、誰の目にも美少年の優雅な食事風景としか映らないでしょう。
……食べる量さえ普通なら、ですけどね。
あぁ、どうしましょう。
食べても食べても空腹がおさまりません。もうこれで骨付き肉十個目なんですが。
かつてない食べっぷりです。
わたしの胃袋の中には、骨付き肉(大ぶり)十個、スープ(大盛り)五皿、白パン二十五個、パスタ(特大盛り)三皿、麦粒水の蜂蜜割(大ジョッキ)四杯がおさまっております。
だいたい一週間分くらい一気に食べていますが、未だ満腹感はなく……、これはあれですか、やはりあれですか……、ストレスですか?
兄上の兄上らしかぬ、けれど間違いなく兄上であったあの兄上を目撃したことで、食に走ってのやけ食いというやつですか? ――ふふ、そうでしょう、きっとそうでしょう。わたしはかつてないストレスを抱え込んでいるんです。……スンスン。
実はさっき少しわたしらしからぬ行動に出た余韻を引きずってもいるんですが、それを表には出しません、えぇ絶対。
今は……、まだ、乗り越える余裕がありませんから、とりあえずあの羞恥心は一旦封印します。なので、今わたしが気にすべきはまず――、
お会計、足りるでしょうか……?
今は持ち合わせが乏しくて。いえ、全然ないわけではないのです。たぶん足ります。
……ぅ、いや、やっぱりちょっとまずいかもしれないのでここらへんでやめておきます。食い逃げになるかもと思いながら食べるのはヒヤヒヤして美味しさも半減ですし。
それに、さっきからお嬢さんの視線も気になります。
食べるところをじっと見つめられていて途中から気になって気になって仕方なかったんです。
でも、意識してませんよー、とクールな表情を取り繕いながら口元を紙ナプキンで拭いていると、
「空腹は満たされましたか?」
少しの笑みもなく問われました。
そーいえばわたし、この方の笑った姿見たことないです。頬を赤らめたり、泣いた顔は見たことあるんですが……、この方、ちゃんと笑えるでしょうか? せっかく素敵なのに笑わないなんて損してる気がします。
が、それはそれとして、とりあえずお嬢さんには「はい」と笑みを見せて返事をして、手を合わせてごちそうさまを言い渡します。
………………、なんですか?
お嬢さんったらガン見です。
少なくとも恋する乙女の顔ではなさそうですが、いったいなんですか? やっぱり、よう食べるわこいつーって呆れているんですか?
わたしだって自分の胃袋には呆れてますよ。だってこの胃袋、まだ腹五分目くらいなんです。ぽよんとしたお腹がベルトの上にぽっこりのっかってちょっと苦しいのですが、それはベルトのせい。これを緩めればまだまだまだいけます。もちろんそんなはしたないことはしません。……しませんけど、わたしの胃袋はいったいどこに繋がっているんでしょうか? 大食い女王も夢ではないかもしれません。
注文していた五杯目の麦粒水を店員から受け取り、グイッと飲みます。あーうまい。
「それで、いったい何があったのですか?」
「……」
あー、それ、言わなくちゃダメでしょうか? 誰かに聞いて欲しい気もしますが、やっぱり身内が女装してまして、――なんて相談しにくいです。いや、まぁ、わたしも男装ですけど、……わたしの場合は完全に美少年やらせてもらってますから? 年季も違いますし?
でも、兄上のは、……あれは、……ちょっと身内贔屓で大目に見ても男っぽさが滲み出ています。
兄上は男の中の男のような逞しさと美しさと優雅さを足して足して足しまくったような存在ですからね、もちろん、兄上ですからどんな衣装でも似合いますよ? 女装だって、女装だと分かるだけで似合っていなかったわけではありません。でも、女装では兄上に備わった至高の輝きは鈍くなると思うんですっ! だってスカートを履いていては兄上のスラットしたおみ足が隠れてしまいますし、カツラをかぶっていては鳶色の髪に触れることもできませんっ。さらに化粧だなんてっ! 兄上には必要ありません! 兄上のすっぴんは神ですっ! 肌ツヤといいきめ細やかさといい、神です! 兄上はもう神なんですっ!
「わたしではお役に立てないことですか?」
――おっと、脳内ヒートアップ。すみません、脳内で議論をしていました。で、えっと? なんでしたっけ? あぁ、そうです、
「……何も。女王国の素晴らしさに目が眩んだだけです」
笑みでもって返します。
本当のことは話しづらいです。
語ったところで兄上の素晴らしさは彼女には分からないでしょうし、それ以前に兄上の弟だと名乗れませんからね、説明のしようがありません。
それにお嬢さん、貴女、さっきから少しばかり不機嫌でしょう?
再会したときも怒ってましたけど……。
もしかして、白馬さんを頼んだことを怒ってるんでしょうか?
それとも、さっきのことを怒ってるんでしょうか?
――さっき、この居酒屋に入る前、わたしが不覚にもお嬢さんの胸に飛び込んでしまったときのことを。
でも、あれはわたしだけが悪いわけじゃないと思うんですけど?
ふらつく身体を支えてくれたのはお嬢さんですし、――もちろん、本気で眩暈起こしていたので突き放されても困ったわけですが。――わたしのメンタルはボロボロで、そんなときにまるで全てを悟ったように肩に触れてきて、しかも抱き返されたりしたら、……泣きたくもなるってもんですよっ!
しかもまさか、
「よ! おめでとうご両人!」
「仲直りできて良かったわねっ!」
「ピューピュー!」
――なんて、周囲から冷やかしの台詞が聞こえてくるなんて思うはずもないじゃないですか。
なんでやねん! ですよ。
どこらへんが喧嘩して仲直りからのハグに見えたんでしょうか? 確かに怒った顔したお嬢さんがわたしの腕を掴んで、わたしがふらついて胸にインしましたけど? わたしたちがカップルに見えますか? 立場が逆転してわたしがお嬢さんを抱きしめているならまだしもですよ? わたしが抱きしめられているように見える構図って……、美少年やってるわたしとしてありえません。認められませんよまったく!
「……驚かれたのでしょう?」
「ぇ、」
つい過去を振り返っていると、突然エスパー発言きましたコレ。
確かに兄上の女装には驚きましたけど……なぜ知ってるんですか? もしかしなくても正体バレてる的な?
――はっ! そーいえば、このお嬢さん、さっきもわたしがふらついている原因を言い当てましたよね? あのときはそれどころじゃなくてスルーしましたけど、確かに――
「空腹ですか?」
ってわたしの耳元で囁きました。
わたしお腹すいたーとか一言も言ってないのに……!
――そう、確かにあのときわたしは目眩を起こしましたけど、なにも兄上の女装姿が原因ではなかったんです。
いえ、きっとそれも要因の一つでしょうが、最大の理由は空腹だったんです。
兄上大事と野を駆け山を駆けおらおら盗賊を退治し暴走の白馬に揺られ、わたしの胃袋の中身は空っぽだったようで……、
「すぐそこに店があります。大衆料理しかありませんが、そちらでも?」
元々行く予定だったこともあって、わたしは即行で頷きましたけど、なんで空きっ腹だったことを彼女が知っていたんでしょうか? わたし、お腹空いたなんて一言もいってませんし、腹の虫だって鳴いてはいなかったのに。
――ぅはっ!
わたしは額を抑えて俯いて、顔をピクつかせました。
記憶をほじくっていたら思い出さなくていいことまで思い出してしまいました。
お嬢さんの誘いにのってこの店に連れて来られたわけですが、――わたし、その時メンタルもフィジカルもふらふらのふらでしたから、お嬢さんにお姫様抱っこをさせてしまったのです。いえ、もちろん(やべぇ、姫抱きされてる下りなくちゃぁぁあ)――と内心慌ててはいたんですよっ? でも、拒むだけの力がなくて……!
お、お姫様抱っこなんて、子供の頃に兄上にしてもらって以来のことですから、今思うと……んきゃーっ! ですよ!
あぁもうっ、どーして肩を貸さずに両腕を貸したんですかお嬢さんっ! 確かにわたしは軽いほうですけどお姫様抱っこってっ! それ乙女のすることじゃなくて王子キャラのすることですよっ?
そのせいでこの店のお客さんにまでからかわれて……、
「ようよう、お熱いねぇ」
なんて言われて!
もしそれが不機嫌の理由なら自業自得です!
わたしだって恥ずかしいんですよっ、あぁ恥ずかしっ、あぁあぁ恥ずかしい!
わたしは、昔も今も人前でラブラブ感をアピールできるような性格はしていないんです。だって照れ臭い――というかわたしとお嬢さんとの間にはラブラブとか全然ないのにっ。確かにわたしが格好良くヘルプに入るという出会いでしたけど、九死に一生を得た仲にまでなって、暴走白馬の相乗りで心中までやりかけましたけどっ、……そこに恋愛フラグなんて立ってはいなかったですよ? お嬢さんの愛は芽生えることなく未だ心の奥底で、わたしは……言わずもがなです。なにせ見た目はともかく一応生物学上は乙女同士ですからねっ!
「……麦酒をください」
羞恥芯が太くなってきたわたしは、ここは一つアルコールでこなくそにそれを砕いてしまおうと店員のおばちゃんに麦酒を頼みました。麦粒水はいわばノンアルビール、しかし麦酒はビールです。最近嗜むようになりましたが、わたしはいわゆるザル? というヤツですね。全然酔いませんもん。ちなみに我が金麦には高級酒として焼酎とワインが存在しています。一番はやはり麦酒ですが、わたしは麦焼酎も好きです。
「ちょっとあんた、お腹に悪いんじゃないかい?」
あらおばちゃん、暴飲暴食を心配してくれてるんですか? ありがとうございます。でも今は飲みたい気分で、
「いったい何ヶ月目だい?」
「…………はっ?」
「飲み過ぎは赤ちゃんに悪いよ」
――はっ?! はぁぁぁぁああああっ?!
だ、誰が妊婦かーっ!
これですかっ、このぽっこりですかっ、このぽっこりのせいですかっ?!
なんてことをっ! なんてことをおっしゃいますかっ!
わたしの腹には何もおりません! ぽっこり出てるのはこの店の料理が詰まってるからですっ! 美味しかったからです!
「いやーいい食いっぷりだったねぇ、ま、二人分なんだ、食欲も増すだろうさ」
でも食べ過ぎはいけないよ。体重管理しなくちゃねぇ――って。
だからっ! ちっがーう!
やばい、キレそうです。
キレそうですわたしっ。
な、なんでしょうかこの屈辱感っ!
ここまで女扱いされたこと、今だかつてないです。地元じゃご令嬢方にモテモテで引く手数多でキスの嵐でランキング二十八位なのにっ、それなのに妊婦てっ、お腹がぽっこり出てるから妊婦てっ! 目の前にいる超絶美女を差し置いてわたしが妊婦てっ!
節穴めっ!
だいたい、わたしが妊婦で人妻で目の前のお嬢さんとお熱い関係なら、この方が女装してる男ってことになるじゃありませんかっ!
それはあまりにも失礼なのではっ?
わたしにも、お嬢さんにもっ!
「はいよ、麦酒お待ち。ふふっ、二人の子ならきっと可愛い子だろうねぇ、あんたたち喧嘩してたらしいけど、妊娠中はイライラしやすいもんさ。それは貴族様もあたしら庶民も同じで――」
おばちゃんの経験談を麦酒を一気飲みすることで聞き流そうとしたわたしですが、アルコールが体内に取り込まれたとたん、壊れかけていたメンタル内で蓄積されていた鬱憤と疲れが爆発したのか、
――ぷっつんきました。
血管がキレる音を聞きました。
全身が叫んでいます。血の一滴でさえ叫んでいます。
わたしは男だコノヤロウめっ!
乙女だけど美少年だコンチクショウめっ!
……ふっ、ですが、ここでやけを起こして暴れたりはいたしません。ここは一つ、節穴共を前にしてわたしの美少年っぷりを披露してやろうではありませんか。
わたしは、金麦貴族界で嫁ぎたい番付個人の部で上位に食い込んでるだけでなく、庶民たちからも立派な男認定されています。女性はもちろんわたしに憧れ、男たちも仲間として受け入れてくれているのです。
女々しくも妊婦にも見えるこのわたしが、金麦でどのように男としての立場を確立していったか……、美少女にも見えるかもしれない顔に似合わぬ男らしさを、どのように押し出してきたのか。
耳の穴かっぽじって聞くがいいです。
瞼ひんむいて見るがいいです!
そして泣いて詫びるがいいですっ、わたしを乙女扱いしたことを、妊婦扱いしたことをっ!
わたしはガンッと勢い良くジョッキを置き、その音に驚いて静まりかえった店内で、視線を浴びながら、ゆらり、とゆっくりと立ち上がりました。
「あなた方は、何も分かっていない……!」
目的はただ一つ。彼らの瞳にかけられた美少女フィルターを削除する、それだけです!
「――金麦に産まれ落ちて十四年、わたしは麦の素晴らしさに常に助けられながら生きてきました」
静かに、けれど冷気を漂わせるかのような緊迫感を込めつつ朗々たる美声を放ちます。
「歴史は語っています。麦こそが大いなる愛であると。麦は大地の愛であり、太陽の愛であり、水の愛であり、世界の愛であると。麦は時にパンとなりパスタとなり我らの空腹を満たしますが、同時に甘味となり酒となり我らの舌を楽しませてくれる。麦無くして人はなく、人無くして麦はある。天地創造の時より存在するといわれる麦は、常にその実を人へと捧げ、世代を越えて人々の空腹と喜びを満たしてきました。……金麦初代王キュイジーヌの名言を、知らぬ者はいないでしょう。女王国建国初期にその名を轟かせた王は、飢餓に苦しみ、豊かな女王国を目指す移民たちにこう告げたのです。
――求めよ麦! さすれば与えられん! 麦の穂のもとに集まりしは同胞、国境なき麦はそなたらの腹を満たすであろう!」
金麦国の二つ名は、シュトゥックレンゼンと呼ばれた土地に、初代王が一夜にして麦畑を実らせたことに由来すると云われています。朝陽を浴びた麦が黄金色に輝き、その後、その土地を中心にして国を建てたのだと。
今でこそ王都周辺の麦畑の数は減っていますが、金麦全土から見れば収穫量は年々増えています。その一端を担っているのが我が州なのですが、……どうしても自慢話に聞こえてしまいますから、ここは伏せておきましょう。
――それはさておき、わたしはおばちゃんに無言でジョッキを突き出し、おかわりを求めました。「――ぁあいよっ」とおばちゃんが左右を見渡し、近場の男の手から唾つかずのジョッキを奪い取り渡してくれます。悪いとは思いましたが、わたしのジョッキが空でして。音頭をとる身としてはこれでは格好がつきませんから。
「――さぁ、皆さん、ジョッキを掲げてください。そして麦に乾杯しようではありませんか!」
はて、戸惑い顔の男たちを一人一人見つめ、笑みを向けます。何をためらっているのです? 男同士、乾杯の合図と共に酒を飲む。居酒屋ではよくある風景ではありませんか? 国境を越えて麦について語り合い、男同士の親睦を深めるために合唱する。これぞ男! わたしはコレで金麦の男の仲間入りをしたのです。ですからさぁご唱和の準備ですっ!
「麦とは何かっ、」
はい、そこのおじさん!
「お、俺かぁっ?!」
赤っ鼻のおじさん、そう、あなたです。聞いていましたか? 麦とは? 麦とはなんです? 答えはすぐそこにあるものですよ!
「麦とはっ?」
「あ、い、かぁ?」
「そうです、愛ですっ! 麦とは愛! 麦とは愛! 麦なくして人はなく、人なくして麦はある! 麦が人を育み、麦によって育まれた人は愛を育む! つまりっ、麦なくして愛はなく、愛なくして麦はある!」
人、麦、愛。
この世の中は麦を中心に構成されているのです。ですから皆さん、リピートアフターミー!
「麦とは愛っ、愛とは麦!」
「――む、麦とは愛! 愛とは麦!」
「麦なくして愛はなく、」
「麦なくして人はない!」
調子がでてきましたね! さぁもう一度、
「麦とは愛! 愛とは麦! 麦なくして愛はなく、麦なくして人はない! ――麦なくしては世界から多くのものが消え去ってしまいます!」
例えばなんですか、――そこのあなた!
「パスタ!」
そうですとも!
「パンだ!」
当然です!
「麦酒もない!」
なければ多くの人が悲しみます!
「シチューのとろみもないわよ!」
その通りです!
そして何より、
「麦なくして世界はないっ!」
――オォォオ!
――ムゥギ、ムゥギ、ムゥギ!
「共に歩かん麦の道! 求めよっ麦!」
――さすれば与えられん!
乾杯と共に音楽が鳴り響き、男たちがやんややんやと騒ぎ出しました。全員が全員、麦の名を叫んでいます。大麦小麦――麦麦麦麦! あぁ、この一体感たるやどうでしょう。これぞまさに男たちの唱和の誓いです!
ふふ、ふふふっ! そして、ここで名乗りをあげれば完璧です。美少年キュイ・ピナス、また一つの国で男の仲間入りを果たすことができるのです!
「わたしは――」
天井高くジョッキを掲げます。
金麦のシュトゥックレンゼン、オルヴィナ州領主バガード・ピナス伯爵が第二子、若干十四才にして嫁ぎたい番付二十八位の美少年、
キュ〜イ・ピナスッ!
――もし、そう告げることができたなら、きっと周囲は麦コールからキュイコールへとシフトしていたことでしょう。
美少年の中の美少年であるキュイ・ピナスに祝福あれ! 麦を愛する全人類に祝福あれ! ――二度目の乾杯に、袖振り合うも多少の縁、酒を飲み交わすのは友の縁と、この時この場所に妊婦など存在しなかったことになるはずだったのです。
けれど、そんなわたしの努力は無に帰します。
直後に響き渡った爆音と、
「うぬらぁああああ! 極悪犯罪者め! とっ捕まえてやるぞこのクソ野郎めがっ!」
この――場の空気を全く読まない闖入者の雄たけびによって。
一体な何事かと出入り口の方へと向こうとしましたが、それと同時に、
キャァァァァアアアアッ――!
ウワァァァァァアアアアアッ――!
叫び声が聞こえ、側頭部にかなりどぎつい衝撃が走りました。
さらにはどうやら吹っ飛ばされて壁に激突したようですが、一瞬、辺りが静かになって、そうと気付いたのは少し経ってからでした。
埃っぽい店内からうめき声が聞こえ、店の外からは悲鳴や安否を気遣う声が届きましたが、それを無視するように、またも場の空気を読まない叫びがあたりに響きます。
「――ふふ、極悪非道の犯罪者め! ようやく見つけたぞ!」
この状況の中、極悪非道はあんたですっ! と叫びたいところですが、今はそれもできません。
頭痛、腹痛、それに加えて激突したせいで全身疼痛盛りだくさんです。
でも、そんなことも言っていられません。
扉や壁は吹っ飛び、店内はめちゃくちゃです。あらゆる破片でたくさんのお客さんが傷ついています。
「おいコラッ! なに無視してんだよっ!」
「……ぅ、……っ、大丈夫ですか……?」
視界に倒れているお嬢さんを見つけ、痛みを堪えて彼女に手を伸ばしました。
煤汚れた頬に触れて抱き起こすと長い睫毛がピクリと動き、瞼がゆっくりと開きました。
痛みに眉をしかめています。
「大丈夫ですか?」
「……は、い、」
ついさっきも死に掛けたばかりなのに、これで三度目です。
しかもどうやら、今回もまたわたしが原因のようです。……彼女はわたしにとっての天使ですが、わたしは彼女にとっての疫病神のようですね。
未だ朦朧としているお嬢さんを壁に預け、彼女を守るように闖入者の前に立ちます。わたしは彼女を守ると約束しました。無事に家に送り届けると。……さっきはつい、兄上恋しさに白馬さんと丘に放置してしまいましたが、あれは――不可抗力ということで。はい、いえ、うん、ですから、今度こそお守りしますので!
続く頭痛と耳鳴りと、そしてこの現状に眉をひそめながら確認した闖入者は、わたしが知っている馬よりも大きく、その背に翼をもった漆黒の天馬にまたがってこちらを威圧的に見下ろしていました。
犯罪者。
その言葉からして相手はわたしを捕えようとやってきた――騎士団の人でしょう。
優雅に天馬から降り立ち、シュルっと抜いた剣の切っ先をわたしへと向け、怪しげな笑みを見せながら告げたその人は短い髪に騎士服を着込んだ――胸のふくらみ豊かな――男装の麗人? ですよね? 埃っぽいマントを羽織り、瞳をぎらつかせ、片方の口角を引き上げています。
「――私の名はメイシャ・メイゼン。境旋騎士団南部外界警備隊長の任を仰せ付かっている。我が名を貴様のような罪人に名乗る云われはないが、己の首を跳ねる者の名だ。しかと覚えておくがいい!」
……ぁ、ハハハ。なんという男っぷりでしょう。しかも境旋騎士団の部隊長とはエリート中のエリートじゃありませんか、それに加えて漆黒の天馬に乗ってご登場とは……、いやはや乙女心を擽ります。
くすぐりますけどね、……でも、これはあんまりじゃありませんか?
いくらわたしを捕まえるためとはいえ、お嬢さんも、見当違いな親切をみせたおばちゃんやわたしたちを冷やかした赤ら顔のおじさんも怪我をして倒れています。
恐らくは天馬の力なんでしょうけど、何もかもがむちゃくちゃです。ちょっとした地獄絵図のようです。
……ついさっきまで楽しくお酒を飲んでいたのに。麦について語り合っていたのに。……これ、マジでありえません。最悪の展開です。
いくら極悪非道な犯罪者――国境侵犯者であるわたしを捕まえるためだとしても、ここまでする必要があるのでしょうか?
騎士団というのは、国や民を守るために存在しているのではないのでしょうか?
無法者を捕まえるためなら何をしてもいいのでしょうか?
――否。
そんなものは騎士ではありません。弱きを助け、人々の模範となる存在が騎士なのです。それなのにこんなことっ、騎士道に反する行為ですっ! 犯罪者であるわたしに言われたくはないかもしれませんがそれでも言わせていただきますっ、
「あなたは、愚かです」
「……何だと?」
「こんなことをして、許されると思っているんですか?」
愚か者です。この似非騎士は!
ふつふつとわく静かな怒りは爆発寸前。今にも目の前の似非野郎を斬り刻んでやりたいです!
あぁ、皮膚がざわざわします。本気で怒るとこうも身体がかっと熱くなって、血管という血管がドクドク激しく脈打つものなんですね。細い管の中を駆け巡る血液の一滴一滴を感じるような気さえします。
「――っ、殿下、お待ちをっ」
正気付いたらしいお嬢さんに手首を掴まれました。わたしが剣の柄に手をかけようとしていたときです。……お嬢さん、どうして止めるんですか? この似非騎士には少しばかりお仕置きが必要です。もちろん、女性のようですから手加減はいたします。下着は斬らずにおくつもりです。ですからご安心ください。
お嬢さんの手に手を重ねて安心させるように微笑むと、彼女は痛みをこらえながらも立ち上がり、フラフラとわたしの前に一歩を踏み出しました。
「お、やめ下さいっ、メイシャ様! あなたは何か勘違いされておられるようです、この方は決して、」
「――っ、お前っ! シュヴァル! 貴様、痴れ者の味方をする気かっ?!」
「そうではありませんっ、ですからこの方は――」
……知り合い、なんでしょうか?
だから、庇おうとしているんですか?
けれど、それならなおさら許せないじゃありませんかっ。どうして知り合いが怪我をしている――いえ、自分が怪我をさせてしまったこの状況で、平然としていられるんですっ? どうして……っ?
「――っ!」
身体の体温が急激に上がったかと思うと、お嬢さんが手首を離し、視線を下げました。なんとなしにそれを追うと、チラリと見えた手の甲から一つ、小さくて赤いトロッとした液体が浮き上がってきました。血のようです。血液の玉が、手の甲から一つ、二つと現れ、空中で集まり、一つの大きな球体を形成していきます。
……ちまぷに?
フィッシャーが現れたときと同じ現象ですが、――けれどそれは、いつか見たものとは違い、小さくはありません。
わたしの身体をいつの間にか包んでいた透明な赤い光がポコポコと沸き立つように揺らめき、手の甲から浮き出た血液の球体へと集まってきているんです。光が丸い液体の周囲を旋回すると、まるで綿飴のように体積をましていきます。
そして、それは徐々に人の形へと変化していき、透き通る赤から、質量をもった物体へと変わり、ついには――人の姿になりました。
青い髪を腰まで伸ばした騎士風な格好をしたその人は、わたしと男前だけど残念な騎士との間に割って入り、
「僕の殿下をこんなにも傷付けたのはどこの馬鹿ですか? ぶっ殺しますよ?」
聞き覚えのあるようなないような声で物騒なことを言い放ったのです。
◇




