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体感30年の退屈と、仮面の神速

 この世界には、残酷なルールがある。

 子供という時期が、やけに長いことだ。


 成人までの十五年という期間。前世の記憶を持つ俺――アステール・クロムウェルは、この世界の一年間を地球時間の三年分という密度で処理している。つまり、現在十歳の俺の精神は、実質三十年という歳月をこの辺境のド田舎にあるクロムウェル男爵家で過ごしていることになる。


「アステール、またぼーっとしているのか。クロムウェル家の男なら、火魔法の練習くらい……」

「はいはい。今日も今日とて、火花も出ない無能な次男坊です。……ああ、早く成人して、一生働かなくて済む不労所得の基盤を作りたい」


 食卓に置かれた、芽の生えた蒸しジャガイモをフォークで突きながら、俺は内心で深い溜息をついた。

 家族は俺を「魔法の才能がない無能」だと憐れんでいる。兄は剣の修行に明け暮れ、父である男爵は古臭い火魔法の詠唱を毎晩の晩酌のお供にしている。そんな牧歌的で、底なしに退屈な毎日。


だが、それは誤解だ。


俺の魔力は、この世界の原始的な火魔法などとは根本から異なる――物理と宇宙の理を操る『虚星属性』。これを見せびらかせば、王都に連れ去られ、死ぬまでブラック労働させられるのは目に見えている。

 俺が求めているのは、過酷な鍛錬でも、英雄的な冒険でもない。

 三十年近い精神年齢を持つ俺が望むのは、ただ一つ。誰にも邪魔されず、静かに、優雅に、不労所得で一生を終えるための「隠遁生活」だけだ。


そのためには、まず表向きの「無能な次男坊」という盾を維持しつつ、裏で世界を支配する基盤を作る。……これぞ最強の計画。……あぁ、それにしても、このジャガイモはいつになったら消えるんだ。明日こそは、少しはマシな食事がしたい


 家族の温かい会話をBGMに、俺は一人、脳内で市場の相場と、現在の経済の歪み、そして領地を巡る裏社会の利権マップをシミュレートする。体感三年の密度で思考すれば、この程度のことは片手間で終わる。俺は「不器用な少年」のフリをしてジャガイモの芽を丁寧に取り除きながら、領地を牛耳る裏組織『黒い牙』の分派が、どの程度の資金を動かしているのかを割り出していた。


   * * *


 その夜。月明かりが森を青白く照らす頃、俺は屋敷の窓から飛び出した。

 風を切り、重力を制御して足音を消す。この程度の魔法なら、今の俺には呼吸するのと同じくらい容易い。俺は懐から、適当に作った鉄製の仮面を取り出し、顔を覆った。これで、誰一人としてアステール・クロムウェルと俺を結びつけることはできない。


 森の奥深く。隠れ家として使っている古い空洞へ向かうと、そこには一人の男がうずくまっていた。情報屋のゼノンだ。

「……御大。お待ちしておりました」

 ゼノンは、俺の姿を見るや否や額を地面に擦り付けた。

「最近、王国の広域を支配する裏組織『黒い牙』の分派が、この辺境の利権を狙っております。彼らはこの地を魔獣の繁殖場にして、素材を独占しようと……」


 俺はため息をつきながら、木陰から森の様子を覗き込んだ。森の入口では、確かに『黒い牙』の魔獣使いの一団が、魔獣をけしかけて開拓を強行しようとしていた。彼らは森の木々を燃やし、魔獣の咆哮が静寂を切り裂いている。


(ったく……。静かに不労所得の計画を練ろうと思っているのに、俺の昼寝スポットを荒らすとは。いい度胸じゃないか)


「ゼノン。あいつらには、この森に『ステラ・ノヴァ』という新しい組織が誕生したと吹き込んでおけ」

「ステラ・ノヴァ……星の輝き。承知いたしました」


 俺は仮面の奥で目を細め、森の入口へと足を向けた。魔獣使いの一団は、俺に気づくと下卑た笑いを浮かべた。

「おいおい、なんだその仮面は? 芝居の練習か? ここは『黒い牙』様が領地を広げる場所だ。ガキの遊ぶ場所じゃねえぞ」

「……帰れ。ここは俺の庭だ。今すぐ魔獣を連れて立ち去れば、命までは取らない」


 彼らが嘲笑い、魔獣に指示を出そうとした瞬間――俺は指先を弾いた。

 空間を歪め、大気中の熱量を一点に集中させる。


「――消えろ」


 ドン、と静かな音が響いた。

 巨大な岩が『斥力』で吹き飛び、一団の足元がクレーターと化した。物理法則を無視した衝撃波が大地を割り、魔獣たちは悲鳴を上げる暇もなく、森の外へと吹き飛ばされていく。岩石が砕け散り、俺が指定した空間以外のすべてが、塵となって空中に霧散した。


「い、今の力は一体……!? まさか、この森には伝説の魔術師が……!?」


 リーダーは恐怖に顔を真っ青にして逃走した。彼らが去った後の森には、静寂だけが戻っていた。


(よし。これでしばらくは静かになるだろ。明日からはまた、静かに資産運用でも計算するか)


 俺は満足げに手を払い、気配を消して実家へと戻った。


   * * *


 翌日。

 裏社会では、奇妙な噂が雷光のような速さで駆け巡っていた。

 辺境の森に、どの組織にも属さない「ステラ・ノヴァ」という謎の勢力が現れ、巨大組織を一瞬で退けたという。その仮面のリーダーは、神のごとき力を持っているらしい。


 そんな騒ぎとは無縁の場所で、俺は実家の食卓で、昨日と同じ土の味がするジャガイモを口に放り込んでいた。


(……くそ、今日もジャガイモか。早く不労所得の基盤を完成させて、美味しい肉を食べたいものだ)


 アステールが世俗的な不満を抱いている間に、アステールが適当に名付けた「ステラ・ノヴァ」という組織名は、王国の裏社会を揺るがす伝説の第一歩となっていた。

 そして、アステールが「昨日、ちょっと庭の掃除をしただけ」だと思っている出来事が、世間では「神速の電撃戦」として恐れられていることなど、知る由もなく。


 アステールはあくびを噛み殺し、ベッドへと向かった。

 物語はここから加速していく。アステールが「ただの掃除」と呼ぶ行為が、いかにして王国の経済を侵食していくのか。

 それは、彼自身の「働きたくない」という強い意志と、体感時間のズレが引き起こす、極めて愉快で、極めて理不尽な物語である。


 まあ、アステール本人は、それが征服だとは一ミリも思っていないわけだが。


 一方、王都の闇。

『黒い牙』の首領は、震える手で報告書を握りしめていた。

 辺境の末端組織が、わずか一晩で消滅したという報告。


「ステラ・ノヴァ……? 何者だ、その組織は。なぜ今までその存在に気づかなかった? まさか、王国全土を覆う新たな影が、あんな田舎に産声を上げたというのか……!」


 首領の恐怖など知らず、アステールは夢の中で、山盛りの高級ステーキに囲まれて不労所得を計算する至福の時間を過ごしていた。

 これが、後の世に「大陸史上、最も恐れられた十歳」と語り継がれることになる、最年少の裏社会のボスの日常である。

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