『続きは、君が書いてください。』
サクッと読める、短編小説です。
駅のホームには、いつも同じ時間に現れる人がいた。
夜九時十二分。大阪へ向かう電車が来る少し前。ベンチの端に座って、小さな文庫本を読む人だった。
高校二年の遥は、三週間前から気づいていた。
その人は毎日同じページで本を閉じる。
不思議だった。そんなことがあるだろうか。毎日読んでいるのに、全然進まないなんて。
ある雨の日、電車が遅延した。
ホームに人は少なく、遥はなんとなく隣に座った。
「その本、面白いですか」
言ってから後悔した。知らない人に話しかけるなんて、自分らしくない。
その人は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「まだ最後まで読んでないから」
「ずっと読んでますよね?」
「あ、バレてたか」
笑い方が、思ったより静かだった。
「実はね」
その人は本を閉じた。
「読むのが遅いんじゃなくて、途中で止めてるんだ」
「なんでですか」
少しだけ間が空いた。
「終わるのが嫌だから」
雨の音が、屋根を細かく叩いていた。
「好きな話って、終わったら会えなくなる気がしない?」
遥は答えられなかった。
電車のライトが遠くに見え始める。
その人は立ち上がった。
「でもたぶん、次は最後まで読むよ」
「なんで?」
「続きを待つのも好きだけど、終わりを知るのも悪くないって、最近思ったから」
電車が来た。
ドアが開いて、人が乗り込んでいく。
遥はふと聞いた。
「題名、なんていう本なんですか?」
その人は少し笑った。
本の表紙を見せた。
そこには何も書かれていなかった。
真っ白だった。
遥が顔を上げたときには、その人はもういなかった。
次の日も、その次の日も、夜九時十二分のホームにその人は現れなかった。
ただ、ベンチの端に一冊だけ本が置かれていた。
真っ白な表紙のまま。
開くと、一ページ目に文字があった。
『続きは、君が書いてください。』
遥はしばらく、そのページを見つめていた。
『続きは、君が書いてください。』
いたずらにしては妙だった。
紙は少し黄ばんでいて、古本みたいな匂いがしたのに、その文字だけはついさっき書いたみたいに新しかった。
駅のアナウンスが流れる。
背中を誰かに押されたみたいに、遥は本を閉じて電車に乗った。
家に帰ってからも、その本が気になった。
机に置いて、何度も開いて閉じてを繰り返した。
他のページは全部白紙だった。
本当に何もない。
「気味悪…」
そう言ったくせに、捨てようとは思わなかった。
次の日。
授業中、ノートの端に何気なく書いた。
『夜九時十二分、ホームに誰かがいた。』
たった一行。
その瞬間、教室の窓が急にガタッと鳴った。
遥は顔を上げた。
風なんて吹いていない。
変だと思った。
けれど、それ以上に変だったのは家に帰ったあとだった。
机の上の白い本。
開いた覚えもないのに、一ページ目の下に文字が増えていた。
『夜九時十二分、ホームに誰かがいた。』
遥の字だった。
心臓が一回、大きく跳ねた。
震える手でページをめくる。
二ページ目。
そこには、新しい文字があった。
遥は書いていない。
『その人はベンチに座っていた。』
三ページ目。
『手には文庫本があった。』
四ページ目。
『そして遥は気づいた。』
五ページ目。
『それは、あの日いなくなった人だった。』
遥の喉が乾いた。
ゆっくり、本を閉じる。
頭の中に、雨のホームが浮かぶ。
静かな笑い方。
白い表紙。
「……嘘でしょ」
夜九時十二分。
時計を見た瞬間、スマホが震えた。
知らない番号からメッセージが届いていた。
本文は、一行だけ。
『続き、待ってる。』




