第2話:聖地巡礼と爆弾発言
1:クラスのざわつき
月曜日の朝。
教室のドアを開けた瞬間、空気が変わった。
(……なんか、いつもと違う)
俺——水瀬奏は、ざわついた室内をさっと見渡す。
視線が、集まっている。
しかも、複数方向から。
(この感じ……)
「ねぇ、ほんとなの!?」
複数人の女子が、いきなり詰め寄ってきた。
「水瀬くんと星宮さん、付き合ってるって!」
「……どこで聞いたの」
「もう広まってるよ!? 週末、二人でデートしてたって!」
(速すぎだろ情報網……)
「ねぇ、やっぱりほんとなの? 嘘でしょ? だって星宮さんって、あの! あの星宮さんだよ!?」
「……そうだけど」
「えーーーー!!!!」
断末魔のような叫びが上がった。
一拍遅れて、周囲が一斉にざわめく。
「マジで!?」
「嘘、羨ましすぎ……」
「いや待って、水瀬くんも十分すごくない?」
「公認カップル爆誕じゃん……」
(うるさい)
俺は笑顔を維持しながら、内心でため息をつく。
(こんなに早く広まると思ってなかった……)
「水瀬くん、どんなふうに告白したの!?」
「気になる! 星宮さんの反応は!?」
「何で今まで隠してたの!」
(……別に隠してたわけじゃないんだが)
「普通に。
屋上で。
彼女も喜んでたよ」
3行でまとめて処理する。
女子たちがうっとりした顔になった。
(…………これだから恋愛脳は)
そのとき、教室の後ろのドアが開く音がした。
「おはよう〜」
星宮あかりが、颯爽と入ってきた。
瞬間、空気が変わる。
「星宮さん! 水瀬くんと付き合ってるってほんと!?」
あかりは一瞬きょとんとしたあと——
「……あ、もうバレちゃったんですね」
ふわっと微笑んだ。
「はい、おつきあいしてます」
「きゃーーーーーー!!!!!」
教室が、さらにうるさくなった。
(……本当に帰りたい)
俺はなんとか人波をかわして自分の席に腰を下ろした。
と、隣の席の男子——松岡が身を乗り出してくる。
「お前、いつの間にそんな羨ましいことに……!」
「いろいろあったんだよ」
「星宮さんだぞ!? 成績優秀で、運動もできて、しかもあの顔で! どうやった!!」
「屋上で告白した」
「それだけか!?」
「それだけだ」
松岡は「なんで俺にはそういうイベントが起きないんだ……。天は我を見放した……」と机に突っ伏した。
(お前は俺と違って、まともに生きてるからだ)
内心で呟きながら、俺は教室の反対側へ視線を向ける。
あかりは女子たちに囲まれて、何か話している。
楽しそうに笑っている。
その笑顔が、どこか——
(……いや)
思考を打ち切る。
どうせあの笑顔の裏で、こいつは推しのことしか考えていない。
(俺のことなんか、駒だと思ってるはずだ)
それは分かっている。
分かっているのに——
(どうも、気になるんだよな……)
視線を戻した瞬間、あかりと目が合った。
(……っ!)
あかりは、にこっと笑って、小さく手を振った。
俺は反射的に目を逸らした。
(……こっち見んな)
* * *
【あかり視点】
水瀬くんが目を逸らした。
(うーん、塩対応……)
あかりは心の中でそう呟きながら、また女子の話の輪に戻る。
「ねぇ、水瀬くんってどんな人なの? クールそうに見えるけど」
「どうかな〜」
あかりは曖昧に笑う。
正直なところ——
(まだよく分からない)
表面上は完璧な”イケメン彼氏”に見える。
でも、あの機材トラブルの件。
配信の休止を、事前に知っていた。
(あの人、絶対に何か知ってる)
あかりは、水瀬奏という人間のことを、慎重に考えていた。
(付き合っているうちに、もっと情報を引き出せるはず)
推しを守るために。
(水瀬くんには悪いけど、私の心は天音ルミナだけのもの……!)
そう自分に言い聞かせながら——
(でも、水瀬くんの声は、ちょっとだけ好きかも)
すぐにその考えを打ち消した。
(……ダメダメ。そういうの、混乱のもとだから)
2:あかりの誘い
放課後。
俺が荷物をまとめていると、隣に気配があった。
「水瀬くん」
振り返ると、あかりが立っていた。
「今日、例のカフェ行きませんか?」
(……来た)
俺の警戒センサーが、ピピッと反応する。
例のカフェ。
つまり——配信でルミナが言及した、「駅裏の白い壁のカフェ」だ。
(こいつ……揺さぶりをかける気か?)
あかりの顔は、いつも通り無邪気に笑っている。
でも俺は、もう知っている。
この笑顔の裏に何があるか。
(あまり近づきたくないけど、距離を置きすぎるとあかりにも周囲にも怪しまれるし…)
「……例のカフェって、何? 俺が言ったわけじゃないよな?」
俺はしらを切りながら、あかりの反応を待った。
「ルミナちゃんが配信で言ってたんです! 行ってみたくて〜!」
(……知ってるよ。俺が言ったんだから)
「ふーん。それ、聖地巡礼ってやつ?」
「そうです!」
即答だった。
自分の欲望を隠す気ゼロだった。
(こいつ……。一応付き合ってるっていう自覚あんのか?)
「で、俺を誘う理由は」
「おひとりさまよりカップルの方が行きやすいので!」
(俺はついでかよ…)
「…………」
「…………」
「……行きますよね?」
(こいつ、試してるな)
「行くよ」
俺は、観念したように頷いた。
(ここで断ったら、こいつは俺のことをさらに怪しむ。それの方がまずい)
* * *
【あかり視点】
(やった!)
あかりは内心でガッツポーズをした。
推しが言っていたカフェ。
推しが実際に座ったかもしれない椅子。
推しが食べたかもしれないパンケーキ。
(たのしみ〜〜〜!!!!)
テンションが爆発しそうになるのを、必死に抑える。
(でも、それだけじゃなくて)
あかりはちらりと、隣を歩く奏を見る。
このカフェについて、奏は何か反応するだろうか。
知っていそうな様子を見せるだろうか。
(ちょっとだけ、試してみよう)
そう考えながら——
(でも純粋に楽しみなのも、本当だけどね)
あかりは小さく笑った。
3:カフェの攻防
駅を出て、裏通りを少し歩いた先に、それはあった。
白い壁の隠れ家的カフェ。
「わぁ〜! やっぱ雰囲気いい!!」
あかりが歓声を上げた。
(そりゃそうだ。俺のセンスだからな)
俺は内心で呟きながら、さりげなく店内を確認する。
平日の夕方。客は少ない。
(いいな、これなら……)
「奏くん、入りましょう!」
「……ああ」
(奏くん?)
一瞬、耳が引っかかった。
「……急に下の名前で呼んだな」
「だってカップルじゃないですか。苗字で呼ぶのも変ですし」
俺の中で、小さなイタズラ心が芽生えた。
「……じゃあ、俺もあかりって呼んでいい?」
「……え」
今度はあかりが一瞬固まった。
「……どうぞ」
耳が、うっすら赤くなっていた。
(……なんだ、こいつにもそういう反応があるんだな)
小さな発見を胸に、俺は店内に入った。
席に着くと、すぐにメニューが運ばれてくる。
あかりはメニューを開いて、目を輝かせた。
「これこれ! このお店の人気パンケーキ!!」
三段重ねのパンケーキにイチゴとホイップクリームが乗った、映え確定のフォルム。
「奏くんも食べます? パンケーキ」
「いや、いい。コーヒーだけで」
「そうですか〜」
注文を済ませると、俺はメニューを眺めるフリをしながら、密かにあかりを観察した。
あかりはスマホを忙しなく動かし、写真を撮っている。
カフェの内装を撮る。
窓の外の景色を撮る。
撮る。撮る。撮る。
「…………」
(こいつの推し活、徹底してるな……)
しばらく待つと、パンケーキが運ばれてきた。
ふわふわで、イチゴの隣でバターが溶けていて、はちみつがかかっている。
あかりの目が、さらに輝く。
「わぁ……! かわいい……!!」
また写真を撮る。
三枚撮る。
角度を変えてもう三枚撮る。
(……撮りすぎだろ)
フォークとナイフを持って、あかりはパンケーキを一口切り取った。
「……んっ」
小さな声が漏れた。
「おいしい……! すごく、ふわふわで……!」
「そうか」
「奏くんもどうぞ!」
「いいって言っただろ」
「一口だけ!」
あかりはフォークで切ったパンケーキをさっと持ち上げ——
「あ〜ん♡」
(……やめろ)
「……」
「……あ〜ん?」
「…………」
俺は無言で、あかりのフォークから視線を逸らした。
「や、やらないから」
「なんでですか〜」
「そういうのは……その……」
「照れてるんですか?」
「……照れてない」
「顔赤いですよ?」
(うるさい)
「ちょっとだけ、口開けてみてください」
「開けない」
「ほんのちょっとだけ」
「…………」
最終的に、俺はパンケーキを口に入れた。
(…………)
(……うまいな、これ)
「どうですか?」
「……まぁ、普通」
「目が笑ってますよ?」
「……笑ってない」
「ふふ」
あかりが、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た時の心境は——どことなく、配信で視聴者のコメントを拾う時に感じる、あの高揚感に近かった。
(……なんだこの感覚)
俺は視線をコーヒーカップに落とした。
4:無意識の罠
パンケーキを食べ終えたあかりが、ふとフォークを置いて、こちらを見た。
「……そういえば」
「なんだ」
「ルミナちゃん、昨日の配信で”喉が痛い”って言ってたんですよね〜。心配で……」
「ああ、そうなんだよ。朝起きたらちょっと風邪っぽくて——」
(……ん?)
俺は、自分が言った言葉の意味を、一秒遅れて理解した。
静寂。
部屋の温度が数度下がった気がした。
あかりが、じっとこちらを見ている。
「……ルミナちゃんの話なんですけど?」
ゴクリと生唾を飲み込む。
(何か……何か言え、俺!)
「っ……あ、そう! そうだよな! ルミナが言ってたよな! 配信で!」
「…………」
あかりは何も言わない。
ただ、俺の瞳を覗いている。
(やばい。やばい。やばいやばいやばい!)
「ルミナの配信、俺も見てるから。ファンだから!」
「……ファン、なんですか」
「そう! 推してるだけ!」
「へぇ〜」
あかりはコーヒーカップを持ち上げながら、ゆっくりと言った。
「ファン……ですか」
その声のトーンは、さっきまでと変わらない。
表情も、笑ったままだ。
でも——
目が、笑ってない。
鋭い光が、ほんの一瞬だけ宿って——次の瞬間、消えた。
「なるほど〜。奏くんもルミナちゃんのファンなんですね」
「…………そうだけど」
「じゃあ私たち、共通の推しがいるんですね! いいですね、それ!」
にこっと笑う。
(……こいつ、気づいてるのか? 気づいてないのか?)
読めない。
完全に読めない。
(どっちだ……!)
「奏くん、顔色悪いですよ?」
「……コーヒーが濃かったんだ」
「ほんとですか〜?」
(嘘だよ。お前のせいだ)
内心で叫びながら、俺はカップを口に運んだ。
手が、微妙に震えていた。
* * *
【あかり視点】
(……やっぱり)
あかりは、笑顔を維持しながら、心の中で静かに思考を回していた。
喉が痛い。
朝、風邪っぽい。
ルミナちゃんが配信で言っていたこと——それを奏が、まるで「自分のこと」のように話した。
(偶然?)
でも偶然にしては、あまりにも自然すぎた。
(でも……まさかね)
あかりは、自分の思考に小さくブレーキをかける。
だって、そんなわけない。
天音ルミナは、あんなに柔らかくて、温かくて、配信の中でずっと輝いている人だ。
水瀬奏は——クールで、ちょっとだけ意地悪で、でも変なところで優しい、クラスメイトだ。
(全然、違う)
全然違うのに。
(……でも声が、ちょっとだけ)
「奏くん、どのくらい前からルミナちゃんのファンなんですか?」
「……しばらく前から」
「初めて見た時、どう思いました?」
「……なんか、面白いなと思った」
「面白い?」
「変な意味じゃなくて。なんか……自然な感じがして」
あかりは、その言葉を心の中に刻んだ。
(自然な感じ……)
「私もそう思います。ルミナちゃんって、構えてないんですよね。なんか本物、って感じがして」
「……そうだな」
「会ってみたいです」
「……は?」
「ルミナちゃんに。いつか」
奏の表情が、一瞬固まった。
(……あ、やっぱり何か知ってる顔だ)
あかりは確信を深めながら——笑顔を崩さなかった。
5:縮まる距離
カフェを出ると、夕方の空気が涼しかった。
駅までの道を、二人で並んで歩く。
「今日、楽しかったです」
「……そうか」
「奏くんも楽しかったですか?」
「……まぁ」
「パンケーキ、美味しそうに食べてましたよ」
「…………食べさせられたんだが」
「でも全部食べたじゃないですか」
「……一口だろ」
「口いっぱいに頬張ってましたよ?」
「盛るな」
しばらく、二人で歩く。
夕暮れの住宅街。
遠くで、電車が走る音がした。
あかりが、ふと口を開いた。
「ねぇ、奏くん」
「なんだ」
「ルミナちゃんの中の人と、会ったことあるんですか?」
俺は一瞬、立ち止まりそうになるのをこらえた。
「は? なんでそうなるの」
「だって奏くん、何か知ってそうだもん」
あかりが、ギュッと腕に抱きついてきた。
(っ……)
体温が、腕を伝う。
「私にだけ、教えてくれない?」
上目遣い。
あざとい目つき。
口元は、少しだけ笑っている。
(…………こいつ、わりと策士だな)
「……中の人とかいないから」
「え〜」
「ルミナはルミナだし」
「ケ〜チ〜」
あかりが頬を膨らませた。
(子どもか)
でも、抱きついた腕は離さない。
(……まぁいいか。どうせここで引き離したら怪しまれる)
そう自分に言い聞かせながら——
(温かいな)
その感触を、俺はうっかり意識してしまった。
「……なんで中の人が気になるんだ」
「会いたいから」
「ファンとして?」
「それもあります」
「他には?」
あかりは少し考えてから、言った。
「……守りたいから」
「守る?」
「変な人に見つかる前に、私が先に知っておきたいんです」
(……ルミナのことを、そこまで……)
その言葉に、俺は何も返せなかった。
守りたい。
先に知っておきたい。
(こいつ、本気でそう思ってるんだな)
それが歪んだ形の”善意”だとしても。
(……放っておけない理由が、また一個増えた)
俺は、前を向いたまま歩き続けた。
「……まぁ、中の人には会えないよ」
「なんでですか」
「そういうもんだから」
「……ケチ」
「さっきも言ったぞ」
「大事なことだから、二回言います」
(……こいつ)
俺は、思わず小さく笑いそうになるのをこらえた。
6:次の約束
駅の改札前。
二人は立ち止まった。
「じゃあ、また学校で」
「そうですね」
あかりがスマホを取り出して、カレンダーを眺めている。
「何してるんだ」
「次どこ行くか、考えてました」
「……俺が了承した前提で話が進んでるな」
「だって、彼氏じゃないですか」
「…………」
「また一緒に出かけようね?」
あかりが、こちらを見上げた。
笑っている。
でも、その目には——なんというか、本当に楽しそうな光が宿っていた。
(さっきまでの探偵みたいな目と、どっちが本物なんだよ)
「まぁ……いいけど」
「やった!」
あかりはスマホをポケットにしまって、改札に向かって歩き出した。
「またね、奏くん」
「……またな、あかり」
一度だけ振り返ると、手を振って。
そのまま改札を通って、ホームへ消えていく。
俺は、その背中を見送った。
(……最悪だ)
独白しながら、ため息をつく。
でも、どこかでその言葉が嘘になっている気がして——
(なんで俺は、こんなに……)
思考が続かない。
電車の発車音が遠くから聞こえた。
俺は踵を返して、反対のホームへ向かった。
今夜も、配信がある。
天音ルミナとして、誰かの心に「ログイン」する。
それが俺の、もう一つの顔だ。
——でも今夜は、なぜかいつもより少しだけ、気が重かった。
* * *
その夜。
あかりは自室のベッドに横になりながら、天井を見上げていた。
配信は、まだ始まっていない。
(……今日、変だったな)
奏の顔が、浮かぶ。
「ああ、そうなんだよ。朝起きたらちょっと風邪っぽくて——」
あの瞬間の声が、耳の奥に残っている。
(……考えすぎかな)
そこに——通知音。
《天音ルミナ 配信開始!》
あかりはスマホを手に取り、画面を開く。
「はいっ、今日もあなたの心にログイン♡ 天音ルミナだよ〜」
いつもと同じ声。
いつもと同じ笑顔。
いつもと同じ、温かい空気。
(……変わらない)
でも。
(……声)
あかりは、スマホを持ったまま、じっと聞いた。
柔らかくて、温かくて。
でも——
(どこかで、聞いた気がする)
どこで?
誰の声?
「今日ね〜、喉ちょっとやばかったんだけど」
ルミナが笑う。
「はちみつ舐めてたら、なんとか治ってよかった〜♡」
あかりの指が、止まった。
(喉が、やばかった)
今日の午後。
奏が言った言葉。
「朝起きたらちょっと風邪っぽくて——」
(……そっか)
(つまり……)
あかりはスマホを置いて、目を閉じた。
考えすぎかもしれない。
ただの偶然かもしれない。
でも——
(可能性はある)
目を開ける。
画面の中で、ルミナがコメントを拾って笑っている。
「“a.k.a_rin73”さん! 今日も来てくれてありがと〜」
(……呼ばれた)
胸が、熱くなる。
でも今は——
(どこか、違う熱っぽさがある)
あかりは静かに、スマホを持ち直した。
(次のデートで、確かめよう)
推しの笑顔を守るために。
守れなかった後悔を、もう繰り返さないために。
——だから、もう少し、近づいてみよう。
水瀬奏という人間に。
天音ルミナという推しに。
そして——
(次は、もっと証拠を掴んでみせる)
“偽装彼氏は、少しだけ仮面が崩れ始めた。”
——そして彼女は、一歩だけ近づいた。(つづく)




