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昨日からの雨はまだ止まない。
竜賢さんは危ないから外に行かない方がいい、と言った。
私も行かない、と言った。
その代わり、お互い寄り添いながらいろんな話をした。
ここに来てからのこと、ここに来るまでのこと。
竜賢さんは静かに聞いてくれた。
それまでのこと、これからのこと――
「―――…主」
「なんですか?」
「わしは、この森を去る」
「……どこか、いくんですか?」
「――…そうさの……わしも、ずいぶんと、永く生きた故……」
「――…おじぃちゃんだから、ですか?」
「うむ。じじぃだから、の…」
ほほ…と小さく笑う竜賢さんの表情は、腕が邪魔をして見えない。
「主…ちと、頼まれてはくれぬか…」
「……もちろん」
「わしが去った後、この身を『ジクスの森』より運び出してもらいたい」
「わしが去った後、いずれ、この森で『スタンピード』が起こるであろう」
竜賢さんは静かに語り出す。
『ジクスの森』は魔物を生み出す森。
それ故に以前は度々『スタンピード』が起こっていた。
けれど、竜賢さんが来てからは、竜賢さんという存在が抑止力となり、大きな暴走は起きていなかった。
しかし、これからはそうもいかない――
「それと、森から運び出すのと…どういう関係が?」
「――…以前、別の場所で『スタンピード』が起きての。暴走自体は小さきものであったが、魔物の中に…アンデッドと化したドラゴンがおって……街を一つ、飲み込む程の甚大な爪痕を残していった」
当時を思い出すかのように竜賢さんは話す。
「逃げ惑う人々の声、魔物を討伐せんとする怒号と咆哮、燃える街並み、腐敗した肉の焼ける臭い……あの時の光景は、忘れようにも忘れられぬ……」
左前脚に一際深く残る傷跡を、愁いを帯びた眼差しでじっ……と見つめる。
「誇り高きドラゴンが……友が……意思なきモノに成り果てた。その姿を見るは……ましてや、それを葬らねばならぬなど……」
今はもう、遠い昔に想いをはせながら、竜賢さんが深く、長い息を吐く。
「意思を持たぬドラゴンを止めるは我らでも容易な事でない。それが人の身であれば尚更の事。わしは――…死して尚、そのような存在には、なりとうない……」
臆病者の言い訳よ…と竜賢さんは薄く笑う。
「――運び出した、その後は……」
「……古より我らドラゴンは『世界樹』を守護してきたが故に、他の種族より畏怖と畏敬で敬遠されておっての……それはわしとて同じ。なれど――…この身が、この先、彼等の役に立てば……」
あぁ、しかし……
竜賢さんは目を細め、ここではない、どこか遠くを見つめて呟く。
「可能であれば――…今一度、『世界樹』の元へ行きたいものよのぅ」
「――…分かりました」
「無理を言うてすまぬの。礼に――、これをやろう」
目の前に、私の手のひらよりも少し大きい、竜賢さんと同じ水色と淡い銀色の光を放つ球体がゆっくりと下りてくる。
「――…これは?」
「それは、一度だけ、主の願いを叶えてくれる”宝珠”よ。主の望む時に、願えば良い」
「まだ、竜賢さんの願いを叶えてないのに?――…でも……ありがとうございます」
見上げた竜賢さんは、これ以上ないほど優しく、慈しみに満ちた笑みで静かに頷いてくれた。
「ちと、喋り過ぎたかの……度々すまぬが、主の『聖水』を飲ませてはくれぬか」
「……もちろん」
『聖杯』から溢れ出る『聖水』を竜賢さんはゆっくりと飲んでいく。
「何度飲んでも、主の『聖水』は甘露のようだのぅ。それを主は……飲み水や虫よけに使うなど…」
「えー、竜賢さんも面白がってたじゃないですかー」
そうだったかのぅ……
竜賢さんがとぼけて言うから、二人してくすくす笑い合う。
「どれ――…わしはちと疲れた……しばし、眠ろうかの……」
「――…竜賢さん」
「ん?」
竜賢さんの大きな鼻を両手で包んだその先に、私の鼻をそっと押し当てる。
「私は――…この世界に来て、一番最初に出逢ったのが、竜賢さんで良かったと、思ってるよ」
「―――…わしも。一番最期に逢うたのが、主で良かったと、思うておるよ」
昨日からの雨はまだ止まない。
優しく笑った竜賢さんが静かに目を閉じる。
私も静かに目を閉じる。
微かに震える両手で、優しく輝く『宝珠』を抱きながら。
そっ……と竜賢さんに寄り添い、もう一度、その温もりを感じ取る。
一度だけ、願いを叶えてくれるという『宝珠』に額を当て、静かに祈る。
深く穏やかな寝息と、遠い雨音を聞きながら……
「竜賢さんが――…独りでも、寂しくありませんように」
水色と淡い銀色の『宝珠』が輝きを増し、一際優しい光を放った後、
―――静かに、砕け、散っていった……




