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第一章 帝都セフィアロ

アズガルル城内。通称「王の間」と呼ばれる部屋に、グレイは足を運んだ。

朱色の大理石で築かれたこの間は、室内と感じさせないほどに広壮としている。


ランプの小さな灯火に呼応するかのように大理石は光を反射し、さらに内部を照らす。

煌々と輝くそれは夕焼け空に浮かぶ星のようで、幻想的だ。


その夕焼け空に白銀の星が瞬いていた。

そう錯覚するほどに、麗しい女性が王座に腰かけていた。


王家の血筋である白銀の長髪と瞳。

深紅のドレスから伸びる肢体は白くしなやかで、見た者を魅了する引力を感じさせた。


齢十八とは思えぬ凛とした姿。

非の打ちようがなく、完璧という言葉が似合う女性だった。


彼女こそ、この城の主にてセフィアロの女王。セフィア・セシルその人。

僅か半年にて国を平穏へと導いた救世主だ。


「うむ、よくきた」


グレイが床の大理石を踏むと同時に親しげに声をかけた。


セシルの前に列をなしていた騎士たちは、胸元に構えていた剣を地面へ向けている。

全身を包んだ甲冑。身の丈はあろう大剣(クレイモア)

鎧の道がそこにできていた。


王直属の護衛騎士団。

彼らの存在意義は、主である女王の盾になること。それだけだ。

護衛騎士団への所属は騎士にとって最大の名誉。ゆえにその狭き門を潜るべく、数多の騎士が切磋琢磨に己を鍛える。

そして積み上げられた努力と信念は自身の身体に宿り、一騎で百の兵をも狩るという。


その鎧の道の中に、グレイはかかしのように突っ立っている構図となっている。

ただならぬ威圧感。しかし、幾つもの修羅場を潜ってきたグレイにはとるに足らない。

頭の中で今晩の献立を考える余裕さえあった。


「来ないわけにはいかないだろう。こんなことで国家反逆罪で死刑とか、笑えないからな」


その言葉には嫌々やってきましたというような含みがあった。

騎士団はその態度に不快感を抱く。女王に対し、礼節もなく敬語すら使わない。


だが主がそれを咎めない以上、行動に移すことは出来なかった。

セシルは玉座に肘をつきながら言う。


「私がそんな国権乱用をすると思っているのか?」


「どうだろう。少なくとも、俺とお前を除く全員が死刑に等しいと思うんじゃないか?」


その言葉通り、鎧の道となっている騎士たちは隠しきれない殺意で満ち満ちていた。

それでもグレイは構わない。あっけらかんと、


「長話になるなら最初に言ってくれ。夕食の支度がまだなんだ」


「面白いことを言う。国王の呼び出しを夕食の支度で断りをいれる者など、歴史を振り返ってもおるまい」


クスクスとセシルは笑う。異様な光景だった。笑う麗人と、殺意に満ちた騎士の道と、気怠げな青年。それが夕暮れ模様の中にいる。


「安心するが良い。そう長くはならんはずだ。順調に話が進めばの話だがな。用件は言わずとも、理解しておろう?いや、まずは労うべきか。此度の件、ご苦労であった。私の見立てに狂いはなかったようだ」


「それはどうも」


グレイは素っ気なく返す。構わずセシルは問う。


「怪我は大丈夫なのか?そのせいで一ヶ月も滞在することになってしまったとの報告を受けたが」


「包帯こそまだ巻いてるが問題ない」


「そうか、ならよい。つまらぬことで死なれては困るからな」


グレイは憤然とした表情を浮かべた。


「つまらぬこととは言ってくれるじゃないか」


「お主のやったことを軽視しているわけではない。ただ、負った火傷で死亡したなどというのはあまりに格好のつかぬものだと思っただけだ。なにせ、お主はドラゴンを屠ったのだ。英雄らしからぬ死に方だろう?」


「英雄ね。……嫌いな言葉だ。戦争じゃあ色んな所でそれを聞いたよ。何人殺したとか、指揮官の首をとったとか、とにかく英雄が量産されていた。それと並べられても、喜びは湧かないな」


「そうか、嫌いだというならこれ以上はよそう。では、本題に入ろう。何故ドラゴンが暴走したのか。その原因をな」



ドラゴン。それは誰もが一度は耳にするであろう、伝説の生物。

爬虫類を彷彿とさせる瞳。弾丸をも弾く堅牢な鱗。巨躯から生える翼。


岩石さえ噛み砕く獰猛な牙に、大地をも切り裂く鋭利な爪。

その生き血を啜れば不死身になれる。

そんな嘘が出回るほどに、ドラゴンは神聖かつ強大な力の象徴だった。


それを人が殺した。グレイが屠った。だが、グレイの面持ちは暗いままだった。


「ドラゴンの生態。それは人類が追い求めた様々な知識、歩んできた歴史以上に重みのあるものだ。何故なら、ドラゴンの機嫌を損ねることは文明の終わりを意味している。この世に数多ある災害を具現化させたような生き物だ。創星記になぞらえるなら生命の王。故に、互いに干渉し合わない適切な関係を維持しなくてはならない」


セシルは語る。


「ドラゴンには「龍の領域」と呼ばれる縄張りがあり、そこでほとんどの生涯を過ごす。個体差こそあるが、基本的には温厚であり生態系を荒らすようなことはない。だが、生涯の住まいとなる縄張りに対する意識が非常に高い。余所からきた生物は見境なく殺し、絶滅さえさせる。ドラゴンの残忍さがそこで始めて顔を覗かせるのだ」


透き通った声は王の間を反響していく。


「だが、それだけだ。ドラゴンは自らの意思で人と干渉することはない。つまり、何もしなければ無害な存在だということだ。故にもし干渉があるとするならば、それは人が縄張りに侵入してしまった時のみということになる。未開の地にあるであろう食物、植物、鉱石。それは商人たちを駆り立てるには十分だろう。それを避けるために、我が国は軍による関所を造った。事実、我が国はこうして保たれてきた。そう、一ヶ月前まではな」


重い空気が場を支配する。それは会話の内容もあるが、セシルの演説そのものが緊張感を生み出させるような不思議な力を有しているからだった。


「ここから先は語るまでもないだろう。緊急事態として急遽グレイを龍撃退要員として派遣した。そしてドラゴンを討伐、今に至るというわけだが……問題が解決したというわけではない」


「ドラゴンが龍の領域を飛び去り、国へ向かっている。そう報告を受けた時は夢かと思った。姿を見ていない以上、御伽噺のような存在だと思っていたからな」


グレイの言葉に、忌々しげにセシルは答えた。。


「私とて驚いたのは同じだ。軍の警備には絶対の自信を持っていたが、この様だ。何者かに侵入され、ドラゴンの逆鱗に触れた。問題はそこだ。一体何処の誰が龍の領域を侵入するという禁忌を犯したのか。それを探らなくてはならない」


話が途切れ、しんとした静寂が場を包んだ。それは事態の深刻さを表していた。

混乱というものは燻る火種。その火種が苗木につき勢いを増せば、木を焼き尽くすだけでは足らず森そのものを消し炭へと化してしまう。


ドラゴンの暴走などという混乱の火種が巻き起こす被害を想像すれば、大事に至る前にその全てを消化しなくてはならない。


「今回の一件、民衆への報告は避けている。いくら平和が続いているとはいえ、戦争で植えついた悪夢が消えるには短すぎる。ドラゴンが暴走したなど知れ渡れば、混乱は瞬く間に広がるだろう」


「賢い選択だ」


「嘘をつくことに心苦しくはあるがな。混乱を招く真実よりも、騙す嘘の方が丸く収まるとはとんだ皮肉だ」


「王の手腕の見せ所だろう。民衆の支配も王の義務なんだからな」


「一々嫌な言い方をするのだな……。まぁいい。単刀直入に聞こう。お主は龍の領域に侵入した者は何者だと思う?」


「どうだろうな。さっぱりだ」


グレイは思考を放棄したのではと言わんばかりに即答した。

だが、考えがなかったわけではない。


「最初は軍上層部の野心を秘めた誰かがクーデターを起こさんとドラゴンを利用しようとしたと考えていたが、部下の調査の結果、この可能性は極めて低いことが分かった」


「低いだと?何故?」


「危ない賭けだからだ。あの日、軍上層部の人間は会議の関係で全員が帝都にいた。これからドラゴンが来ると知りながら、参加する輩がいるとは思えない。となると、後は外部的要因が絡んでくるしか考えられないわけだが……」


「それでは警備が機能していなかったということになる」


「俺としてはそれを推したい所だ。現にあの日、龍撃退要員はいなかったんだからな」


その言葉と同時、グレイの目の色が変わる。開いた瞳孔の色が褪せていく。すっとグレイから何かが抜け落ちたような、そんな変化が起きた。


騎士達の間に戦慄が走る。グレイは深く静かに息を吸い、そして言った。


「ドラゴンが暴走した場合に備えて、それと対峙する国選りすぐりの契約者が龍の領域にいなくてはならない。これが原則であったはずだ。ジーエスアル火山にいたのはあの二人だったな。わざわざ俺が対処せずとも、十分に対応出来たはずだ。何故いなかった?」


それは今までの気怠げな声とはうってかわり、責め立てるような口調だった。

騎士達の不快感はさらに増す。中には大剣を強く握り締める者までいた。

積み上げられた努力と信念の根源は揺るぎない国への忠誠心があってこそ。


その忠誠心の対象に害悪をもたらすものに例外はなく、等しく排除しようとする。

故に絶対の信頼を誇るわけだが、その者の思考能力さえ奪う信仰心はもはや宗教じみていた。


それをまるで挑発するかのよう。いや、視界にすら入らないとでも言うようだった。

グレイの色褪せた視界にはセシルしか写っていない。

セシルは少しの沈黙の後、


「言い訳はしない。あの二人には別の任務につかせていたのだ。よもや龍の領域に侵入者がでるなど、思いもしなかったからの」


「そのせいで村が一つ更地になった。人が死んだ。惨たらしくドラゴンに焼かれてな。それにお前は何を思うんだ?」


騎士達の怒りが沸点に達しようとした、まさにその時。凛とした声が会話を遮った。


「口を慎め、アーノルド・グレイ。この場で話されるべき事柄はドラゴンの暴走について、それのみだ。貴様が問おうとしていることは、場違いも甚だしい愚問でしかない」


玉座の右隅に控えていた若い女騎士が一歩、前に出た。

彼女の甲冑は胴体だけであり、頭部には何もない。

淡い栗毛の髪はうなじ辺りで一つに縛られ、馬の尾のように垂れている。

聡明さを感じさせる紅色の瞳は険しく、グレイを見下していた。


代々王家に遣える名家ロス家の長女にて、護衛騎士団隊長であるロス・シアレス。

その一言に、殺気だっていた騎士たちは冷静さを取り戻す。若くしてセシル同様に騎士に尊敬の念を抱かせている。


それは隊長という立場が血族によって得たものでなく、実力によって勝ち取られたものだからだ。グレイはその姿を見るなり言った。


「久しぶりだな。あいもかわらずセシルに没頭か」


「貴様こそ、その不届きな態度は変わらないな」


一触即発。この状況を言葉で例えるに、これ以上相応しい言葉はなかった。

お互いに口元に笑みを浮かべているが、眼が笑っていない。


ただただ緊張感だけが増していく。粉塵舞う火薬庫の中に火を灯したランプを持って入るような、そんな緊張感が膨らんでいく。


「お前には関係のない話だ。黙っていてもらおう。これは命じられた任務についての、二人だけの話だからな」


「話し合いだと?どの口がそれを言う。何か気に食わない事を言えば殺す。貴様は無言ながらにそう訴えていたではないか」


シアレスが段差を降りていく。縛られた髪が振動で揺れる。グレイの前で立ち止まる。

「あまり図に乗るな。いくら昔からの馴染みだろうと、私は容赦をしない」


「それは怖い。ここにいる護衛騎士団に襲われれば、俺なんか一溜まりもないからな」


そう口にする口調は淡々としており、恐怖など微塵もなかった。シアレスはそれが己の部下たちを侮辱されたようで、気に触る。


「お望みとあれば実行するが?そもそも貴様は女王に対する無礼な振る舞いが多すぎる。女王の寛大な御心でまぬがれてはいるが、本来なら厳罰物だ」


「なら独房にでも放り込むか?だが、これでも龍殺しの英雄様でね」


「ふん、破壊力しか取り柄のない貴様が英雄か。良き時代になったものだな」


皮肉の合戦が続く。騎士達の熱をこもった視線がシアレスに向けられていた。

あわよくばそのまま厳罰に処してしまえ。そう言いたげだった。

グレイはその空気に嫌気がさす。グレイは騎士が心の底から嫌いなのだ。


「……ああ、苛つくな」


グレイは心の底から素直な一言を述べると、右手を左肩にかけ呟く。


「本当にお前は面倒だ。融通がきかない辺りが特に。その所は兄とよく似てそっくりだ。気をつけろ。そう言う奴ほど早死にする」


「何?」


「事実、あいつは早死にしたしな」


それはシアレスにとって触れてはならない禁句だった。


「ーーッ!」


その表情がさぁと青ざめたかと思うと、次の瞬間にはこめかみに血管が浮き上がるほどの激情に身を焼かれていた。火薬庫は粉塵爆発を起こした。

シアレスはレイピアに手を伸ばす。グレイは右袖に仕込まれたダガーナイフを取り出さんと動いた。

騎士達は待っていましたと言わんばかりに殺意を漲らせる。


集会の場が一転、死地へと変貌する。それを制したのはセシルの言葉だった。


「よせ、シアレス。グレイの私に対する意見は最もだ。だがグレイ。今のは言い過ぎだ」


一瞬の高揚も束の間、沈黙が降り立つ。まるで時間が停止したのではと思うほど、不気味な静寂だった。

しばらく見つめ合い、二人は冷静さを取り戻した。


「……そうだな。少し苛つきすぎた。悪かったよ」


「ふん、私は謝らんからな。絶対に許さん。末代まで呪ってやる」


シアレスはそう吐き捨てて、くるりと背を向け玉座の隣へと戻った。

騎士達はさも不満げだったが、渋々とそれに従う。争いの火種は完全に鎮火された。

セシルは一安心したように言う。


「全く、心臓に悪い。お前たちがここで争い始めれば、代々受け継がれてきたこの王の間はどうなる?跡形もなく壊れてしまうわ」


グレイは周囲を見渡し一言。


「こんな悪趣味な場所、どうだっていいだろ」


「悪趣味?この王の間が?」


セシルが意外そうに尋ねた。

「化け物の胃袋みたいで気持ちが悪い。よくこんな部屋にいられるな」


「貴様……やはりその首跳ねるべきか……!?」


憤慨するシアレスをセシルがなだめる。


「落ち着けシアレス。話が進まんであろう」


「ですが……」


「人によって同じ景色も違って見えるものだ。その感性を否定するつもりはない。疑いはするがな。夕暮れ模様をした美しき部屋だと思うのだが……」


「もちろんです。あの男は色々と人とずれているのですから、気にすることはありません」


ここからひとしきりシアレスの罵倒にも近しい言葉が続いた。グレイは騎士達が愉悦に浸っているだろうことをひしひしと感じながらも、早く帰るために全て聞き流す。

罵倒がひとしきり済むと、セシルは口を開いた。


「まぁよい。話を戻そう。私が何を思うかだったな。それは当然、申し訳なく思う。全ては私が至らなかったが故だ。然るべき対応を取らねばなるまい。しかし、過ぎたことは戻らぬ。今すべきは原因の解明。そして次の被害を予知し、防ぐことだ。違うか?」


「……いいだろう。それは正しい判断のように思える。従うよ」


その時には当初の雰囲気へと戻っていた。セシルは頷くと、


「では続けよう。お主の意見では軍の警備が機能していなかったとのことだ」


グレイは沈黙でセシルの話を促す。


「だが、私は彼らの働きを信じている。故にお主とは違う考えに行きついた。侵入した何者かは龍撃退要員がいない時を見計らって、行動に移したのではないかとな」


その言葉にグレイの面持ちが変わる。それは先ほどのような何かが抜け落ちた変貌ではなく、素直な困惑が表情に浮かんでいた。


「……そうなると最悪だな。軍の情報が敵に漏れているってことになる」


その事実が指し示す重要性はこの場にいる誰もが察することが出来た。

騎士達でさえグレイへの殺意を忘れ、話に耳を傾ける。それが国を揺るがす要因になりかねないと理解したからだ。


「うむ、非常に不味い事態だ。警備が機能していなかった方が幸せと思えるほどにな。龍の領域は自然環境が厳しく、警備が手薄になる所もいくつかある。その場所を知られていたならば、それなりの手練れなら侵入は容易だろう」


「他の龍の領域の情報も漏れてるとしたら危険な状態だ。龍撃退要員がいるにしても、ドラゴンの暴走は好ましい事態じゃない」


「それに限らず軍の秘密事項が筒抜けとあれば、国の威信にも関わる」


セシルは憂鬱げに額を押さえた。


「おまけに何故ドラゴンを暴走させたのか、その目的すらはっきりせん。侵入者を捉えることが出来れば一番楽なのだがな」


セシルの視線に気付いたグレイは首を横に振った。


「残念ながら侵入者はドラゴンの胃袋の中だ。戦闘前、いくつか言葉をかわしてみたがそんなことを言っていた」


「そうか……。では、軍の情報網を一度洗うとしよう。不穏な流れがあれば、そこから見つかるかもしれん。苦肉の策だがな」


「手をこまねいているよりはマシだろう。なんなら俺の部下にやらせてもいい。その方が探りをいれやすいだろう」


「うむ、頼む。何か分かり次第、報告してくれ」


それからセシルは手招きでシアレスを近くに寄せると、耳打ちした。


「これよりしばらくの間、龍の領域の警護に護衛騎士団を加えることにする。念には念をな。早急に手続きを済ませよ」


「御意に。では一言、騎士たちに激励を」


セシルはうむと頷く。

そして目前に並ぶ騎士達へと目を向けると、玉座から立ち上がる。真紅のドレスが気高くはためき動く。

その表情は王としての貫禄に満ち満ちていた。


「お主たちの忠誠心がこの国を護るということを信じて疑わぬ。此度のような事のないよう、各々与えられた任務を全うせよ!」


夕暮れ模様の中、白銀の月がそう吠えた。騎士たちは一斉に膝まずき、更なる忠誠を捧げる。

その異様なるも盛大な光景は、まるでお伽噺の世界に入ってしまったかのようだった。

彼らの心を支配するのは、帝都セフィアロに気高く君臨する女王、セフィア・セシル。


彼女の歩む道にこそ光があり、それについていくことが絶対なのだと、騎士たちはそう盲信している。

だから、グレイは騎士が嫌いだった。


ーー学習能力のない奴らだ。お前らが忠誠を誓っていた前王がどうなったのか、知らないはずがないだろうに。


あまりに眩しすぎる光は、他の光さえ奪ってしまう。

その光を根拠もなく信じて、崇めて、奉って。

いざその光が消えた時、彼らは何を見る?


答えは、何も見えないだ。

強い光になれてしまい、もう小さな灯火さえ見えなくなってしまう。

その時に感じる絶望は、この世の終焉と大差ない。


「……」


グレイは心が冷めていくのを確かに感じながら、ただ狂信する騎士たちを物静かに眺めるのだった。


召集命令は解除された。


「俺は帰らせてもらうぞ。さっきも言ったが夕飯の支度があるんな」


グレイはそう言うと背を向ける。だがセシルはそれを制した。


「まぁ待て。まだ陽はそこまで落ちていない。久々の再会ではないか」


「だから夕飯の支度が……」


「むぅ、そこまでして帰りたいか」


セシルは少し不機嫌そうに口を尖らせた。シアレスはあからさまに顔をしかめた。

内心はとても荒れ狂っていることだろう。自身の忠誠心を向ける相手が嫌いな人物と居たがるなど、不愉快極まりない。咎めるように言う。


「セシル様。あまりその者と関わるのは如何なものかと」


「いいではないか。次の職務まで時間はあろう?」


「ですが……」


「もう一度問うぞ。次の職務まで時間はあろう?」


「……はい」


シアレスは不服そうに頷く。主に指図するというおこがましい行為を行うことは出なかった。

恨みつらみをこめた眼をグレイに向けつつも玉座の奥にある扉、執務室へと消えて行った。


「さて、これで二人きりだな」


セシルは王座から立ち上がり、グレイの元へ駆け寄る。惚れ惚れするほど美しい銀の髪が大きくなびく。

それは騎士たちの前で見せた凛々しい姿ではなく、年頃の乙女のものだった。


こんな行動をすることが出来るのは、王の間に騎士達の姿はもうないからだった。召集命令が解除された今、セシルの護衛はシアレスに一任されており、騎士達は各々の業務を果たさなくてはならない。


セシルの激励で闘志が燃え上がったのか、皆我先にと去って行った。大方、鍛錬でも始めるのだろう。

つまり今、グレイの行動に口を挟むものはいないというわけだが、


「……はぁ」


ーーこうなるぐらいなら、いてくれた方が助かったぐらいだ。

グレイは隠す気もなく溜め息を吐く。セシルは頬を膨らませた。


「む、そのため息はなんだ」


「別になんでも」


「嘘をつくでない。あからさまに嫌そうな顔もしておった」


「分かっているなら聞くな。俺は、さっさと、帰りたい」


わざわざ何度も区切り、特に「帰りたい」を強調して言った。


それをセシルは笑い飛ばす。


「そうつれないことを言うでない。お主と話している時が一番落ち着くのだ。如何せん、王の業務というのは堅苦しくてな。国を治める者として、常に威厳ある態度をとることは絶体。しかし、王とて孤独には勝てん。対等に接してくれる者が少ないことが不満なのだ」


いかに軍人で契約者であろうとも、ここまで女王と親しげに接する事はできない。

当然、距離を近づけるきっかけがあった。


それは四年前のセシル護衛任務だった。護衛任務といえば聞こえはいいが、実際はただの見張り役程度。

セシルには護衛騎士団がついており、護衛のそのまた護衛のようなものだった。


戦時中であったにも関わらず、無駄な人材の使い方。一人娘を溺愛していた前王の機嫌をとるための対応だった。

だが、それが功を奏したのだから偶然というのは末恐ろしい。


道中、セシルの行動により騎士団が陥れられ、挙げ句の果てに盗賊に拐われるという間抜けをやらかしたのだ。


これには流石の騎士達もなす術はなかった。


騎士の役割は護衛であり、探索でも追跡でもない。真似事は出来ても、それ以上のことはまるで出来なかった。

だが、軍人からすればそれは容易い事。グレイの隊はすぐさま盗賊を発見し、セシル奪還に至った。


のだが、それ以来妙になつかれてしまった。ことあるごとに話しかけられ、やがて騎士たちの強烈な嫉妬の視線を受けるようになったのだ。そして今日に至る。


「一介の軍人と、国を治める女王。一体何処が対等なんだ?」


「立場の話ではない。素の自分でいられることが重要なのだ。この会話に女王に対する敬意はあるか?」


「ないな」


「気持ちの良いほど言い切ってくれる。だから対等なのだ。気兼ねすることがない」


グレイはあまり納得がいかなかったが、黙ることにした。

それをセシルは納得したと思い込む。


「この度の件、重ねて礼を言う。お主がいなければどうなっていたことか」


「別にどうってことはない」


あっさりと返す。本来ならば勲章ものの働きをしたというにも関わらず、その言葉は紛れもない本心だった。


「いざという時は御三家の当主たちがどうにかしただろう。それに全ては契約の力があってこそだ」


グレイは右腕を押さえた。その服の下。包帯が巻かれている二の腕の部位に、契約者の証である契約紋と呼ばれる幾何学模様が描かれている。


ーー契約。それは対価を支払うことで異世界の『何か』の力を我が物とすることが出来る呪法。


それは人知を超越した力。原理も理屈も解明出来ない不可侵の領域。

かの十五年戦争においても、契約者一人が戦況を傾けたという事例はそう稀なことではない。


セフィアロはこの大陸において最も契約者を有する国。十五年戦争以前はそれが抑止力となり平和を保っていた。

「いかに強大な力もしょせんは人の手に収まる程度の物。いかに契約者であろうと、ドラゴンの前では吹けば散る灰でしかない」


「その気になれば狩れる奴はいるだろう。龍撃退要員とかな」


「そうかもしれぬ。だが試したものはいない。お主は誰もなしえなかったことをしたのだ。誇ってもよかろう」


「勝負は何事も相性だ。俺は数いる契約者の中でも弱い部類に入るが、こと破壊力。それだけにおいては上位だと自負している。だからドラゴンを殺せた。それだけだ」


セシルは思わず苦笑する。

グレイの態度は自分の力をまるで信じていないようだった。

いや、実際に信頼していなかった。


「本音を言えば自分でも驚いている。俺の力は単純かつ応用なんてものが効かない不便な代物。それがドラゴンまで殺せたとはなれば、流石にな」


「……グレイ。お主、向こうで一体何を見た?」


セシルは違和感に気付いた。確かにグレイは己を過大評価するような男ではない。

だが戦場で生き抜く上で必要な観察眼を持ち合わせている。

謙遜こそすれ、これまでの任務では自身の力に一応の自負を持っていたはずなのだ。

それでも今のグレイの反応は、まるで自分を卑下するかのように思えた。

過大評価されることに苛立ちを感じているように見えた。


そしてセシルの感は的中していた。

「……救えたはずの子がいたんだ。小さな女の子だった」


「そうだったか……」


「俺が着く前に死んでくれていれば、こんな気分になることもなかった。最悪な気分だ」


そう憎まれ口を叩くも、セシルは知っている。今、彼は罪悪感に駆られていると。

グレイは優しすぎるのだ。軍人としては致命的なぐらいに。


「お主はどう足掻いても間に合わなかった。時間的にも、位置的にも。全ては管理を怠った私の責任だ。気に病むことはない」


そう口にしながらも、それが気休めにもならないだろうことをセシルは理解していた。


「そう割り切れたらどれだけ楽だろうな」


グレイはそう言うと両手を強く握りしめた。爪が皮膚に食い込まんとばかりに。己が無力を呪ように。


「村に向かう途中で拾った子で、酷く混乱していた。ドラゴンが襲ってきたんだ、当然だろう。その子は震えながらも拙い言葉で現状を教えてくれたよ。俺は御者に女の子を連れて戻るように伝えるとその場で降りて、村に向かった。だが村なんてなかった。家屋だった木片が幾つも燃えているだけ。人の気配はなかった。悲鳴もない。間に合わなかったと悟るには十分だった」


語る声が少し震えた。


「それでも任務を遂行するために、ドラゴンを探したよ。あの巨体だ、すぐに見つかった。すぐに臨戦態勢に入ったが、奴はひと暴れした後だからか俺を見てもすぐに襲うことはなかった。むしろ契約者と知ると、話しかけてきた。俺はいくつか質問をした。その最中だったよ。あの女の子が戻ってきたのは。父さん、母さんと叫びながら。父母恋しさに御者の隙をついて抜け出したんだろう。


ドラゴンはそれを見て、何て言ったと思う?目障りだ。それだけ言って焔弾を吐いた。女の子はあっという間に吹き飛んで、消えた。本当にあっさりと。それからのことは……よく覚えていない。気がついたらドラゴンが死んでいた。多分、右腕の火傷は女の子が吹き飛んだ時の爆風によるものだろう。ドラゴンとの戦闘で火傷はあり得ない。あるとするなら溶解しかないからな」


「……」


「今でも思う。俺がドラゴンと応答せず見つけ次第攻撃すれば、あの子は死なずに済んだんじゃないか?話す限り冷静に見えたドラゴンが容赦無く子供を殺さないだろうと一瞬油断しなければ、焔弾を吐く前に攻撃出来たんじゃないか?だが何より許せないのは……あの子の犠牲なくしてはドラゴンの討伐が出来なかっただろう俺自身だ」


グレイは力なくうなだれる。だが握りしめる力はむしろ強まり、血が一滴滴り落ちた。


「何も変わらない。俺の力は犠牲があってこそ真価を発揮する。仲間を護るための力を得るために契約したはずが、とんだ外れくじを引いたものだな。結局、戦争で生き残った仲間は契約者のカレルだけだ」


その声は人が出せるものとは思えないほどに無機質で冷たい。それはセシルの心を震わせ、傷つけた。


「……グレイ」


セシルは血の滴る両手を掴み合わせると、自身の胸元辺りまで上げた。

そして白く細い指で包み込むようにその手を握った。雪のように白い肌だが、春の陽気のように暖かい。


「お主には孤児院を運営している幼馴染がいたな。確かミレイルと言ったか。その者と暮らしているようだが……お主の様子を見るに、居心地の良いものではなかろう。そこはあまりに平和過ぎる。何も知らないのだから。お主を罪のない一人の人間として見ている。その場所に身をおくこと自体に罪悪感すら覚えているのでは無いか?」


「……」


「だがそれを受け入れれば、お主には居場所がある。それはきっとお主を楽にするであろう。事実、他の軍人や契約者たちもそのようにしているのだ。戦争での出来事を忘れるように、今ある安寧に身を任せる。それを非難する者など、この国にはいない」


「……めろ」


「お主はよくやってくれている。感謝してもしきれぬ。だから、見ておれんのだ。お主がボロボロに朽ちていく姿を……。もうやめてもよいのだ。止めはせん。お主がここに心を置く以上、私はお主を頼ってしまう。だから……」


「……やめろ。お前が俺を知ったような口で語るんじゃない」


ギロリとグレイの視線がセシルを捉えた。それと同時、一歩下がり距離を取ると右腕をセシルへと伸ばした。

次の瞬間、グレイの腕が二本に増えた。いや、違う。その一つは散弾銃だった。

どこからともなく現れた散弾銃が、何もなかった右手に握られていたのだ。


大の大人の腕ほどの長さ。銃身と機関部の接合部を折って装填する元折れ式。銃身がニ本横に並べられている水平二連銃のような外見。

銃身や引き金が金によって装飾されており、きらびやかな印象をうける。


だが、その見た目に反して重苦しい禍々しさを放っていた。


――殺意の(マドアゼーレ)

グレイが契約対象から借りている武器であり、ドラゴンに引導を渡した武器だ。


奈落の穴のようにぽっかりと虚空を開けたその銃口が、正確にセシルの眉間に向けられている。

引き金を引けば、その頭は真っ赤な果実のように弾け飛ぶ。


「発言には気をつけろ。人は誰だって間違える。王だろうと軍人だろうと奴隷だろうと。間違えたのなら、反省しやり直せばいい。人はそうやって成長していく。だが、人生には落とし穴がある。落ちたら最期、二度と這い上がれない奈落の穴がな。反省だとかやり直すだとか、そんな甘ったるい言葉はそこにない。それに足をかけた時、全てが終わる。努力も才能も運も権力も、何の役にもたちはしない。さらに厄介なのは、それは全く予期せぬ所から唐突にやってくることだ。例えばそう、こんな風に」


グレイの瞳には嘘偽りのない敵意があった。剥き出しにされている殺意にセシルは身体を震わせる。肌は寒気を感じ鳥肌が収まらないというのに、身体の中は焦がされるような熱意が同居していた。


「お前は……よくもそんなことを簡単に……!俺がどんな想いで決断したと……!」


グレイは左手で額を押さえた。


「そうさ、俺は楽になりたい。強がったって、それが現実だ。それでもミレイルも子供たちも騙すように平穏を装っている。辛いさ、とても。受け入れたくもなる。だが、駄目なんだよ。俺なんかがいていい場所じゃないんだ。あそこは穢れを知らなさ過ぎる……」


カタカタと銃を持つ手が震えた。

「半年間過ごして、俺は自分の弱さを実感したよ。結局のところ、たったそれだけの期間で俺の意思は揺るぎそうになった。仲間たちのことを忘れて、国を護る義務を捨てて、平穏を享受したいと、そう思ってしまった。今の俺が演技をしているのか本心から言っているのかさえわからなくなっていた。……近いうち、俺はあそこを出るつもりだ。こんな罪悪感を抱くのは御免だし、ミレイルも薄々気付いてる。この辺りが潮時だ」


「……良いのか?賛同はせん」


「どの口がそれを言うんだ。お前があんなことをしなければ、こうはならなかった。はっきり言って、お前が憎い。それでも俺がお前に従うのは、お前がこの国を導くに足る人間だと信じているからだ。国の再興と安寧の維持。それが戦場で死んだ仲間の唯一の手向けになる」


「……」


「だが、今言ったように人は間違える。俺だってそうだ。お前が国を導くに足る人間だとかいかぶっている事だって、十分にあり得る。そしてその通りなのだとしたら、お前を生かしておく理由はない。むしろ復讐のために始末したいと、そう思うのが筋だろう」


「私は……」


セシルは何も言い返せない。グレイの言うことは全て正しく、今ここで殺された所で文句を言える立場ではないと理解しているから。それほどの過ちをかつて犯してしまった。

だが、セシルはそれでも笑った。


「お主になら殺されても構わん。好きなように判断するがよい」


セシルはグレイの判断に身を委ねる。それに従う覚悟はあの日から出来ていた。

僅かな沈黙。しかし、その数秒には時間が凝縮されたかのような圧迫感があった。

「……さて、どう判断すべきか。生かすか、殺すか。なぁ、どうするべきだと思う?」


グレイは問う。しかし、その場には誰もいない。王の間にいるのはセシルとグレイ、それのみだ。にも関わらず、


「そりゃあグレイ、生かしておくに決まっているだろう。仮に女王が国を導くに足りない器として、じゃあその後を誰が継ぐ?その考えがあっての行為なんだろうね。ちょっと苛ついただけで殺すつもりなら、それこそ間違いというやつさ」


ペリペリと何かが剥がれる音がしたと同時、声がした。それはグレイの背後から。だが、セシルの眼には誰の姿も見えない。

代わりにグレイの影が大理石から剥がれ浮かび上がり、ヒラヒラと紙切れのように舞う異様な光景が見て取れた。


そこから手が伸びてきた。あの薄く黒い影にそれほどの面積などあるはずもないのに。

それはやがて腕も姿を覗かせ、次にそのまま身体が出てきた。両性的な顔立ち。深く被った軍帽。姿を見せたのは迷彩色の軍服を着た軍人、ロッド・カレルだった。


「どうも、女王陛下。ご機嫌麗しゅう。影からひっそり失礼致しますよ」


「言ってもわからん馬鹿ばかりだ。後をつけるなと言っただろうが」


そのやりとりを見てグレイが溜息を吐くと、カレルは心外だと言いたげに声を荒げる。


「おいおい、尋ねてきたからわざわざ姿を見せたんだ。その物言いはないだろう」


「話を逸らすな。お前が出てきた出てこないなんてのは些細な問題だ。俺が言いたいのはついてくるなと言ったのに、今この場にお前がいるということだ」


「今日は少し様子がおかしかったからな。心配して、わざわざ様子を見に来てやったんじゃないか。これ、滅多に使わないんだぜ?けど使うだけの価値はあったようだ。こんな国の一大事とご対面とはね」


カレルはこの場を見る。一介の軍人が女王に散弾銃を向けている。誰がどう見ても謀反と捉えかねない状況だ。


セシルはグレイの影を見る。

ペラペラと舞っていた影は既に地面へくっつき、何事もないように存在していた。ただそこには粘りつくような不気味な気配が漂っていた。


「さぁ、グレイ。大人しく腕を降ろせ。馬鹿な真似はやめるんだ」


「俺はお前に意見を求めたが、決定権を求めてはいない。やりたいなら力づくでやったらどうだ。まだ俺の影の中にいるんだろう?」


ちらりとグレイは己から伸びた影を見た。黒く伸びたそれは大理石に張り付いている。

そこからほんの一瞬、目が覗いた。グレイの目とあう。するとすぐさま影の中に消えて行った。


カレルは少し冷や汗をかきながら、


「そういうこと、あまりこいつの前で言わないでくれよ。元からそういう行為が好きな奴だ。ヤりたがりなんだよ。ま、あんたがそうなる姿は見たくないから、平和的交渉でいくけどさ」


そして言う。


「話は最初から最後まで、全部聞かせてもらってる。呆れて物も言えないぜ。今からやろうとしていることがどれだけ馬鹿げているか、理解しているのか?」


カレルはバッサリ切り捨てると、両腕を肩ほどまで上げる動作をした。


「さっきも言ったが、その代わりを誰がやる?まさかあんたがやる、なんて言い出さないよな?あんたにそこまでの人望はないし、政治的手腕もない。他だってそうだ。政治家だろうと軍の上層部だろうと、女王の座を継げる奴なんていやしないのさ」


「……」


「仮に女王の後を継ぐに相応しい人がいたとして、それを国民たちが掲げるか?否だ。この平穏を築いたのは女王で、そいつじゃない。騎士たちなんかは言うまでもない。グレイも分かるだろう?あいつらの宗教じみた忠誠心を。少なくとも今女王を殺せば、国は間違いなく崩壊する」


「……」


「こんなこと、言わずとも分かるだろ?それともそれぐらい頭に血が上ったのか?ドラゴンの一件で気が立っているのは分かるけど、グレイらしくないな」


しばらく無音が続いた。グレイは手に握る引き金を見ていた。セシルは己を壊すかもしれない散弾銃の奈落の穴を見ていた。カレルは夕焼け模様の王の間を見ていた。


そして無音は破られた。


「……国が滅びるのは困るな」


グレイはそう言うと、セシルに背を向けた。

その時にはマドアゼーレは完全に消え去り、跡形もなくなっていた。


カレルはふぅと息を吐き、「ヒヤヒヤさせる」と呟いた。


セシルは助かったとも思わなかった。生かされた。それだけしか思えない。

セシルはその背に問う。


「……いいのか?」


グレイは振り返らず答える。


「殺そうと思えばいつでも殺せる。今じゃなくてもいい。少なくとも、敵を見つけ出すまではな。期待していいんだろう?」


その言葉に、緊張で固まったセシルの表情筋が少しだけ緩んだ。


「……ああ、そうだな。全力を尽くす。それだけは言っておこう」


「当たり前だ。お前が正しいことをするのなら、俺はそれに従うさ。また何か任務があるなら命令してくれ」


王の間を出たグレイの後をカレルが追いかける。厚革のブーツがコツコツとこぎみよい音を響かせた。


上層と中層を行き来するための通路を二人は歩く。


白い大理石で出来た道は城に巻き付く蛇のように、中層まで螺旋階段状に伸びている。

所々四角い窓代わりの穴が空いており、そこから時折風が入っては二人の軍服をはためかせた。


アズガルル城の構造は地下室、下層、中層、上層に分けられ、王の間は上層にある。

よって一度外に出れば、風は下よりも強く吹き荒れる。

下層には鉄に一部覆われた巨大な木造の門があり、それをくぐると大広間や事務仕事をこなす役員及び軍人の作業部屋がある。


中層には調理室と食事場がある。メイドや執事たちが料理を作り、騎士や軍人、役員たちの憩いの場となるのだ。

他には騎士たちが鍛錬を積むための鍛錬城、騎士が管理する武器庫と軍が管理する武器庫が別々にある。


地下室には蟻の巣のように幾つもの部屋が存在しているが、使われることは殆どない。

これは戦争などでセフィアロを攻められた時、市民の避難場所として活用する場所だからだ。


しばらく黙って歩いていた二人だったが、


「全く、あんたは良くやるなぁ。女王相手にあんな事するか、普通」


カレルがその沈黙を破った。

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