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帯分数は遠いけど  作者: 天そば
エピローグ
36/36

エピローグ 3

 二次関数なんて、社会に出ても使わない。けれど、受験には使う。これがないとやってられないってぐらいに、めちゃくちゃ使う。


「だから、ちゃんとやり方覚えなさいって」


 数学の第一問でいきなりシャーペンが止まった弟に、わたしは辛らつに言い切った。


「ただできるだけでも駄目なの。もっと速く出来るようにならなきゃ、センターではあっという間に時間なくなっちゃうよ」

「分かってるよ。だからこうして、二次関数の練習プリントやってんだろ」


 止まっていたシャーペンが動き出した。テレビを消して静けさの舞い降りたリビングに、シャーペンがプリント越しにガラステーブルに当たる音だけが響く。


 ……うん、第一問正解。でも、この問題にこんなに時間をかけているようではまだまだ厳しい。お風呂からあがるなり数学が苦手だから見てほしいと頼まれたけど、自分で認めるだけあって、確かに苦手のようだ。

 プリントの問題は、あと三問ある。ふう、と実がため息をついた。


「こんなものなくなってしまえば……」

「そんなこと言わないで、さっさと次の問題に行く。数学は、とにかくたくさん解いて慣れるしかないんだから」


 へーい、と返事をして、また荒れ狂う数字の海に飛び込む。返事はふざけてたけど、顔は真剣だ。

 スローモーションに動くシャーペンを見つめていると、ポケットに入れていたケータイから、メール受信を知らせる音楽が流れた。差出人は、鳥羽さんだ。


『分かった。明日、工事が終わってから急いで行く』


 鳥羽さんに見えるわけがないと知りつつ、わたしは小さく頷いた。


 今日のバイト終わりに、店長に鳥羽さんのことを話した。ちゃんと謝りたいと言っていた、ということも含めて。それを聞いた店長の返事は、明日、その人を連れてきてくれ、というものだった。これだけ聞くと怒っているように思えるかもしれないけど、店長の表情は一貫して優しげで、たぶん、本気で怒るつもりはないだろうなと思わせるものだった。その旨をさっき、鳥羽さんにメールで伝えたのだ。


 鳥羽さんへの返信を送信して、実の進み具合を見ると、なんと、残る問題はあと一問。おお、思ったより進んでる。


 偉いじゃん、と声をかけたくなったけど、それを躊躇わせるほど真剣に問題を解いていたので、わたしはそっとソファーから立ち上がった。向かう先はキッチンだ。そこで、カップにピンク色の粉末と温めたミルクを入れて溶いて、それを持って再びリビングへと戻ると、実はもうシャーペンを置いていた。どうやらもう、プリントは終わったらしい。わたしは実にカップを手渡す。


「お疲れ様」

「おお、いちごミルク! サンキュ」


 まったく、これには目がないんだから。

 わたしも隣に座り、自分の分のいちごミルクを飲む。うん、久しぶりに飲んだけど、確かに美味しいな。


 実はカップから口を離し、ほう、と大きく息を吐くと、またじっとプリントを睨みつける。


「おれ、数学マスターには、まだまだ遠いな。これだけの問題解くのに、かなり時間かかった」

「そうだね。てか、あんたは問題解くとき一々考えすぎ。もっと簡単に考えれば、時間短縮できるって」


 言った後、少し可笑しくなってしまった。わたしが誰かに考えすぎだなんて、とても言えたものじゃない。


 ふと、プリントの解答欄にあった、三分の八という数字に目が止まった。


「ねえ、実。こういう分数のこと、なんていうか分かる?」


 三分の八に指を置きながら訊いてみる。実は怪訝そうにわたしの顔を見ながら、それでも一応答えてくれた。


「仮分数だろ?」

「そう」


 頷く。よくできました。

 わたしはカップを置いてテーブルの上に転がっていたシャーペンを取り、プリントの余白に数字を書いた。

 大きく数字の二を書いて、その横に、三分の一。


「じゃ、これ、なんて読むか分かる?」

「二と三分の一。帯分数だろ?」

「正解」


 にっこり笑ってみせたけど、実は全然嬉しくなさそうだ。そりゃそうか。ちゃんと本題を説明しなきゃね。


「ところで、この仮分数ってさ、なんか、頭でっかちじゃない?」


 言われて、実が三分の八を見る。

 下の数字は『三』で、上の数字は『八』。分母は三で、分子が八。下よりも上が大きい、大きな頭の持ち主。


「まあ、そうだな」

「でしょ? それに比べてさ、この帯分数はしっかり者っていうか、すっきりしてるよね」


 わたしの意図することが分かったらしく、実が苦笑した。


「そうだな。でも、おれたちは……」

「うん」


 とん、とわたしは再び、三分の八に指を乗せる。


「まだ、これだよね」


 そう。

 わたしたちは、アンバランスな仮分数。大きすぎる頭に悩まされ、ふらふらと振り回される小さな分母。そのことをやっと自覚したばかりで、自由なコントロールはまだ出来そうにない。


「今はまだ、な」

「そうだね。今はまだ」


 でも、いつかきっと、克服できるときが来るはずだ。わたしたちは、小さいけれど、その一歩を踏み出した。

 大きな頭を脇に置き、上下のバランスを整える、洗練された、帯分数は遠いけど。

 それでも、いつかきっと、そうなれるはずだ。


 いつか来るその日のために、焦らず急がず、今日も明日も、精一杯頑張っていこうと思う。

おかげさまで完結することができました!


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