面接後の焼き肉会議
履歴書に目を落とし、真面目そうな眼差しの顔写真を見つめて、私は迷っていた。
給料が安くて、仕事はキツくて、将来性があるとも言えない底辺会社。こんな所に入社したいという奇特な人材はそうそういない。それにIllustratorで作ったイラストはよかった。能力は魅力的。だが……。
「古谷……でしたっけ? 雇うんですか?」
「正直迷ってる」
「女ですしね。うちの仕事ハードだし、ついてこれるかわからないですからね」
それもある。……それだけじゃないけど。伊瀬谷君は何も気づいてないように、パソコンを見ながら作業を続けている。もしも彼が彼女を好きになったら……面倒な事になるかもしれない。
「今日の夜、久しぶりに飲みに行かない? 飲みながら相談しよう。採用するかどうか」
「いいですけど……熱燗はなしで」
「もちろん。焼き肉食べたいな」
「野菜も食べてくださいね」
私の健康を気遣って、そんな小言を言う人間は伊瀬谷君と愛くらいだ。弟に窘められてるような、くすぐったさと嬉しさを感じた。
もしも……彼が彼女を好きになったとしても、私が大人の対応をすればいい。私が彼女を好きになる事はありえないのだから。私には愛がいる。そっと撫でた指輪が冷たくて、胸がきりりと痛んだが、すぐに思考を仕事に切り替えた。
きんきんに冷えたビールを喉に流し込む。舌の上に感じる苦みが、疲れた身体に染みて、思わず息を吐き出した。かすかに身体に漂うアルコールの浮遊感に一瞬身を任せた。
じゅぅ……と肉が焼ける音とともに、肉の脂を含んだ煙が立ち上る。香ばしい匂いに喉を鳴らして、肉に箸を延ばした……が、寸前で目の前の肉は攫われた。代わりに私の皿に乗せられた、ピーマンとたまねぎ。
「狩野さん。さっきから肉しか食べてないですよね。野菜も食べてください」
むすっと怒った顔をした伊瀬谷君。私の事を心配して怒ってくれるのは嬉しい。だからたまにわざと怒らせたくなる。野菜を食べないのは半分わざとだ。……そんな事を言ったら機嫌を損ねそうだから言わない。
大人しく野菜を食べながら、昼間に会った彼女を思い浮かべた。
「伊瀬谷君はどう思った?」
「俺……ろくに顔も見てないし、よくわかんないんすけど……」
箸の手をとめて、首を傾げてじっと悩んでいる。凄く真剣に悩んでいるから、私が肉ばかり攫っていくのに気づいていない。
「装丁は物語の扉で案内人。その言葉はいいなって思いました」
何がどう良いのかわからないが、伊瀬谷君は気に入ったらしい。考えるより感じる。彼らしいとくすりと笑みがこぼれた。
「あと……なんか真面目そうだなって。嘘とかつかなさそうだし、素直な感じがしました。一緒に働くなら、信頼できる奴がいいです」
話を聞いていただけなのに、直感でそう感じたのだろう。伊瀬谷君の勘は侮れない。彼がそう言うなら、きっとそうなのだろう。三人だけの職場なら、性格を重視するというのは確かに重要だ。
「狩野さんはどうなんですか?」
「……そうだね」
彼女がうちみたいなブラック待遇でも入社したいと言った理由。予想がついて思わず苦笑した。伊瀬谷君はまったく気づいてないけれど。
顔に釣られただけでもいい。気をつかって優しくして、サービスしてれば会社を辞めずにいてくれるかもしれない。そんな打算ばかりが思い浮かぶ。
「伊瀬谷君にも協力してもらえたら大丈夫かもね」
「俺……初めての後輩ですし、頑張って先輩らしくなります」
そう意気込んだ真面目さが好ましくて、ちょっと揶揄ってみたくなった。
「じゃあ……伊瀬谷君が教育係ね」
「え……、俺がですか? 狩野さんの方が適任じゃ……」
焦って慌てた姿が見てて面白い。慌てて、でも真剣に考えて、小さく頑張りますと呟く。伊瀬谷君も女の子なら優しくしよう、成長しようってやる気をだすかもしれない。
私を信頼して頼ってくれるのは嬉しいが、今の伊瀬谷君は依存し過ぎてる。今のままでいいと成長を止めてる気がして心配だ。後輩ができて自立してくれるならありがたい。
「じゃあ……採用しようか。頑張って先輩らしくしてね」
がくりと肩を落として口ごもる伊瀬谷君は気づいてない。肉だけ全部私が食べてしまったのを。野菜は残っているけれど、まだまだ物足りなくて、肉を追加した。ついでに生ビールのおかわりも。
「狩野さん」
伊瀬谷君が真面目な顔でじっと見るので、大切な事を言うのだろうと、揶揄う気持ちを辞めて向き直る。
「俺だけならいいです。もし会社が倒産しようが、自分の事はどうにかするんで。でも……新入社員を雇うなら、そいつの為にも簡単に会社を潰せないですよね」
「そうだね」
「もし……後輩が体調を崩したら、俺が仕事変わって休ませます。俺が守ります。だから……狩野さんも休まず働けるように、ちゃんと野菜食べて健康管理してください」
そう言って残った野菜を全部私の皿に載せていく。正しすぎて反論の余地もない。それだけでも成長したなと嬉しくなった。
にんじんは少し焦げていて、甘みより苦みの方が強かったけれど、ビールと一緒に胃に流し込んだ。




