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幻の王国  作者: 羽紗子


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1.妖精の手紙

 カタカタ……


 風が軽く窓を叩くような音で目が覚めた。

 チャロはベッドから起き上がり背伸びをすると、裸足のまま窓際まで歩いてカーテンを開ける。眩しい朝日が飛び込んできて、目を細めた。

 外観と同じ漆喰の壁や床に光の帯が伸びて、白く浮かび上がらせる。洞窟住居の滑らかな壁は継ぎ目もなく、所々に曲線があって柔らかな印象だ。アーチを描いた窓辺が特に気に入っている。

 鍵を外して窓を開けると、爽やかな風と共に、鳥の声や微かにカモミールの花の甘やかな香りが吹き込んできた。

 まだ梳かしてもいない絡まった髪がふわりと背中で揺れ、あちこちに飛び出した毛が風に揺れる度に金や銀に透ける。

 部屋を出ると一番に隣の寝室をそっと開く。

 中を覗いても、冷たく整ったベッドと、鉢植えの小さな木が震えることもなくあるばかり。

 小さなため息をついて自分の部屋に戻り、身支度をした。


 それから台所に降りて、クッキーを作り始めた。オーブンから甘くて香ばしい匂いが漂って来る頃には気持ちが少し落ち着いてきた。


「ちょっと、焼きすぎちゃったな」


 今回は、冬に砂糖漬けにしてあったレモンを飾ってみた。甘酸っぱい香りが美味しそうだ。

 三角巾やエプロンを外していると、


 チリン……


とドアベルの音がしたので、小走りにそちらへ向かう。


「はーい!」


 扉を開けると、そこには誰の姿もない。


「いやね、ピンポンダッシュかしら?」


 肩を落として石段に座り込んだ。


「帰って来たかと思ったのに」


 見上げた青い空の中を、ヒラヒラと白い蝶が舞っている。その中に馴染みの妖精が混じっていないかと目を凝らしたが、金の光の粒が残像になって宙を優美に流れていったりはしなかった。


 不意に風が吹き、ひらりと一枚の葉が舞い降りて、くるくると目の前で踊るように回るので、チャロは不思議に思って手を伸ばす。

 木の葉は、上に向けた手のひらに音もなく乗った。ただの木の葉ではないと思ったとおり、表面には細い針で引っ掻いて書かれたような字が連なっている。

 遠目では小さな文字が書き連なっているように見えたが、目を近づけて読もうとすると、並んでいたのは見たこともない形ばかり。


「妖精の文字かしら? まさか……」


 目を見開いて掌に乗せた葉をじっと見る。艶のある鮮やかな緑の葉を裏返すと、白っぽいマットな表面。そこに刻まれた黒い文字。


 何を伝えたいのだろう?

 もし、緊急の伝言だったら。


 手紙を持っていない方の手で頭をかき回す。せっかく櫛を通した髪の毛がまた爆発したが、チャロは気づかない。


「チャロ、お早う!」


「おはよう、チャロおねえちゃん」


 明るく元気な声を掛けられて、チャロははっとして顔を上げた。目の前の坂道に、よく知る子供たちが立っている。

 チャロは葉をスカートのポケットに仕舞い、務めて冷静を保った。


「お早う、レモンくん、マロンちゃん。早起きね、今日は学校はお休みでしょう?」


「そうだよ。さっき、シルフィを見かけたから、なんとなく追いかけてきたんだ」


「でも、みうしなっちゃったの」


「そうなのね」


「いつもの街灯の窪みにもいないし、急に、消えてしまったんだよ」


「おにいちゃんが、おいかけまわすからよ。おどろいて、かくれちゃったんだわ」


「マロンだって、追いかけていたじゃん。同罪だ」


「まあまあ。またすぐに現れてくれるわよ。シルフィはいつだって神出鬼没なんだから」


 町では知る人ぞ知る地域猫で、まるで気象を予知するような行動をすることから、海へ船を出す人たちからは有り難がられ、風の精霊(シルフィード)の名を付けられて大切にされている。


「また、いつかのように魔法の道を通って山か灯台にでも行ったのかもしれないね」


「山へ行ったら、嵐が来るんじゃなかった?」


「あ、それはいやだな。せっかくの休みなのに。きっと、灯台だよ。そうに違いない」


 力強く頷くレモン。

 マロンが隣に腰掛け、チャロに寄りかかった。


「おねえちゃんの髪、ふわふわで大好き」


 マロンは、チャロの頭をもふもふと撫でている。それを見ていたレモンが言った。


「今日はいちだんと爆発しているけれど、局地的嵐にでも遭遇したの?」


 チャロは慌てて手櫛で撫で付ける。


「そういえば、さっきぐしゃぐしゃってやっちゃったんだわ。というか、そんなにピンポイントで嵐が来たら驚きだわ」


「なにか悩み事? お店のこととか」


「おねえちゃん、おみせやめちゃったのどうして? おかし、おいしかったのに」


 二人の純粋な問いかけに、チャロは申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「ちょっと、修行をし直そうと思って。一度お店を出してみて、まだまだ、力不足だったと痛感したの」


「あんなにお客さんたちが来ていたのに?」


「それは――」


 まさか、本当の事を言えるわけがない。

 知らなかったとはいえ、魔法でお客さんたちを騙していたなんて。




 あれは、この島へ戻ってきてから、そう経っていない頃のこと。


 チャロは、養母のアンテリナムの出資で新しく移り住んだ洞窟住居の一部をリフォームし、お菓子屋を始めた。

 とても小さなお店で、売っているのはパティスリーが作るような高級なケーキやお菓子ではなく、毎日買っておやつに食べられるような、手頃で素朴なクッキーなどだ。

 知り合いが時々買いにきてくれるくらいだろうと考えていたが、予想外に初日から行列が出来てしまって、あっという間に売りきれてしまった。

 自分のお菓子がこんなに受け入れられたのだと嬉しくなり、買えなかったお客さんのために次の日には昨日の何倍ものお菓子を焼いたが、それもまた、午前中には全て売りきれてしまう。

 アンテも喜んでくれて、チャロはその頃は夢が叶った幸せで舞い上がっていた。毎日が楽しくて、新作を作っては家族二人に味の感想をもらったりして、忙しくも充実した日々を過ごしていたのだ。


 ところが、それがある日突然一変した。

 偶然、アンテが魔法を使っている現場を目撃したのだ。お菓子の味に文句を言う客を蛙に変えてしまうところを。

 チャロは悲鳴を上げた。蛙が苦手だったというのもあるが、それ以上にアンテの行いにショックを受けたからだ。

 彼女が魔法使いなのは知っていた。三千年以上昔から生きている、この世の(ことわり)の外のような存在であることも。

 けれども心は実は普通の人間と変わらず、それなのに長生きをし過ぎたせいか、それとも過去に何かがあったせいなのか、彼女の心は疲弊していた。

 時々目が虚ろになり、目の前にいる娘が突然見えなくなったように鬼気迫る様相で探し回ったり、夜中に静かに涙をながしていたりする。どうしたのかと聞いても、きょとんとして、泣いていたことを忘れた様子で首を傾げるばかり。

 もはや、何が原因かすら憶えていないのだろう。それなのに、欠けた心のガラスは、暗い夜に自らをその破片で未だに傷つけているのだ。

 彼女は身体を突き破ったガラスの破片をそのまま他者へ向けるように、魔法を使っていた。

 魔法を使う度に大切な何かも少しずつ失われていくようで、ますます彼女の行動は常軌を逸していく。チャロの目の前で不都合な事を口にした使用人を宝石に変えてしまうくらいには。

 そのときに初めて彼女が魔法使いであることを知り、実は貴族の身分さえ偽りで、平気で人の姿を石や蛙に変えたり、記憶を消したりしていたことを知って、チャロは怖くなり逃げ出した。

 

 船に乗りたどり着いた島で出会った人々、そしてレインという年上の少年に随分と助けられて、色々と不思議な出来事に遭遇した末になんとかハッピーエンドを迎えた今がある。

 チャロがアンテと呼ぶ彼女はレインの治癒魔法を受けて少しずつ回復し、ずっと近くで見守っていた妖精の姿も再び目にすることが出来てからは、情緒も落ち着いてきて、チャロに対する異常なまでの執着も薄れ、歪な力でしがみついていた社交界への興味も無くなったらしい。

 姿を変えた人々は元に戻し、一般人として穏やかに生きることを選択した。


 そうしてカモミール島に渡り、今があるのだが――。

 

「アンテ、お願い、やめて。魔法を使わないで」


「あら、見つかっちゃったわ」


 以前よりも薄化粧で、血色も良く見える彼女は、とても若く健康的に見える。しかし、首を傾げて流し目で微笑みながら、なんでもないことのように言う様子はかつて偽りの貴族として悪事を行っていた頃を彷彿とさせた。


 彼女は過去の行いを悔い改めてもう人に危害を加えるような魔法を使うのを止めたのだと思っていた。しかし、長年の習慣というものは一朝一夕では変えられないのだろうか。


「すぐに、元に戻してあげて」


「でも、チャロのお菓子を悪く言ったのよ」


「だからと言って、それだけのことで、人を蛙に変えてはいけないわ。それは、犯罪よ」


「ばれなきゃ平気よ」


「そういう問題じゃないの」


 気に食わない事をした者を片端から魔法で排除していくなんて、狂気でしかない。甘口の感想も嬉しいけれど、辛口の感想はそれはそれで大切なお客さんの言葉なのだ。


「なによ、チャロもエメラルドも、二人して止めるのね」


「エメラルドにも止められたの?」


 エメラルドというのは妖精の名前だ。しかし、本当の名前は教えてくれず、仕方なく便宜的にチャロが仮の名前を付けて呼んでいた。アンテが妖精の事を思い出してからも、アンテもまた本当の名前を知っているらしいのにも関わらずチャロと同じように「エメラルド」と呼ぶので、その名が定着してしまった。

 いつかは知りたいと思っているが、そんな日が来るのかはわからない。もしかしたら、永遠に来ないのかもしれなかった。


「そうよ。身体に悪いからですって。今の時代は精霊樹がないから、魔法を使うことは、心身を削られるそうよ。でも、だからなんだって言うのよ。私なんか、三千年以上無駄に生きてきただけの薄っぺらい精神を持つ前時代の亡霊みたいなもんよ。大きなトーストに薄ーく塗り広げたバターよりも薄いわ。それでも、最近は頭の靄が晴れてきたように感じるの。太陽の光に、心が暖まっている感じがするの。あなたのお陰よ、チャロ、そしてエメラルドとレインのお陰でもあるわ。だから、私はあなたたちの為に魔法を使い尽くすと決めたの。亡霊が役に立てることなんて、これくらいのものでしょう」


「本末転倒だわ。私たちの事を想うのならば、魔法は使わないで。私の幸せは、あなたが心穏やかに生きてくれることよ。魔法を使い尽くすなんて、そんなことしないで。それに、亡霊だなんて……あなたは亡霊じゃないし、ちゃんと今を生きているじゃない。私を引き取って、ここまで育ててくれたのは、あなたよ。亡霊だったら、そんなことできないわ」


 チャロは、立ち尽くすアンテに近寄り、手を取った。冷たい手。白くて、骨と皮ばかりで、まるで死人のようだ。けれど、握っているうちに体温が移って暖かくなる。アンテは握り返した。

 この手が、眠れない夜に布団の上から優しくポンポンと叩いて寝かしつけてくれたことを覚えている。この手で、たまに料理やお菓子を作ってくれたことを覚えている。

 

「私のためにしてくれたんだってことは、わかっているわ。でも、そのまま人を騙すような魔法を使いつづけていれば、きっと不幸な結末になるような気がしてならないのよ。私はアンテに、魔法に頼りすぎずに、平和に暮らしてほしいと思っているの」


「あなたは……いえ、なんでもないわ。もう、仕方がないわね。チャロが嫌なら、止めるわ」


「ありがとう、アンテ。大好きよ」


 抱きつく。

 ほんのり暖かい手が、頭を撫でた。

 包容を解くとアンテはすぐに蛙にした人を元に戻してくれた。


「記憶はちょっと消したけど、魔法がばれたら厄介だから、これだけはしておかないとね」


 その人は、頭にはてなマークを浮かべながら帰って行った。


 その後、普段はめったに姿を表さない妖精が、光の粒を儚い足跡にして二人の目の前に現れた。


「……」


「なに? エメラルド。なにか言いたげね」


 妖精は棚の方へ飛んでいき、一つの引き出しの前で宙返りする。アンテの眉がピクリと動く。

 嫌な予感がして、チャロは引き出しに手をかけた。


「あら、駄目よ。そこには危険なものが入っているから、開けない方がいいわ」


「危険なものって、なに? 魔法薬とか?」


「いいえ」


「じゃあ、元は人だったものとか」


「……」


 引き出しの中には、宝石やら、ガラクタやら、奇妙なぬいぐるみやらがごちゃごちゃと詰め込まれていた。 


 問い詰めて判明したのは、人を無機物に変えてしまう魔法だけでなく、香りで人を呼び寄せる魔法やら、都合が悪いことの記憶を消す魔法やら、他にも出てくる出てくる。チャロは蒼白になった。


「だ、駄目ー! 早く、全部の魔法を解いてちょうだい」


 今まで、こんなに魔法に頼っていたなんて、ちっとも気がつかなかった。自分の力だけで成功したんだって、有頂天になっていた……。でも、全部、全部、嘘だったのね。

 なんて、惨めなのだろう。抗えない魔法の力で、島の皆を騙してお菓子を買わせてしまった。また、アンテに魔法を使わせてしまった。


 涙がポロポロと頬を伝う。


 アンテは、良かれと思ってしてくれたのだ。けれど、その好意を受けとるわけにはいかない。人の道に反することをしてまで、店を繁盛させたいなどとは思わない。

アンテと一緒に、細々とでも暮らしていけたらと思っていたのだ。これまでのような、偽りの貴族としてではなく、本当の人間らしい暮らしの中で、アンテの心が修復され、守られればいいと、そう願っていた。


 それからの日々、チャロはお店を休業し、アンテはエメラルドと共にどこかへふらりと出掛けることが増えた。

 エメラルドによれば、島の遺跡を巡り、過去を偲んでいるのだとか。そんな義母のさすらいをチャロはそっとしておいた。

 日を追うごとに、家を空ける時間が長くなる。何日も帰って来ない時もある。

 今日もまた。




「また、再開するんだよね? だって、クッキーのいい匂いがする。僕、いつまでも待ってるから」


「わたしも、まってる」


 クッキーを渡し、レモンとマロンが楽しげに道の向こうへと駆けて行くのを見送って、チャロは立ち上がる。


 先ほど灯台と聞いて思い出した。


 ――あの人なら、もしかして。


 クッキーを籠に入れて腕にかけると、歩き出す。

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