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幻の王国  作者: 羽紗子


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三千年前 断罪

 紛い物の名を呼ばわる声が波音を切り裂いた。


「魔女ジギタリスよ! 王様とお妃様を毒殺しようとした罪により、死刑に処する!」


 灰色の空の下、陸の見えない沖合いに一隻の船が浮かび、不穏な荒波に揺さぶられている。

 死刑の宣告と共に船底から引き出されてきた囚人は、必要以上に鎖で全身を雁字搦めにされた若い女だった。

 彼女は魔力を封じられ、何日も食事を与えられていなかったが、死ぬことはなかった。多少顔色が青白くなった程度だ。彼女が精霊の類いではなく人間だという事は周知の事実であったため、未だ全てを解明されていない魔法の一種か、薬や毒に秀でた魔女の秘密の薬によるものだろうと推測された。


「私はやっていないわ。濡れ衣よ」


 さすがに、水も与えられないでいれば弱りもする。ジギタリスは甲板の上で転がされた姿勢のまま、僅かに顔を上げて、話す度に痛む喉を無視して出せる限り声を張り上げた。それも掠れた弱々しい声にしかならなかったが。

 もう、何度目か知れない抗議の声は、やはり今度もろくに審議もされず、すぐさま否定された。


「あのような強力な毒を扱い、誰にも気付かれずに厳重な警備魔法を潜り抜けてワインに仕込むことが出来るのは、お前以外に考えられぬ。そもそも、お前は異端だ。精霊でもないのにいつまでも若さを保ち、食事をせずとも死なない。何か人道に悖る方法で魔法薬を作ったか、魔物と密かに契約でも結んだのか?」


「そんなこと、しないわ。魔物は見かけたらすぐに浄化しているし、おかしな薬も作っていない。それに、大切な友人たちを毒殺しようなんてするはずがないわ! 精霊樹に誓って」


 目の前に立ちはだかるのは、精霊への信仰心厚い王族だ。揺れる船によろける様子もないのは、お付きの者たちが魔法の透明なクッションで両脇から支えているからだ。普通の者には見えていないだろうその魔法の形を、ジギタリスには認識できた。威圧感たっぷりに見下ろしてくるその王族の女性が、その実悪戯盛りの赤ん坊をあやすように魔法の手で抱き抱えられている様子がはっきりと見えて、こんな状況なのにくつくつと喉の奥から笑いが込み上げてきた。しかし、同時に乾いた喉が苦しくて咳き込んだため、笑ったことは気付かれなかったようだ。


「さて、それはどうかしらね? 口先では何とでも言える」


「……けほっ。なんですって?」


 金の腕輪をじゃらんと鳴らして女は魔女を指差した。

 見上げた先にある腕から続く二の腕や首や耳や頭に付けられた装身具の重みは、海に落ちたらすぐに沈むだろうなとぼんやり思う。が、自らの重みで床との境にある鎖が腕に食い込み、その痛みで我に返った。


 これから鎖つきで海に落とされるのは私だったわ……。


 もはや、期待はしなかった。この数日、どんなに弁解しようが無駄だった。閉じ込められた牢の中で、ただひたすらに友人たちの回復を祈った。

 事件が起きた時、すぐさま解毒と治癒魔法をかけようと駆け寄ったが、あっという間に阻止されて、魔力を封じられた。疑われていると知り、絶望に駈られながらも咄嗟に出来るだけのことをした。自らがしようとしたことを、代わりに妖精に託したのだ。妖精もまた、友人の一人であったが、その存在は三人以外は誰も知らなかった。


 王様と、お妃様は、きっと助かる。


 そう信じられるだけの力を、妖精は持っていた。しかし、それで手一杯で、その場を離れることは出来ないだろう。あの時は大丈夫だと言ったけれど、自力で誰の助けもなくこの状況を脱することは出来そうにない。


 ああ、魔法さえ使えたなら。


 ふと、浮かんだ思いに苦笑する。かつて、王国へ向かう船の上で同じように思っていた。しかし、今は船が向かう先は逆だ。そして、目的地などない。

 もう大切な人たちに会うことはできないかもしれないと、諦めの気持ちが胸中に冷たく蟠る。


「王様とお妃様と友人だなど、どの口が申すか。お前はこれまでこれまで陰で幾多の邪魔者を暗殺してきたであろう。私が知らぬとでも思ったか? 戦でもなく、正々堂々と戦いを挑んだわけでもなく、こそこそと鼠のように動き周り、暗躍している。そんな血塗られた手で友人を語るなど、穢らわしい。お前なら、毒を仕込むなど簡単なことだったであろう」


「だから、私じゃないって。本当の犯人を見つけないと、今度こそお妃様が危ないんじゃ――」


「それに、お前は王様を愛していたのだろう?」


「……」


 不意を打たれて言葉に詰まったジギタリスを見て、じゃらりと鳴った腕は優雅に腰に当てられた。


「図星か、やはりな。当初は、邪魔なお妃様を狙ったのだろう。しかし、そこで思わぬ邪魔が入った。他ならぬ王様の手によって。王様はお妃様の杯のワインを半分自分の杯に分けた。なぜ、そうなさったのかは未だ目覚めずに生死の境をさ迷っておられる王様にお聞きすることも出来ないので分からないが、ともかく、その行動が毒薬を減らし、お妃様の命を救ったのだ。その代わり、王様までもがお倒れになった。この罪は重いぞ。死して正当に罪を償うのだ」


「私はやっていないわ」


「この期に及んで、まだそのような言い逃れを。後ろめたい事がないのなら、なぜ若さの秘密を教えない」


 唐突にも思える問いかけに、ジギタリスは一瞬きょとんとなった。そしてすぐに理解する。ああ、この人はそれこそが知りたかったんだと。だからわざわざ、私を処刑する船に乗り合わせたのだと。


「私にも詳しいことはわからないわ。考えられるのは、私が精霊樹に巫女として認められたからかしらね」


 それを聞いた女は激昂した。


「お前などが、精霊樹の巫女であるはずがない! 穢れた存在のお前が! なれるとしたら、国一番の巫女であらせられるお妃様以外ありえぬ。もうよい。執行人よ、この法螺吹きの魔女を処刑するのだ」


 執行人に船縁まで引き摺られながら、罪人と理不尽に断定されたことよりも、お妃様を崇め信仰するその人が真犯人ではなさそうだという気付きに思考が向いていた。


 船縁に立たされて、潮風に結びもしていない長い髪が靡く。誰かの声が聴こえた気がした。


「――!」


 それは、久しく聞いていなかったあの人の声。

 私の、本当の名。


 しかし、背を強く押された感覚と、その後に訪れた浮遊感。固い地面に叩きつけられたような衝撃の先、冷たい水の中に泡と共に沈んでゆく中で、その声は聞こえなくなり、記憶からも消えていった。


 きらり、きらり。


 暗い海の底で、彼女は桃色に輝く魚の尾と、白く浮かび上がる腕、そして夕と夜の合間の色を掬いとったような二つの宝石を見た。



 

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