市川胡桃の後悔
「お前気持ち悪いんだよっ!」
「ひっ……! い、いや……!」
「バケモンが人間の言葉喋んないでよ、キモいなぁ!」
純粋な悪意が、そこにはあった。一人の少女に対して、4人の男女が酷い罵声を浴びせている。少女は汚水で汚れ、ガタガタと震えながら泣いていた。
私はそれを、黙って見ていた。彼女を助ければきっと、次の標的は私になるだろうから。
「おらバケモン! これ片付けとけよな!」
「きゃっ……!!!」
集団の一人が、生臭い雑巾を少女へ投げつけた。一段と薄汚れた少女の姿を、一同は更に笑いものにする。その声が聞こえる度、ズキズキ、ズキズキと心が痛んだ。なのに、私は何もしない。
「言っとくけど、チクっても無駄だかんね? 中村せんせー、求血病患者嫌いみたいだし」
侮蔑と軽蔑の視線を向け、異物を無慈悲に排除する彼らを、私は糾弾できない。何故なら、声を上げない時点で私も同罪だからだ。
その集団はけらけらと笑いながら、その場を去って行った。後に残ったのは、何もしなかった私と、必死に声を押し殺しながら泣く少女だけだ。
仕方ない。しょうがない。私にできることは無かったと……必死に言い訳をする。そうしないと、勝手に私の心が自壊してしまうから。
あぁそうだ。今からでも遅く無い。たった今、彼女を見つけたフリをしよう。そして傍で彼女の身体を暖めよう。
酷いことをする奴らだと、あんな奴らに屈するなと、私だけは味方だと、そう告げよう。そうすればきっとこの痛みも、幾分かマシになるはずだ。
ほら、早くしろ。早く。動け、動けよ。早くしろって。なんでお前が泣いているんだよ。
なん、で……! 私は黙ってるんだよ……! なんで何もしないんだよ……!
「胡桃ちゃん……」
「っぁ…………」
「どうして、助けてくれなかったの?」
ち、違う……わ、私は何も……何も、知らないっ……! 何も、見てないの! 本当は助けたかったけど、知らなかったの! だから、そんな目で私を見ないで……!
「なんで、黙って見てたの?」
「ひっ……!」
「ねぇ、どうして? なんで、助けてくれなかったの?」
私の身体は石のように固まって、動かなかった。そんな私に、少女の手が伸びる。ゆっくり、ゆっくりと、その目に憎しみを宿らせながら、近付いてくる。
「裏切り者。結局、胡桃ちゃんも他の子と一緒なんだね」
「ち、ちがっ……!」
「じゃあ、どうして黙っていたの!? どうして今も抱きしめてくれないの!?」
「ぁ…………」
「貴女だけは、味方だとおもってたのにっ……!」
パキンッと……何かが、壊れる音がした。
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「っぁは……!? はぁっ……はぁっ……!!!」
ガタガタッと音を立て、私はイスから転げ落ちた。鈍い痛みと、汗ばんで不快な感触が、私を現実へと回帰させた。しばらく荒い息を吐き、ようやく落ち着きを取り戻す。いつものことだった。
……また、あの夢だ。もうずっと見ていなかったのに、最近はずっとあの光景がフラッシュバックする。それ故眠りが浅くなり、何度もあの夢を見ているのだ。私は、酷い悪循環へと陥っていた。
「……酷い顔」
茜刺す教室で一人、窓に映る自分の顔を見て呟く。
長い前髪、隈で更に酷くなった目付き。そして、ちんちくりんで貧相な身体。歳ばかり重ねて、全く成長していない私……市川胡桃の姿が、そこにはあった。
高校生となって早2週間。その間、私は早くもコミュニティからあぶれていた。
だから、授業が終わって居眠りを続けていたって、誰も声を掛けようともしない。環境が変わろうと、私が変わっていないのだから当然のことだった。
「帰ろ……また未来に心配されちゃう」
そんな自分を卑下しながら、私は教室を後にした。
カツカツ、コツンコツン。人気の無い校舎に、私の足音が響く。ただ俯いて、下を向いて、前を見ないようにしていた。
「──下を向いていたら、危ないよ?」
「ぇ……?」
ぼすん、と……私の身体に、柔らかいものが当たった。白い手が、呆然とする私の肩を掴んだ。たったそれだけのことで、心臓が大きく鳴り響き始めた。
呼吸が、また荒くなる。小刻みになって、息が吸いづらかった。
「ねぇ……? 胡桃ちゃん?」
「あり、さ……?」
「うん。貴女のご主人様、アリサちゃんだよ?」
そこに居たのは、陶器を思わせる白い肌の少女だった。その瞳は紅く、歯は鋭利に尖っている。そして何より……その髪は、あまりに美しい銀色だった。
それもそうだろう。愛園アリサという少女は、世間一般であるところの求血病……吸血鬼症候群とも呼ばれる症状の罹患者だ。
その病は先天的に現れ、その殆どが謎に包まれている。特徴として、紅い瞳を持っていること、歯牙が発達していること、女性しか発症しないというものがある。
そして……栄養の他、人間の血液を求めるようになるのだ。まるで、お伽話の吸血鬼のように。
その奇怪さ故、今もなお根強い偏見と差別に悩まされている……それが、求血病という存在だった。
「な、なんで帰ってないの……?」
「知ってるでしょ? 別に日の下に行ったって灰になったりはしないけど、本能的に嫌なの」
「日傘、使えばいいでしょ……」
「へぇ……? そういう態度、取っちゃうんだぁ」
アリサの瞳が、光ったような気がした。
「い、痛いっ……!」
「ほら、こっちに来て。おしおき、するから」
「ひぃ……!」
肩にぐっと力が込められ、私の身体を強引に引き摺っていく。
連れて行かれた先は、女子トイレだった。当然、他に誰も居ない。個室に連れられ、私はされるがまま、抱き上げられた。バックハグの体勢で、じたばたと無意味な抵抗しか、私には許されなかった。
「んー♪ 相変わらず、堪らない匂いで誘うねぇ」
「や、やだぁ……」
「え、嫌なの? 私のこと、また見捨てるんだ?」
「そんな、つもりは……」
アリサは手で私の目を覆うと、耳元でゆっくりとその言葉を流し込んだ。それは、あまりに鋭利な言の葉だった。
「こんなこと頼めるの、胡桃ちゃんしか居ないのにさ……貴女はまた、そうやって見ない振りするんだ」
「はっ……はっ……!」
心が、抉れていく。アリサは私の首筋に顔を当てて、熱っぽい吐息を吐き出した。
「酷いなぁ……胡桃ちゃん、助けてよぉ……辛いの、もう嫌なの……」
分かっている。こんなのは、アリサの演技だ。見えない後ろで、彼女は嗜虐的に顔を歪め、私が苦しむのを楽しんでいるのだ。そんなこと、分かってる。
けれど、私は服をはだけさせ、首元のガーゼを剥がした。
「吸って、良いから……もう、辞めて……」
「そんなんじゃ駄目だよ。何被害者ぶってるの?」
「……っぅ。お、お願いします、ご主人様……私の粗末な身体を差し上げますので、どうか許してください……!」
かぁっと、顔が熱くなる。そしてこれから起きることに、無意識に身体が期待を始めてしまった。それがまた私を、羞恥の波に浸らせていく。
「──しょうがないなぁ♡ じゃあ、吸ってあげるね♡」
「うぁ……!?ぃぃ……!?」
湿った何かが、私の首元を這う。まるで焦らすように、私の首から肩をアリサが嬲っていく。くすぐったさともどかしさが、眼球を少しずつ上へと押し上げていった。
「あぁ、美味しぃ♡ 胡桃の身体、すっかり私好みになっちゃったね♡」
「ふぁ……! や、やらぁ……」
「ふふ、本当に可愛いなぁ♡ こんなの、襲ってくれって言ってるのと変わんないからね?」
千切れそうな理性を、必死に繋ぎ止める。じゃないと、どんな粗相をしてしまうか分からないから。
「じゃあ──いただきますっ♡♡♡」
「ぁ!?!?」
一瞬、鋭い痛みが走った。けれど、ほんの僅かだけ。後は染みこむように、甘い快楽が私の身体を駆け抜けていく。
「ぁあぁあぁ~~!?!? ぅぁあぁああぁ~~!?!?」
「んぅ……♡ うる、ひゃい♡」
「んぉ……!? んっんぃ~~……!!!?」
抑えきれない嬌声を出す私の口に、アリサの指が侵入してきた。私は半開きの口から涎を垂らしながら、絶え間なく続く悦楽の濁流に堕ちていった。
「ぷはぁ……ごちそうさま、でしたっ♡」
「はぁ……! はぁ……!」
──数分間は、そうして吸血されていただろうか。彼女の口がようやく離された。
「あぁよしよし……♡ 気持ちよかったねぇ、凄かったねぇ♡ よく頑張ったよ、胡桃ちゃん♡」
だらりと、力の入らなくなった私を、アリサは赤子を可愛がるかのように抱きしめた。
まだパチパチと目の前が弾け続ける私は、黙ってその抱擁を受け入れるほか無かった。




