大切な人
カーテンを開け、雛形は憂鬱そうに外の様子を見た。
クリスマスコンサート翌日の日曜日も、雨は降り続いていた。今日は、本当だったら部活はない。正確にいうと、今日も部活はない。ただ、部活ではない用事ができてしまった。
昨日、吹部の生徒達を帰宅させた後、チャペルでグリーンガーデンパレスの広報部の人間が声をかけてきた。なんでも年明けにブライダルフェアを予定していて、そのためのパンフレット制作、ウェブページ制作を急いでいるらしかった。撮影日にモデルを手配できなかったとかいう理由で、チャペルにいた琳太郎と雛形に声がかかった。その撮影日が、今日だ。
雛形は絶対に嫌だと言ったのに、琳太郎が勝手に承諾した。モデルなんかやったことないから無理ですと言ったら、俺がフォローしてやりますと適当なことを言い、笑っていた。雛形は苦笑した。それに、今日は特に琳太郎に会いたくなかった。雛形が取り計らったことでどんな反応をするのか、少し怖かった。
雛形は着替えるとコンタクトを入れ、手抜きメイクをした。向こうでプロのヘアメイクがいると聞いたので、あれこれやるだけ無駄だと思ったためだ。
「今日はどこ行くんだ」
安彦が玄関先で声をかけた。
「別に」
雛形はそっけなく言った。
「またそれか。『別に』の続きは何だ」
雛形がメガネをせずに出かけようとすると、安彦の追及は厳しい。
「もー、しつこいの嫌なんだけど」
雛形は言い捨てて玄関ドアを閉め、車に向かった。
グリーンガーデンパレスに着いても、雨が止む気配はなかった。雛形は駐車場に車を停め、傘をさして歩いた。式場の本館に着くと、昨日の男女がすっ飛んできた。
「おはようございます。お待ちしてました。さあ、早く早く」
女の方が雛形の手を引き、男の方が雛形の荷物を勝手に取り上げ、瞬く間に控室に連行された。
女の方は花山といって、グリーンガーデンパレスの広報部主任だ。三十代後半くらいで少し貫禄がある。男の方は石田といい、まだ二十代前半くらいで、花山の部下らしかった。雛形が質問する間もなく、勝手に準備が進められていった。
「ヘアメイクとドレスコーディネーター、急いで呼んで」
「はい」
花山がキビキビ言うと、近くにいた女性スタッフが奥へ駆けていった。
「カメラマンさんとライターさんは来てる?」
「ここにいまーす」
三人の男女が隣の部屋からやってきた。
「モデルはこの子ですか?」
三十代半ばくらいの女性ライターが、雛形を指さして聞いた。
「そうです」
花山が答えた。
「はい、ちょっとそのままでいて」
男性のカメラマンがそう言って、勝手に雛形の顔を撮った。雛形は驚いて固まっていると、助手らしき若い男性に画像を見せ、何ごとか話し込んでいる。雛形は困惑したまま、自分の身を案じた。唐突に、ライターが雛形の手を引っ張り、全身鏡の前の椅子に座らせた。
「どういう感じでいきます?」
ライターが、鏡に映る雛形の顔を見て言った。
「プリンセスな感じでいきましょうよお」
甲高い声の、雛形と同世代らしい女が突然、割り込んできた。たくさんのメイク道具を詰め込んだワゴンを引いてきたので、どうやらヘアメイク担当のスタッフらしかった。
「えー、プリンセス?」
ライターが雛形の頭を両サイドから掴み、鏡に映る様を見つめ、眉間にシワを寄せた。
「この顔は綺麗系だから甘々なのは似合わないんじゃない?」
花山も鏡ごしに雛形を見ながら、腕を組んで顔をしかめる。
「だってえ、新郎、見ましたあ? あっち、めっちゃプリンス系でしたよお。揃えた方がいいと思いますよお」
ヘアメイクがはしゃいだ。
「あ、そういえば新郎…役のモデルは?」
新郎、と言いそうになって慌てて新郎役だと雛形は言い直し、琳太郎の状況を尋ねた。
「あー、あっちは大体オッケーですう。ご心配なくう」
ヘアメイクが適当にニコニコして、中身のない情報を伝えた。
「じゃ、着替え終わったら」
男性カメラマンと助手、それに石田は部屋を出て行った。部屋にいるのは女性のみになった。
「お待たせー。合わせてみよっか」
今度はハンガーラックをコロコロ引いて、三十代前半とおぼしき女性のドレスコーディネーターがやってきた。ラックにはずらりとウェディングドレスが吊るされている。さらに、部下らしき女性スタッフが同じようなラックを数台、コロコロと転がしてきた。ドレスコーディネーターは雛形を頭のてっぺんからつま先まで眺め、「ふーん」と頷いた。雛形はなすすべもなく、黙って見つめ返した。
「ちょっと脱ごうか」
「はい?」
雛形が聞き返す間もなく、若い女性スタッフが飛びかかり、あっという間に身ぐるみ剥がされた。
「線が細いけど、バストはわりとあるわね」
下着姿になった雛形をまじまじと見て、ドレスコーディネーターが言った。周りもうんうんと頷く。
「ヒップのラインもいいんじゃない」
ドレスコーディネーターは次に、雛形の尻の形をチェックした。周りが再び、うんうんと頷く。
大勢の女達に自分の体型をくまなくチェックされて、雛形は顔から火が出そうだった。ドレスコーディネーターが一旦、部屋の奥へ引っ込むと、入れ替わりにヘアメイクが前へ進み出た。
「ねー、黒髪、ツヤッツヤで綺麗ですしい。これ、生かしたら良くないですかあ」
ヘアメイクが、雛形の後ろ髪をむんずと引っ張った。周りもうんうんと頷く。頭皮が痛くて、雛形は歯を食いしばった。
「メイクも淡い色が似合うと思いますう」
ヘアメイクが、今度は雛形の顎を引っ掴んだ。周りもうんうんと頷く。顎が痛くて、雛形は息が詰まりそうになった。
「Aラインもいいけど、マーメイドが最有力かな」
ドレスコーディネーターが戻ってきて、雛形のウエストをギュッと手で締めた。皆もうんうんと頷く。雛形は、もうどうにでもなれと思った。
「じゃ、とりあえず合わせていきましょ」
花山が手をパンと叩くと、各自は準備にとりかかった。
まるで着せ替え人形のように、雛形は次々にウェディングドレスを着せられた。白いドレスだけで何十着も着せられ、ドレスコーディネーターや花山にああでもない、こうでもないと言われた。雛形がふらふらしているところへ、グレーのタキシードを着た琳太郎が現れた。
「うわー、かっこいー」
女性スタッフ達はこぞって琳太郎を褒めた。
「よく言われます」
琳太郎が調子に乗って答えると、さらに黄色い声が上がった。
「なんか立ち姿とか、本当にモデルっぽいですけど、違うんですか?」
一人の女性スタッフが尋ねた。
「高校の時に少し」
琳太郎は微笑んで答えた。
「やっぱりー!」
ライターが力強く頷いた。雛形は苦笑いした。
「桃子」
琳太郎が急に呼び捨てにした。雛形はびっくりして目を見開く。
「何着てても可愛いけど、今日の君は、絶世の美女だね」
琳太郎がカッコつけてウインクした。
「琳太郎も、まあまあ悪くないんじゃない」
雛形は顔を赤くして、やり返した。すると、琳太郎が急にカッコつけるのをやめた。何かを言いたげな顔をして、じっと雛形を見つめる。雛形は気まずくなって、顔をそむけた。
「じゃあ、やっぱドレスはさっきのでいきましょ。新郎も新婦のドレスに合わせて、やり直し」
ドレスコーディネーターがドレスを雛形の前にあて、勢いよく言った。琳太郎はまたしても別室に連れて行かれてしまった。
チャペルで待っていた琳太郎は、カメラマンの前でポーズをとっていた。
「いいねー。色々やってみて」
白いタキシードを着た琳太郎は調子に乗って様々なポーズをとった。琳太郎は高校時代、ヒップホップ仲間とときどきクラブに通っていた。そのときにスカウトされ、メンズファッション誌のモデルをやっていた時期があった。ピアノのレッスンが忙しいこともあり、長くは続かなかったものの、こんなところでその経験が生かされた。
「あ、来た来た」
カメラマンが入り口に向かってレンズを向けると、雛形が数人の女性スタッフに付き従われて現れた。雛形はスレンダーなボディラインがはっきりわかる、マーメイドラインのウエディングドレスに身を包んでいた。雛形の白い肌によく合う真っ白のドレスで、背中が大きく開き、細部に渡って繊細で豪華な刺繍が施されている。長い黒髪はタイトなローテールで余計な装飾はなく、代わりに雫の形をモチーフにダイヤモンドを散りばめた、大きなイヤリングを耳につけていた。メイクはピンクベージュのファンデーションをベースに、グレーがかったブラウンの眉にシルバーグレーのアイシャドウ、濡れ感のあるブラックのマスカラとアイライナー、そして艶感のあるベリーピンクのリップで仕上げ、エレガントな女っぷりを惜しみなく発散させていた。
琳太郎はその姿に目が釘付けになった。雛形は恥ずかしそうにしつつ、琳太郎の隣に歩み寄った。
「鼻血が出そうです」
カメラマンに写真を撮られながら、琳太郎がヒソヒソ声で言った。
「タキシードが汚れますよ」
雛形がうつむいて言う。
「いいねー、新郎いいね」
カメラマンが声をかけた。爽やかな笑顔、優しげな笑顔、クールな笑顔、温かみのある笑顔。琳太郎の笑顔は、バリエーション豊かだった。
「新婦が表情固いかなー。もっと笑って」
雛形は頑張って笑った。笑うのが下手で、どうにも不自然になってしまう。
「まだまだ。もっともっと幸せそうに笑ってみようか」
カメラマンは雛形に注文をつけ続ける。雛形はさらに頑張って笑ってみせる。
「幸せすぎて涙出ちゃうくらいで、よくないっすか」
レフ板を抱えたカメラマン助手も追い打ちをかけ、雛形の顔は引きつってゆく。
「うーん、やっぱプロじゃないから難しいよね」
カメラマンがこぼした。花山がすみません、と謝った。
雛形はどうすればいいのか分からず、その場で立ち尽くした。琳太郎は雛形の様子をじろじろ見る。
「あの、笑わせればいいんですよね」
琳太郎が手を挙げて確認した。
「うん、そう」
カメラマンはカメラを雛形に向けたまま頷く。
「了解です」
琳太郎ははっきりと答えると、急にシリアスな顔を雛形に向けた。
「桃子」
「はい」
雛形はとっさに、勢いよく返事した。
「お前を愛している」
「へ?」
雛形は素っ頓狂な声を出した。
「世界中を探しても、お前の代わりはいない」
琳太郎は真面目に続ける。取り巻いていたスタッフ達がくすくす笑い出した。いいぞー、と声が上がる。
「俺と結婚してくれ」
琳太郎がひざまづき、雛形の手を取った。雛形はぎょっとして後ずさりした。スタッフ達からの笑い声が大きくなり、口笛が上がる。
「桃子。ずっとずっと、お前だけを愛し続ける」
琳太郎は雛形を見上げた。雛形は動揺しながら琳太郎を見下ろす。スタッフ達からは黄色い声が上がった。カメラマンもバシャバシャ連写する。
「ちょっと、何、言ってるの」
雛形は困惑しながら笑った。
「昨日、行ってきたよ」
琳太郎は目線をそらさず言った。雛形は黙りこみ、琳太郎の言葉に耳を傾ける。スタッフ達も、はしゃぎ立てる声のボリュームを落とした。
「ありがとう。最高のプレゼントだった」
琳太郎の目には、うっすら涙がにじんでいた。雛形は静かに見つめた。
「まさか、あんなに手の込んだこと、しなくてもいいのに。部活来ないから、あいつらも心配していたよ」
琳太郎は白い歯を見せて笑った。笑いながら、少しだけ涙をこぼした。雛形はほんの少しだけ笑った。カメラマンが、またシャッターを切った。
「俺、知らなかったんだよ。助けたのが綿貫つばさだってこと。なんで知ってたの?」
涙をもう一雫垂らし、琳太郎は笑いながら尋ねた。
「昔の記事に、名前が載ってた」
雛形はつぶやくように言った。
「そうだったんだ。本当にびっくりした。本当に」
琳太郎はしきりに頷き、手で涙を拭った。雛形も小さく頷いた。
「だから…」
琳太郎は真顔に戻った。雛形も笑うのをやめた。
「もう、絶対に離さない」
頭を下げ、琳太郎は雛形の手を力強く握りしめた。スタッフ達からはどよめきが上がる。
「お前以外に考えられない」
今度は顔を上げ、声のボリュームを上げた。
「愛してる」
声は、チャペルに大きく反響した。
チャペルのなかは水を打ったように静まり返った。カメラマンはカメラをおろし、カメラマン助手はレフ板を下ろした。取り巻くほかのスタッフ達も、黙って二人の様子を伺った。雛形は呼吸が速くなり、琳太郎を見つめた。琳太郎も見つめ返した。雛形は唇をかんだ。音もせず、涙が頬を伝った。
「何、それ」
雛形は小さく笑い、つぶやいた。それより先の言葉が、喉が震えて出てこない。琳太郎がゆっくり、首を縦に振り続けた。雛形は無音のまま、唇だけを動かした。自分の声が出てくる、その瞬間を待った。
「私も琳太郎のこと、愛してる」
はっきりした声が、喉の奥から滑り出た。雛形は心から安堵して、幸せそうに微笑んだ。カメラマンがカメラを向け、連写し続けた。スタッフ達は歓声を上げ、盛大な拍手を送った。
朝からぶっ通しで続いた撮影は、夕方になってようやくお開きになった。私服に着替え、二人はロビーの窓際にあるソファでぐったりしていた。
「琳太郎先生、どうします?」
雛形が死にそうな声で聞いた。
「どうって、何が」
琳太郎も精魂尽き果てた様子だ。
「雪」
雛形はうんざりしながら、窓のブラインドを指で持ち上げた。雨はいつの間にか雪に変わり、しんしんと降り積もっている。グリーンガーデンパレスの敷地内はホワイト一色に染まり、雲と空と地上の境目が消えていた。
「私の車、スタッドレス履いてるけど、この積雪量は厳しいです」
雛形は苦々しげに言った。
「うわー。すげえな」
琳太郎も外の様子を見て唸る。
「明日仕事なのに。家、帰れなそう」
雛形は絶望して頭を抱え、ソファにもたれた。
「お疲れ様です」
いつの間にかそばに花山がいた。雛形と琳太郎は途端に姿勢を正した。
「本日の謝礼です。それと、」
花山は謝礼の入った封筒を一通ずつ渡し、編みかごを雛形に持たせた。
「雪の中、撮影にご協力いただいて、ありがとうございました。本当に助かりました。スタッフ一同、心より感謝申し上げます。こちらは、式場からです」
「なんですか、これ」
雛形はかごの中をじっと見た。鍵らしきものが収まっている。
「併設してるホテルの、スイートルームのキーです」
花山がニヤリとして、口元に手を当てた。雛形はトマトのように真っ赤になって、言葉を失った。
「この雪では、お帰りになるのも大変でしょうから。宿泊料は結構です」
花山は吹き出しそうになりながら、頑張って説明した。
「ご厚意に感謝します」
琳太郎は真面目に言うと、雛形から鍵を奪い取った。
「ちょっと、何言ってんの」
雛形が鍵を取り返そうとするも、琳太郎は返してくれない。
「お食事はルームサービスをご利用ください。では」
花山は肩をゆすりながら退散した。取り残された琳太郎と雛形は、しばらくその場に立ち尽くした。
「行きましょう」
真顔になった琳太郎が、唐突に言い放った。右手に鍵を、左手に雛形の手を取って、ずんずん歩き出した。
「どこへ」
雛形が困惑して聞いた。
「センスのない質問は、今後一切、受け付けません」
琳太郎は楽しそうに笑うと、雛形の手を引き、併設ホテルへ駆け出した。
翌日の月曜日、雪はすっかりやみ、晴れ間が見えていた。ミド中では登校時間を一時間遅らせ、早めに出勤してきた教師達が雪かきをしていた。
「鳥飼先生、本日お休みだそうです。遠方にお出かけだったようで、電車がストップしてしまって、どうしても来られないと言ってました」
事務員が事務的な口調で、副校長に報告した。
「今学期最後の授業なのにな。音楽はなしか」
「ええ。それと、雛形先生もお休みです。先生も遠方にお出かけだったようで、交通ダイヤが止まって、今日は絶対絶対無理、とのことです」
事務員はまたしても事務的な口調で、副校長に報告した。
「え? そうなの?」
副校長は目を丸くした。
「はい」
「じゃあ、家庭科もなしか」
「はい」
「吹部は、今日は私がみてやるしかないかあ」
窓の外の雪景色を見て、副校長は機嫌よく笑った。
つづく




