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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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決着

翌日の放課後、第二音楽室では直樹と健治、銀之丞がダーツで遊んでいた。

「練習しなよ」

梅子がトロンボーンのマウスピースから口を離し、眉間にシワを寄せて言った。

「いいじゃん、先生がくるまでなら、ちょっとだけ」

直樹が楽しそうに言い、ダーツを投げた。ボードの端に当たって落下した。

「次、俺の番」

健治が直樹を脇に押しやり、ダーツを投げた。ダーツはあさっての方角に飛んでいき、梅子のトロンボーンのベルの中に突っ込んだ。梅子は逆上して、健治を追いかけ回した。

「ところで、昨日のって結局、どうなったの」

直樹が銀之丞に聞いた。

「わかんねー。先生が勝ってから、錬三郎に英語でなんか言ってたよなー」

銀之丞もダーツを投げた。十二点のところに刺さった。

「早口過ぎて公彦だって分からないって言ってたよ」

梅子にトロンボーンのスライドでぶつけられた頭をこすりながら、健治も言った。

「あ、錬三郎きたー。おーい、昨日の先生、なんて言ってたんだよー」

第二音楽室に入ってきた錬三郎に銀之丞が声をかけた。錬三郎はそれを無視すると、ピアノの前にいる音羽と響に話しかけた。

「なんだよ。シカトすんなよー」

銀之丞が怒って言う。

「おじさんは英語、得意なんです」

史門がホルンを片手に、珍しく会話に混ざってきた。

「へえ、そうなんだ。先生って、なんでもできるんだな」

直樹が感心して言う。

「お前は昨日の、聞き取れたの?」

健治が史門に尋ねた。

「まあ。僕の場合はスピーキングは無理ですけど、リスニングなら」

耳の良い史門が頷きながら言う。

「すげえ。なんて言ってたの?」

直樹が身を乗り出して聞いた。

「ガキはガキ同士で付き合え」

史門が平坦な声で言った。

「え?」

直樹と健治、銀之丞は顔を歪め、声を揃えた。

「おじさんは、そう言ってました」

史門は言葉を添えた。

「なんだそりゃー」

銀之丞は意味が分からず苦笑する。

「部員だけでダーツやってろって言いたかったんじゃない? 先生、あくびしてたし、早く帰りたかったんだよ」

直樹が言うと、健治も銀之丞も腑に落ちない顔をしたが、それ以上考えるのが面倒くさくなった。

「そういうことにしておこう」

三人は琳太郎が部屋に入ってきたのを見て、合奏の準備を始めた。史門は意味ありげな表情をして、他の部員達とともに準備を手伝った。


部活が終わると、琳太郎は職員室に戻った。自席の向かいにある空席を見た。いつもならそこに雛形がいるが、今日はいない。

アパートで打ち明け話をしてから、雛形は海斗に会ってくれと告げた後、すぐに帰ってしまった。それからメッセージが飛んできて、少し部活を休むとも言っていた。雛形がどこで何をしているのか、琳太郎は考えをめぐらせた。


クリスマスコンサートが近づき、部員達はハンドベルの練習を反復した。伊久馬は音羽のフォローなしでキーボードを弾けるようになり、ベルとのハーモニーを丁寧につくっていた。

「いい感じだな」

琳太郎が皆に向かって頷きながら言った。

「先生、雛形先生は?」

直樹が聞いた。

「うん。本番の前日にはくるよ。よし、今日は終わり」

琳太郎は答えると、第二音楽室を出て行った。


琳太郎が帰宅した直後、玄関のインターホンが鳴った。

「簡易書留です。印鑑お願いします」

郵便局の配達人が言った。琳太郎が押印すると、配達人は封筒を渡して出て行った。

琳太郎が差出人を確認すると、「TOKYOクラシックインターナショナル」とある。封を切り、中身をまじまじと見つめた。琳太郎はスマートフォンを取り出し、電話をかけた。


クリスマスコンサート前日、第二音楽室で部員達がハンドベルを構えると、雛形が指揮台の前に立ち、タクトを振り上げた。琳太郎は数回、通し練習をさせ、演奏の最終チェックをした。

「よし。大丈夫だろ。明日の朝は学校に集合。遅れんなよ」

琳太郎は部活を終わらせ、部員達が帰るのを見届けると、雛形と駐車場に向かった。あたりはすっかり夜の闇に染まっていた。

「何時にどこでしたっけ」

琳太郎が自分の車の前に立ち、気怠そうに雛形に聞いた。

「六時に白錫駅です」

雛形も自分の車の前に立ち、時計を見ながら言った。

「了解」

二人はそれぞれ車に乗り込み、エンジンをかけた。


二台の車が白錫駅前のコインパーキングに到着し、それぞれ駐車した。琳太郎と雛形は少し歩いて、通りに面したカフェに入った。店の奥に向かうと丸テーブルの席がいくつか並び、一番奥に海斗が座っていた。

「こんばんは」

海斗に向かって琳太郎は挨拶した。弁護士バッジをつけ、スーツ姿の海斗は無言で会釈した。雛形は何も言わず、琳太郎とともに椅子に座った。三人はしばらく無言だった。店員がオーダーを取りにきて、下がっていった。

「それで?」

琳太郎が海斗に尋ねた。

「鳥飼さん。単刀直入に申し上げます。桃子のことは諦めてください」

冷水の入ったコップを見つつ、海斗は背筋を伸ばすと、切り出した。琳太郎は海斗の顔を見たまま、無言でいる。雛形も押し黙った。

「僕は本気です。身を引いてください」

海斗は顔をあげ、険しい表情で琳太郎を見た。それから雛形を見た。琳太郎はしばらく海斗の目の動きを追いかけた。

「できません。僕も本気です」

琳太郎は小さめの声で、かつ輪郭のはっきりした声で答えた。海斗は細い目をさらに細め、琳太郎を見つめた。

「お互い、譲らなそうですね」

海斗が言った。

「ええ」

琳太郎が口元だけ笑みを浮かべ、頷いた。

「あなた、ピアニストだったそうですね」

海斗がちらりと琳太郎の顔を見ると、両指を組みながら聞いた。琳太郎は無表情のまま、無言で頷いた。

「それで、今は地方公務員」

「そうです」

琳太郎は即答した。

「僕の方が、桃子を幸せにしてやれると思うんだけどなー」

海斗は天井を見ながら、けたけた笑った。雛形はその顔を不快そうに見つめた。店員が飲み物を運んできたので、海斗は紅茶を受け取った。雛形と琳太郎はコーヒーをそれぞれ受け取った。

「弁護士さんは、ずいぶん暇なんですね。こんな時間に田舎までお越しいただけるとは」

琳太郎がコーヒーに口をつけ、すまして言った。

「なんでピアニスト、やめちゃったんです?」

海斗は琳太郎の言うことを無視すると、紅茶にレモンを加えてかき混ぜ、尋ねた。

「その話、必要ですか」

琳太郎が窓の外を向き、聞き返した。

「ええ」

海斗が答えた。琳太郎は少しだけ沈黙して、口を開く。

「怪我をして、続けられなくなった。それだけです」

琳太郎がそっけなく言った。海斗は頬の筋肉でメガネを押し上げ、ニタリと笑う。

「ああ、知ってます。高校生を助けて、大怪我しちゃったんですよね。忘れてました。失礼、失礼」

海斗は声を立てて笑った。琳太郎は鋭い目を向けて押し黙る。

「もったいないですよねー。すごい人だったんでしょ。それが、今は、中学校の、音楽の、先生」

海斗は言葉をわざと一つ一つ区切りながら、目に涙を浮かべて笑い続けた。琳太郎はうつむいた。雛形が口を開きかけると、海斗が手で制した。

「年収なら僕は負ける気がしないなー」

海斗はティーカップに口をつけると、ソーサーにカップを置いた。

「本当に、そうですね」琳太郎はゆっくり顔を上げた。「僕は単なる地方公務員なもんで」

「ねえ、だから何なの」

雛形が話に割り込んだ。

「大事なことだよ」

海斗が鼻を鳴らして言った。

「年収が多い方に私がついていくって?」

身を乗り出し、雛形は語気を強めて聞いた。

「もういいよ」

琳太郎が雛形を制した。

「諦めてくれるんですか?」

冷たい目を向け、低く鋭い声で海斗が聞いた。

「何でそうなる」琳太郎は小さく吹き出した。「一言もそんなこと言ってないのに」

「は?」

海斗が睨めつめた。

「桃子さんは、渡しません」琳太郎が自信たっぷりに笑って言った。「あなたみたいな粘着質な奴と一緒にいて、どうして幸せになれるって言えるんです」

「へえー、すごい自信ですね」

海斗はわざとらしく驚いてみせ、背もたれに寄りかかった。

「ええ」

琳太郎はすましてコーヒーをすすった。

「海斗」雛形が割って入った。「私は海斗のこと、ずっと好きだったよ」

雛形の静かな声に、二人の男は口をつぐんだ。雛形は思い詰めた目をして、コーヒーの水面に映る自分の顔を見つめた。

「海斗から、全然愛せなくなったって言われても、忘れられなかった」雛形はメガネの中で目を閉じ、自分の手の甲をつねり続けた。「本当に、海斗しかいなかった」

海斗は雛形の分厚いレンズを見つめた。琳太郎は雛形の声に耳をすませ、雛形は椅子を座り直した。

「あの日、私のこと、守ってくれたよね」

雛形は少しだけ明るい口調で言った。目はコーヒーに向けたままで、口元にはわずかに笑みが浮かぶ。

「喧嘩弱いくせに。ボコボコに殴られちゃってさ」

雛形はくすくす笑った。海斗は雛形のつむじのあたりを黙って見つめる。

「図書館と恋人山しか行くところなくって。でも、いつも自転車の後ろに乗せてくれて。楽しかった。本当にありがとう」

雛形は顔をあげ、海斗に笑いかけた。海斗は笑わなかった。

「でも、変わっちゃったよね」雛形は笑顔を消し、小さな声で言った。「困ってる人を助ける法律家に、なるんじゃなかったの?」

雛形はメガネを外し、海斗をまっすぐ見た。海斗も見つめ返した。

「お金を出してくれる依頼人がすべてなの?」

雛形はさらに問うた。

「どうして琳太郎先生の傷、えぐるようなことを言うの?」

雛形は両手で拳を作った。目が潤んだ。

「もう、好きじゃない」

雛形ははっきり言い切った。目に涙が滲み、口元は微笑んでいた。海斗は黙って息を飲んだ。店内のBGMが静かに流れ、沈黙を埋めた。

「僕から提案なんですけど、」琳太郎がコーヒーカップをソーサーに置いて言った。「あなたが身を引いてくれたら、殴られてもいいですよ」

「何だよそれ」

海斗は目をむいて、低い声で唸った。雛形は顔面蒼白になった。

「ほら。いいよ。殴れよ」琳太郎は自分の頬をパシパシと叩いてみせた。「俺はお前と違って、傷害罪なんかで訴えたりしねえから」

琳太郎が海斗に鬼気迫り、凄んだ。

「へえ。じゃあその指、全部折ってもいいか?」

海斗はうすら笑いを浮かべ、恫喝した。

「すげえ。弁護士ってヤクザみたいだな。いいよ。十本ともどうぞ」

琳太郎は呆れたように口をすぼめ、海斗の前に両手を差し出した。海斗は怯んで、顔を少し後ろに引いた。

「ほら」

琳太郎は、差し出した両手でテーブルをバンバンと叩いてみせた。海斗はその手を見つめ、唇をかんだ。雛形の方を見た。その顔は恐怖に染まり、琳太郎の手を見つめている。再び琳太郎と向き直った。琳太郎の目には軽蔑の色が浮かんでいる。海斗はゆっくりと椅子から立ち上がり、琳太郎を見下ろした。琳太郎が見上げた瞬間、海斗は素早く唾を吐いた。琳太郎はとっさに目を閉じ、手で唾を拭った。

「海斗」

雛形が怒鳴って、テーブル中央にある紙ナプキンを引き出し、琳太郎に差し出した。それからゆっくり立ち上がり、海斗と向かい合った。海斗は雛形を見た。メガネを外した雛形は、ややピントの合わない目つきをしながらも、深い悲しみを滲ませていた。海斗は雛形の、化粧っけのない顔の一つ一つを見た。白くて艶のある肌。涼やかな瞳。つんとした鼻。少し小さくて、ローズピンク色の唇。走馬灯のように、これまでの二人の思い出が駆けめぐった。雛形が笑いかける顔、海斗を見つめる顔、怒ったり泣いたり、はしゃぐ姿がいくつも浮かんでは消えた。海斗は胸が締めつけられた。誰かに心臓を鷲掴みにされているようだった。しだいに目が大きく開かれ、体の震えが大きくなり、呼吸が速まり、歯をかちかち鳴らした。海斗は両手を伸ばし、雛形の両肩を強く掴むと、うつむいた。雛形は海斗の様子にたじろき、一歩下がった。琳太郎は紙ナプキンで目元を拭くと、二人の様子を固唾を飲んで見守った。

「俺の方こそ、もう要らない」

消え入りそうな声で、海斗は囁いた。涙が数滴、床に落ちた。ゆっくりした動作で雛形の肩から手を離すと、今度は素早くスーツのポケットから腕時計を取り出し、それをじっくり見つめた。雛形もそれを凝視した。海斗はそれを持ってそろそろとティーカップに近づけ、その中に落とした。ポチャンと音を立て、腕時計は紅茶の中に沈んでいった。

「さよなら」

海斗は雛形に向かい、儚げに微笑みかけると、足早に店を出て行った。


「あー、怖かった」店を出た琳太郎は第一声をあげた。「本当に折られるかと思った」

「よく、十本ともどうぞなんて言えましたね」

雛形が道路をつかつかと歩きながら、怒って言った。

「あはは。実際、ちびりそうでしたよ」

琳太郎が白い息を吐きながら笑って言い、小走りで雛形を追いかける。

「少しはちびったほうがいいんじゃないですか」

雛形は頬を膨らませたまま、早歩きを止めない。

「仮に折られちゃっても、もうピアニストじゃないから構わないんですけど」

琳太郎が気楽な調子で言うと、雛形が突然振り返った。

「構わなく、ない」

雛形はがなりたてた。

「いや、本当にいいんですよ。もう」

琳太郎は捨てばちになって言う。

「よくない」

雛形は食い下がった。

「この指で、世界を変えることは、もうできないから」

琳太郎は穏やかに笑って、自分の両手を広げ、じっくり見つめた。笑みのなかに、深い悲しみが込められているのを、雛形は見た。

「いいえ。変えられます」

雛形が夜空を見上げ、声を張り上げて言った。琳太郎は少し驚いて、雛形の顔をまじまじと見る。

「すでに、変えています」

雛形は、今度は琳太郎に向き直って言った。琳太郎は気おされて、おかしそうに笑った。雛形は笑わず、顔をほてらせる。

「ところで、あの時計は?」

琳太郎が話題を変えて尋ねると、雛形は途端に悲しげな表情をした。

「昔、私が贈ったものです」

雛形は思いつめた目をしている。琳太郎は顔を少し傾げて、雛形の顔をのぞき込む。

「あいつも、本当はいい奴なんでしょうね」

琳太郎が言った。雛形は黙って頷いた。

「雛形先生のことが好きで好きで。俺のことは憎くて憎くて。しょうがなかったんだろうな」

二人は駐車場につき、琳太郎が夜空を見上げて言った。いくつか小さな星が瞬いていた。

「それでも俺は、雛形先生を諦める気はありません」

星に向かって、琳太郎は爽快に笑いかけた。雛形は琳太郎の吐く白い息を見つめ、深呼吸した。

「琳太郎先生」

雛形は琳太郎のコートの袖を掴んだ。

「何?」

琳太郎が穏やかな表情で、雛形を見下ろす。

「話したくないこと、話してくれて、ありがとう」雛形は切なげな目線を送り、琳太郎に言った。「ごめんなさい。思い出したくなかったよね、きっと」

雛形は申し訳なさそうに、駐車場のアスファルトを見つめた。琳太郎は頭の後ろを人差し指でかいた。それから静かに頷き、雛形の手を握りしめた。

「私、ちゃんと答えるから。待ってて」

雛形は顔をあげ、真剣な顔で言った。吐いた息が、より一層白くなった。

「はい」

琳太郎はかしこまり、深い声で答えた。

「明日のハンドベル。頑張ります」

雛形はそう言って両手でガッツボーズをつくって笑うと、自分の車に乗り込んだ。

つづく

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