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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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ハンドベル

第二音楽室の改修工事が終わった。古かった入り口の引き戸は取り払われ、防音式の観音扉と交換になった。防音性能を高めるため、壁の吸音材が新しいものに張り替えられ、新型の換気システムも導入された。新品ではないものの、アップライトピアノの代わりにグランドピアノが搬入された。部員達は嬉々として室内を見回し、新しい環境を歓迎した。

「みんなでハンドベルやろう」

第二音楽室に入ってきた琳太郎が、唐突に言った。手には大きな黒いケースを持っていて、回転椅子の横に置いた。少し遅れて、雛形と安彦、あまや楽器の社長・藤堂も部屋に入ってきた。それぞれケースを抱え、同様に床へ置いた。

「ハンドベルですか?」

直樹が聞いた。

「チャペルでクリスマスコンサートをやるんだよ。町内の小中学校を対象に、参加募集の便りがきている」

琳太郎が指揮台前の回転椅子に座りながら、プリントを見せた。チャペルはグリーンガーデンパレスという、結婚式場の敷地内にある。開催日はクリスマス前の土曜日だ。

「へえー、なんか面白そうですね」

興味を示した梅子がプリントを見に、前へ進み出た。

「チャペルの中で管楽器なんか吹いたらうるさいから、ハンドベルにする」

ハンドベルを鳴らす仕草をしながら、琳太郎が言った。

「でも、俺、やったことないですけど」

直樹が心配そうに言った。他の部員達もうなずく。

「簡単だよ。振れば音は出る」

琳太郎が回転椅子でくるくる回りながら、軽い調子で笑った。

「ハンドベルはどこかで借りてくるんですか?」

梅子が聞いた。

「いや、ここにある」

琳太郎が回転椅子から降りて、脇に置いた黒いケースを開けた。雛形達も他のケースを次々に開けていく。そこには大小様々なイングリッシュハンドベルがクッションの中に収められていた。金色のハンドベルは室内の照明を受けて、一つ一つが煌めいている。部員達はケースの前に寄り集まって、興味深そうに見つめた。

「ちょっと、こっちを見ろ」

琳太郎が、今度はDVDプレイヤーの再生ボタンを押した。皆はテレビ画面を見上げる。それは、皆と同じ学ランとセーラー服に身を包んだ、昔のミド中吹部の姿だった。それぞれが大きさの違うハンドベルを握り、それぞれのタイミングでベルを前に突き出す。演奏しているのは「結婚行進曲」だった。

「すごい」

直樹は感心して言った。

「早くやりたい」

響も言った。

「まず、手袋をはめる」

DVDを停止すると、琳太郎が同梱されていた手袋を両手にはめた。

「これを持って、こうやって前に出す」

琳太郎が小さなベルを一つ取り出し、ハンドルの部分を握ると、胸の辺りから地面に対して水平に、ベルを前面に突き出した。ベルの中の振り子が金属製のベルの内側に当たり、リーンと鳴った。

「ベルの中に水が入ってて、それをこぼさないようにするイメージだ」

琳太郎が説明して、動きを繰り返す。ベルは再び、リーンと鳴った。

「残響を消したい時や、タイミングを間違った時は、胸に当てる」

琳太郎は今度はベルを手前に引いて、胸の辺りに当てた。音の余韻はすっと消えた。

「簡単だー」

安彦から手袋を受け取って、銀之丞も右手と左手にそれぞれ持ち、ベルを鳴らした。藤堂が皆に手袋を配ると、次々に真似して鳴らし始める。

「本当は難しい楽器なんだ。細かい奏法も色々あるけど、お前らは覚えなくていい」琳太郎は気楽な調子で言った。「ちょっと机を一列に並べろ。譜面台も」

部員達は第二音楽室の机を並べかえた。机を一列に並べ、一つの長机をつくると、その上にウレタンのマットを敷き詰めた。譜面台も二人で一つ、見られるように組み立てていく。琳太郎がマットの上に、楽譜を見ながらハンドベルを置いていく。

「よし。あとはお前ら、背の順に並べ」

部員達はお互いの背丈をじろじろ見ながら並び出した。一番背の低い梅子が、指揮者側から向かって左端に立った。続いて健治、史門、恵里菜と並ぶ。右側は男子ばかりで、銀之丞、錬三郎、怜、そして幹生が右端に立った。

「おい。パーカス三人は抜けろ」

「えー」

銀之丞が不満そうに唸る。

「十六人もいらねえんだよ」

琳太郎が楽譜を見て言う。

「俺はやりたいですよー」

銀之丞が膨れる。音羽が手を挙げた。

「銀ちゃん一人くらいなら、やらせてあげればいいんじゃないんですか」

表情のない声で音羽が言うと、琳太郎は腕を組んで思案した。音羽は続ける。

「あと、私はその日、いとこの結婚式があるから行けません」

「そうか。そうなると伊久馬は…」

残された伊久馬を見て琳太郎は再び思案する。音羽は琳太郎の元に歩み寄り、楽譜をじっと見つめる。しばらくして、口を開いた。

「オルガン、やらせたらどうですか」

「えっ」

伊久馬は驚いて音羽の方を見る。琳太郎は「なるほど」と頷き、キーボードを持ってくるよう音羽に合図した。音羽がキーボードを持ってくると、琳太郎が音色をオルガンに設定した。楽譜を見ながら、小さな音で、伸びのある和音を弾いていく。

「僕、ピアノ習ってません。響先輩にやってもらった方が…」

伊久馬が動揺して、響の方を見て言う。

「うち、ハンドベルの方がいい」

響が拒否したので、伊久馬は「えー」と唸った。

「難しいことはやらない。音羽、お前が伊久馬に教えてやれ」

琳太郎が言うと、音羽が頷いた。


ハンドベル奏者が十六人から十四人体制になると、部員達は思い思いにハンドベルを触り、楽しそうにおしゃべりを始める。

「結構、重てえよな」

怜が大きなハンドベルを振ってゴーンと鳴らし、隣の幹生に話しかけた。幹生は笑って、一番大きなハンドベルを振ってみせた。こちらはさらに低い音で、ゴーンと鳴った。

「それでも、その辺のやつは二キロもないだろ。もっと低音のだと七キロとか、八キロある」

琳太郎が他人事のように笑う。

「一人何個ずつですか?」

ハンドベルの数を指さして数えながら、錬三郎が聞いた。

「忙しい音の奴は少なくていいけど、暇な音の奴は多くやってもらう」

琳太郎が説明すると、皆はなるほど、と頷いた。

「それで、なんの曲、やるんですか」

梅子が尋ねた。

「パッへルベルの『カノン』」

琳太郎が言うと、雛形がコピーした楽譜を皆の譜面台に置いていった。

「わー、それ、すごく好きです」

響は誰よりも乗り気だ。

「ジングルベルとかやるのかと思った」

梅子が少し意外そうに言った。

「そういう、いかにもなクリスマスソングは、小学校がやるみたいだから」

琳太郎が説明した。

「結構、十六分音符が多いですね。俺、『F』がいい」

十六分音符が嫌いな健治が楽譜と睨めっこしつつ、ハンドル部分に「F7」と書かれた小さなハンドベルを奪い取った。

「えー、俺もそれがいい」

直樹が健治の両手を掴んだ。楽譜のサビ部分を見ると「F」、つまりは実音の「ファ」の音が十六分音符の先頭の音になっている。鳴らすタイミングからいって、この音が一番難易度が低く、出番が多い。

「お前は、俺より背が高いからだめ」

チビの健治はハンドベルをしっかり握り締め、勝ち誇ったように言った。

ほかの部員達は自分の目の前に置いてあるハンドベルを見て、それぞれ手に取って鳴らしたり、背丈が近い者は場所をチェンジしたり、楽譜上で自分が担当する音に印をつけたりしていった。

「試しにやってみようか」

琳太郎が皆の前に立つと、タクトをゆっくり振り始めた。雛形はビデオカメラの再生ボタンを押した。


最初の練習はぐちゃぐちゃだった。ハンドベルを鳴らすタイミングが分からず遅れたり、早すぎたりして、笑って誤魔化す者が多い。曲として、ちっとも成り立たなかった。琳太郎も笑って指揮を中断した。

「やめ、やめー」

琳太郎は旋律部分と伴奏部分にグループ分けした。テンポを落とし、それぞれのグループで繰り返し練習することにした。


部活終わりのミーティング時、琳太郎は部員達と向き合った。

「当日の指揮は、雛形先生が振るから。先生、よろしくお願いします」

琳太郎が雛形に向かって軽く会釈した。

「はい。みんな、よろしくね」

雛形が琳太郎に会釈してから、部員達に向かって軽く手を振った。皆は互いに顔を見合わせ、どよめく。

「お前ら落ち着け。大丈夫だから。難しい指揮じゃないから、先生にお願いしたんだよ」

琳太郎が雛形をちらりと見て、小さく笑った。雛形も堂々として、笑い返した。


「指揮、ですか」

ちょうど一週間前のことだった。あまや楽器からの帰りがけ、琳太郎の車の中で雛形に話を持ちかけられた。琳太郎は少し驚いて問い返した。

「はい。私にも指揮をやらせてください」

助手席に座る雛形は、頬を紅潮させて言った。メガネのレンズがやや曇っている。

「別にいいですけど…。なんで?」

運転席でハンドルを握る琳太郎は、不思議そうに問いかける。

「琳太郎先生を見て、私もやってみたくなりました」

雛形は正面を見たまま、意気揚々と言った。

「へえ」

琳太郎は雛形を一瞥すると、正面を見る。

「私も、もっとみんなに沢山、関わりたい。音楽をやりたいんです」

雛形がつぶやくように言った。その穏やかな微笑みを、琳太郎はルームミラー越しに見た。雛形に指揮をやらせたことは、これまでに一度もなかった。琳太郎が不在のときには直樹がやっていたし、音羽や銀之丞に曲の入りだけカウントを取らせ、合奏させることはあった。どういった心境の変化なのかが琳太郎には分からなかった。ただ、生き生きとやる気をみなぎらせている雛形の様子が、側から見ていて愛おしかった。

「了解。ハンドベルの指揮、お任せします」

琳太郎も穏やかに微笑んで言うと、ハンドルを握る力を強め、アクセルペダルを踏み込んだ。


定演後の吹部の練習メニューは、主に体力づくりと楽器の基礎練習、ハンドベルの練習になった。定演前の時のような曲練がなくなり、部員達からはブーイングが上がったが、琳太郎は譲らなかった。全員ジャージに着替えさせ、グラウンドを走らせたり、雨の日は階段を駆け上がらせたりした。ロングトーンや音階練習も繰り返しやらせた。ハンドベルの練習時間になると、部員達はホッとしていた。

何度も「カノン」の練習をしているうちに、部員達は少しずつ、少しずつ、ハンドベルの腕前が上がっていった。一部、演奏ぶりが怪しいところがあると、近い音の部員達がこぞってグループをつくり、練習に励んだ。重たいハンドベルを持って立つと腰痛になりやすいこともあり、怜を筆頭に、部員達は筋トレやストレッチもやった。

「ハンドベルって吹奏楽より、難しくない?」

雛形が録画してくれたビデオを見ながら、響が梅子に言った。

「うん。なんか、チームワークを試されてる感じ」

梅子が全員の手の動きを目で追いかける。

「ほら、この辺、もたついてるじゃん。直樹とか千鳥川君のあたり」

響が嫌そうな顔をして画面を指さして言う。

「まだ慣れてないだけだよ」

「そうだね。僕らは管楽器奏者で、ハンドベルは打楽器だからね」

恥ずかしさと悔しさをないまぜにして、直樹も公彦も反発した。

「怜も遅い」

今度は梅子が、怜のダメ出しをした。

「梅子のと違って、俺のは重てえんだよ」

顔をしかめ、怜も言い訳をする。

「そう? 幹生はちゃんとやってるよ」

梅子が幹生の演奏シーンを指さして言った。幹生は気まずそうに怜を見ながら、頭の後ろを掻いた。

「ちょっと、もう少し真剣にやろう」

梅子が仕切って、皆で練習を続けた。


それなりにハンドベルの演奏がまとまってきた頃、琳太郎が不在がちになった。十一月の下旬には合唱大会が控えているため、それぞれのクラスが放課後の練習に精を出すようになった。琳太郎はそれを見て、各クラスを渡り歩き、それぞれフォローするようになった。吹部のなかにも合唱の練習に出るため、遅れて部活にやってくる者が増えた。一人でも欠けるとハンドベルの合奏にならないので、部員達は全員揃うまでは個人練習をしていた。雛形は第二音楽室の隅でタクトを握り、指揮の復習に取り組んだ。

「琳太郎先生、今日は忙しくって、部活に来れないみたい」

全員揃った部員達を前に、雛形が言った。

「じゃあ雛形先生、お願いします」

直樹が朗らかに、雛形に言った。

「うん」

雛形は嬉しそうに返事すると、タクトを振り上げた。


「琳太郎先生…」

その日の夕方、直樹がうなだれた様子で、琳太郎の前に現れた。

「どうした」

琳太郎はノートパソコンを片手に、三年生の教室から出てきたところだった。

「雛形先生、指揮が全然、できてません」

直樹がげんなりして言うと、琳太郎は一瞬黙り込んだ。それからプッと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。廊下にいた三年生達が、怪訝な顔をして琳太郎を見る。

「そうなんだよな」

「笑いごとじゃないですよ」

直樹が心底困ったように言う。

「んー、でも、先生は、やる気出したところだからなあ」

琳太郎は引っ込みがつかず、小さく笑い続ける。雛形の指揮レベルは小学生以下だ。琳太郎が見ていても、その酷さは見るに耐えなかった。雛形のやる気を削ぎたくなくて、琳太郎は厳しく言わないことにしていたのだ。

「どんどん速くなってっちゃうんですよ。本人、気づいてないし」

直樹が途方に暮れて言うと、堪えきれなくなった琳太郎は上体をのけぞり、涙を流して笑った。

「うん。知ってる。悪かったよ、もっとしっかり教えとくから。お前もフォロー、頼むよ」

必死な表情をしている直樹の肩を叩いて、琳太郎は再び吹き出し、肩を揺すって笑い続けた。

つづく

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