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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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スカウト

翌日の土曜日には、鳴沢学園中等部が定演を行うことになっていた。琳太郎が部員達に声がけすると、一緒についてきたのは直樹、梅子、健治、響、音羽、それに一年生の伊久馬だった。七人は揃って白錫しろすず文化ホールに向かった。

緑谷町と藍原町の間に位置する白錫市は、近隣の市町村の中でも一番大きい町だ。白錫文化ホールは、その市のほぼ中央に位置する、白錫駅からほど近い場所にあった。緑谷町民文化会館よりやや小ぶりだったが、設備はこちらの方が新しくて綺麗だった。ステージの手前の客席を奈落へ収納できるオーケストラピットがあり、バレエやオペラ、ミュージカル上演の際には、オーケストラが演奏する場として活用されている。

琳太郎は客席に座り、直樹に花束を持たせた。他の皆も続き、開演を待った。

「なんか俺、花束渡しに行くの、ちょっと怖いです」

直樹が花束をじっと見つめがら、隣の琳太郎にこぼした。

「とって食わねえから大丈夫だよ」

琳太郎が一笑に付した。

「敵はほとんど三年生なんですよ」

少し離れた席から、伊久馬も深刻そうに直樹に同調した。

「向こうも俺達のことを意識してるんだ。そうじゃなきゃ、うちの定演なんか見に来やしない」

琳太郎は呑気に言った。

「でも、あっちの方が人数多いし、全国出てるし」

健治が悔しそうに言った。

「私立校なんてそんなもんだよ。設備はいいし、講師もいい。当然、部員も多くて優秀」

琳太郎はプログラムをめくって口笛を吹いた。百五十人を超える部員達の集合写真がデカデカと載っている。

「鳴沢の先生って変な髪型で気持ち悪いし、うちは琳太郎先生の方がいいです」

響が言うと、一同は爆笑した。

あっという間に会場は満席になった。座りきれず、立ち見客も多くいた。開演時間になり、客席の照明が暗くなるのと入れ替わりに、ステージの照明が明るくなった。ずらりと並ぶ吹奏楽部のメンバーを見て、八十人はいるなと琳太郎は思った。指揮者の鉛田がタクトを振り上げると、ミド中を含むすべての観客は演奏に引き込まれた。大編成らしくハーモニーの厚みはミド中とは比べ物にならなかった。荘厳で贅沢で、かつ中学レベルかと耳を疑うほど繊細な演奏に、観客達は大きな拍手を送り続けた。

すべてのプログラムが終了し、最後に花束贈呈の場が設けられた。ミド中の定演以上に多くの団体が集まり、ステージで祝福した。

「緑谷町立緑谷中学校吹奏楽部様」

ミド中の番だ。司会にアナウンスされたので、直樹はびくびくしながらステージに上がった。花束を抱えてステージ中央に歩み寄ると、ミドスイの定演で会った部長本人だった。彼も直樹に気づいたようだ。

「来てくれてありがとう」

鳴沢の部長は直樹の目を見ると、小声で礼を言い、頭を下げた。客席から拍手が上がると、直樹も全力で頭を下げ、急いで退散した。

帰りがけ、琳太郎と部員達はホワイエで鉛田に声をかけられた。

「鳥飼先生。観にきてくださったんですね」

鉛田は品よくお辞儀をした。

「ええ。そちらも先日はうちの定演にお越しくださって、本当にありがとうございます。今日は、全国金賞レベルの演奏を拝みにきました」

琳太郎も笑顔で言い、礼儀正しく頭を下げる。

「来年度が怖いです。ミド中がどこまで這い上がってくるかと思うと」

鉛田は妙な手振りをつけ、気取った声で言った。

「ははは。それはそれは、どうも」

琳太郎は営業スマイルを決め込む。

「鳥飼琳太郎。そっちの界隈では有名人ですからね」鉛田は目を細めた。「私もあなた方を徹底的に潰しておかないと、不安なんですよ」

鉛田の目はますます細くなり、笑っていなかった。琳太郎は貴公子のような輝く笑みを向けたまま、何も言わない。直樹を含む部員達は、ただならぬ様子を固唾を飲んで見守った。そこへ、先ほどの部長が近づいてきた。

「部長の小金井です。ミド中の皆さん、今日は見に来てくれて、本当にありがとうございました」

小金井が礼儀正しく頭を下げた。ミド中吹部も慌てて頭を下げた。

「俺たち三年、今日で引退ですけど、後輩達にはミド中の演奏はよく見とけって、言ってあります」

小金井はハキハキと言った。直樹はドキドキして小金井を見つめる。

「君が、部長なんだろ?」

小金井がよく通る声で、直樹に話しかけた。

「はい、白鳥っていいます。今日の演奏、すごいかっこよかったです」

直樹はうわずった声を出しつつ、頑張って褒め称えた。小金井は笑顔で頷きつつ、後ろを振り返り、一人の女子生徒を呼んだ。

「こいつが次期部長、銅元(どうもと)です」

小金井が直樹達に女子生徒を紹介した。

「銅元です。よろしくお願いします」

鉛田よりもさらに細い目で、いかにも性格がきつそうな感じの銅元が、そっけなく挨拶した。

「ライバル同士、仲良くやって下さい」

小金井が快活に笑うと、ほぼ無理矢理、直樹と銅元を握手させた。銅元は不快そうに、すぐ手を引っ込めた。

「ああ、それと、ちょっとそこの君、待ってもらえます?」

鉛田が音羽に向かって言った。音羽は自分の顔を指さして、黙って頷く。楽屋の方から、背の高い男性が駆け寄ってきた。

「君が、朱雀音羽さん?」

男性が話しかけた。音羽は生気のない顔で頷く。

「鳴沢学園高等部で吹奏楽部の顧問をしてます。鐘井かねいです」

鐘井は礼儀正しく挨拶すると、音羽に名刺を握らせた。音羽は名刺を見つめるだけで、何も言わない。

「君のパーカッションの技術は素晴らしい。ぜひ、うちに来ないか」

鐘井の言葉に、音羽以外の全員が驚いた。音羽本人は瞬きひとつせずにいる。

「キーボードも弾けるみたいだね」

鐘井はさらに続ける。音羽はこくんと頷いた。

「もし君が望むなら、中等部からでも転入してもらいたい。ねえ、鉛田先生」

「ええ、そうですね」

鉛田が音羽を見据えて大いに頷く。音羽はぴくりとも動かず、黙ったままだ。琳太郎とミド中の部員達は音羽の反応を伺う。

「音羽先輩は、ダメです」

伊久馬が急に声を張り上げて言った。鉛田も鐘井もびっくりして、伊久馬に向き直る。伊久馬は顔を真っ赤に腫らし、両手を広げて音羽の前に立ちはだかった。

「そうです、うちの大事な戦力です。あげません」

直樹が思い直したように加勢すると、鉛田と鐘井は一瞬見つめ合い、声を上げて笑った。

「だ、そうです」

鐘井が愉快そうに言った。

「それは残念だ」

扇子を取り出し、鉛田は顔を仰ぎながら頷いた。

「だが、本人の意思をまだ聞いてないですね」

鐘井が冷静に立ち返り、音羽を見据えると、はっきりと言った。琳太郎は笑うでもなく、怒るでもなく、曖昧な表情で様子見を続ける。

「うちに、来てほしい。入試は免除します。学校側ができることなら、どんなサポートでもしましょう。ご家族にも相談して、考えてくれませんか」

鐘井がにこにこして音羽の両手を握り、さらに言った。音羽はまだまだ黙り込む。鳴沢の他の部員達も何ごとかと寄り集まる。

「今日、決めなくてもいいんじゃないんですか」

琳太郎が小さく、かつ聞き取りやすい声で、さらりと話に入り込んできた。その言い方には一種の牽制があった。鐘井は琳太郎を見て笑顔を消した。直樹は音羽の顔色を伺った。音羽本人は随分と具合が悪そうだった。

「今日はどうもありがとうございました。琳太郎先生、帰りましょう。ほら、みんなも早く」

直樹は今日一番の声を張り上げて、琳太郎と音羽の手を引っ張った。音羽は少し安堵したように直樹を見た。琳太郎はわざとらしく驚いて、「では失礼します」と言った。皆で逃げるように玄関を出て行った。


「なんだか、よく分かんないことになりましたね」

たらこスパゲティを食べながら、直樹が疲れた顔でぼやいた。

ミド中一行は白錫ホールを飛び出した後、白錫駅に向かった。それから電車に乗り、緑谷駅で降りた。皆で緑谷駅前のファミレスに入ると、一番奥の角席に案内された。それぞれ好きなものをオーダーしろと琳太郎が言い、夕食を囲んだところだった。

「お前も出世したよな。全国レベルの学校にライバル宣言されるとは」

琳太郎はカフェラテの入ったカップを握り、大笑いして頷く。

「琳太郎先生がいなかったら、一生縁のない人達でした」

直樹はスパゲティをずるずるとすすりながら言った。

「そうだよね。本当にそうだよ」

梅子はオムライスを食べながらうんうんと頷く。

「音羽ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」

響が心配そうに言った。

「うん、大丈夫」

音羽がようやく声を発した。それからストローの封を開け、メロンソーダを飲む。

「それにしても朱雀さんを引き抜こうとか、奴らは何、考えてんだろう」

直樹は怒ってスパゲティを威勢よくすすった。

「そりゃ決まってるよ。うちの弱体化をはかってるんだ」

健治もパンケーキにフォークを突き刺し、憤慨する。

「絶対ダメです。僕が許しません」

伊久馬がフライドポテトを握り締め、バカでかい声で言うので、シーッと響が言った。

「まー、音羽が転入を本気で考えるなら止められないよな。進学先のことも」

琳太郎はカフェラテを飲みながら、穏やかな口調で言った。音羽は琳太郎の方を見ず、メロンソーダを飲み進める。

「でも、いいな。入試無しなんて」

健治は羨ましそうに言い、パンケーキを一口食べる。

「それもどうだろうね」

音羽がストローから口を離すと、はっきり言った。皆が音羽を見つめる。

「私はあんな学校に興味ない」

音羽はそう言って、メロンソーダを飲んだ。

「どうして?」

響が鍋焼きうどんを啜りながら尋ねた。

「あの中学も高校も、空気が悪い」

音羽はさらにはっきり言い切ると、鐘井の名刺をポケットから取り出した。皆が見てる前でビリビリに引き裂いた。琳太郎は面白そうに音羽の様子を観察する。

「うちほど良いところなんて、ない」

音羽は透明感のある目で言った。直樹がいつか見た、あの人間離れした目だ。

「やっぱり変態の言うことは、どこまでも突き抜けてるんだね」

直樹が何かを悟ったように、静かに言うと、音羽がニヤリと笑った。皆も少したじろきながら、ぎこちなく笑う。

「先生」

音羽が珍しく琳太郎に話しかけた。

「ん?」

琳太郎はカフェラテを飲みながら、音羽と向き直る。音羽は水晶のように透き通った目で、琳太郎をしっかりと見据えた。

「私は高校だって、別に行かなくてもいいって思ってます」

「おお、そうか」

琳太郎はさして驚くふうでもなく、頷いた。皆は驚いて音羽を見つめる。

「私は作曲家になる」

音羽は、今度は空になったグラスを見つめて言った。皆は何も言えず、黙り込んだ。店内のクラシック曲のBGMが緩やかに流れる。そこに琳太郎がカフェラテを小さくすする音だけが響いた。

「今は、部活でみんなが生み出す音を、もっともっと、拾っていきたい。先生もみんなも、いつもいい音がする。喋ってるところも、笑ってるところも全部、楽器みたい。みんな、毎日違う音を出してるのに気づいてない」

「違う音って、どんなの」

響が尋ねた。

「鶴岡さんは今日…、二胡にこみたい」

音羽が響を頭のてっぺんから爪先まで見ると、ぼそりとつぶやいた。

「白鳥君はハープ」

音羽は、今度は直樹を見ていう。

「オーボエ、鈴、バンドネオン」

音羽は梅子、健治、伊久馬を指差して、楽器の名前を言った。

「先生は、バリトンサックス」

音羽は琳太郎を指さした。琳太郎は小さく微笑む。

「みんなが発してる音を、私が拾うの。拾っても拾っても抱えきれなくて、こぼれてくる。それが楽しい。もっともっと集めて、たくさんの曲にしたい。ずっとずっと作っていたい。全然疲れないの。だから、ここにいる」

音羽が淀みなく言った。皆は食事するのも忘れて、音羽の話に聞き入る。何かに憑かれたような音羽の顔を見て、琳太郎は温かい眼差しを向けた。

「そうか。じゃあ、うちに居ろ」

琳太郎が静かに言うと、音羽が頷いた。

「メロンソーダのおかわり、してきます」

音羽は空のグラスを手にしてソファを立ち上がると、ドリンクバーへ向かった。

「作曲家とか、あいつ、すげえ。かっこいいな」

健治は音羽の後ろ姿を見て、感心してつぶやいた。

「うん。まだ中二なのに、すごい」

梅子も心を打たれたようだ。

「ああいう頭のネジがぶっ飛んでる奴のことは、皆は真似しなくていい」

琳太郎が気楽に笑って言うと、皆もようやく緊張が解け、一緒になって笑った。伊久馬だけは真剣な眼差しで、音羽がドリンクバーのボタンを押す姿を見守った。

つづく

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