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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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功労賞

「直樹、今日は学校休みなんだって」

昼休みに、廊下で梅子がため息混じりに言った。

「そうなんだ」

響が憂鬱そうに答えた。

昨日の一件で風邪を引いたのだろうか。自分は大丈夫だったけど、あれだけ精神的に参っていた直樹のことだ。どうしているのか、とても心配だった。

「あと、今日は琳太郎先生が外出しちゃうから、雛形先生がみんなで家庭科室に来てって言ってた」

「へえ?」

「今日は練習しないで、みんなで美味しいもの作って食べようだって」

意味不明だとばかりに梅子は両肘を曲げ、両手のひらを天に向けた。

「ふうん。よく分からないけど、楽しそう」

響は少し笑顔を取り戻して言った。


直樹の家では、インターホンが何度も鳴っていた。リビングにいる飼い犬がワンワンと吠えた。家族は全員出払っているらしい。直樹は頭を掻きむしり、しぶしぶ階段を降り、リビングにあるモニター画面を見た。琳太郎が玄関先に立っている。

「先生」

通話ボタンを押して、直樹が低い声で言った。

「おっす。楽器、修理に行こう」

琳太郎は穏やかな声で言った。


直樹は寝癖がついたまま、顔も洗わずTシャツとジーパンに着替えた。フルートの入ったケースを持つと、黙って琳太郎の車に乗った。直樹が助手席に座り、ぎこちなくシートベルトをしめたのを確認すると、琳太郎がエンジンをかけた。

「飯、食ったか」

運転しながら琳太郎が聞いた。直樹は無言だった。

「今日の給食はナポリタンだった。ナポリタンって妙に美味いんだよな。全然アルデンテじゃないのに」

琳太郎は陽気に、勝手に喋り続けた。まだ反応はない。

「いい天気だよな。すごい雨だったのにな」

「先生」

ようやく反応があった。

「ん」

琳太郎が聞き返した。

「先生は、プロだったんですよね」

直樹はフロントガラスの先にある景色を見ながら、表情のない声で聞いた。車道の両端に並ぶ木々の葉が、風に揺れていた。

「ああ」

琳太郎が儚げに頷いた。

「いつもステージに上がるとき、どんな気持ちだったんですか」

直樹が足を組みながら聞いた。

「最ー悪、の気分」

少し間を開けて、首を縦に揺らしながら琳太郎が答えた。直樹は意外そうに琳太郎の方を見た。

「ハンマーで殴られたみたいに頭はガンガンするし、目の前は霞んでくるし、手汗が止まらないし。いつも死にたいって思った」

琳太郎がうんざりした調子で言った。直樹は目を見開いた。

「でも、椅子に座ってピアノに向かうと、嘘みたいに落ち着く。あれ、なんでなんだろうな」

琳太郎はくすくす笑った。直樹は何も言わない。

「不思議なんだよな」

「先生」

「ん」

「なんで学校の先生なんかやってるんですか」

直樹が、複雑な感情を絡ませて聞いた。しばらくの間、車内は沈黙した。

「なんでだろうな」

琳太郎はようやく口を開き、小さな声で言った。

「先生のコンサート、俺、見てみたいです」

切羽詰まったような声で、直樹は琳太郎の横顔を見ながら言った。琳太郎は寂しそうに笑った。

「あーあ。俺が中学のときにも、お前みたいな奴がいたら良かったのにな」

今度は琳太郎が直樹の方をちらりと見て言った。口元に笑顔を讃えている。

「先生…」

「白鳥直樹」

急に太い声を出し、琳太郎はフルネームを呼び捨てした。

「はい」

直樹はビクッとして背筋を正した。

「今回は俺のミス。お前に落ち度はなし」

琳太郎があっさりと言った。

西関東大会の結果は銅賞だった。帰りのバスのなかは静まり返っていて、誰も喋ろうとしなかった。ずぶ濡れになった直樹と響は、琳太郎と雛形のジャケットで覆われた。誰も直樹を責めなかった。もちろん琳太郎も雛形も、副校長も何も言わなかった。現地へ応援に駆けつけていた保護者達が「残念ね」と言ってるのだけは聞こえた。お願いだから、誰かに強烈に責めてほしかった。なじってほしかった。何もされないのが直樹には辛かった。帰宅しても何も食べられなかった。まったく寝つけなかった。

「でも…」

「吹奏楽部部長」

直樹は首を振って反論しようとしたが、琳太郎に遮られた。

「はい」

「前、向けよ」

琳太郎は正面を向いたままはっきり言った。やがて緩やかでまっすぐな上り坂になり、琳太郎はアクセルを踏んでスピードを上げた。

「お前が何者なのか、教えてやろうか」

琳太郎がハンドルを握る手に力をこめて聞いた。直樹は何も言わず、助手席側の窓の外を見た。琳太郎は深い声で、ゆっくりと言う。

「お前は、みんなのヒーローだ」

車は丘を越え、下り坂になった。秋の日が地上に降り注いだ。辺り一面に、白やピンクや赤紫色のコスモスが咲き乱れていた。


あまや楽器の駐車場に着くと、琳太郎と直樹はドアを開けた。

「こんにちは」

「おう、お前か。今日はどうした」

安彦が琳太郎の姿を確認すると、奥の作業場から出てきた。

「これの修理代、いくらかかります?」

ケースを差し出して、直樹が聞いた。安彦は老眼鏡をかけてケースを受け取ると、中のフルートを取り出した。

「買ってからどれくらいだ?」

安彦が聞いた。

「一年半くらいです」

直樹が答えた。

「バネが外れてる」

「はい」

「キイのバランスも狂ってる」

「はい」

「タンポも劣化してる」

「はい」

「オーバーホールした方がいいだろう。だいぶ酷使したんだな」

安彦は苦笑いした。直樹はどうしたらいいか分からず、曖昧に頷いた。

「おい、琳太郎。お前がしごいたからフルートにもヤキが回っちまったんだぞ」

「ですね」

琳太郎が首を傾けて頷いた。

「子どもはメンテなんてほとんど分かっちゃいねえんだから。お前がしっかりしないとダメだろ」

安彦は老眼鏡越しに琳太郎を睨むと、説教した。

「ですね」

琳太郎は背筋を伸ばして、復唱した。

「大会、残念だったな」

安彦がフルートを見て言った。雛形から西関東大会の結果を聞いたんだろうと、琳太郎は察した。

「はい。来年こそは、必ず」

琳太郎はそう言って、請求書を学校宛に送ってもらうよう依頼した。直樹のフルートは学校の楽器ではなく私物だが、副校長の好意で学校側が修理代を出してくれることになった。

直樹は、店内のショーケースの方を見ていた。

そこには世界的に評価の高い国産フルートメーカー・マツムラ製フルートの新作モデルが展示されていた。直樹の安価な白銅製フルートと違って、こちらは総銀製だ。価格を見てびっくりした。裕福な錬三郎の家ならともかく、ごく普通なサラリーマン家庭に生まれた自分には、簡単に手が届く金額ではない。

「いいフルートだろ」

安彦が直樹の方を見もせずに言った。

「はい」

直樹はフルートから目を離さずに言った。俺もいつかこんなフルートが欲しい。きっといい音がするんだろう。その輝く躯体を見ているだけで心が安まり、潤った。

「大人になったら、買いに来い」

安彦は老眼鏡をずらすと、直樹に向かってニヒルに笑いかけた。


壊れたフルートを預け、琳太郎は直樹を再び助手席に乗せ、車を走らせた。

「よし。学校行こう」

「今からですか?」

直樹は車内の時計を見た。午後四時半だった。

「俺、楽器ないし」

「いいんだよ。今日は部活をやらない」

「え?」

首を傾げる直樹に軽く笑いかけると、琳太郎はアクセルペダルを踏み込んだ。


学校に着いた。琳太郎は渡り廊下を通って南校舎へ向かった。直樹もそれについて行った。ときどきすれ違う生徒たちにジロジロ見られた。学校に来るつもりがなかったので制服を着てこなかった。直樹は少し恥ずかしくなって、下を向いて歩く。

琳太郎が家庭科室の戸をガラリと開けた。

「あー、来たー」

銀之丞が真っ先に声を挙げた。中にいたみんなも一斉に入口の方を見た。

「直樹ー!」

健治が奥から手を振った。

「みんな何やってんの」

直樹が圧倒されて聞いた。

「何やってんのじゃねーよ。お前、手ぇ洗って来いよ」

怜がしゃもじで白飯を取りながら、水道を指さして言った。

家庭科室には吹部が集まり、皆でおにぎりを握っていた。一升炊きの炊飯器を二つ用意して米を炊いたらしく、それぞれボウルに入れて分け、各自が何個も握っている。副校長も参加しており、誰よりも大きいサイズのおにぎりを握っていた。

「旬の秋鮭一本、豪華に使ったからね」

骨だけになった鮭を見せて、エプロン姿の雛形が笑ってみせた。

「雛形先生、味噌汁もできました」

錬三郎がてきぱきとした手つきで調理器具を洗い、雛形に呼びかけた。

「じゃあそれ、お椀によそって」雛形が指示を飛ばした。「琳太郎先生は海苔、切ってもらえます?」

「了解」

そう言って、琳太郎はアルミ袋から海苔を取り出し、ハサミでジョキジョキ切り出した。

「雛形先生…」

手持ち無沙汰になっている直樹が声をかけた。

「白鳥君はそっちで座ってていいよ。新米だから美味しいよ」

雛形は空になった麻袋を見せて微笑んだ。

各自は調理台の上を片付けて準備が整うと、皆は鮭おにぎりを乗せた大皿と味噌汁を囲んだ。誰もが充実した顔をして、早く食べたそうにうずうずしている。

「えーと、みんな。昨日はお疲れ様でした」

琳太郎が黒板の前に立って切り出した。

「元気のない部長が、ここにいます。なので、部長の大好きな鮭おにぎりをみんなで作りました。味噌汁も。ね」

琳太郎が言うと、皆はうんうんと頷いた。早く食わせろと合図を送る者もいた。なんで俺の好物を先生が知っているんだろうと直樹が不思議に思っていると、健治と目が合った。健治が両手でピースして、ウインクまでしてきた。

「はい。じゃあいただきます」

「いただきます」

皆は一斉に食べ始めた。直樹は隣の響に促されながら、おにぎりを一つ、手に取った。ピカピカ光る新米は粒が立ち、見るからに美味しそうだった。昨日の夜から何も食べていないことを思い出し、急に腹が減ってきた。直樹は大きく口を開けてかぶりついた。ご飯はもちもちふっくらとして温かかった。大きくカットされ、こんがり焼かれた鮭の切り身はよく塩気が効いていて、とても美味しかった。焼き海苔もパリとしていて、風味が良かった。味噌汁にも手をつけてみる。汁の実は青ネギと豆腐と油揚げで、よく出汁が出ていて、風味よく仕上がっていた。

無心で貪り食う直樹を見て、琳太郎も雛形も嬉しそうに微笑んだ。そこで琳太郎のスマートフォンがバイブした。家庭科室を出て電話に出ると、安彦からだった。

「え? そうなんですか」

琳太郎が聞き返す。雛形は何事かと近づいて様子を見る。

「あ、はい。分かりました、失礼します」

琳太郎が電話を切った。

「どうしたんですか」

雛形が聞いた。

「なんだかすごいことになったな」

琳太郎は家庭科室の中を眺めながらつぶやいた。

鮭の頭を丸ごと焼いて、それを巨大な飯粒の塊の上に乗せて「最強の鮭おにぎり」と称した怜が、無理矢理直樹に食わせようとしていた。直樹は恐ろしがって部屋の隅に逃げ、皆は爆笑していた。


翌日の放課後、琳太郎と直樹は校長室に呼び出された。部屋には校長と副校長、それに知らない男性が一人いた。直樹は何ごとかと思って不安を募らせていると、校長が口を開いた。

「西関東大会、よく頑張ってくれた」

校長は愛想のない声で言った。直樹は軽く会釈した。琳太郎は隣で黙って立っている。

「君は夏祭りで大活躍したらしいな」

校長が続けた。直樹はあの日のことを思い出した。ずいぶん遠い昔のことのように思われた。

「はい」

「ネット上でもだいぶ評判のようだな」

「はい?」

直樹は意味が分からず聞き返した。副校長が横からタブレットを見せてきた。画面には動画サイト「iTube」が表示され、投稿動画が再生された。直樹は目を見張った。

それは、ステージに立つ自分の姿だった。後ろに映っているのは音羽と響、伊久馬だった。顔面はモザイク処理がされていたものの、見る人が見ればわかる動画だ。四人はステージに立ち、スペインを演奏している。再生回数は九万回を超え、まだまだ伸びている。コメント欄にはアンチコメントも散見されたが、「本当に中学生か」「すごくいい」など肯定的なコメントが多数を占めた。琳太郎も面白そうに、横からその動画を眺めた。

「西関東大会への出場も果たし、我が校が芸術振興のために大きく貢献してくれていると、緑谷町が評価した。そこで、」

校長はそこで話を区切った。副校長が校長へ白い封筒を手渡す。

「町から追加予算がおりた」

校長は厳かな表情で、琳太郎にその封筒を手渡した。琳太郎は礼儀正しく頭を下げ、それを受け取った。

「ありがとうございます」

「まだある」校長は咳払いした。「町長からじきじきに、功労賞をいただいた。それを」

校長はもう一人の男性に顔を向けた。白髪混じりの髪をオールバックにし、ゆったりした焦茶色のスーツを着たその男性は品よく頷くと、ソファの上に置いていた細長いケースを手に取った。直樹は瞬時にそれが何か理解した。

「あまや楽器の社長の、藤堂と申します。いつも当店をご利用いただき、ありがとうございます。普段はほぼ、雛形に任せきりですが、今日は私が参りました」

藤堂は自己紹介すると、会釈した。琳太郎と直樹も頭を下げた。

「代金は役場からいただいております。どうぞこちらを」

藤堂はケースを直樹に手渡した。直樹は震える手で受け取った。

「あ、開けてもいいですか」

「もちろん」

藤堂は優しい笑みを浮かべて言った。

心臓がドキドキした。手から取り落とすんじゃないかと恐怖した。直樹は震えながらソフトケースを開け、中のハードケースを開けた。それはあまや楽器で見た「マツムラ」のロゴ入りの、総銀製のフルートだった。

「素晴らしいフルートですよ」

藤堂が柔らかな声で言った。直樹は浅い呼吸をしながら、楽器を組み立ててゆく。手に取るとずっしり重かった。

「吹いてみてもいいですか」

直樹が興奮を抑えきれずに聞いた。

「構わんよ」

校長が言った。

皆が見つめるなか、フルートに息を吹き込んだ。直樹が聞いたこともないほど、突き抜けるように明るいクリアな音色が強く、校長室全体に響き渡った。残響に身を任せながら、藤堂と琳太郎は穏やかに微笑んだ。校長は表情を変えないが、副校長は少し嬉しそうにしていた。

「貴方様も、是非、このフルートに見合う奏者になってくださいね」

藤堂が小さくて、でも輪郭のはっきりした声で優しく言った。

「ありがとうございます」

フルートをそっと抱きしめ、溢れる涙にあらがいながら、直樹はやっとの思いで言った。

つづく

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