三年生
残暑が厳しいなか、新学期が始まった。大型のファンで空気をかき混ぜながら、ミド中の体育館では始業式が行われた。校長は演台の前に立つと、ドラマチックに熱弁をふるった。
「我が校の吹奏楽部がこの夏、地区大会、県大会を勝ち上がり、西関東大会出場を決めました。これは、十年ぶりの快挙です。埼玉県は南部、西部、東部すべて音楽教育の水準が高く、全国大会常連の強豪校がわんさかいます。そこで見事、勝ち抜いたのが北部代表、我が校の吹奏楽部です。その凄さがみなさん、分かるでしょうか」
校長の問いかけに生徒の大半がザワザワし出した。吹部と書いてチンドン屋と読むものだと思っていた生徒達は、「嘘」「すごいじゃん」などと口々に言い合う。校長はさらに続ける。
「これから全国大会を目指して頑張っていただきます。私は確信しています。必ずや全国大会への切符を手に入れてくれるだろうと。ここに大きな拍手をお送りしましょう。学校は、皆さんを応援しています」
校長がマイクの前で景気よく拍手をした。全校生徒からもまずまずの拍手が上がった。ステージ階段の足元に並んで立っていた琳太郎と雛形は、礼儀正しく頭を下げた。
「校長、あんなにうちらのことウザがっていたのにね」
拍手喝采を受けて、健治は自分の近くにいる吹部達に向かって、白けた調子で言った。
「俺らのおかげで学校の株が上がったんじゃないのー。ほかの部は全部、県大どまりだしさー」
銀之丞が、二本のボールペンを使ってペン回しに興じた。
「こういうのを手のひら返しっていうんだよ。外ヅラだけは超一流の校長だわ」
梅子が厳しい目つきで壇上の校長を見た。
「ヅラが二流の副校長を見習ってほしいところだね」
公彦が至極真面目な調子で言うと、皆は吹き出した。副校長は階段近くの司会マイクの前に立ち、くしゃみをした。そのせいで、被せ物がややズレた。
「副校長、変わったよね。琳太郎先生に送った色紙も、退院祝いのクラッカーとか花紙とかも、用意してくれたのは副校長だし」
直樹が言うと、公彦がうんうんと頷いた。
「県大にもついてきてくれたしね」
梅子はずいぶん昔のことのように、あの日を思い出しながら言った。副校長は慣れない状況で楽器の搬入や生徒のバスへの誘導などを頑張ってくれていた。バスのなかで泣いている響のことも、下手くそなりに励ましていた。
「前はずっと校長の手下って感じで、やな奴だったのにね」
健治はどういった心境の変化か理解できないように言った。
「きっと琳太郎先生が、変えたんだ」
直樹はそう言って、階段近くにいる琳太郎の方を見た。琳太郎は愛想笑いをしながら、他の先生達にもこまめに頭を下げている。ようやくこの学校で琳太郎が評価されてきたと思うと、やけに誇らしかった。
始業式が終わり、各クラスのホームルームが終わると、生徒達は帰宅したり、それぞれの部活へ向かった。吹部は午後から練習となっていたので、梅子はトロンボーンとユーフォニアムを楽器倉庫へ取りに行き、中庭へ出た。背が低くずんぐりした梅子が、決して小さくはない二つの楽器を同時に持ち、四階から一階までの階段を降りていくのは重労働だった。それても梅子は中庭が好きだった。今日のように授業がなく、閑散とした屋外で吹く開放感はなんとも言えなかった。
「ねえ。吹部なんでしょ、あんた」
二人の女子が梅子に話しかけてきた。身長や雰囲気から、三年生だとすぐに分かった。
「そうですけど」
梅子は警戒しながら答えた。
「西関東大会とか何。ガチでやってんの」
ショートヘアの女子の方がせせら笑った。
「熱血王子に乗せられてるだけなのに」
髪を編み込みにした女子の方も侮蔑を込めてニヤニヤした。
「私達、真剣にやってるんです。邪魔しないでください」
梅子は勇気を振り絞って言ってみせた。
「はー? 真剣とかウザッ」
「何、目指してんの?」
「全国だよ。ぜ、ん、こ、く。キャハハハハ」
二人はバカ笑いを続けた。梅子はそれ以上何も言えなくなって、下を向いてしまった。
「ねえ、あれ」
北校舎四階の第二音楽室にいた直樹がベランダに出て、中にいる怜に声をかけた。
「梅ちゃんが絡まれてる」
直樹は中庭を指差し、険しい顔で言った。怜は黙ってその様子を見た。三年女子達の声は四階までよく聞こえた。
「うちらがいた頃とはずいぶん違うんだねー」
編み込み女子がしつこく梅子に話しかけた。
「ほんとほんと。あー、辞めてよかった」
ショートヘア女子が意地悪く言った。
「あの人達、吹部にいた三年なんだ」
直樹は事情を察して呟いた。直樹は、一つ上の先輩達のことを知らない。ただ、二つ上の先輩達が、揉めて全員辞めたと言っていたのは聞いていた。どんなふうに揉めたのかまでは知らない。きっと部活の方針で意見が食い違ったんだろうと想像していた。
直樹は怜とともに第二音楽室を出て、階段を駆け降りた。昇降口を出ると、直樹だけ先に三年女子達の前につかつかと歩み寄った。
「三年生ですか? 俺たち真面目に部活やってるんで、そういうこと言うのやめてもらえますか?」
梅子の前に立ち、直樹が真剣な顔で言った。
「は? 何こいつ」
ショートヘア女子が鼻で笑った。
「応援してもらいたいです。お願いします」
直樹は頭を下げた。
「うわ、なに、こいつも吹部? きっしょ」
編み込み女子が腕を組んで近づき、蔑むように笑った。
「そうです。俺たち、全国目指してるんです」
三年女子達は手を叩いて爆笑した。直樹は黙って二人を睨み続けた。
二十メートルほど離れた場所で、怜は抱えていたスポーツバッグの中をガサガサと漁った。野球ボールを三つ取り出すと、大声で呼びかけた。
「おい、そこの三年のババアども」
怜は今度は三年女子に向かって叫んだ。二人は小うるさいハエを見るような目で怜を睨んだ。梅子と直樹も驚いてこちらを見ている。
「なんだ、このガキ」
ショートヘア女子が怜の方を見ながら悪態づいた。
「うちの大事な副部長様が、世話んなったなあ」
怜が野球ボールを手の中でもてあそびながら言った。
「うるせーよバカ」
今度は編み込み女子の方が怒鳴り返した。梅子はハラハラした様子で、怜の動向を見守ってる。怜が梅子と直樹を見て、顎をしゃくった。二人はそれに気づいて、トロンボーンとユーフォをそれぞれ抱えてわきに避けた。
「一投目。足」
怜はそう言うと、ボールを右手に持って左手をそえ、右足を高く振り上げた。三年女子達は怯んで両手で顔を隠そうとした。怜はそこから流れるように曲げていた右肘を前方にまっすぐ伸ばし、ボールを投げた。ボールは勢いよく地面に向かって直進し、ショートヘア女子の左足の甲から十センチも離れていないであろう地面に激突した。ボールは後方へバウンドし、背後のネットフェンスにぶつかった。ガシャーンと派手な音を立てて跳ね返り、ボールは小さくバウンドして、中庭の池に落ちた。ショートヘア女子は恐怖で口を開け、編み込み女子の顔を見た。それから我に帰ると、憤怒の形相で怒鳴った。
「何すんだ、このクソガキ」
直樹は驚きと称賛を込めて怜を横から見た。何も言えずに口をパクパクさせた。
「二投目。肩」
怜はそう言うと、さっきと同じピッチングフォームで投げた。ボールは再び勢いよく進み、今度は編み込み女子の右肩すれすれの位置を通り、後方の地面で激しくバウンドした。ボールは同じようにネットフェンスに音を立ててぶつかって跳ね返り、小さなバウンドを繰り返すと茂みに入った。編み込み女子は目を見開いてフリーズしてしまった。
「三投目。顔。どっちの方が、腐ってんかな」
怜は切れ長の目でロックオンした。三年女子達が逃げ出す前に素早く投げた。ボールは女子達の頭すれすれを飛び、ネットフェンスの前にある大きなケヤキの幹に激突した。ハト達が盛大な羽音を立て、一斉に空へ舞い上がった。三年女子達は足をもつれさせつつ、罵詈雑言を吐きながら、どこぞへずらかった。何ごとかと、体育館の方から何人かの教師達が駆けつけてきた。
「お見事…」
直樹は複雑な感情を織り交ぜながら、でも口角を上げて不自然に笑った。怜は直樹の方を見向きもせず、喚き散らす教師達に大声で言った。
「スズメバチがいたんで、駆除しときました」
教師達は驚いて周りを見回した。
「まだいるのか? 巣はどこだ」
「もう大丈夫っす、二匹だけだったんで、もう駆除終わりました。お疲れっした」
怜はそう言って教師達に軽く会釈した。教師達は腑に落ちない顔をして、校舎の方へ行ってしまった。怜は今度は梅子の方に向き直った。
「おい、梅子」
怜は怒鳴った。梅子はびっくりしてかしこまり、怜をまっすぐに見た。
「はい、何でしょう」
「嫉妬する奴なんかに構うな」
怜は鋭い眼力で梅子を見た。梅子も怜を見つめ返した。直樹は二人を交互に見た。
「はい」
梅子は声を震わせた。
「もっと堂々としろ。胸を張れ。あんなんに負けんなよ」
怜はそう言うと頭をかいて、再び階段を上っていってしまった。直樹は手を振って、怜の後を追った。
「ありがとう、怜」
梅子は目に涙を溜めて言った。
つづく




