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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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鳥飼家

ようやく退院の許可がおりた。琳太郎が病院の玄関を出て、両腕を広げて伸びをすると、駐車場から手を振る姉と史門が立っているのが見えた。琳太郎が駆け寄って史門の頭を乱暴に撫でると、史門は嫌そうに手を払い除けた。

「遠くまでありがとう」

琳太郎が車の助手席に乗って言うと、姉が運転しながら微笑んだ。

「大変だったね」

「病院は退屈だったよ」

琳太郎は久しぶりの外の世界が嬉しくて、助手席から見える風景の移ろいを楽しんでいた。史門は何も言わずに後部座席に座り、大あくびをしていいた。

「お父さんが、すごくヤキモキしてる」

姉が困ったように笑った。琳太郎の姉は母に似ている。明るい栗色のミディアムヘアで、前髪をセンターで分けている。面長の顔はやや彫りが深く、鼻と口が大きく、やや太い眉毛、意思の強そうな目をしていた。

「なんで」

琳太郎が聞いた。

「そりゃーお見合いの話、蹴ったからでしょう」

「あー。それか」

「私なんかあんたの年の時、もう史門がいたもん」

「そうだよね」

琳太郎は頷いた。雛形が自宅のアパートに泊まった時、牡丹が押しかけてきたが、あの後すぐに牡丹を連れ出し、破談にしてくれるよう詫びを入れた。それでも牡丹はしつこくて、県大会の前日にも突撃してきたし、病室にも見舞いに来た。完全にシャットアウトしようと、琳太郎は取り合わなかった。両親にも話を白紙に戻すと伝えたし、竹田にも謝罪した。

後部座席を振り返ると、史門が軽いいびきを立てて眠り始めた。

「私はずっと、あんたが羨ましかった」

姉は遠い目をして言った。琳太郎は姉の横顔を見た。

「自分にない才能が、歳の離れた弟にはあって。ずっと嫉妬してた」

琳太郎は黙って聞いた。姉はため息をついた。

「ああ、ごめんね。こんな話するの、久しぶりで」

「いいよ」

琳太郎は穏やかな声で返した。窓から見える太陽は光の筋を伸ばし、地上の樹木や家々を明るく照らしていた。

「姉さんが、今は幸せそうでよかったよ」

姉は少し考えながら言った。

「うん。そうだね」

姉は自分に言い聞かせているような言い方をした。

「史門のやつ、部活中は女子にいっつも怒られて、泣かされてるんだぜー」

琳太郎がルームミラー越しに寝ている史門を見て、目を細めて言った。

「えー、そうなの。家じゃ全然、そういうの話してくれないんだよ。西関(にしかん)のことだけは浮かれて話してくれたけど。琳太郎先生、いつも息子がお世話になっております」

姉は正面を向いたまま、笑いながら頭を下げた。

「いーえ、こちらこそ。中一男子なんてそんなもんだろ。こいつと同じホルンに可愛い子がいるんだよ。肝が座っててさ。努力家でさ。史門より上手くて、言い訳ばっかしてるこいつのこと、ずっと尻叩いてくれてる」

「へえ」

姉は楽しそうに話す琳太郎を見て、嬉しそうにした。

「生徒の話をするときの琳太郎って、こんなに生き生きしてるんだ」

「そう?」

琳太郎は自覚が無く、意外そうにした。

「なんか、先生みたいじゃん」

「いや、先生だし」

琳太郎が怪訝な顔をしつつ笑う。姉は声を立てて笑った。

「義兄さんは?」

琳太郎は別の話を振った。

「今日は来ない。仕事だよ」

「そうか」

「あの人、いっつも仕事なんだよねー」

姉は寂しそうに言った。

「あんたは結婚したら、仕事優先しちゃ駄目だよ。奥さんに逃げられるよ」

「うん」

「秀平みたいなのも駄目だよ。親の会社で働いてる奴なんか、自立できちゃいないから」

姉は臭いものを嗅ぐような顔をしてみせた。秀平というのは琳太郎の兄のことだ。

「でも、兄さんがいてくれるおかげで父さん達も寂しくないんじゃない」

琳太郎が呑気に言った。

「それはあるけど。琳太郎が一番かっこいいよ」

姉が達観したように言った。琳太郎は姉の方を見たが、何も言わないことにした。


琳太郎達は実家に着いた。実家は見事な佇まいだった。広い敷地は高い柵で囲まれ、芝生を敷き詰めた庭と大きなガレージがあり、複数台ある高級車が横並びに格納されていた。芝生の庭には背のやや低い樹木が取り囲み、中央には過去に父親がスペインから取り寄せたオリーブの大木が、邸内のシンボルツリーとして根を下ろしていた。家屋はやや年季の入った二階建ての大きな輸入住宅で、白亜の壁にミントブルーのとんがり屋根を乗せている。家屋正面の中央には堅牢な観音開きの玄関扉があり、その両サイドにはギリシャの神殿を彷彿とさせる白い柱が天を突くように伸びていた。

史門を起こして玄関扉を開けると、母が出てきた。

「琳太郎、退院おめでとう。麗華、ちょっと手伝って」

「はい」

母は姉に呼びかけて、キッチンに戻って行った。琳太郎は玄関で靴を脱いで上がると、吹き抜けになっている廊下を通り、アールを描くエレガントな階段を上った。二階に上がると、自分がかつて使っていた部屋がある。中に入ると、部屋にはベッドとサイドボードだけが置いてあり、カーテンが閉め切られ、隙間から日光が漏れていた。

琳太郎はベッドに座り、サイドボードに目を向けた。そこには昔の写真がたくさん並んでいた。まめな母が写真立てに納め、残しておいてくれたのだろう。琳太郎は順番に眺めた。生後間もない頃の、ほぼ裸で母に抱き抱えられている写真。初めてのピアノコンクールに出場した時の写真。中学に入学したときの写真。ウィーンに留学した時の仲間たちとの写真。元婚約者との写真。

琳太郎は元婚約者との写真を写真立てから引き抜くと、しばらくの間見つめていた。かつての恋人は隣の琳太郎の腕に自分の腕を絡ませ、優しそうな目で微笑んでいる。琳太郎は目を離すと、それをゴミ箱に捨てた。

母に呼ばれ、一階に降りた。ダイニングテーブルに料理が並べられている。姉と史門のほか、兄一家も来ていた。兄も姉と同じく母似だが、顔が横に広くエラが張り、大柄で筋肉質な体をしていた。父もちょうど帰宅した。

皆で夕食を囲むと、大人達はリビングに移動した。兄の妻である義姉は、幼い我が子と史門とともに、和室へ行った。

「久しぶりにみんな揃ったな」

父が開口一番言った。琳太郎の容姿は父譲りだった。琳太郎と違うのは、長きに渡って鳥飼製紙株式会社の代表取締役社長の椅子に座り、厳しい局面を乗り越えてきた経験から、顔には深い年輪が刻まれていた。昔から威圧感がある喋り方は変わらないなと、琳太郎はしみじみ思った。

「それで俺が聞きたいのは、琳太郎。お前はこれからどうするつもりだ」

「どうもこうもないけど」

琳太郎はひょうひょうと言った。

「竹田さんとの縁談を断って。どうせまた選り好みしてるんだろう」

父はけしからん、と言わんばかりの口調で、グラスでブランデーを飲んだ。

「まさか、あんなにしつこい人だと思わなくてさ」

琳太郎がうんざりしてブランデーに口をつけると、母が吹き出した。

「女に不自由しないと思っていても、お前ももういい歳だ。早く結婚してくれないと困る」

「別に困らないでしょ。会社には兄さんがいるし」

「そういう意味の困るって話じゃねえんだろ」

兄はウイスキーでハイボールを作りながら、笑って口を挟んだ。

「そうだ。お前自身の身の振り方の話をしているんだ」

父は力を込めて言う。

「俺は普通に教師としてやってますけど」

琳太郎は敬語に切り替え、よそよそしく言った。

「音楽教師で食えるのか」

「食えてますよ。この家の収入には及ばないけど」

琳太郎は気楽な調子で言った。

「うちに来てもいいんだぞ」

「行きません」

琳太郎はピシャリと言い放った。両親が経営する会社なんて真っ平だ。

「いつ結婚をする」

父はさらに迫ってくる。

「今は教師の仕事に集中したいんです。これ以上楽しい仕事はありません」

琳太郎は堂々と言った。

女神ミューズがいるしねえ」

母が寝ている姪を抱きながら言った。姪は兄の末子で、まだ生後半年足らずだ。

「何?」

父は母の方に向き直った。姉と兄は好奇心に満ちた目で琳太郎を見る。

「えー誰誰。その話」

姉がコーヒーカップをソーサーに置き、声を弾ませて聞いてきた。

「なんだよ。紹介しろよ」

兄も乗り気だ。

「振り向かせるのに手間取っています」

琳太郎は口をすぼめて、事実を言った。姉も兄もニヤニヤして琳太郎を眺めた。

「まーな。顔だけじゃ釣れない女もいるからな」

兄が野太い声で豪快に笑い、ハイボールを美味そうに飲んだ。琳太郎はじっとりした目で兄を睨んだ。

「最初に言っとく。婚約破棄も、見合いの破談も、今後は一切無しだ」

「分かってますよ」

琳太郎は父と目を合わせず、背筋を伸ばして言った。

「心に決めた女がいるなら男らしく、すぐに連れてこい。話はそれだけだ」

父はそう言って、書斎へ行ってしまった。姉はため息をついて顔を傾げ、琳太郎を見やる。

「早く、あんたにも幸せになってほしいんだよ」

琳太郎が黙って頷くと、視界の隅から視線を感じた。史門がドアの隙間からこちらを覗いていた。

帰りがけ、母が玄関先まできた。

「兄さん達は泊まっていくの?」

琳太郎が聞いた。

「うん。おばあちゃんは、孫のお世話で大忙し」

母は快活に笑って言った。

「仕事はどうしてるの」

「会社の子に任せてあるから大丈夫よお」

母は祖母としても一企業の役員としても、貫禄を見せて微笑んだ。

「琳太郎」

父が書斎から出てきた。琳太郎は顔をあげて父を見る。いつも厳格な顔をしているが、ますます厳格な顔をしてみせた。

「もっと家に顔を出しなさい」

庭先から、姉が車のクラクションを鳴らし、琳太郎を呼んだ。

「分かりました。それじゃ」

琳太郎が父の顔をまっすぐ見た。厳格ななかに、一抹の寂しさが込められているのを、琳太郎は感じた。父は顔を横に向けて咳払いすると、早く行けとばかりに手を払ってみせた。琳太郎は玄関を閉めると、姉の車に乗り込んだ。

つづく

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