メッセージ
人工呼吸器を外され、自発呼吸ができるようになった琳太郎は、集中治療室から一般病棟へ移された。日当たりのいい南向きの部屋で、琳太郎はベッドに横たわっていた。
「気づいたのね」
母が見舞いにやってきた。
「よかった。本当に心配したのよ、あなた。私達より先に死ぬんじゃないかと思ったわよ」
母は迫力ある大きな声で笑い飛ばし、琳太郎の頬を軽く小突いた。琳太郎は脱力したまま笑った。それから大きな封筒を手にして、琳太郎の前に差し出した。
「琳太郎先生、郵便が届いております」
母はふざけて敬礼した。
「何?」
琳太郎の声はガサガサで、ほとんど出せなかった。
「開けてみるわねー。ほらっ」
母が袋から正方形の厚紙を取り出した。ひっくり返してみると、厚紙の正体は色紙だった。生徒が書いた寄せ書きで、色とりどりのカラーペンで書かれていた。綺麗な字もあれば汚い字もあった。キラキラ光るハートのシールやカボチャのシールも貼ってあった。真ん中には琳太郎の似顔絵が描いてあった。
”琳太郎先生、一日も早く元気になってください”
”先生が退院してくれる日まで練習頑張ります”
”先生のお見舞いに行けなくて残念”
”目指せ西関、琳太郎交響楽団ファイト”
”言っときますけどハンサムクラブは不滅なんですよね”
琳太郎は黙読した。ゆっくりと頬の筋肉を持ち上げ、笑ってみせた。
「あなたも今どき、随分と人望があるのねえ。熱いわあ。若さを感じる」
母は色紙を見つめ、感心して言った。
「スマホ…」
琳太郎がガサガサ声で言った。母はベッド脇にある机の引き出しから琳太郎のスマートフォンを取り出す。
「はい。通話は禁止よ。どうせその声じゃ電話もできないでしょうけど。ちょっと出てくるわね」
琳太郎にスマートフォンを手渡すと、病室を出て行った。母が充電しておいてくれたようで、待受画面にはたくさんの通知が届いていた。ほとんどが牡丹からのメッセージや着信で、メッセージはすべて未読無視することにした。少し意外だったのは、史門からのメッセージもあった。『おじさんの事みんな心配してる。早く良くなって』とあった。雛形からの通知は一件も無かった。琳太郎がため息をつくと、病室のドアが勢いよく開いた。そこにいたのは牡丹だった。
「琳太郎さん…無事でよかった…!」
琳太郎は、涙ぐんでいる牡丹を見て凍りついた。どうしてこの女はこんなところまで追いかけてくるのだろう。自分の何がいいのだろう。琳太郎は身振り手振りで、声が出せないことを伝えた。
「そっか、人工呼吸器入れた後って、声、出ないんだよね。さっき廊下でお母様に会って聞いたよ。本当に危なかったのね…。いいよいいよ、無理して喋らなくて。安静にしてて…」
牡丹が布団越しに、胸のあたりを撫でた。さらに、悲劇のヒロインのように涙をボロボロ流す。琳太郎はスマートフォンの画面を開き、メモ帳アプリを呼び出した。そこに文を打ち込んだ。
『きてくれてありがとう。でももう大丈夫です』
打ってから、牡丹に画面を見せた。
「大丈夫なわけないでしょ。喋れないんだから。いつ退院できるの? ここって面会時間は何時までだっけ?」
牡丹は矢継ぎ早に聞いた。琳太郎は再び文字を打つ。
『休みたいので帰ってもらえますか』
「んー、そうだよね。じゃあ、琳太郎さんが寝つくまでそばにいるよ。ね」
牡丹は甘ったるい声を出して言った。琳太郎はだんだんイライラしてきた。
『帰ってほしいって言ってるんですけど』
「そんな言い方しないで、琳太郎さん」
牡丹はすねて、琳太郎の手を取った。
『前にも伝えた通りです。あなたとのお見合い話は無かったことにさせてください』
琳太郎は厳しい眼差しを向けた。牡丹は下を向く。
「でも、私はまだ、好きだもん。だからお見合いとかそういうのはもういいの。出会えたきっかけにはなったし感謝してる。改めて、友達からまたお付き合いさせてもらいたいの。それならいいでしょ」
牡丹はさりげなく胸の谷間を寄せながら言った。
『お帰りください』
「帰らない」
牡丹は頑なに言った。
『帰れ』
琳太郎は高速で文字を打つと、牡丹の手を払いのけた。牡丹はショックを受けて立ち上がった。顔を真っ赤に腫らしている。
「バカ!」
牡丹は病室から飛び出して行った。琳太郎は深呼吸した。メッセージの画面を開き、文字を打った。
雛形が自宅のリビングのソファに寝転がり、ぼんやりしながら過ごしていると、スマートフォンがバイブした。画面を確認すると琳太郎からだった。雛形はとっさに体を起こし、急いでメッセージ画面を開く。『雛形先生、無事に生還しました』と書かれていた。雛形は顎を手で強く掴み、画面を凝視した。みるみるうちに目が潤んだ。すぐに返信しようとしながら、指先がどの文字を打つべきか迷い出した。同僚として、最もふさわしい言葉は何か。迷惑にならない言葉は何か。考えていると、次のメッセージが飛んできた。
『先生が救急車呼んでくれて助かりました』
さらにまた飛んできた。
『今は声が出なくて喋れないんです』
まだ飛んできた。
『先生のお粥食べたい』
まだまだ飛んできた。
『フーフーとアーンは無料にしてもらえませんか』
雛形は声に出して笑った。画面の向こうで琳太郎が息つく間もなく打っているのが分かった。
琳太郎は病室で、メッセージを送り続けた。一文送るたびに送信して、すぐに既読がついた。雛形が画面を開きっぱなしにして見ているのが分かって、嬉しくなった。早く声を聞きたかった。
『生還おめでとうございます』
雛形からの返信がようやく飛んできた。相変わらず硬派な文面で可愛げがない。でも、可愛げがないところが可愛げがあると琳太郎は思った。メッセージを再び打つことにした。
雛形がスマートフォンの画面を見ると、またしても琳太郎からメッセージが飛んできた。
『早く結婚しましょう。いつでもどんなときでも面会できます』
雛形は画面をじっと見たまま指の動きを止めた。また琳太郎の悪い癖だ。こうやって私を傷つけていく。もういい加減にしてほしい。そういうのは要らない。
雛形はそれ以上の返信はせず、スマートフォンの画面を切った。
琳太郎は最後に送ったメッセージが既読になったまま返信がないので、画面を閉じた。
「どう、彼女から連絡はあったの」
母が病室のドアの近くに立ち、薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。
「あったよ」
琳太郎はガサガサ声で返した。
「ふうん」
母は訳知り顔で言った。
「すごく可愛いんだ」
琳太郎はさらに言う。
「そお」
母はわざとらしく驚いてみせる。
「俺の天使で、女神なんだ」
琳太郎はまだ言う。
「ラブラブで羨ましい限りだわ」
母は腹を抱えて盛大に笑った。
つづく




