ミドスイ
お盆休みが明けて、吹部達は学校にやってきた。早くも「西関東大会出場」の垂れ幕が南校舎の壁にかけられており、一同は感動した。第二音楽室に全員揃うと、雛形が見回した。
「みんな、少しの間だったけど久しぶり。琳太郎先生が、危機を切り抜けました」
雛形が一人で拍手すると、皆はすぐに状況が掴めなくて突っ立っていた。遅れてパラパラと拍手が起こり、一斉に拍手が上がった。
「本当ですか」
響は半泣きで聞いた。
「本当だよ。ごめんね、不確かなことは言えないから黙ってたんだ。みんなで書いた色紙のおかげだね。まだすぐには退院にならないから、先生無しでも頑張りましょう」
雛形が言うと、部員達は元気よく返事した。何だか自分で言ってて変だなと雛形は思った。ついこの間まで、全国を目指すなんて無茶だと言っていたのだ。忙しい部活の副顧問になんかなりたくないと本気で思っていた。それが今はどうだろう。雛形はさらに説明をする。
「前に少し話したけど、定期演奏会を秋にやります。全国大会の後だから、練習の時間は取れると思う」
「いつですか」
直樹が聞いた。
「十一月の文化の日です。最終的な決定は琳太郎先生がするとして、どういう曲をやるか、みんなで案を出しておきましょう。コンクールの練習は、一旦お休みね」
音羽が手をあげた。
「私はオリジナルの曲をやりたいです」
「オリジナル?」
雛形が聞き返した。周りも何ごとかとザワザワした。
「はい。私、作ってきました。本当はもっとたくさんあるんですけど、演奏しきれなそうなので一つに絞りました」
音羽がノートパソコンを開き、音源を再生した。一同は驚き呆れて、口々に音羽を称賛した。直樹はこの曲を覚えている。デモテープの一番最後に入っていた、アップテンポな曲だ。タイトルを思い出して直樹はクスリと笑った。ふと、音羽の方を見た。どんどん具合悪そうな顔になっていく。
「おいみんな、朱雀さんのことは褒めるなよ。褒めるの禁止な」
直樹が真顔で制するので、皆は一斉に笑った。
「琳太郎先生にもぜひ聞いてもらいましょう」
雛形が目を見開いて言った。雛形は音楽ファイルを音羽から受け取り、自分のパソコンから琳太郎に送信した。
琳太郎の体調はしだいに回復し、入院生活は落ち着きつつあった。毎日の検査や診察が済むと、ほぼ自由時間になる。これまでずっと突っ走ってきたこともあり、たくさん寝られていい休養になった。まだ声を出すのが辛いが、室内でゆっくり過ごすことはできた。母にパソコンを自宅から持ってきてもらい、イヤホンを装着すると、県大会のビデオを再生した。
演奏をチェックすると、部員達の出来は予想以上だった。あのときの自分は意識が混濁していてさっぱり覚えていないが、合宿の成果が出ており、いかに観客に美しい音色を届けるかを意識しているのが伝わってきた。他校に比べると音圧やハーモニーの豊かさで劣るものの、演奏の質自体はなかなか良く、地区大のときに比べれば精度は上がっていた。
課題曲ではクラリネットの音色に透明感が生まれ、ピッコロの音色はより軽く柔らかさが加わった。ホルンの音の粒はよくまとまっていて、トロンボーンの音はより力強く前面に出てくるようになった。チューバはメトロノームのように安定感が増し、バスドラは全体を導く役割をしっかり果たすようになっていた。
自由曲では公彦がトランペットソロをミスなくやり抜き、金管楽器全体の華やかさが増した。今回最大の山場だった「ビドロ」のユーフォのソロは叙情的で、美しくホールに響いていた。梅子に無理をさせてでもトロンボーンから変更した甲斐があったと感じた。アルトサックスは音の豊かさが増した。銀之丞はかなり集中できていて、ティンパニの音を外すことなく、ドラマチックに音を創っていた。バスクラリネットの大輝も竹田に死ぬほど鍛えられた成果が出て、輪郭のはっきりした木管の大黒柱としてなかなか良い仕事をしていた。直樹が全エネルギーを注いだ、あの情熱的で滑稽でドラマチックな新解釈は、しっかり生きていた。
改善点があるとすれば、もう少しリラックスして演奏することを覚えた方がいいだろうと、琳太郎は思った。特に公彦があがり症なので、そこを乗り越えられればもっと良くなる。それと、大編成用にセッティングしたであろう音響反射板の位置も気になった。主催側が融通を利かせて、小編成用にもう少しコンパクトに設定してもらえたら良かったのにと思った。
演奏を聴いた後で、副校長に送ってもらった審査員の講評を見た。琳太郎の考えていた評価とほぼ一致していたが、一つ気になる点があった。
『人数的に難しいのかもしれませんが、弦バスがあると弱奏時により豊かな響きが生まれると思います』
琳太郎は口を真一文字にして、腕を組んだ。弦バスとはコントラバスのことだ。ピアノをのぞく弦楽器最大の楽器で、低音域から中音域を奏でるが、ミド中吹部にはコントラバスはいない。弦楽器の持つ、柔らかく優雅な響きが加われば良いと、以前からずっと思っていたことだ。楽曲全体によりメリハリを与えるためにも必要な楽器だった。そもそも、今の吹部には低音楽器が足りていない。それを言ったら何もかも足りていないが、ファゴットやバリトンサックスも欲しいところだ。来年度は絶対に増員しなければと、心に誓った。
琳太郎が一息つくと、雛形からメッセージが飛んできた。一緒に音楽ファイルも添付されている。
『先生に聴いてもらいたいものがあります』
琳太郎がファイルを開くと、聴いたことのない曲が再生された。パソコンで打ち込みした音のようで、生楽器の音ではない。明るくて開放感と疾走感があり、ワクワクするようなメロディーラインが魅力的だった。安定感のあるベースラインとパーカッションの軽快さもあり、全体的なバランスが良かった。琳太郎はメッセージを打った。
『ザ・青春っていう感じで、いい曲ですね。何の曲ですか』
雛形が画面を開いて待っているところに、琳太郎から返信があった。雛形は音羽が作曲したものだと打ち、メッセージを投げた。
『あいつはやっぱり只者じゃないと思ってた。変態ですね』
琳太郎からの文面を見て、音羽はにんまり笑った。変態と呼ばれて嬉しがっている姿に、直樹は吹き出した。雛形は、これを定期演奏会でやりたいとメッセージを投げた。
『もちろんやりましょう。時間をかけて丁寧に創っていきたいですね』
琳太郎からOKの返信が届いて、一同は拍手した。音羽の顔色がまた悪くなってきたので、直樹が「変態! 変態!」とコールすると、皆もコールした。音羽に笑顔が戻ってきた。
雛形は皆の見てる前でメッセージを打つ。
『朱雀さんもみんなも今、ここにいます。喜んでますよ』
『音羽、これの曲名は?』
琳太郎から返信が来た。
「ミドスイ」
音羽が答えた。
「どういう意味なの?」
雛形が聴いた。
「そのまんまですよ。緑谷中学吹奏楽部、の略」
音羽が平然と答えた。皆がどっと笑った。笑いのなかに嘲笑の響きはなく、心からの肯定と喜びが込められていた。雛形がメッセージを打った。
『最高。俺達のテーマ曲だね』
琳太郎から返信があった。直樹が今度は「ミドスイ! ミドスイ!」とコールした。皆も一斉にコールし出した。雛形もそれに混ざった。
『俺も早くそこに戻りたい』
琳太郎からの、心からの言葉だった。皆は互いに顔を見合わせて、少し笑った。雛形も返信を打った。
『みんなで、先生の復帰を楽しみに待っています』
つづく




