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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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合宿《前編》

夕方のミーティング時、部員達が集まると雛形がプリントを配って説明した。

「ここに書いてあるけど、明日の集合時間はかなり早いからね。遅れないように。夏でも冷えるかもしれないから、着替えは多めに。酔い止めも必要な人は持ってきて。海で泳ぐ時間も取れると思うから、泳ぎたい人は水着を忘れずにね」

部員達は元気に返事をして、帰り支度をした。少し経って、副校長が琳太郎を職員室に呼び出した。

「昨今、子どもの水難事故が多発している。今日、訓練をしていきなさい。使い方は分かってるね」

海辺の宿で合宿するとの報告を受けて、琳太郎にDVDと肩掛け式のケースを手渡した。

「はい」

「くれぐれも、事故に気をつけて。問題を起こさないように」

「はい」

「乱痴気騒ぎなんか絶対にだめだよ」

「はい」

「生徒達だけでなく、琳太郎先生と雛形先生もです。二人ともまだ若い。不謹慎なことはしないように」

「はい」

「絶対だよ」

「はい」

副校長が念押しするも、琳太郎はロボットのように返事した。副校長の表情が険しくなり、頭上の被せ物がずり落ちそうだったので、琳太郎は急いで退散した。第二音楽室に戻ると、直樹と梅子、雛形が待っていた。

「何ですか、それ」

直樹がケースを指さして聞いた。

「心肺蘇生訓練人形、ってやつだ。雛形先生、これ、セットしてもらえます?」

雛形がDVDプレイヤーにDVDを入れ、再生ボタンを押した。琳太郎は床の上でケースを開き、人形を取り出した。腕のない上半身のみの人形で、気道確保や人工呼吸、胸骨圧迫の練習ができる人形だ。

ディスプレイには、「水難救助訓練」というタイトルが表示された。

「ちょうどいいや。部長と副部長も見ていけよ」

「はい」

二人は大人しく従った。ビデオを見た後は、琳太郎が人形の使い方をレクチャーした。

「直樹。上手だな」

琳太郎は感心して褒めた。直樹が人形の口を塞いで人工呼吸をしてみせると、一発で人形の胸は膨らんだ。

「なんか、フルートと違って息が全部入ってくれるのがいいですね」

直樹は充実した表情になり、笑ってみせた。


翌朝、ミド中吹部は夜明け前に学校に集合した。全員ジャージを着て、バスの中でおしゃべりしたり、お菓子を食べたり、思い思いに過ごしている。直樹は噛んでいたガムを捨てようとポケットからティッシュを漁ると、シロクマの刺繍入りハンカチが出てきて、男子達に爆笑された。

「姉ちゃんのと間違って持ってきただけだよ」

直樹は恥ずかしさを押し殺して、怒って言い訳した。

「ですよね。こないだの史門のババ臭いハンカチよりマシですよね」

大輝がそう言うと、直樹に小突かれた。史門はそっぽを向く。

「みんな、地区大のビデオ見るぞ」

琳太郎が前方の席から呼びかけると、車内に緊張が走った。ビデオが再生されると、一同は通路上部にあるモニター画面に注視した。ソロプレイヤーだけ上手い学校とか、リズム感のいい学校などもちらほらあったが、上位の鳴沢学園と灰原東中、藍原中はやはり上手かった。いずれも50人編成で、演奏に落ち着きがあった。

「うちは藍原には勝った。鳴沢と灰原には県大で勝つ」

画面に食らいつき、いちごベーグルにも食らいつきながら、健治が勇ましく言った。

「勝つとか負けるとか、サッカーじゃないんだから。いい演奏をした方が西関にいけるの」

梅子がたしなめた。

「おんなじことだろ」

怜はそう言いながら、まるで敵の戦闘力を推し量るかのごとく、鳴沢学園のトロンボーン奏者をガン見した。

「俺達が最強だよ」

直樹は落ち着いて言った。それは皆ではなく、自分自身に向けて言っていた。まさか、たったの三ヶ月で自分達がチームとしてまとまって、地区大会を勝ち上がるなんて思いもしなかった。だが、現実にそれは起きている。直樹はシロクマのハンカチを握りしめて、さらに言い聞かせる。

「琳太郎先生がいるんだから」

画面の中では、琳太郎の指揮する姿が再生されていた。


バスは高速道路を通って、インターチェンジを降りると、曲がりくねった細道をぐんぐん進んだ。途中で市街地を通り、川を渡り、トンネルを抜け、海沿いの道へ出た。抜けるような青空と白い雲、光り輝く水平線がバスの窓枠いっぱいに現れた。生徒達は興奮して歓声を上げた。

「海だー!」

埼玉県民は海に興奮する。海のない県に生まれた(さが)だ。琳太郎と雛形はその様子を微笑ましそうに見る。バスは海岸線に沿って進み、背の高い柵で囲まれた敷地へと入っていった。

「本当にこんなところに泊まるんですか?」

午前中のまだ早い時間にバスが停車すると、おそるおそる、直樹は琳太郎に聞いた。

「そうだ。楽しくやろうな。よし、トラックから荷物を下ろすぞ」

琳太郎はこともなげに指示を出し始めた。バスから降り立った直樹は、健治と一緒に建物の前に立って呆然となっていた。それは広いアスファルトの庭の中央に立っていた。白い木造アパートのような建物で、あちこち塗装がはげている。本当は鮮やかな緑色だったであろう窓の木枠は色褪せ、玄関の上に設置された看板は錆だらけで文字が読めない。さらに、縦長の建物が隣接していて、それもまたなかなかの年代物だった。コンクリートがところどころはげ落ち、ツタ植物に覆われていた。敷地の南側は緩やかな傾斜地になっていて、そこを下っていくと松が幾重にも植えられている。奥に海岸があるため、防砂林の役目を果たしているのだ。

「海はいいけど、ここはお化け屋敷なんじゃないの」

健治が怖がって聞いた。

「うん。本当に出そう」

「ホッホッホッ。何にも出ませんよ」

突然の老婆の笑い声に、健治も直樹も飛び上がった。目の前には背中がやや曲がった老婆が立っている。真っ白な髪で髷をつくり、丈の長い薄紫のワンピースを着、指には大きなアメジストの指輪をはめ、ヒールのない白いパンプスを履いている。賢そうな目をして、気品があった。

「大丈夫、亡霊じゃないわよ。ほら、足は生えてるでしょう」

老婆が自分の足を指差しながら、ニッと笑った。直樹と健治はお互いの手を取り合いながら、ぎこちなく首を縦に振った。

「こんにちは、緑谷中学校の鳥飼です。よろしくお願いします」

琳太郎がそばに寄ってきて頭を下げた。老婆も会釈した。

「いらっしゃいませ。鈴やホテルにようこそ。支配人の磯貝です。ご案内しますね」

「いい天気ですね。見晴らしも最高だし」

「カラッと晴れた後、突然の嵐が来るときもあるんですけどねえ。さあ、どうぞ」

磯貝がドアに近づくと、中から数人のスタッフが出てきて、観音開きのドアを開けた。ドアの脇に立った磯貝は、先に通るよう促した。健治は恐ろしくなって直樹の腕を掴んだ。梅子はその様子をせせら笑った。

玄関をくぐると、そこそこ広いロビーと受付カウンターがあり、正面奥には階段とエレベータがあった。白を基調にしたロビーにはいくつかテーブルとソファが置かれていて、それぞれ古ぼけていたが、よく掃除が行き届いていた。あちこちに置かれたトックリヤシの鉢植えとラタンのルームランプが、南国情緒を演出していた。

「外から見たらお化け屋敷なのに、わりと普通だった」

直樹がボソリと言うと、磯貝が大笑いした。

「そうなのよ。期待外れでごめんなさいね、幽霊ホテルじゃなくて」

「外からだとパッと見、ホテルだって分かりませんでした」

琳太郎が正直に言うと、磯貝が品よく笑ってみせた。

「皆様、どうぞこちらに。ご案内します」

磯貝について、皆で隣の建物へ向かった。

「ここは何なんです?」

渡り廊下を歩きながら直樹が聞くと、磯貝が建物入り口のドアを開けて言った。

「当館自慢の鈴やホールを、とくとご覧ください」

二重扉の先は、シューボックス型の立派な音楽ホールだった。三百人は着席できそうな客席があり、最後列からステージ手前の最前列までなだらかな斜面をつくっている。客席の天井には巨大な音響反射板がワイヤーで吊るされ、側面の壁にはくの字型の反響板が設置されていた。ステージの床材には天然木が使われ、天井と両側面に重厚な音響反射板が設置されている。温もりのあるスポットライトに照らされたグランドピアノが、凛とした佇まいをしていた。

「すごい」

直樹は幼な子のように両手をあげて、客席中央の階段を駆け降りた。他の部員達もそれに続く。直樹が「ワー」と声を出すと、皆も真似した。それぞれの声が反射板に当たってあちこちに乱反射し、おかしな残響をつくっていた。部員達は面白がって奇声を出したり、口笛を吹いたりした。

「先代が建てた、私設のホールなんです。たくさんの音楽家や演奏団体が合宿したり、コンサートや定期演奏会などに利用してくださるんですよ。老朽化してますけど、よく鳴ると思います」

「こんな良いところを三日間も使わせて頂いていいんですか」

琳太郎が感激して聞いた。

「ええ。皆さん本当にラッキーですよ。一部メンテナンス中なので演奏会の予定も入っておりませんし。ちょっと業者が出入りしますけど、ご容赦ください。地下にはスタジオもございますので、そちらもどうぞご利用ください」

磯貝がそう言って立ち去ると、琳太郎は頭を下げた。

「メンテナンス中のホールがある宿を見つけるとか、雛形先生のリサーチ能力は半端ないですね」

「交渉も頑張りましたけどね。安く済みました」

吹部の懐具合を知っている雛形がにんまりとして言った。

琳太郎が部員達に向かって手を叩いた。

「おし。楽器運ぶぞ」

全員で楽器をステージに運び込み、位置についた。まずは『春の日を浴びて』から練習を始め、『展覧会の絵』へと続いた。琳太郎が指揮を振ると、そこから湧いて出たサウンドはいつものそれよりも上質で、優雅に鳴り響いた。演奏が終わると、琳太郎は直樹に問いた。

「どうだ、直樹。ここで演奏してみた感想は」

「よく響きます」

直樹は単刀直入に答えた。

「そうか。梅子はどう思う」

「私も、いつもより綺麗に聴こえます」

梅子も素直に言った。

「なるほどな。史門、お前はどう聞こえる」

「上手く誤魔化せてるなって思います」

独特の陰鬱な言い方をする史門を、梅子はキッと睨みつけた。

「実際、それなんだよな。銅賞も銀賞も金賞も、どの学校もいいホールでやればまあまあに聞こえるんだ」

琳太郎が言うと、梅子は少し傷ついたような顔をした。直樹も肩をすくめた。

「それと、録音したやつを聞いてみると、また違う意見が出てくるだろう」

雛形が客席の後方でビデオを回すのをやめ、録画したものを再生した。生徒達はそれを食い入るように見る。

「なんか、こうやって聴くとあんまり大したことねえな」

怜がバッサリ切り捨てた。隣にいた伊久馬も、何か釈然としないものを感じたらしく、首を傾げた。

「うん。なんか冷静になるよね。木管、あんまり聞こえてなくない?」

梅子が眉間と顎に皺を寄せて言った。

「金管が逆にうるさすぎるんじゃない?」

響が、少しムキになって言った。

「こんなにいいステージなのに、みんな芋ジャージっていうのが残念です」

見た目にうるさいまりあが突っ込み、笑いを誘った。

「なんで吹いてる時は、よくないことに気づけないんだろう」

直樹がもっともなことを言った。部員達も静かに頷いた。

「舞台と客席とだと、聞こえ方が全然違うんだよ」

琳太郎が言った。部員達はそうなのか、と意外そうな顔をした。銀之丞が口を挟む。

「なんかバスドラとティンパニ、遅れてるなー」

「そう。それなんだよ。広いステージほど時差が発生するんだ。特にパーカス」

琳太郎が待ってましたとばかりに銀之丞の方に向き直った。伊久馬はショックを受けて、ビデオの方を再び見入る。確かに自分が打つバスドラムの音はワンテンポ、いや半テンポほど遅れてるように聞こえてくる。ティンパニの遅れはよく分からないが、銀之丞が言うから遅れているのだろう。

「音羽先輩のシンバルはあんまり遅れてませんね」

伊久馬が言うと、音羽が口を開く。

「セッティングが悪いのかも。指揮者から離れすぎないようにしよう」

「それなー。ちょっと調整しよー」

パーカスの三人は楽器の位置を調整した。

「本番だともっと広いステージになる。客席も二千席はあるから、ここの七倍だな」

琳太郎が腰に手を当て、客席を見渡しながら言った。

「二千! そんなにでかい会場なんですか」

直樹が突っ込んだ。琳太郎は軽く笑い飛ばす。

「そんなこと言ったらさいたまウルトラアリーナは2万だぞ」

「ぎえ」

直樹が血相変えて椅子から転げ落ちたので、部員達は爆笑した。

「数が多いほど、俺たちの音楽を聴いてくれる人がいる。幸せなことだろ。目を閉じて、満席になっているのを想像してみろ。俺達は大舞台に立っている。ここで最上の音楽を贈り届けられるんだ」

琳太郎が言うと、部員達は素直に目を閉じた。それぞれの脳裏に、大歓声と拍手喝采が鳴り響く。

「金管はそれでいいが、木管は下向いて吹くな。少し上向きで、客席に『届ける』のを意識してみろ。それで全然変わってくる。俺は午後からやるから、直樹、お前が指揮をやれ。課題曲と自由曲、交互にやりながら録音したやつを毎回みんなで聞いてみろ。気づいたことを洗い出す。それを繰り返せ。できるよな?」

「はい」

直樹は緊張しながら、元気よく返事した。

「梅子はビデオの再生と停止、頼むな。それと、直樹のフォローも頼む」

「はい」

梅子も少し動揺して返事した。琳太郎と雛形がホールを出て行ってしまったので、部員達は動揺した。梅子が客席のビデオカメラが置いてあるとこへ駆けて行って、再生ボタンを押すと、再びステージに戻ってきて合流した。直樹はタクトを受け取り、指揮台に立った。

「みんな、やるよ。ワン、ツー、スリー」


琳太郎は雛形を連れてロビーへ向かった。窓際の席を選び、ソファに座る。

「先生、生徒達、ほったらかしにしていいんですか」

雛形がうろたえながらソファに座った。琳太郎はメニュー表を見ながら、長い足を組みながら言う。

「大丈夫ですよ。直樹に指揮は教えておきましたから」

「でも、せめて私達もホールにいた方が良くないですか? 気づいたことをアドバイスしてあげたほうがいいと思います」

「先生は何飲みます? 俺はアイスカフェラテかなあ」

琳太郎はメニュー表から目を離さず、のんびりした口調で言った。雛形は呆れてため息をつく。

「私はホットコーヒーでお願いします」

琳太郎はホテルのスタッフを呼んで注文した。開け放たれた窓から潮風が舞い込み、琳太郎と雛形の顔にそっと触れた。

「合宿とはいっても俺が一日中、あいつらに張りついて教える時期は、もう過ぎたと思うんですよね」

琳太郎が海の方を見ながら切り出した。雛形は、琳太郎の長いまつ毛が上下するのを横から見た。

「そうなんですか? 私には分かりませんけど」

「4月にミド中へ来た時は、まだ赤ん坊でした。俺にすべてを期待して、すべて依存しているような。でも、今のあいつらは違います。自分の頭で考えることができ始めてる。特に、部長の直樹はね」

琳太郎は窓の外を見た。白く輝く太陽が、青い海を照らしていた。遠くでカモメの鳴き声が聞こえた。

「どうにかして自分達で音楽を創ってやろうっていう強い意思がある。奴は純粋だし、フルートが大好きで、吹奏楽が大好きです。もともとリーダーに向いてるタイプだと思っていたけど、最近それに磨きがかかってきたなって思うんです」

「はい」

雛形は相槌を打った。飲み物が運ばれてきて、琳太郎は愛想よく受け取った。よく冷えたカフェラテを美味しそうに飲む。

「みんな、まだ中学生です。高校生と比べたら音はまだ幼い。ただデカい音を出せばいいと思ってるところが、どうしてもまだ残ってる。ホールで美しく響かせる音とは何か、どうしたら心に訴えかけられるか、自分達で気づいて、学んでほしいんですよ」

「そうなんですね…」

雛形もコーヒーカップに口をつけた。深煎りした豆の香りが鼻をくすぐった。

「俺が指揮しながら、気づいたことをアドバイスして、その通りに吹けば、その曲だけ上手になるでしょう。でも、そこに自分の意思はない。でも、自分達で演奏して、それを聞いてみたら? さっきのあいつらを見て分かったでしょう。以前より随分耳も鍛えられてきた。どこがダメなのか、どうしたらよりよくなるのか、言葉に出すことができてきました。その曲だけじゃなくて、だんだん他への応用も効くようになるでしょう。今頃、ああでもない、こうでもないって言いながらやってると思いますよ」

琳太郎は楽しげに言った。白い歯がますます白く輝いた。

「…親って、きっとこんな気持ちなんですね」

雛形がつぶやくと、琳太郎は静かに同調する。

「ですね」

「琳太郎先生はもう、あの子達の親です。親、っていう漢字のなりたち、知ってますよね」

雛形が言うと、琳太郎が指を使い、宙で文字を書いてみせた。雛形は頷く。

木の上に立って見る。子どものやってることがもどかしくても、口を出したくても、じっと見守る。それが親にできることなんですよね」

雛形は背筋を伸ばして、琳太郎と向き合った。

「私も先生を見習って、できること、頑張ります」

「へへへ。なんか、ありがとうございます」

琳太郎は照れくさそうに笑うと、雛形も笑った。

部員達がホールでたっぷり練習した後で、昼食の時間になった。スタッフの若い女性が食堂に案内し、一同は長テーブルに着席した。

「せっかく海に来たんだからな。午後に練習した後は海に行くぞ」

琳太郎が機嫌よく言うと、男子達は喜びの奇声を上げた。運動が嫌いな史門は嫌そうな顔をして、梅子は反発するように手を挙げた。

「先生、海水浴してる暇なんてないと思います」

「もちろん練習はがっつりやるよ。遊んだら夕飯食って風呂入って、その後も練習だ」

琳太郎はカレーを一口すくって食べた。

「そーだよそーだよ、梅ちゃん、そこは譲れねえよ」

怜が口を挟んだ。錬三郎も加勢して頷く。

「私は時間がないからユーフォの練習します。海には行きません」

梅子は頑なだった。本当は、みんなの前で水着になりたくなかった。どうせ健治あたりからダイエットの成果はどうしたとからかわれるのが目に見えていたし、周りもそれに合わせてゲラゲラ笑ってくるのだと想像した。生理中の結那が、小声で「私も行かないです」と言うと、梅子は少しホッとした様子になった。


昼食後、ホールに戻ってからは琳太郎が指揮をとった。演奏を一区切りさせると、琳太郎が全体を見回した。

「全体的に少しだけ、良くなったな。課題が見えた奴は、挙手」

琳太郎が聞くと、何人かが手を挙げたなかで、響を指した。

「『キエフの大門』のクラとフルートのハーモニーがいまいちだったので、それぞれの音をよく聞くように意識してます」

「そうだな。低音部分はもっと膨らませていく方がいい」

琳太郎は頷いて、今度は恵里菜を指した。

「ただ大きい音を出すのではなく、響かせるようにする、っていうのが、私の課題です」

「そうだな。雑な音にはならないように気をつけろ」

琳太郎は腕を組み、今度は銀之丞が指された。

「ティンパニがベーンッて鳴っちゃうところが結構あってー。そこ、直すように頑張りますー」

「マレットも、もう少し柔らかいやつの方がいいかもな。ちょっと色々試してみろ」

琳太郎がアドバイスした。

その後、琳太郎の指導のもとでみっちり全体練習をした。いつもと違う環境での振り返りの時間は効果があった。部員達の集中力は増して、互いの音に気を配っているのが見てとれる。琳太郎も集中して指導を続けた。


練習後は全員それぞれの部屋に向かった。怜と錬三郎は階段を三段飛ばしで駆け上がっていく。チビの健治も真似したが、二段跨いだ時点ですっ転んだ。梅子と雛形は、楽器を持ってレッスン用のスタジオに向かった。まりあは「響先輩、一緒に行きましょ」と響に声をかけ、自分が買った水着の話をしていた。

雛形は面倒臭そうに支度し始めた。プライベートではないし、生徒達に危険がないよう監視しなくてはならないので、フィットネス用の水着を着、水泳用キャップをつけ、長袖のラッシュガードを着込んだ。いつもの分厚いメガネだけは外さず、外へ出た。

すでに、男子グループはビーチへ駆け出していた。その後を女子達がノロノロ歩きながらついていく。盛夏のビーチは灼熱の暑さで、ビーチサンダルを忘れた雛形は、砂浜に足裏を乗せた瞬間、恐れをなして回れ右した。後ろからその様子を見ていた琳太郎は、雛形をお姫様抱っこして抱え上げると、大股でビーチを横断していった。それを見た男子達が下品な調子で騒ぎ立てた。公彦が「王子様降臨」と叫ぶと一層、男子達は熱狂する。雛形は真っ赤になって暴れたが、琳太郎は澄ました顔でやり過ごし、波打ち際につくまで離してくれなかった。

部員達は思い思いに時間を過ごした。直樹を筆頭に男子の一団は一緒に泳ぎ出した。この時のために大きなジンベエザメのフロートを用意してきた史門だったが、怜に奪い取られてしまった。どさぐさに紛れて怜と一緒にサメに乗って遊び始めたのはまりあだった。まりあはビキニを着て、発育途上の胸をアピールしていたが、怜は特に関心を持たないようだった。シュノーケリングセットを一式持ち込んできた伊久馬が、岩場に行って熱心に生き物の観察を始めると、音羽と恵里菜が興味深そうに集まってきた。琳太郎は自分のサンダルを雛形に貸してやると、自分も海に入って右往左往しながら、生徒の安全を確かめつつ、一緒に遊んで楽しんでいた。

雛形はビーチにレジャーシートを敷くと、そこにしゃがみ込んだ。こうやって遠巻きに見る琳太郎は、ため息が出るほど格好良かった。ラッシュガード越しでも、その肉体に無駄な贅肉が無いのがよく分かった。先ほど抱きしめられたときの力強い腕の感覚がまだ残っていて、その余韻に浸っている自分が滑稽に思え、雛形は半笑いしてみせた。

そんな雛形の様子を、響は体育座りしながら少し離れたところから見ていた。海から上がってきた怜が響に話しかけると、「うちは泳げないからほっといて」と邪険にした。怜が笑い飛ばすと響は砂をザバッとかけた。怜は「砂かけババアが出たぞー」と言ってずらかった。

「雛形先生」

響は雛形に近づいて、声をかけた。雛形は少し驚いて、こちらを見た。

「どうしたの、鶴岡さんは泳ぎにいかないの」

響はそれには答えず、雛形をじっと見た。雛形はちょっと怯んで、曖昧に笑ってみせた。

「先生。先生って、琳太郎先生と付き合ってるんですか」

「は?」

自分の胸の内を見透かされてるような気がして、雛形は心臓が飛び上がるほど驚いた。中学生とはいえ、相手は女だ。女という生き物は、たとえ幼なくとも油断がならない。

「そんなわけないでしょう。どっちも教師なんだから」

雛形はすまして言ってみせた。

「教師だったら、恋愛しないんですか」

響は譲らなかった。目は鈍く光り、真実を知ろうと神経を張り巡らしている。雛形は逃げ腰になりながら、必死で否定する。

「先生達はあなた達の面倒見るので精一杯。そんな暇はないよ」

「そうなんですか? でも、琳太郎先生はそうじゃないですよね」

「え? どういう意味?」

雛形は驚いて聞き返した。

「琳太郎先生は、雛形先生のことが好きなんです。見てれば分かります」

響は真剣そのものだった。早く白状しろと言わんばかりの剣幕で、四つん這いになりながら雛形に接近してくる。雛形は背中にびっしょり汗をかきながら、深呼吸して、精神統一を図った。それから真正面から向き直った。

「あはははは。やだー、鶴岡さんって面白いね。もし、本当にそうだったら嬉しいなー。ほら、みんなで集まって写真撮ろうよ。先生が撮ってあげるから、ほら、行こうよ」

雛形は鬼気迫る笑顔で言い切ると、強引に響の手を引いて立ち上がった。響は驚きつつ抵抗したが、雛形は手を離してくれず、皆のいるところまで連れて行かれてしまった。


早い時間に夕食をとり、入浴を済ませると、再びホールに集まった。海遊びで疲れて満腹になり、大浴場でくつろいだ後だったので、部員達は眠かった。背中が日に焼けて背もたれ椅子が痛いと訴える者もいた。でも、誰よりも大きなあくびをしてみせた琳太郎に部員達は笑った。海では泳ぐだけでは飽き足らず、ビーチバレーとビーチフラッグもやった。琳太郎は皆の兄のようによく遊んでくれた。

「先生、俺が指揮やりましょうか」

直樹が声をかけると、琳太郎は頭を振った。

「いや、俺がやる」

琳太郎が真顔で言うと笑いが起こった。いつもの音楽室とは違う、贅沢な音の響きを噛み締めながら、コンクールの練習に取り組んだ。

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