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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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吹奏楽コンクール地区大会

灼熱の太陽が照りつける八月、ついにすべてをぶつける日がやってきた。吹奏楽コンクール埼玉県北部地区大会中学校の部に出場するため、会場には全三十一校の団体が集まった。

今年の会場は緑谷町民文化会館となった。緑谷中の生徒達が自転車で到着すると、他校のバスや大型トラックが停まっていた。

一番目立ったのは県北地域の雄・鳴沢学園である。黄金に近い辛子色のスクールバスで、一号車から三号車までが横並びに駐車し、百五十人を超える生徒達が楽器の積み下ろしをしている。コンクールに出場できるのは五十人までなので、大半は下級生なのだろう。

文化会館は千百席の大ホールのほか、多目的ホール、控室、会議室などを備える。コンクール用にタイムテーブルが組まれ、全ての団体が時間通りにリハーサルを行い、順番にステージへ上がっていく。本番直前に楽器が故障した時のために、ホワイエではあまや楽器の安彦がスタンバイしている。各校の吹奏楽部部員のみならず、クラスメイトや保護者も来ていて、まあまあな賑わいを見せていた。緑谷中吹部に限っては、大半の保護者が応援に駆けつけていた。

リハーサルが済み、琳太郎は本番用に黒いスーツに着替えた。中には黒いシャツを着て、あえてネクタイはつけなかった。この格好をすると気持ちが引き締まる。生徒達の様子を見に、控え室へ急ぐ。ドアを開けると、誰もが室内を徘徊していた。

「どうしよう、ママが見にきてる。漏れそう」

伊久馬は何回もトイレを往復していたようで、不安を吐き出した。

「うちも。なぜかピアノの先生まで来てる。無理」

まりあも吐きそうな顔をして言った。

「大丈夫だよ。あんなに練習したじゃん。あ、でも、うちのお母さんも来てたわ」

梅子は励ますつもりで言ったが、顔は真っ青だ。

「俺らは本番に強い。大丈夫だろ」

怜はそう言って、買ってきたコーラをなぜか盛大に振り、盛大に噴き出させてしまった。

緑谷中吹部は全員緊張していて、どうしようもない。表情も硬いし、落ち着きがない。不安な気持ちを引きずったまま、ステージ袖の待機エリアへ移動した。

「お前らよく聞け」琳太郎の声に、全員が無言で琳太郎の顔を見上げた。「会場は畑だ。観客はカボチャだ」

誰も何も言わない。小さく頷く者が何人かいる程度だ。

「さらに言うと審査員はドテカボチャだ。どうせ大したことない」

「どて…? ってなんですか?」

梅子が純粋な眼差しで問うた。ほかの部員達にもなんのことやら分からないらしい。

「まあ、半端な奴らってことだ。大したタマじゃねえ。サンタクロースみたいな、すげえ白髭のジジイとかいるけどな。なんかすごそうだろ? 首輪みたいなネックレスしてるオバサンもいただろ? あれはな、すごそうに演出してるだけだ。くっだらねえだろ? だからな、お前らのような一流の音楽教育を受けた奴らが、緊張するような相手じゃねえってことだ」

琳太郎がジャケットの胸ポケットから、小さなぬいぐるみを取り出した。

「何でしょうね、その汚いものは」

公彦が異物を見る目で聞いた。

「これはドテカボチャだ。こんなしょうもない連中に、俺らが素晴らしい演奏を聴かせてやるんだ。なんて幸せな連中だろうな」

琳太郎が愛おしげにドテカボチャを撫でた。部員達がいぶかしげに見ているところ、雛形だけは赤面していた。

「そうですよね。俺、もう緊張してないです」

息を深く吐いた直樹が、強がって言った。すかさず響が直樹の手を握る。直樹はドキッとして響を見返した。

「な、何」

「全然ダメじゃん。手、すっごい汗かいてる」

平坦な声で響が答える。響のひんやりした手に握られて、直樹の手から汗がより一層吹き出してしまった。

「おー。鶴岡、そのまんま握っとけ」

琳太郎が言うと、響は目を吊り上げ、サッと手を離した。

「危うく、我が部の仁王様に握りつぶされるところだったねー」

銀之丞にからかわれて、響も直樹も銀之丞を睨んだ。

「俺も不安だから梅ちゃんに手ぇ握っててもらおうかなあ」

怜が真顔で梅子の手を握ると、瞬間的に梅子がトロンボーンのスライドを怜の頭にぶつけた。みんなはドッと笑う。

「梅ちゃん、怒るなよ。梅ちゃんの手ぇ握ってれば、観客がカボチャに見えてくるよ。多分」

怜が頭を撫でながら言った。梅子は威嚇を続けていたが、急に手を差し伸べた。

「十秒だけね」

梅子は吐き捨てるように言ったが、顔にはさっきまでの不快感は消えている。

「十秒も握らせてもらえるんすか」

怜が茶化して握った。怜の手に握られて、実際に怜が緊張しているのが梅子には伝わってきた。脈が早いし、体温が高い。こうやって怜はふざけているけれど、必死で冷静さを取り戻そうとしているのだ。

「おい。大事なことだからもっと言うぞ。会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ。はい、続けて」

琳太郎がジャケットのポケットからドテカボチャを見せながら、シリアスな顔で言った。

「会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ」

部員達は新興宗教に洗脳されている信者のように、復唱した。

「声が小さい。もう一回」

「会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ!」

「よし、もう一回」

「会場は畑! 観客はカボチャ! 審査員はドテカボチャ!」

部員達がどデカい声で言うと、周囲から一斉に睨まれた。ちょうど前の学校の演奏が終わり、司会がアナウンスを終え、静かになったタイミングで「ドテカボチャ!」の声だけが舞台袖から観客席に漏れ出てしまったのだ。

「舞台袖では声のボリュームを落としてください」

無表情なスタッフに琳太郎が注意されて、何度も頭を下げているのを見て、部員達も小さくなった。でも、そこで健治がクスクスと笑い出した。一年生達も笑い出す。仏頂面だった響や梅子にも感染して、しまいには全員が大声で笑いたいのを噛み殺して、クスクス笑った。

「なんだ、あいつ。ドテカボチャのくせに生意気な」

健治が、注意してきたスタッフの方を見て、ニヤニヤしながら言った。

「そうだね。ウリ科の分際でなんだろうね、人間様に向かって、声を小さくしろだと?」

公彦もメガネをいじりながら、もっともそうに難癖をつけた。

「私らを誰だと思ってんだろ。琳太郎交響楽団だよ」

梅子が片手を腰にあてて仁王立ちしながら言った。

「琳太郎交響楽団、だっさ」

まだ梅子の手を握っている怜が吹き出しそうになりながら言った。梅子は特に振り払う様子もなく、好きなようにさせている。

部員達がクスクスをやめないので、スタッフや他校の生徒にはまたしても白い目で見られた。でも、部員達はとてもリラックスすることができた。出陣前の笑いは最高のリラクゼーションである。

「十三番。緑谷町立緑谷中学校」

司会が進行表を読み上げた。

「行くぞ」

琳太郎が銀之丞に合図した。

「みんな頑張って」

雛形が一人一人の肩を抱いてエールを送る。

「十三番とか、不吉ー」

銀之丞が愉快そうにティンパニを前方へ押した。出演者はまずパーカッションを先に搬入する。銀之丞と伊久馬が、スタッフに手伝ってもらいながら舞台後方から配置してゆく。ほかのメンバーはパイプ椅子を配置し、譜面台を並べる。それぞれ楽器を持って自席に座ると、演奏開始まで静かに待つ。

「課題曲、一。自由曲、展覧会の絵」

一旦、袖に引っ込んだ琳太郎が再び舞台中央に登場し、観客に向かって頭を下げた。観客は礼儀正しく拍手して迎える。

部員達の視線は一斉に琳太郎へ注がれる。琳太郎はジャケットのポケットから先ほどのドテカボチャを取り出した。部員達には見えても、客席からは見えない。部員達は皆、少しだけ微笑んだ。その笑顔を琳太郎は温かい眼差しで受け止めると、タクトを振った。

課題曲は出だしから良かった。音程、リズムとも安定して、それぞれが役割を果たし、仕事をしていた。序盤、中盤ともに部員達は落ち着いて演奏しきった。急成長した怜のおかげでトロンボーンの音が太くなり、演奏に安定感をもたらしていたし、中盤以降のピッコロのソロも、直樹が練習のときと同じように落ち着いてやり切った。たった十六人とは思えないほどよく鳴っていたし、響いていた。講師陣の厳しい指導と生徒達の努力が実ったと、拍手を聞きながら琳太郎は感慨にふけった。

自由曲の展覧会の絵では、少しミスがあった。トランペットの公彦が、イントロのソロで音を外してしまった。それに動揺したのか、中盤に差し掛かるまで、公彦の演奏には思い切りが足りず、どこか中途半端になってしまった。周りの演奏者は練習通り鳴らせていたし、息もぴったり合っていたので、余計に悪目立ちてしまった。

それにも関わらず、演奏後は観客からは大きな拍手が沸き起こった。一曲目の課題曲よりも大きな拍手だった。部員達は舞台袖へはけ、出演者用の通路へ出ると、一斉におしゃべりを始めた。公彦はうつむいて歯を食いしばったまま、何も言えなかった。あれだけ命をかけて練習をしてきたのに、悔しすぎて涙を通り越して、過呼吸になってしまった。

「みんな、よく頑張ったな。片付け終わったら、客席に行こう」

琳太郎がこれ以上ないほど清涼な笑顔でみんなをねぎらった。そして、公彦の肩を強く抱いた。公彦はたまらず琳太郎の背中で泣いた。すると部員達がこぞって公彦の背中をさすりにきた。結那はたまらずもらい泣きして、公彦に抱きついた。

琳太郎の額には汗が浮かんでいる。全力で指揮をするのには慣れていたが、強烈なスポットライトの中で行われる本番だとかく汗の量も質も違った。目にしみると痛く、口に流れ込むと苦かった。響はその様子をじっと見ていると、琳太郎の肩を華奢な手が叩いた。雛形がタオルと飲み物を差し出すと、琳太郎がほっとしたような顔をして受け取った。響はほぼ無意識に、クラリネットのベルで直樹の脇腹を小突いてしまった。

部員達は楽器を片づけた後、観客席へ移動した。ちょうど鳴沢学園の演奏が始まったところだった。五十人の精鋭を揃えてきた彼らの奏でる「マゼランの未知なる大陸への挑戦」は躍動感があり、素晴らしかった。直樹は全身鳥肌が立ったし、銀之丞はぴくりとも動かずに見入っていた。自分達十六人では出せない会場全体へ発せられる強烈な音圧と透明感、荘厳さにただただ圧倒されるしかなかった。そんな彼らを時にパワフルに、時に緩やかに表情を変えながら指揮する鉛田の後ろ姿は、ただただ神々しかった。

全学校の演奏が終わり、結果発表の時間になった。参加校は銅賞、銀賞、金賞のいずれかを受賞でき、金賞は上位八校だけが受賞できる。そして、県大会へ出場できるのはさらにそこの上位三校のみである。

「銅賞、門田市立門田南中学校。おめでとうございます…。銅賞、花井町立暁中学校…。銅賞、門田市立第一中学校…」

次々に参加校が呼ばれ、観客席からステージに上がった各校の部長が、審査員長から賞状を受け取っていく。今のところ、十六校が呼ばれた。ということは半分より上の順位には入ったということだ。直樹は今か今かと呼ばれるのを待っていた。自分も呼ばれたらあそこに行かなければいけないのだ。それはいつか。五秒後か。一分後か。それとも。直樹にとってはステージが表彰台というより、死刑台のように思われた。

「銀賞、大川町立大川中学校…。銀賞、谷村町立西中学校…」

銀賞の領域に入ってきた。直樹は心臓が早鐘を打つのを聞いていた。少なくとも、うちらは銅賞ではない。銀賞以上だ。やったぞ。でも、トイレに行きたいような行きたくないような、微妙な感覚を下腹部にある。お願いだ。この時間を早送りしてくれ、今すぐ。

「ここからは金賞になります」

直樹は目を見開いた。隣に座る部員達も興奮してお互いの顔を見合っている。審査員の次の言葉が、永遠のように思われた。呼ばれるか。呼ばれるのか。

「金賞、棚田市立棚田北中学校…。金賞、白錫市立第三中学校…。金賞、門田市立門田東中学校…」

十、九、八…。まだ呼ばれない。呼ばれないということは。でも。でも。それ以上は望んではいけないような気がして、直樹はめまいがした。

「あと四校!」

梅子が叫んだ。緑谷中は固唾を飲んで見守った。

「金賞、藍原町立藍原中学校。…ここからは、県大会出場校となります。金賞、緑谷町立緑谷中学校」

一同はわっと歓声を上げた。銀之丞と怜は飛び上がって「よっしゃー」と叫んだ。公彦は両手の拳をあげてガッツポーズをした。梅子は号泣して響を抱きしめた。一年生達は頭上で拍手した。琳太郎はしきりに首を縦に振りながら、部員達に向けて拍手した。直樹は客席を立ち上がり、みんなに背中を叩かれながら、あたふたと壇上へ駆けて行った。 

「おめでとうございます」

「ありがとうございます!」

マイクを使っている審査員長よりも、マイクを使わない直樹の声の方が大きい。その声は客席にも響き渡り、爆笑と歓声と拍手が沸き起こった。二位以上は観客の予想通りの結果となり、不動の一位が名門校・鳴沢学園中等部、二位が灰原市立灰原東中学校で、どちらもここ数年間、県大会常連校である。もう一つ、常連校として藍原町立藍原中学校があったが、そこは四位にとどまり、三位の座を緑谷中に譲ってしまった。会場ではどよめきが上がった。緑谷中は少人数でお粗末だとか、一発屋みたいなもんだろうとか、人数の多い藍原中の方が良かったのにとか、さまざまな非難が上がった。一方で、緑谷中はなかなか良かったとか、昔の緑谷中が蘇ったとか、県大でもいいところまで行けるんじゃないかとか、賞賛と期待の声もあった。

「緑谷中学校、灰原東中学校、鳴沢学園中等部の三校には、県大会でも頑張っていただきたいと思います。会場の皆様、改めまして三校に大きな拍手をお願い申し上げます」

審査員長が頭を下げると、客席からは大きな声援と拍手が上がった。直樹は顔を真っ赤に腫らし、大粒の涙をこぼした。その賞状を片手に、客席にいる部員達に力一杯、ちぎれそうなほどに手を振った。

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