お見合い
セミがますます鳴き競う七月の下旬に、琳太郎は緑谷町唯一の料亭、「うぐいす庵」に来ていた。
例の、講師料減額の見返りとして、琳太郎はお見合いをさせられることになった。正確には、各自減額した分を竹田が肩代わりする代償が、それであった。
「娘がお前を気に入ればそのまま付き合ってよし」などと竹田には言われたが、こちらの気持ちはどうなるのか。竹田のことは尊敬していたが、その娘には会ったことはない。興味もない。琳太郎がしぶしぶ、実家に連絡を入れると、両親は両手をあげて喜んだ。両親には悪いが、琳太郎はこの縁談をはなから断るつもりでいた。ただ、最初から無碍にするのは御法度である。タイミングを見計らって、うまいこと断ろうと考えていた。
うぐいす庵では広大な庭園が自慢の一つだった。松や槙、竹、梅、アオキのほか、ピンク色の花を咲かせたサルスベリなどが丁寧に手入れされていた。中央には三日月の形をした池があり、木製のアーチ型の橋が架けられ、橋の足元には大きな白いユリが開花している。水面には濃い桃色のハスがいくつも咲き、水面下では金や朱色の錦鯉が優雅に舞っていた。一行はその庭園がよく見える「竹の間」に案内された。
竹田の娘は赤い生地に大輪の牡丹柄という、華やかな振袖を身に纏っていた。髪型はアップにして、豪華な牡丹の髪飾りをつけている。竹田自身は濃いグレーのスーツに白いシャツ、淡いシルバーのネクタイを合わせてビシッときめている。妻はクリーム色の生地に御所車の柄が入った色留袖を着こなし、夜会巻にした髪にはべっこうのかんざしを挿している。一方、琳太郎はシンプルなブルーグレーのスーツに白シャツ、細身でストライプ柄のネクタイを着用した。父は、格子模様のシャツにグレーのパンツ、濃紺のサマージャケットを合わせ、母は同じく濃紺の花柄総レースのワンピースを着、一連の真珠のネックレスをつけている。
お互いが顔を合わせると、六人の間には緊張感が漂った。庭のししおどしがカッコンと音を立て、静けさを引き立てた。
「鳥飼です。妻の忍と、息子の琳太郎です」
琳太郎の父が先陣を切って挨拶をした。それに合わせて、母と琳太郎がが頭を下げた。
「琳太郎です。よろしくお願いします」
気分が悪かったが、琳太郎は頑張って平静を装った。
「竹田です。こちらは妻の加苗と娘の牡丹です。よろしくお願いします」
竹田はいつもの気難しい顔の上に、ハリボテのような優しい爺の仮面をつけて、愛想良く挨拶した。
「牡丹です。よろしくお願いいたします」
牡丹は竹田に似ていて平凡な顔立ちだが、派手なメイクのおかげか自信に溢れていた。さらに、かなりの巨乳だというのは振袖の上からでも分かった。琳太郎の好みではあるが、ここはどうにかして適当にやり過ごさなければならない。
「琳太郎君とは仕事でお付き合いがありまして。吹奏楽部の講師をしております。琳太郎先生は生徒達にも人気があるんですよ。みんなが慕って集まってきます」
竹田が品よく、楽しげに語りかけた。
「そうでしたか。こいつは家にも帰ってこないし、どうしてるのか全然知らなくて」
琳太郎の父は困ったように笑った。
「琳太郎さん、って呼んでも?」
牡丹は図々しく言った。
「ええ」
「あのー、私、かっこよくてドキドキしちゃってます」
牡丹はぶりっ子しながら言ってみせた。
「はあ」
琳太郎は適当に頷いた。周りに悟られないよう時計を見る。始まって、まだ五分も経っていない。
「琳太郎さん、誕生日は?」
「八月三日です」
「えっ、じゃあ獅子座ですかー? 私は牡羊座。獅子座と牡羊座の相性って最高にいいんですよ。きゃー、どうしよう」
どうしようもこうしようもない。早く帰りたい。琳太郎はリアクションに困っているのに、両家の母達は「あらまあ」と笑い合うばかりだ。琳太郎は目を合わせず質問することにした。
「竹田さんのご職業は?」
「やだ。牡丹さん、でお願いします」
「牡丹さん。お仕事は?」
琳太郎は鳥肌が立った腕をさすりながら、聞いた。
「保育士です。私、母性本能強めで、子どもは三人欲しいんです」
牡丹はわざと胸を張って言ってのけた。琳太郎はお茶を吹いた。
「ははは。そうですかー。それは大変ですね」
琳太郎はそれだけ言うのが精一杯だ。
「そろそろ若い二人に任せて私達は奥でお茶でも」
牡丹の母が楽しげに言うと、琳太郎の両親も口ぐちに賛成した。
「琳太郎さん。お庭に出ましょ」
「は、はい」
琳太郎は牡丹に強引に手を引かれ、庭園を散策することにした。
「どうです? 私」
池の前に立って、牡丹は両手を横に広げて立ってみせた。自分の名前と同じ、大柄の牡丹の花をモチーフにした振袖だ。花は淡いピンクやオレンジ、深紅、黄色と色とりどりで、黒い枝梅がその豪華さを引き立てている。帯は黒地に松葉色の波模様をベースにし、そこにも小さな牡丹の柄があしらわれ、着物よりも濃い暗赤色の帯紐で止められていた。
「綺麗ですね」
「本当ですか? 嬉しい」
「もちろんです。着物の美しさはあなたの美しさに及びません」
着物の美しさにあなたの美しさが及ばない、と言いかけて言葉を引っ込める。代わりに琳太郎はつくり笑顔を顔に貼り付けて、お世辞を言った。
「私、正直なこと言うと、琳太郎さんならアリかなって思います」
牡丹は満足そうに笑い、上目遣いで琳太郎を見た。
「ははは」
琳太郎は乾いた笑いをしてみせた。
「さらに言っちゃうと、学校の先生っていうのは不満です」
「そうなんですか」
不合格の烙印をもらえたような気がして、琳太郎は少し気持ちが軽くなった。
「だって薄給なのに重労働ですよね」
牡丹は嫌そうな顔をして言い、手を振ってみせた。
「ははは。その通りです」
「うちで働きません?」
牡丹が突然、リクルートしてきた。
「うちって?」
琳太郎は眉間にシワを寄せて言った。
「叔父がうちの保育園の理事長なんです。系列の園が八つあって。そこの園長とか」
牡丹が期待を込めて言った。
「園長。ははは」
琳太郎は乾いた笑いを繰り返した。
「保育士も薄給で重労働ですけど、園長になればそれなりにお金ももらえます。来年、また別の保育園も新設しますし。園長は楽勝ですよ。毎日、主任とおしゃべりしてるだけ」
「それはどうなんですかねえ」
琳太郎は失笑したいのを我慢しながら、頷いた。
「選ばれた人間の特権ですよ」
牡丹の顔には、選ばれた人間の自信が大いに溢れていた。
「そういうのは僕には向いてませんね」
「そんなことないですよ。お父様は鳥飼製紙の社長さんでしょ。お母様はそこの専務で。なんで学校の教員なんかやってるの? あなたは選ばれた人間なのに」
牡丹は真顔で聞いた。琳太郎は反応せず、黙っていた。自分の実家が裕福で、自分もまたその恩恵を受けて生きてきたことには変わりない。竹田が講師料の減額に応じ、見合いの話を持ちかけてきたのも、父親という後ろ盾があるからだろう。
「あ、ねえねえ琳太郎さん。見て。鳥が来てる。見にいこ」
牡丹はいきなり琳太郎と腕を組み、池にかかった橋を渡り出した。
「待って、待ってくださいよ」
「見て。綺麗じゃない?」
池のほとりに来ていたのはカワセミだった。体の色は全体に青緑色で、一部が山吹色の美しい鳥だ。琳太郎は思わずスマートフォンで撮影した。するとそのスマートフォンを牡丹が取り上げた。
「え、ちょっと」
「こうすればいい」
牡丹は琳太郎の顔の隣に自分の顔を近づけ、カメラを反転させて撮影した。二人の近影に加え、後ろにはバッチリカワセミが映っている。さらにそれを待受画面に設定してしまった。
料亭の別室では、 華道教室の一行が食事会をしていた。床の間には講師が生けた見事な作品が飾られている。料亭の女将も生徒の一人で、講師にお酌をしていた。
「ちょっと」
講師に呼ばれて席を立ったのは、雛形である。
「はい」
「皆さんの飲み物がたりてないみたいだから、持って来させて」
「はい」
雛形は障子を開けて、廊下を出た。スタッフを探してうろうろしていると、庭先に男女が何やら騒いでいる姿が視界に入ってきた。
「ダメですよ。初対面ですよ僕たち」
「ただの記念撮影ー」
そう言って牡丹は琳太郎の首に両手を回し、もう一度写真を撮ろうとした。琳太郎は牡丹の手を振り解こうともがく。
「鳥飼先生」
琳太郎が名前を呼ばれた方に振り向くと、廊下に美女が立っていた。肌の色が雪のように白く、つぶらな瞳にツンとした鼻、ローズ色の唇をしている。淡い桃色のシンプルな着物を着ていて、髪はアップにしていた。瓶ビールをお盆に乗せて立つ姿に琳太郎は見とれて、牡丹と絡み合ったまま、その場に立ち尽くした。
「あー! 雛形先生!」
琳太郎は我に帰ると、慌てて牡丹の手を振り解いた。
「楽しそうですね」
雛形は二人の手元をじっと見ながら低い声で言った。
「いや、べ、別にこれは何も。ご、ご機嫌よろしいでしょうか」
琳太郎はどもりながら挨拶した。
「ええ、大変結構です」
雛形はにこりともしないで返事した。
「お、お、お、お綺麗ですね」
言いながら、琳太郎は赤面した。
「着物がですね」
「いえ、そうじゃなくて」
雛形の自虐を琳太郎がすぐに否定したが、牡丹が話に割り込んでくる。
「こんにちは。竹田牡丹です。琳太郎さん、この方、だあれ?」
牡丹は挑発的な顔で雛形を見てから、甘えた声で聞いた。
「失礼します」
雛形は答えもせず、目も合わせず、廊下をすたすたと行ってしまった。
「誰なんですか」
無視されたことに怒って、牡丹は食い下がった。
「あ、同僚です」
「へえ」
牡丹は憎たらしげに雛形の後ろ姿を見送った。
「桃子」
先ほどの講師が廊下に出てきて、雛形に呼びかけた。
「お母さん」
雛形が講師に向かって言った。講師の雛形雪乃は、雛形の実母である。雪乃は琳太郎たちを遠巻きに見て、愉快そうに言った。
「いい男ねえ」
「そうね」
雛形は雪乃に同調すると、座敷の障子を開けた。中から楽しそうな談笑が漏れ出てくる。
「あなたの方がお似合いよねえ」
雪乃がにっこりして言った。
「それはそれは、ありがとう」
雛形はにこりともせず、瓶ビールの栓を猛スピードで開けていった。




