パチンコ
夕方にはお見合いが終わり、琳太郎は帰宅した。学校から少し離れたところにアパートを借り、一人暮らししている琳太郎なので、何度も何度も牡丹に住所を聞かれて恐怖していた。玄関のドアを開けてキッチンを横切ると、寝室のベッドにダイブした。今日は本当に疲れた。疲れすぎた。もう、何もしたくない。週に一度しかない貴重な休みなのに、余計疲れてしまった。すると、スマートフォンが静かに振動した。ショートメッセージが届いていた。
三十分後、琳太郎は駅前のカフェに居た。ショートメッセージの送り主の名前を見た途端、気づけばここに駆けつけていた。アイスコーヒーを飲みながら、窓の外を見ながら待っていると、送り主が到着した。
「お待たせしました」
琳太郎が顔を上げると、雛形が立っていた。先ほどの着物をまだ着ている。少し髪型が乱れていて、妙に色っぽく感じた琳太郎はドキドキして、向かいの席を勧めた。
「喉が渇いたから、ドリンク来てからでいいですか、話すの」
「ええ、もちろんです」
琳太郎が店員を呼んで、雛形の飲み物をオーダーした。店員が去っていくと、二人の間にはなんとも言えない空気が漂っていた。
琳太郎は幼い頃からモテた。モテてモテて、モテまくっていた。自分から誘わなくても女の方から寄ってくるのが日常だった。でもそのせいで、外見しかみてくれない女達に幻滅していた。付き合ってみても楽しいと感じることはほとんどなかった。彼女をとられたと、嫉妬心から男友達に殴られたこともあった。教師になってからも、女達からのアプローチはヒートアップした。自分の両親が資産家なのもあって、玉の輿を狙って寄ってくる女ももちろん大勢いた。そのせいで、琳太郎は女性不信になっていた。人当たりが柔らかいしリップサービスが過ぎるので誤解されることが多かったが、本人は心底うんざりしていた。当然、彼女をつくらず仕事に没頭することに決めていた。
ところが、目の前にいる雛形はまったく別の存在だった。仕事仲間だからと言えば当然だが、雛形が色目を使ってくることはなかったし、嫌な気分にさせられることもなかった。真面目に仕事をこなすだけでなく機転を効かせ、いつも琳太郎のサポートに徹してくれた。琳太郎の仕事がやりやすくなるよう、裏で細々としたことをすべて請け負い、助けになってくれた。どうやら自分の弟分だと思い、頑張って姉御肌を貫こうとしているところも良かった。普段はすっぴんにメガネの冴えない女で、それはそれで好感を持っていたが、今日の激変ぶりには心臓がついていけなかった。着物は女を美しく魅せるというが、これは完全なルール違反である。
アイスコーヒーが運ばれてくると、雛形はストローを差し、一気に飲み干した。
「身売りでもしたんですか」
雛形が睨むように問いかけた。
「え?」
琳太郎は何のことか分からなかった。
「竹田さんの娘さんなんでしょう、さっきの」
雛形がやや上目遣いになって聞いた。
「ええ、まあ、そう、ですね。よく分かりましたね。ははは」
琳太郎は両手の平を向け、空笑いしながら言った。
「だって竹田って言ってたし、顔が竹田さんにそっくりだし」雛形が白けた顔で言った。「うちの婿になれば講師代は一生タダとか言われちゃったんですか」
「違いますよ。割引です、割引。それに、結婚するわけじゃないし」
琳太郎は片手を振って否定した。
「結婚する気もないのにお見合いしたんですか?」
雛形の言葉には非難が混じっていた。
「え、いや、そうじゃなくて、違うんです」
「何が」
雛形はますます怖い顔になっていた。
「見合いして、お互いにいいなと思えたら、これからも会えばいいっていう話だったんです。その見合いをするなら、講師代負けるよ、って」
琳太郎は観念して白状した。
「へえー。でもいいなって思えなかったんですか?」
雛形の意地悪そうな問いかけに、琳太郎は無言を貫いた。
「鳥飼先生って鳥飼製紙の社長の息子さんだったんですね。料亭で噂になってました。そんなにお金持ちだったら、そんなことする必要、なくないですか?」
「いや、金持ちは両親だけです」
琳太郎は否定した。両親の話は、なるべくしたくなかった。
「娘さんが可哀想すぎます。随分乗り気でしたよね。こんなことするくらいだったら、まだご両親にお金借りるほうがマシだったと思います」
「両親には…、頼りたくないんです」
「そうですか」
雛形は片肘をつき、もう一方の手で扇子を仰ぎながら言った。窓の外を見る。外はすっかり日が落ちて、闇の中を商店街の明かりが瞬いていた。
「なんか、あの子達が羨ましい。こんなに体張ってくれる先生って、今どきいませんよ。普通だったら、講師なんか呼ばずに自分一人でなんとかしようってなっちゃいません? 先生ならそれもできそうだと、私は思いますけど」
「雛形先生…」
「今回は私のこと、頼ってくれませんか?」
雛形が急に真剣な顔で聞いた。
「?」
琳太郎が意味を理解できずにいると、雛形が言った。
「ちょっと一緒に来てください」
雛形が、草履でちょこまかと歩いて出口に向かったので、琳太郎は後に続いた。
「どこに行くんです?」
夜の商店街を突き進む雛形を追いかけて、琳太郎が聞いた。
「ここです」
雛形が指差した先は、色とりどりのネオンがまばゆいパチンコ屋だった。雛形が入り口に立つと、自動ドアが開いた。パチンコ玉が弾かれる騒々しい音がなだれこんできた。
「ちょっとちょっと、雛形先生」
琳太郎が止めるのも聞かず、雛形は再びちょこまか歩いて店内へ進んでいった。どのパチンコ台がいいか、物色をする。
「じゃ、私打つんで、そこで待っててもらえます?」
騒音の中で、雛形が言った。
「えー?」
琳太郎は動揺を隠さず言った。雛形は適当な台の前に座ると、玉を入れて打ち始めた。
「こんなのやめましょうって」
琳太郎が言うや否や、パチンコ台が突然「ピコピコピコ、キュイーン」と鳴った。
「きた」
雛形がつぶやくと、台が大量の玉を吐き出した。琳太郎だけでなく、周りの客もジロジロと見る。目の前の光景が信じられなくて、琳太郎は呆気に取られるばかりだった。
結局、雛形の大勝利だった。三十二万円の現金に換金すると、意気揚々とパチンコ屋を出た。追いかけてきた琳太郎にそれをそっくりそのまま、手渡した。
「受け取れません。絶対に受け取れません」
琳太郎は首を横に振った。
「いいえ、受け取ってもらわないと困ります」
雛形は頑なだった。怖い顔をして、琳太郎に万札を握らせる。
「そんなことできるわけないでしょ」
琳太郎は一生懸命拒否した。こんなふうに助けられたくない。受け入れられない。まったく、雛形という女は底が知れない。こんなに綺麗な大和撫子がパチンコの天才だなんて、誰が思うだろう。雛形は急に目がすわり、琳太郎の襟元を両手で掴んだ。低い声で語りかける。
「私はあなたにお小遣いをあげるんじゃないのよ。生徒のためです。あの子達に技術を身につけさせたいんでしょう。だったら素直に受け取りなさいよ。お見合いなんか、どうかしてる」
「それはこっちのセリフだよ。パチンコなんか、どうかしてる」
琳太郎も切羽詰まって言い返した。二人とも敬語を忘れてヒートアップした。雛形は強引に札束を琳太郎のポケットにねじ込もうとしたし、琳太郎はその手を掴んで引き戻そうとする。道行く男女が、ヒソヒソ笑いながら通り過ぎてゆく。琳太郎は我に帰って、雛形の両手をそっと握った。雛形も、襟元を離した。
「雛形先生。分かりました。でも、これじゃ俺の気が済みません」
琳太郎が息を切らしつつ穏やかな口調で言うと、雛形は大人しくなった。気まずそうに顔を逸らす。生温かい夜風が吹いて、二人の顔を撫でた。周りの通行人達は思い思いに喋りながら、二人の前を行き来していた。
「お礼をさせてください」
琳太郎は万札を握りしめ、雛形に頭を下げた。




