問題児
怜と琳太郎は第二音楽室へやってきた。怜だけは戸口にもたれかかり、和やかな雰囲気を気に食わなそうに見ていた。怜の姿を見つけた響は、鬼の形相でずんずん歩み寄ってきた。怜は半眼でその様子を見る。
「あんた最低」
響はいきなり切り出した。
「は? 誰お前」
怜は顔を歪ませた。
「私、知ってるよ。あんたが梅ちゃんを怪我させたんでしょ。土下座しなさいよ」
響は額に青筋を浮かべ、低い声で言った。
「うっせ、ブス」
怜が一蹴した。
「なんだ、ゲス」
響は指の骨をバキバキ鳴らしながら返すと、怜が近くにあった机を蹴飛ばした。机は音を立てて横転した。怜は制服のポケットに手を突っ込み、上体を前方に曲げ、響の顔に自分の顔をぎりぎりまで近づけて、刺すように睨めつける。結那とまりあは怖がって、部屋の隅で震えた。
「やめろ、大鷹」
琳太郎が毅然と言った。
「うっせーなハゲ」
「先生に暴言吐かないで」
毒づいた怜に、横から響が一喝した。
「大鷹。鶴岡さんにも梅ちゃんにも謝れ」
目の上にたんこぶをつけた直樹が、怜と響の間に割って入った。
「あんだあ、この雑魚が。もう一発ぶち殴ってやろうか」
怜が今度は直樹を睨み返した。
「やれるもんならやってみろ。お前は卑怯者の弱虫だ。ただのクズだ」
「大鷹、白鳥。そこまでにしろ」
今にも怜が直樹に殴り掛かろうとしたところ、琳太郎が、華奢な直樹の体をサッと持ち上げて脇に押しやった。そこへ梅子がやってきた。
「あ、いたた」
梅子が痛そうに脇腹に手を当てた。
「大丈夫か目白。無理すんな」琳太郎がわざとらしく、甘ったるい声で言った。梅子は笑いそうになるのがバレないよう、うつむいた。
「さて。加害者の野良猫には何やってもらうかね」
琳太郎は怜の肩をばんばん叩きながら、ニヒルに笑ってみせた。怜は悔しそうに歯を食いしばって、手を振り払った。
部屋の隅でことの成り行きを見守っていたまりあは、結那に小声で話しかけてみる。
「ね、あの先輩、かっこよくない?」
「え?」
結那は怪訝な顔で聞いた。
「ほら、あの人」
まりあが怜に向かって指さした。結那はその方を見て、首を横に振った。
「怖い人だよ。やめた方がいいよ」
結那が言っても、まりあの視線は怜にロックオンしてしまった。
その後、木管楽器のメンバーは音楽室の中で、金管楽器のメンバーは前の廊下で練習を始めた。怜は、梅子が準備したトロンボーンに触ろうともしなかった。こんなことなら同級生を怪我させたことが母親にバレてもいいんじゃないかと思うようになった。くだらない。つまらない。退屈で仕方ない。こんなクソみたいな部活、やる意味あんのか。
「ちょっと、ちゃんと練習しなさいよ」
梅子がきつい声でたしなめると、怜は蝿を追い払うような仕草をしてみせた。
「デブはお呼びじゃないよ」
「誰がデブだよ、ハゲ損ない」
梅子は、坊主頭が少し髪が生えかかっているのを見て言い返した。我ながら秀逸な例えだと、少し笑いそうになった。
「あー、つまんねー。もっと可愛い子だったらなー。デブスは最高につまんねえな。なんか面白いことやってくれや。顔しか面白くねーし」
怜はトロンボーンをわきに押しやり、廊下にあぐらをかいて座ると、鼻をほじりながら言い捨てた。梅子は無視して立ち、トロンボーンを左肩に乗せ、右手でスライドを持った。それからゆっくりと音階練習を始めた。ボウ、ボウ、ボウ、ボウと力強く音色を響かせる。
「なんか、屁みたいな音だよな」
怜が茶化した。それでも梅子は無視して続ける。
「好きだねー。めんどくせえから俺の分も屁ぇこいてくれよ」
怜は下品な声で笑う。梅子はまだ無視している。
「そのうち屁じゃねえもんも出てきそうだな」
と、怜が言った途端、怜は唐突に前のめりして床に倒れた。倒れながら、後頭部を押さえている。どうやらトロンボーンのスライドを激しくぶつけられたらしい。
「あ、ごめん」
梅子が白々しく言った。一部始終を見ていた幹生は、チューバのマウスピースから口を離し、くすりと笑った。銀之丞はとっさにゴングをバアアンと鳴らしてみせた。
「ボス。さーすーがー」
梅子を『ボス』とたたえる銀之丞の方を、怜はキッと睨んだ。
「クソどもが」
怜は捨て台詞を吐くと、階段を降りていってしまった。まりあも追いかけようとして、結那に止められた。
「あんな奴ほっときなよー」
銀之丞が梅子を励ました。梅子は銀之丞の言葉に反応せず、黙って怜の楽器を掃除する。音楽室から顔を出した琳太郎は、その様子を黙って見届けた。




