吹き始め
新年最初の部活の日、ミド中はまだ冬休みだった。北校舎四階の廊下では、吹部の木管メンバーが集まって練習していた。
「この曲って、切ないよね」
直樹が「百年祭」の楽譜を見ながら、直樹が言った。
「うん」
響が相槌を打った。
「百年も歴史がある学校が、なくなっちゃう時に作られたんだろ。うちの学校のことだと思ったら、なんだか胸が苦しくなっちゃうよ」
直樹が物思いに耽るように言った。
「さすがに俺らがいる間は、廃校にならないよ」
健治が笑い飛ばした。
「うちの代だと、そろそろやばいっすか」
一年生の大輝がバスクラを握りしめ、悲壮感を込めて言った。
「そんなわけないでしょ」
同じく一年のまりあが、横から怒って突っ込んだ。
「出だし、合わせてみよう」
直樹が仕切り、メトロノームを鳴らしながら、イントロの練習を始めた。
イントロは1stクラリネットの響から始まり、続いてフルートの直樹が重なり、アルトサックスの錬三郎へと続く。三人は鼻で大きく息を吸い、ゆっくりと慎重に、それぞれの楽器を吹奏する。直樹は一旦、メトロノームを止めた。
「パーカッションの出番はしばらくないし、管楽器だけで聴かせなきゃなんない。しかも、俺たちだけ。厳しいよな。みんな、もっとロングトーンをやった方が良さそうな感じがする」
直樹は腹筋のあたりを撫でながら言った。健治がじろじろ見ながら、直樹の腹を触った。
「お前結構、腹筋あるな」
健治が感心して言う。
「お前こそどうなんだよ」
直樹が笑って健治の腹を撫でる。腹筋は、あるにはあった。
「大丈夫、お前もあるじゃん。表面に柔らかい肉、乗ってるけど」
直樹が面白そうに言うと、健治はへへへと笑う。
「男同士で腹なんか触り合って、ニヤニヤすんなよ」
錬三郎が気色悪そうに苦言を吐くと、隣でまりあが笑った。
「ロングトーンもいいけど。みんなで腹式呼吸、もっとやろうよ」
響が提案すると、皆は頷いた。
「おっけ。みんな腹式やってから、ロングトーン、やろ。絶対、やった方がいい」
直樹が言うと全員、楽器を置いて、腹式呼吸のトレーニングを始めた。
一方、第二音楽室では、金管メンバーが集まって練習していた。
「ここ、もっと広がって。青空みたいに」
副部長の梅子が短い両手を伸ばしながら、怜に言った。怜は神妙に頷く。
「青空みたい、って。梅子は言うことがかなり芸術家っぽくなってきたね」
公彦がトランペットを肩に乗せ、不敵に笑う。
「そうだよ」梅子がふんと鼻を鳴らした。「先生に言われてるじゃん。でかい音出すだけなのが金管じゃねえだろって。みんなで芸術家になればいいんだよ」
梅子が言うと、一年生の結那と恵里菜が口元に笑みを浮かべ、頷く。
「でも、史門。あんたはもっと音、出しな」
梅子は史門のそばに寄って、楽譜を指さして言う。
「2n dがしっかりやってくれないと、恵里菜の1s tが生きない」
ホルンの史門は黙って頷き、楽譜に「1s t生かす しっかり」と書き込む。
「幹生、もっと抑えて。十分聞こえてる。バランス考えて」
「はい」
チューバの幹生は真面目に頷く。
「じゃあ、みんな。途中からね。金管がかっこいいとこだから、気合い入れていくよ」
梅子がメトロノームを再開させ、ユーフォニアムを抱えると、カウントを取った。トランペット、ユーフォニアムとチューバ、ホルン、トロンボーンと順を追って続き、息を合わせて吹奏した。
午後になり、皆は第二音楽室に集まった。
「みんな、あけましておめでとう」
琳太郎が指揮台の前で回転椅子に座り、軽く微笑んで挨拶した。
「あけましておめでとうございます」
部員達も大声で挨拶した。
「よし、百年祭、やるぞ」
琳太郎がタクトで指揮台をトントンと叩くと、皆は楽器を構えた。
合奏が終わると、ミーティングの時間になった。
「さーて、三学期もやることが多いぞ。発表会、音楽鑑賞会、アンコンに、ソロコン」
音楽鑑賞会というのは、来年度入学予定の小学六年生を対象に、吹部が体育館で行う演奏会のことだ。他の部にはなく、吹部にだけ許される、一種の宣伝活動の場である。アンコンはアンサンブルコンテスト、ソロコンはソロコンテストを指し、それぞれ年度末に開催予定となっていた。
「小学生の前ではきっちり宣伝しとかないとな」
「はい、先生。俺は絶対、J-POPやった方がいいと思います」
直樹が勢いよく手を挙げて言う。
「だろうなー。小学生相手だとそっちの方が受けはいいだろうな」
琳太郎は腕を組んで頷く。
「ゲーム音楽とか、ラテン系のやつもいいと思いまーす」
銀之丞が楽しそうに言うと、琳太郎はそれにも頷いた。
「あの、」
健治が言いにくそうに手を挙げた。
「なんだ」
琳太郎が聞いた。
「なんか、うちの妹が絶対入部するとか言ってます」
健治が苦虫を噛み潰したような顔をして言うと、皆がオーッと歓声をあげた。
「やるなあ、お前。一人確保」
琳太郎が大いに頷いて拍手し、健治を褒めた。
「俺は一言も入れなんて言ってません。死ぬほど嫌なんですけど」
「楽器は?」
梅子が興味津々で聞く。
「どれにするかは、入ってから決めてやるって、偉そうに言ってます」
健治が顔をしかめて答えると、一同は笑った。
「えー、健治の妹ならクラに欲しい」
響が愉快そうに言った。
「やだよ。兄弟おんなじ部活っていうだけでも吐きそうなのに。絶対、ぜーったいやだ」
健治が首を高速で横に振り、力を込めて言った。
「え、いらないならサックスにくれませんか。バリサクに欲しいです」
まりあが真剣な顔して、後ろから話しかけた。
「そうだよな。うちによこせよ」
錬三郎も大いに賛成する。
「いや、それならコントラバスっすよ。低音、足りてません」
幹生も会話に乱入してきた。
「健治の妹はトランペットに向いているだろうね。どうやら主張が激しいタイプみたいだ」公彦が面白そうに言い張った。「僕が面倒みてやろう」
「おい。ボーンに入れろよ」
今度は怜が面白そうに笑って混ざってきた。梅子も頷く。
「確かに。うちらボーンは三年になったら、下がいないもん。健治の妹はボーンがもらう」
梅子が当然だとばかりに言った。
「健治に似てなくて結構、可愛い子なんだよ。フルートに来てもらおうかな」
妹を幼い頃から知る直樹が、笑って言った。
「可愛いならパーカスも大歓迎ー」
銀之丞が楽しそうにドラムスティックをぶん回す。伊久馬も調子に乗ってタンバリンを叩いた。
「わかった、どこでもいいからもらってくれ。返品不可。すげえ生意気なんだよ」
健治が言うと、皆は爆笑した。
「俺はすげえ楽しみだぞ」
琳太郎も笑って言う。
「先生、あいつのことはタクトで刺してもいいです。俺が許します」
健治が真面目な顔で許可すると、琳太郎は笑って首を横に振った。
「先生」
琳太郎が第二音楽室を出ようとしたとき、最後まで残っていた直樹が、響とともに声をかけた。
「俺、ソロコンで『春の海』やりたいんです」
直樹は熱を込めて言った。
「おー、渋いやつ持ってきたな」
琳太郎が感心して言った。
「本当は篠笛でやりたいんですけど」
少し納得の言っていない顔をしながら、直樹は続ける。
「篠笛か。まー、あれの方がそれっぽいよな、日本の楽器だし」琳太郎は頷く。「でもいいんじゃないか、フルートで」
琳太郎は諭すように言うと、直樹も響も頷く。
「ピアノの伴奏は、響にお願いするつもりです」
「はーん」
琳太郎は面白そうに頷く。隣にいる響が少しはにかんでいる。
「休み中、練習したんです」
「はーん」
琳太郎はますます面白そうに頷く。直樹の首には黒いマフラーが巻かれている。
「ある程度できたら、みてもらえませんか?」
「いいよ」
琳太郎が頷くと、直樹は嬉しそうに「ありがとうございます」と笑い、響と帰っていった。
「青春だねえ」琳太郎は二人の後ろ姿を見てつぶやいた。「俺も青春、やりに行こう」
琳太郎はスマートフォンを取り出し、メッセージを送信した。
つづく




