第1話
…眩しい…ここは…どこ?
向こうには原っぱ…懐かしい匂い。
「…すねぇ!」
誰かの声がする。
とても懐かしい声…誰?
声のする方に走っても走ってもそこに行けない。
でも、声だけは段々大きくなっている。
「…すか!ぁすか!」
あれ?この声…。
「明日香っ!」
母の怒鳴り声でこの家の一人娘、松下 明日香(22歳)は飛び起きた。
「うわっ、びっくりしたぁ。眩しい…。」
母親が明日香を起こすのにカーテンを開けていた。
12月31日
今年は暖冬だといわれているが、朝は底冷え。
布団から出るのに必死だ。
「まったく、いつまで寝てるのよ。今日は忙しいんだから早起きして手伝ってって、頼んであったでしょ!」
母は凄い剣幕である。
「ごめん、すぐ下に行くから。」
「ほんとにもぅ。」
と言いながら、母は部屋を出て行った。
「はぁ・・・サブっ。」
またあの夢だった。
小学生の頃からたまに見る夢。
いつも眩しいシーンから始まって、聞き覚えのある声が聞こえる。
「ん〜〜〜〜〜〜!よしっ!」
明日香は意を決して布団から出て、洗面所に駆け込んで顔を洗った。
メガネだけかけて寝巻きのスウェットにカーディガンを羽織って下におりていった。
すでに母は今夜の宴に出す料理の下ごしらえなどをしていた。
半端ない人数が集まる大晦日、食材や調味料は業務用スーパーまで買いに行かされた。
「お父さんを手伝って。」
母に言われ玄関に行くと、父は届いた貸し布団を客間に運んでいた。
これも半端じゃない量。
「おはよ、パパ。手伝うよ。」
明日香は布団運びを手伝い始めた。
「おはよ、ねぼすけさん。」
父は笑いながら布団を運んでいる。
今日は親戚が午前中から午後にかけて続々とやってくる。
松下家では、毎年大晦日にみんな集まって新年を迎える。
だいたい2日くらいまでゆっくりしていくのだ。
この家を、父が祖父から受け継いだおかげで、我が家は毎年準備が大変なのである。
大量の布団運びの後は、昼食を食べて買出し。
さすがに寝巻きじゃね・・・
明日香は部屋に戻り着替え、メガネからコンタクトに替えた。
唯一、車の運転ができるのは明日香だけ。
母がリストを書いてる間に、支度をした。
眉毛くらいかかなきゃ。
眉ペンで眉毛を書き足していると、“ピンポーン♪”と、鳴った。
もう誰か到着したらしい。
明日香は上着を持って下におりていった。
階段の角のところで、出会いがしらで誰かとぶつかった。
突然現れた誰かは、倒れそうになった明日香を抱き留めた。
「ごめん!大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
「明日姉だ!」
明日香は相手の顔をみた。
従兄弟の啓輔だった。
「啓輔!久しぶり。」
「久しぶり!」
10年ぶりに見る啓輔は、背も高く、ずいぶん大人になっていた。
「どっかいくの?」
啓輔は、明日香の格好を見て聞いた。
「うん。買い出しにね。」
「俺も行っていい?荷物多かったら男手必要だろ。」
「うん、助かる。」
明日香は台所に行き、母からお金とリストを受け取りガレージに向かった。
「なんか、不思議。」
啓輔は言った。
「何が?」
明日香はシートベルトをしながら聞いた。
「明日姉が運転するなんて。」
「そぉ?」
「俺の中で明日姉は10年前で止まってるから。」
そっか。
あたしはTVでみてるけど、啓輔にとっては10年前のままなんだ。
啓輔。
10年前、隣の家から都内に引っ越して以来の再会。
今や人気の新人俳優である。
子役から下積み時代を経て、今年、来年公開の初主演映画が決まった。
車で走ること10分。
地元で一番大きいスーパーに着いた。
年末ってこともあり、駐車場に入れるのに20分もかかってしまった。
しかし、大変なのはこれから。
店内は人・人・人。
まず、2階の生活雑貨売り場から行った。
これからやって来るちびっ子たちに渡すお年玉の袋と、退屈しないようにカルタやゲームを用意した。
「優しいおばちゃんじゃん。」
啓輔が言うと、「なんか言った?」と、明日香が睨んだ。
「なんでもなぃです」
啓輔は笑ってごまかした。
「啓輔は必要なもんないの?」
「俺も、お年玉んじょ袋くらいかな。強いて言えば…。」
「何?」
啓輔は、カートを押して明日香より前に出て覗き込み、
「明日姉が欲しい。」
と、言った。
「はぁ?何言ってんの?」
明日香が眉をしかめて言うと、
「なんでもねぇよ。」
と、笑って言った。
「変な奴。」
結局、全ての買い物がすむまで1時間もかかってしまった。
仕方なく明日香は、家に連絡を入れて、そのまま祖父母を迎えに行くことにした。
祖父母の家は、全室バリアフリーの高級マンション。
父に引き継いだ家を出て、老後は家政婦さんに身の回りの世話をしてもらって優雅に暮らしている。
車を入り口に停め、家政婦さんに迎えにきたことをインターホンで伝え、祖父母を家までお迎えに上がる。
啓輔がいてくれたおかげで車をエントランス前に停めて見張っててもらえた。
「おばぁちゃま、おじぃちゃま、こんにちは。お加減いかがですか?」
「いつもすみませんねぇ。」
「今日はサプライズなゲストが来てるわよ。」
祖母は、家政婦さんから明日香に引き継がれエレベーターに向かう。
祖父はは家政婦さんに付き添ってもらった。
エントランスを出ると啓輔が大きく手を振った。
「じぃちゃん、ばさちゃん久しぶり!」
「啓輔か!立派になったなぁ。今年はきたのか。そうかそうか。」
10年ぶりの孫との再会に嬉しそうな祖父母。
祖父母は毎年孫やひ孫に会えるこの日を楽しみにしている。
「今年も賑やかな年越しになりますかねぇ。」
祖母が言った。
「家に着く頃はみんな到着してきっと賑やかよ。」
「年に一度の楽しみなんだよ。」
「いつも来れなくてごめんな、じいちゃん。」
啓輔は申し訳なさそうに言った。
「こうやって会えたんだから、嬉しいよ。」
祖父はニコニコしている。
明日香はそれが長生きの秘訣になってるんだと思った。
家に到着し、母がパタパタと小走りで玄関にやってきた。
「いらっしゃい、明日香の運転で酔いませんでした?」
母は真顔で冗談を言う。
「だったら、あたしに頼まないでくれる?」
明日香はむくれて言った。
「全然酔いませんよ、ねぇ?おじいさん」
祖母はいつもこんなリズム。
明日香もたまにコケそうになる。
案の定、家は親戚の子ども達で賑やかになっていた。
祖父母の到着で、居間では楽しく談話が始まった。
松下家の女たちはキッチンで母の手伝いをしている。
明日香は部屋に戻り、お年玉の準備をすることにした。
コーヒーメーカーの電源をonにし、明日香のお気に入りのお店のコーヒーを落とす。
この香りがいいんだよね。
“トントン”
「はい?」
「俺。啓輔」
「入りなよ」
“ガチャ”っとドアが開き、啓輔がひょこっと顔を出した。
「大人の話しにはついていけないよ。下にいてもつまんなくてさ。」
「啓輔だって大人じゃない。」
「子供の相手をすんにも少し体力が。」
「いいじゃない、子供なんだから。」
「どっちなんだよ。」
啓輔はむくれた。
「冗談。コーヒー飲む?」
「うん。すげぇいい香り」
どうやら、啓輔もコーヒーの香りに癒されるようだ。
「わたしのお気に入りのブレンドなの。ミルクと砂糖は?」
「明日姉と同じでいいよ」
と、言って後に後悔することになる。
「・・・明日姉、ブラックなんだ?」
「うん。」
様子を察した明日香は、笑いながら砂糖とミルクを出した。
「ありがと。大人だなぁ、やっぱり」
啓輔は苦笑いで言った。
「そぉ?コーヒーで判断するもんじゃないわよ。」
と言って、コーヒーを飲んだ。
明日香の部屋は、10畳の広いフローリングにピンクが基調の女の子らしぃ部屋。
コーヒーメーカーや、専用冷蔵庫もある。
ラグマットが敷かれたとこにソファと硝子テーブルがあり、そこで二人はお年玉の準備を始めた。
「年に一度の大出費(笑)」
「そっか明日姉は毎年だ。」
「うん。」
啓輔は、部屋を見渡した。
ふと、本棚が目に入った。
たくさんの本がならんでいる。
明日姉は、昔から絵本とか好きだった。
「明日姉、本がたくさんあるね。」
「うん。好きだからね。たまに作家みたいなことやってんだょ。」
「マジ?今度見せてよ。」
「気が向いたらね(笑)」
と、明日香は笑って言った。
作り終えると、明日香は棚からお菓子を取り出しテーブルに広げた。
「あたし、昼寝するからくつろいでて。冷蔵庫にコーラとかもあるし。」
明日香はそう言うと、ベッドに入ってしまった。
マジかょ…。
仕方なく啓輔は本棚から漫画を持ってきて、お菓子をつまみながら読み始めた。
しばらくすると、明日香の寝息が聞こえ寝てしまったことがわかった。
啓輔はチラっと明日香をみた。
気持ちよさそうに寝ている。
啓輔は、幼い頃から明日香に想いを寄せていた。
啓輔が小学校に上がったばかりの時、慣れない環境についていけず泣いてばかりだった。
ある日、母親が仕事で遅くなるといって明日香の家で預かってもらうことになっていた日、班長会議に出ている明日香を一人下駄箱で待っていた。
とっくに下校時刻は過ぎている。
なかなか明日香はやってこなかった。
段々暗くなってくる校舎に啓輔は不安でいっぱいだった。
急におしっこに行きたくなった啓輔はトイレに行こうと立ち上がった。
外は夕日でまだ明るかったが、振り向くと、暗くなってきているシーンとした広い校舎は小さい啓輔にとって不気味にさえ感じた。
明日姉が来てからにしよう・・・
だが、なかなか明日香は来なかった。
足をばたつかせながら、いよいよ限界に達したとき勇気を振り絞ってトイレに向かって走り出した。
しかし、1年生の啓輔にはトイレは遠かった。
とうとう開放してしまったとき、たまたま通りかかった上級生にそれを見られてしまった。
大笑いされて泣くしかなかった啓輔も前にいつの間にか明日香が立っていた。
「あんたたち、困っている小さい下級生を笑うなんてサイテーね。あたしの大事な従兄弟を今度またいじめたらただじゃすまないよ。」
こんなんで明日香は当時小学校三年生。
「啓輔、大丈夫?遅くなってごめんね。こんなこと恥ずかしくなんかないからね、今用務員のおじちゃん呼んでくるから、掃除したら一緒に帰ろう。」
そう言って、明日香は用務員さんを呼びに行って、掃除が済むと一緒に謝って、啓輔の手を引いて帰った。
これが啓輔の初恋になる。
それ以来、明日香は“スケ番明日香”と呼ばれるようになり、男子から恐れられるようになった。
ある日、アニメでいうジャイアンみたいな奴に、明日香がいじめられたことがあった。
「お前らできてんだろ?」明日香が啓輔と一緒にいるのをバカにしてきたのだ。
口喧嘩から始まり取っ組み合いにまでなって、ジャイアンの気が済んで帰る頃には、明日香は傷だらけになっていた。
オレ・・・なんにもできなかった。
明日姉を助けてあげられなかった・・・・
あんなデカいやつに立ち向かってまで自分を守ろうとした明日香をいつか必ず守ってやるんだと心に誓った。
それから啓輔は、嫌いなピーマンを克服したし、牛乳もたくさん飲んだ。
空手も習った。
ただ強くなりたくて。
啓輔は幼稚園の頃から、母親のエゴで子役の劇団に入っていた。
母親の夢はジャニーズ。
しかし、啓輔は演劇に興味を持った。
その思いがあってか、ちょくちょく脇でドラマやCMに出るようになった。
地道な努力の甲斐あって、10歳の啓輔に映画の話しが来たのだ。
その撮影は、都内を中心に行われ、地方でもある。
学園もののミステリードラマの映画化。
その出演が決まったのだ。
そのために、家族もろもろ東京へ引越しすることになった。
映画初出演で嬉しい反面、明日香との別れはツラかった。
そこで思いついたのがプロポーズだった。
別れの日、ホームで10才の啓輔は明日香にプロポーズをした。
「オレが一人前の俳優になったら、結婚して下さい!」
明日香はにっこり笑って
「うん。頑張ってね!」
と、手を振った。
その出演がきっかけに今や若手ナンバー1俳優。
明日姉は、あのときの返事を覚えているだろうか…
いくら年の差2つとはいえ、12才の明日香はもう年頃だ。
自分のためにわざと言ったのかもしれない。
何も知らない明日香はグウグウ寝ている。
思わずため息をついてしまった。
啓輔は、明日香の顔に近いた。
綺麗になったよ。ホントに。
階段でぶつかって倒れそうになった明日香を抱き留めたとき、大人になった明日香を見て一目惚れした。
惚れ直したが正しいだろう。
明日香が自分の腕にすっぽり収まってしまった。
守ってやれる!
啓輔の手が自然に明日香の顔を触ろうとしている。
すると、
「何?」
突然明日香が目を開けた。
大きな瞳がこっちを見ている。
「うわぁ!」
思わず後ろに倒れてしまった。
「うわぁ!じゃないょ。」
目をこすりながら起きた。
「気持ちよく寝てるなって思って。」
啓輔はごまかした。
「だったら啓輔も寝ればいいじゃん。」
「え、隣?」
「え?」
明日香は少し考えて、
「あぁ、そっか。布団ないもんね。いいよ。」
と言って、半分空けた。
「え?いやっ、」
半分空けると、そのままそっぽ向いて寝てしまった。
「お邪魔します。」
啓輔はドキドキしながらそーっと布団に入った。
布団は明日香の温もりで暖かくなっていた。
緊張して寝れるかよ…
啓輔は思ったが、なんだか懐かしいような気がして、気付いたら寝てしまっていた。