若き当主の青き日々 前編
アルセイドくん達のとある日常。少し続く予定です
『先日予約が入ってた団体客ですがね、急にキャンセルとなりました』
「やっぱりか」
『ええ。南西の河川が氾濫したせいです』
「あれなんとかなったんじゃないの? 隣町に続く一本、客入りの生命線でもあるから知り合いにも頼んで念入りに護ってたあそこをそっちに任せたの間違いだったの? 橋は壊れてないんだろ?」
『ええ、私達地元の人間も周囲の人型精霊族も総出であの道を維持していたつもりでした。少なくとも台風による崩壊程度では……』
「まどろっこしいわ。要はまた『余所者さん』が来たんだろ」
『……そういうことですね』
アルセイドは溜息をついた。ぱらぱらと書類を捲りながら受話器を反対側の耳に押し当てる。さっきから片方の手は休まずペンを走らせている。
一通り状況報告を聞いた後、もう一度受話器の位置を変えてなめらかに言葉を紡いだ。
「そっちのことだから一通りの対処はやってる前提で進める。今から隣町に封書出すから、『余所者さん』がつっかかってきたら録音でもしといて」
『承知しました。……毎度後手で申し訳ありません、お手間を取らせます』
「まあ、向こうも色々勉強してきてるってことだろ。でも時期的に急だから、統率が取れてないうちに叩く」
『ええ』
受話器を置き、ふう、ともうひとつ溜息。
「あーもーめんどくせー」
会話をしている間、書き上げた文面をざっと見直して文机の引き出しを開けた。インクが写らぬよう薄紙を一枚一枚に圧し、これまたざっと纏めて折る。一発で無駄なく畳んだ紙の束を、封筒に包む。灰皿の横、机の上に出しっぱなしだった煙草用の燐寸がシュッと音を立てて擦られた。
「めんどくせーけどこれ終わったら自由時間ー」
上質な紙に、上質な封蝋が為される。向かい合った獣と人―――鈍銀色にて象形されたのは古の言語の基【友なる異種の対】。
その署名印を、読める者ならこう読むだろう。
【騎獣の友】と。
「終わったら俺のターンー」
代々当家当主しか使うことを赦されない、自然区域の広大な土地の所有者であることを証明する唯一無二の刻印を軽々と捺し、アルセイドはそれを鞄に入れた。
「――終わったらデート!!」
そうして黒髪の青年は家を出る。とりあえず目の前の仕事を終わらせ、早々に恋人とのデートへと繰り出すために。
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「いらっしゃいま、……なんだアルか」
「おひさぁテオ。急で悪いけどまたこれ、頼むわ。出来れば今日中」
「うちは郵便屋じゃなくただの養蜂家なんだが」
「いつも通り報酬弾むからさ。息子さんの誕生日もうすぐだろ? あと結婚記念日も。今日中にあの危険地帯越えられるのテオんちの『女王』しかいねえんだわ。付け加えるなら、それだけの信頼おけるの」
「……」
「ほらーウチのリゾート宿泊ペア無料券も特別につけちゃるぜ、わーおアルセイドさんふとっぱらー」
「……。少々態度は気に食わないが、受けてやるよ。君のためじゃない、家族サービスのためだ」
「ツンデレなとこは息子さんと同い年の頃から変わんねえなあ、テオ?」
「君も二十年前からまったく変わらないのが、ぞっとしないな。この若作りが」
「っあはははは!」
「悪口を言われてずいぶんと嬉しそうだ」
「もうこうなってくるとなーんか嬉しくてな! この前国立博物館に大量に寄付したせいで、まーた変に気ぃ遣う奴増えたのよ。俺に対してドストレートに物言うダチは今じゃテオだけよー貴重なのよー?」
「田舎者扱いされているとしか思えないね。言っておくが、私は君みたいに暇な時間も余裕も無い。金を置いたらさっさと去れ。また金を積むのなら、次の仕事を請け負ってやってもいい」
「はっは! テオのツンデレってまじクセになるわー」
「そろそろ来るぞ、『女王』が」
「完全スルーと共に卒ない仕事ぶり! さすが七百年前から自然区域内の『虫』を操る家系の末裔だね! 俺女の子だったら惚れちゃう! キャー!!」
「……」
「死んだ目での完全スルー継続塩対応! ステキよテオー!!」
「……」
「……アル」
「ん?」
「先日の仲介については、礼を言う。いずれはアルカリ―に進出しようと考えてはいたが、あそこは地元の産業が強いから難しいと思っていた。あれだけ腕の良い地元の菓子職人と即繋がれるとは正直思っていなかった」
「んー、それは単にテオんとこの蜂蜜が質良いからだろ? 俺はあちらさんを紹介しただけ。需要と供給は噛み合ってるし、モノが良いんだからあとは相談次第で間違いないって最初から思ってたよ」
「それはどうも。……ただ、」
「ただ?」
「どうも、時機が都合良すぎるような気もしてな。なぜアルカリ―で不信任案が可決される直前にルギリア国の私にこういった話が来たのか、次期政権が誓約している輸入法改正前に商談が成立したのが正直出来過ぎだと」
「そーお?」
「国外での取引は駆け込みでは間に合わないからな。外国人は事前に情勢を識ってでもいなければ、こういう話を持ってこれない。――アル、君は、」
「えー俺難しいことわかんなあい。偶然じゃなあい? 俺、たまたま旅行したアルカリ―のベルクァの片田舎でうっまい店見つけて、これテオんちの素材使ったらもっとうっまくなるんじゃね?と思ってオーナーパティシエに営業してみただけだから。たまたま俺の知り合いがその店と家族ぐるみの付き合いで、そういう話が出来ただけだから。いやあ人の縁って偉大ダネーって話だから」
「……なるほど」
「そゆこと」
「アル」
「ん」
「最近、仕事の宛先といい、あの国に出掛けることが多いようだが、その、………アルカリ―に、移住するつもりなのか?」
「……へ? いや、ちげえよ?」
「じゃあ、なぜ」
「あらまテオちゃんったら俺っちが仕事以外でこの店に来ること少なくなったから拗ねてんの? ルギリア人のくせにアルカリ―に行き過ぎだって? きゃーお兄さん近所の子に懐かれちゃってるわーうれしー!」
「こっちはもういい歳の大人だし真面目な場面でのその言葉遣いには正直腹が立つからこっちが真面目に聞いている時はやめてくれないか。……で、どうなんだ」
「移住はしねえよ? まだそんな準備してないし。つか、まあ、どっちかっていうとうん、向こうがこっちに来るのかな」
「へ?」
「まああいつの希望次第だけど……でも、たぶん、うん、そうなると思う」
「おい、まさか、知り合いって、」
「っ次報を待て! アルセイドくんの冒険はこれからだ! じゃあなテオ! 手紙頼んだ!!」
「待てよ、アル!! ……ったく」
やがて大きな羽音をさせ近づいてきた「彼女」に、彼は苦笑して話しかける。
「俺の知っているあいつは昔からああいう男ですが。貴女はどう思う?」
「彼女」―――永劫の時を生まれ変わりながら生きる、霊力界隈の偉大なる蟲は声なき声で応えた。
《百代前の識っている昔からそうよ》と。