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71.何事もない一日

 フーシェとヘンゼルには内緒で活動をすることを決めてから一月が経過していた。様々な問題があって悪化していたフミヤの体調は改善され……精神は疲弊の極みに達そうとしている。


「……フミヤ」

「いや、もう……何かもう……ネフィ、いい子だから、ね? ね?」

「ふふっ……私が、いい子?」


 現在、フミヤは自室のベッドにいる。夜も更けている頃だ。一緒にいるのは言わずと知れた彼の元主、ネフィリスシア嬢だ。彼女はその無表情な顔に仄かに香らせる蠱惑的な笑みを浮かべながら吐息がかかりそうな距離でフミヤに分かる程度に微笑んでいる。


「そう。いい子だから。ね?」

「……私は……悪い女、よ?」


 他の者には決して見せない、そして他の者では分からない表情の変化。だが、分かるからすれば表情の変化が些細だとかそんなもの関係ない。


(……ッ、ダメだ。いや、ダメってことは分かってるけど……でも、本人が望んでる。なら、いいの、か……)


 望めば簡単に手が届く距離。月明りが二人を照らし、フミヤの手が伸び……


 突如、退魔コーティングされている強化窓ガラスが粉砕されて人間が降って来た。彼は歌う。

 

「あーたッらしーぃあーさがきたーッ!」

「「!?」」


 フミヤの手が止まる。いや、それどころか時が止まった。しかしロープから手を放し、二人を笑顔で、笑顔らしきもので見る男は止まらない。


「ンー! 部屋を盛大に間違えてしまったナァ。これは失敗だナァ……おや、ネフィも部屋を間違えているのかナ。こんな満月の夜には狼サンがいっぱいいるモンだ。ちゃんと部屋に戻らないとダメだゾ☆」


 白々しさの極致にある言葉。止まっている室内はまだ動き出さない。代わりに、止まっていなかった室外、廊下から駆け込んでくる音が聞こえる。


「ヘンゼル! お前何考えてんだ! 今日こそフミヤの命に……しまっ」

「また貴様かァッ! おんどれェッ! 貴様きさんこそ今日が命日じャァッ! ブチ殺したるわッ! 覚悟せェッ!」

「ま、待て、話せばわかる」

「言いながら逃げてんじゃねぇェッ!」


 喧騒が瞬く間に遠ざかっていく。その代わりに轟音、振動が外から聞こえ始めるが残されたヘンゼルは気にしていないようだった。


「さ、悪は去った。ネフィ、お前はもう少し自分を大事にだな……」

「……正座」


 怒ってますよーという顔で説教を始めようとしたヘンゼルの耳に聞こえて来たのは従妹の美声。小さいがよく通る声。しかし、意味がよく分からなかったヘンゼルはほぼ反射的に訊き直してしまう。


「は?」

「いいから、正座」

「いやいや、怒ってるのはこっち」

「正座!」


 公爵家、王族の気概を魅せつけるネフィリスシア。この日も結果としては何事も起こらなかった平穏な日の一日に含まれることになる。





「あーあーあー……どうしてあいつは何度やっても止まらんのか……ロッシュ兄ぃさーん、何か知らないですかねぇ~」


 表面上は何事も起こらなかった日の翌日。フミヤは微妙に寝不足の状態で彼の兄の部屋に入っていた。しかし、可愛い弟がこんな状態だというのに部屋の主は見向きもせずに答える。


「自分で考えた方がいい」

「無理」


 にべもない返事に即答するフミヤ。しばしロッシュは弟の事を無視して仕事を進めるが、フミヤが退出しないのを受けて顔を上げた。


「フミヤ……フーシェの考えが理解不能なのは分かる」


 だが、そうロッシュは続けた。


「お前はもう少し賢い奴だと思ってたが、そうでもないみたいだな……フーシェの考えは理解できなくともあいつがどうしてこんなことをするのか、そしてお前のところに直接来てるお嬢さんが何を考えてるのかは少しくらい考えられるだろ」

「……そりゃあねぇ……でもさぁ」

「でもじゃない。これでも教え過ぎたぐらいだ……さぁ、さっさと出て行け。俺は今忙しい」


 不満げなフミヤ。そんな弟に対して兄は書類を手に取ってひらひらとさせながら尋ねる。


「それともなんだ? お前が俺の代わりにこれ、やってみるか?」

「何……? うぇ」

「お前の愛しのフィアンセ様からのラブレターだ。一歩間違えば当家が火だるまになるほどの熱い思いが込められてる。これ……処理するか?」

「し、シツレイシマシター」


 王族誘拐犯になった自身の罪を問う王女殿下としての公的な書簡と、破談になりかけている上に自分にまで被害が及ぼうとしているから何とかしろというナタリアとしての私的な書簡。そして最後にネフィリスシアだけが1月経っても戻らないがどういうことなのか説明しろという婚約者としての怒りの書簡。


 それらがまとまっているのを見せられたフミヤは苦労人の兄に押し付け過ぎているのを自覚して謝罪しながら退出した。


 部屋にただ一人残ったロッシュは呟く。


「……俺もそんなに言えんが、疎すぎるなあいつは……」


 溜息混じりに告げた言葉。誰にも届いていないのを確認した後に机に向き直り、彼は窓の外に変なものが近付いている風を感知した。


「……今度は何だ」


 呆れつつも彼はそれを室内に招き入れ……吹き出し、仕事を投げ捨ててベッドに潜り込み、一度だけ叫ぶのだった。


「知るか!」


 その後、彼は不貞寝に入る。




 その頃、廊下ではロッシュの叫びが聞こえたフミヤが少しだけ申し訳なさそうな顔になっていた。

 

(……後で何か甘いものを持って行こう……何かいいの、あったかな?)


 ご機嫌取りをしなければならないことを理解したフミヤだが、事態は何も好転していないのも遅れながら気付く。しかし、頼りになる兄は頼りにし過ぎているのでこれ以上頼み事をするのは少々憚られた。残るは頼りにならないどころか現在の主な悩みの種である兄の方だけ。


(……んー、アレとは何回もお話してるがどうにもならん……ロッシュ兄貴にもう少し考えるように言われたけどちょっとなぁ……)


 物理的、肉体的なお話も文字通りの話し合いもしたが今一どうも噛み合わないのが現状だ。となると、もう一人の方と話し合いをするべきなのだが……


(ネフィはなぁ……何か、二人きりで話すと妙な雰囲気になり始めるからなぁ……あんなに綺麗で可愛らしいのを相手にすると、そろそろ俺も限界が来るかもしれないからなぁ……他に誰かを連れて行っても公爵令嬢兼、ウエノ家客将、ついでに何か既に俺の婚約者的な扱いで追い払われるし……)


 なんだか色々と強くなっているネフィにフミヤは勝てる気がしない。敗色濃厚の死地に自ら赴くのも馬鹿らしいのでフミヤは考え直し……不意に、巨大な魔力が恐ろしい速度でこちらに近づいているのを感知して目を鋭くした。


「この魔力は……! マズい!」


 慌てて自室に飛び込むフミヤ。室内では昨晩破壊された窓の修繕作業が行われており、突然飛び込んできた部屋の主を見て作業員たちが驚いている。


「悪い!」


 武具を手に取ったフミヤは驚く作業員たちの真ん中を突っ切って大空へと飛翔する。当然、修繕中だった窓は大破した。だが、今のフミヤはそんなこと考えていられない。


(何であいつが動いて……!)


 思考を置き去りにしながら高速飛行するフミヤ。巨大な魔力は探知するまでもなく飛んでいるだけで肌に刺さるようだ。その中心点、そこに奴はいた。


「ほ? 出迎えかの」

「【賢き魔物】……! 何しに来た!」


 大空を駆けるのは【竜の眠る地】の長、梟の顔をした【賢き魔物】、フェリルだった。




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