第3節
「あら、ハイエナ記者さん」
揶揄するような表情でそう呼びかける霧香に、
「灰田だ、つってんだろ」
頭を掻いて応える男性。
奏も面識があって、軽く頭を下げる。
灰田敦司。よく芸能雑誌などで主にアイドルに関連するコラムを寄稿していて、界隈では有名だ。特徴としては、とにかく辛口。彼に出くわすと、アイドルも、事務所のスタッフも、アイドルファンも、眉をひそめて距離をとる。けれど、それほど嫌われていても彼への寄稿の依頼がなくならず、読者も一定数いるのは、彼の批評が妥当ではあるからだ。
カナデも一度記事を書かれたことがあったが、その時は彼女のパフォーマンスのレベルと、ライブのステージのレベルが明らかに乖離しているというような内容で、根拠もしっかりと書かれており、奏自身も納得してしまった。
だから実際の所、奏は周りの人間ほど、彼のことを苦手に思ってはいない。
ちなみに霧香は「独りよがり」と書かれたそうだ。もっとも、それも彼女の強みと表裏一体で必ずしも欠点だと一方的に断じることもできない、とも書かれていたそうで、やっぱり意外とフェアな人なんじゃないか、と思ってしまう。
「桜間とやりあったっつー話の所から、もう一回話してくれよ」
興味津々、といった様子で灰田が促すが、
「あのね、あなた自分がどう見られているか自覚しているのでしょう? それなら話すわけないって分かってるわよね。人の弱みをあげつらう性根の人が、この話を面白おかしく取り上げてしまったら余計にこじれるでしょう?」
「おいおい、随分な物言いじゃねぇか」
くっくっ、と笑いを漏らして、
「そりゃあ本城の勘違いだぜ。前提として俺は嘘は書かねぇし、書くのは事実とそれに対する俺の評価だけだ。そんでもって、良い評価はそのへんの提灯記事にいくらでも書いてあるからな。俺はバランスを取ってるだけだよ。そういうのがないと、褒められるだけのアイドル様たちは思いあがって謙虚さがなくなるだろ?」
灰田はしたり顔で説明するが、
「いるのよねぇ……『俺だけは、〇〇ちゃんの悪い所、成長のために言ってあげないと』っていう勘違いしたファン」
霧香は呆れた表情で肩をすくめる。
「おい」
大体の悪口を受け流していた灰田が、急に不機嫌そうに顔をしかめる。
「俺を、その浅い素人どもと一緒にするなよ」
確かに。灰田の反論を、奏は理解できる。
霧香が苦笑しながらも『あら、ごめんなさい』と素直に謝ったのは、彼女もそうだったからなのだろう。
実は奏も、握手会の時にファンから説教を受けたことはある。指摘された内容は灰田の記事と一緒だが、何が違うかと言えば、まずはタイミングだ。灰田は、本気のスランプだったり、新しい挑戦に試行錯誤していたりするアイドルについては、あまり記事を書かない。むしろ勢いがついているアイドルを対象にすることが多い。もちろん上昇気流に乗って注目度が高いアイドルを記事にする方が読まれるからなのだとは思うが、苦しい状況のアイドルへのバッシングや糾弾で袋叩きにする流れには乗っからない印象だ。
それから内容も、「〇〇というアイドルと比べて下手、気持ちがこもっていない」などの漠然とした批判ではなく、具体性がある。しかも自分ではできたと思っていた所で指摘を受け、見返してみると確かにできていなかった、というケースが多い。
総じて、本人や周囲に油断が見られるような状況を適切に見極めて、徹底的に毒舌を吐くというスタイルだ。
最初に揶揄するような言い方をしていたが、本気でただのゴシップ記者と認識しているのであれば、霧香の性格ならこうしてまともに会話をすることはない。
「まあ、それはいいさ。で、アスハレのあの異常者の話をしてるんだったか?」
「そうよ。奏、あの人はね、」
霧香がその話を再開しようとしたところで、
「は、い、だ、さーーんっ!」
若い女性が、すごいスピードで駆け寄りながら、途中でくるりと反転すると、そのまま灰田に背中からぶつかった。
「くはっ」
苦虫を噛みつぶした表情で身構えていた灰田が、それでも思わず体勢を崩して声を漏らす。
「お前、お前なぁっ! なんかあったら全部俺の責任になるんだぞ! 勘弁してくれ……」
泣きそうな表情で灰田が文句を言うが、
「えーっ、そんなことないでしょ。それにこれでも手加減してるんだよ」
全く応えた様子もなく、そう反論する。
「そんなことあるんだよ! っつーか、手加減とかじゃなくて20代中盤の女がすることかよ」
呆れたように灰田が顔に手を当てる。
「大体、アスハレのメンバーは全員帰ってたぞ。なんでお前だけ居るんだよ」
「大道具さんがセットのバラシやるって言ってたから見学してたんだよ。帰りにミキシングルームのスタッフさんとおしゃべりしたりね。そしたら灰田さんが可愛いアイドルとお話してて、楽しそうだからさぁ。ついテンション上がっちゃったよ」
「何でだよ……」
そんなやり取りを目の当たりにして、奏は唖然とした表情を浮かべながら、
「あの、灰田さん……紫さんにこんなに慕われるほど、いい記事を書いたんですか?」
そう尋ねた。飛び込んできた女性は、アスハレのメンバーの一人、榧月紫だった。
「そんなわけねぇだろ。むしろ酷評したよ。絶対的リーダーの風格を持つ桜間、ダンスと歌でそれぞれ一線級の槇原と桂木。三人の足をひっぱりまくってる平凡極まりない凡人だってな」
奏は思わず紫に視線を向ける。そんな記事を書かれて、どうしてここまで好意を抱けるのか。
「だってさぁ、私嬉しかったんだよね。こんなにしっかり私を見てくれる人いたんだって」
紫はとても当たり前のように語る。
確かに。確かに理屈は分かる。奏たちにとって一番辛いのは空気のように扱われることだ。ただ、そうは言っても評価してくれる人と、批判する人を、同列に扱うのは難しい。
「奏。この人が恐ろしいのはね、これが灰田に対してだけじゃないってことなの。彼女と関わった全てのスタッフ、全てのアイドル、全てのファン。全員等しくこの調子。言っている意味分かる? アンチでさえも、例外じゃないのよ」
奏はごくりと息を呑む。かつて、奏は理央に対して、ファンや、ファンになってくれるかもしれない人たちには、絶対的に公平でいたいという夢を語った。それは自分たちがパフォーマンスを届ける先のことをイメージした文脈での発言だった。それを、もっと広い意味で実現している人がいる。それはにわかには信じがたいことだった。
「知らねぇか? こいつがSNSで引き起こした騒動」
灰田の問いに、奏は首を横に振る。
「よくあるだろ。アイドルがSNSの自分のアカウントで、一定の時間質問や感想を募集して、それに返信していくやつ。こいつがやった時に色々あったんだよ。ほら」
そう言って灰田は奏に携帯端末を渡す。その画面に映っていたのは、アイドルまとめサイトの「榧月紫のリプ返まとめ」というページだった。そこではいくつかのファン、そしてアンチとのSNS上でのやり取りが掲載されていた。
『アスハレの榧月紫、今リプ返してるみたいなんだけど、リプに違和感しかない。こいつら、あいつの何を見てこんなに称えてんの? 俺、ほんとあいつ嫌い』
『ねえねえ、私のどこが嫌いー?』
『は? 絡んでくるなよ。マジでキモい。そうやって誰にでも媚びを売って、ステージ上の失敗も笑って誤魔化してるんだろ。他のアイドルがそうならないようにどれだけ努力してるのか、知ってるのかよ』
『もちろん! 私、アイドルみんな好きだもん! それにね、私、よく失敗しちゃうけど、それ全部覚えてるよ。忘れたことないよ。君は私のこと嫌いかもしれないけど、一度アスハレ見に来て欲しいなー!』
『あまりアンチに返事しない方がいいですよ。ファンですけど、見ててちょっとヒヤヒヤします』
『え! そうなの!? 何で?』
『閲覧数稼ぎに利用されてる感じがしちゃいますし、それに自分が好きな人のことを嫌いって言われているのを見ちゃうことになるので、モヤモヤしちゃいますね……』
『閲覧数稼ぎになるの? 他の皆にもリプ返してるけど、それとは違うの? それに他人の好みって気になる? 私、パセリ大好きなんだけど、夏凜がパセリ大嫌いって言ってても別に嫌じゃなかったけどなあ』
『榧月紫がアスハレをクビにならないのは、運営のお偉いさんと繋がっているかららしい。俺が好きだったアイドルは契約打ち切られたのに、不公平だよな』
『私さ、契約更新の度に事務所に「続けていいの?」って聞くんだけど、毎回「続けない理由がない」って言われるんだよね。意味がわからなかったんだけど、そのお偉いさんのおかげなのかな? 私心当たりがないんだけど、君はそれ誰から聞いたの?』
奏にとってはとても信じがたい内容で思わず絶句する。
「すげぇだろ。なかなか面白い炎上の仕方だったぜ」
くっくっと可笑しそうに笑いながら、灰田が補足する。
すると、紫がにゅっと奏の横から画面をのぞきこむ。
「あー、これこれ! このせいで私事務所からSNSの公式アカウント、ログイン禁止されたんだよね。リプできなくなっちゃったし、投稿もマネージャー経由必須になったし。ひどくない?」
紫が奏の肩に手を回しながら、奏に語りかける。
「当たり前だろ。特に3つ目なんて明らかに閲覧数稼ぎの投稿だぞ。事務所が頭抱えてたぞ」
灰田がにやにやしながらそう言うと、納得いかないなー、と紫が頬を膨らます。
距離感が近い紫にとまどいながら、恐る恐る奏は質問を投げかける。
「どうして、紫さんは自分の味方以外の人を、ここまで信じられるんですか?」
紫の投稿は、どれも相手の言うことを真正面から受け止めて、自分の素の回答をしたものだった。普通はこんなことできない。自分の回答をどう受け止められるのかを考え、曲解されないように慎重になる。紫がそうならないのは、彼女が自分の回答の意図がちゃんと伝わると信じているか、伝わらなくても構わないと考えているからなのだと思う。その仮定が正しいのか、それを聞いてみたかった。
「ごめん、質問の意味分からないや」
本当に申し訳なさそうな顔で紫がそう答える。そして精一杯考えたような表情で言葉を続ける。
「あのね、私を好きかどうかなんて関係ないの。私は私を見つけてくれた人、私を知ってくれた人全てが好き」
そして満面の笑みを浮かべて、言う。
「愛しているの。誰も彼も。その何もかもを」
ようやく。ようやく奏も理解した。夏凜が、霧香が、灰田が言っていたことが。
この人は、化け物だ。
奏が帰ろうとすると、霧香が車で送ることを提案してくれたので、それに甘えることにした。運転手と、霧香と奏。三人だけの車内は静かで、どこか重い雰囲気があった。
奏の物思いに耽る様子に、思う所があったのか、霧香が口を開く。
「夏凜さんは、私にとって、当面のライバルと見ている『BYTH』と同じ位置にいるの。実力があって、それにふさわしい人気がある。王道で、目指すべき目標で、彼女にはいつか追い付く。追い抜いてみせる。そう思ってる。だけど、紫さんはあまりにも人間として異質すぎて、比べるに至らないの」
霧香の言葉は、奏が今あの二人に抱いている感覚を、改めて裏づけるものだった。
そしてその話を聞きながら、奏はかつて読んだ夏凜のインタビューを思い出す。『私はよく太陽だと言われているけど、実際はどちらかと言えば月なんです。アスハレの太陽は別に居て、その輝きを受けて自分も光っているから』
それを読んだ当時は、自分を卑下しすぎだと思った。いや、今でもそう思う。それでも、あの時、夏凜が奏に見せた怒りや失望といった感情の理由を、少しだけ理解することができた。
様々な思いがこみ上げてきて、奏は霧香に聞こえないように、そっと溜息をついた。
雪村 奏(第1章~)16歳。レプリック・ドゥ・ランジュのリーダー。部活をケガで引退。アイドルへの憧れが強く、理想が高い。
王生 翔子(第2章~)16歳。レプリック・ドゥ・ランジュのメンバー。役者志望。強気な性格だが、脆い部分も持つ。
桐谷 沙紀(第2章~)20歳。レプリック・ドゥ・ランジュのメンバーで最年長。両親がおらず苦労しているが、明るく世話焼き。
樋口 明菜(第8章~)マネージャー
本城 霧香(第17章~)シンシアリィのリーダー
長谷部 瀬利(第17章~)シンシアリィのメンバー。霧香の幼馴染
桜間 夏凜(Ex.3~)アスハレのリーダー
槇原 遥(Ex.3~)アスハレのメンバー。ダンスが得意
桂木 千秋(Ex.3~)アスハレのメンバー。歌が得意
榧月 紫(Ex.3~)アスハレのメンバー。人懐っこい性格
灰田 敦司(Ex.3~)辛口の芸能記者




