第1節
「ねえ、奏。大丈夫?」
エレベーターのボタンを操作するマネージャーの樋口の横で、翔子が奏にそう問いかけた。
「大丈夫」
視線を真っすぐに向けたまま、硬い声で答える奏に、翔子は何とも言えずに背後に居た沙紀と顔を見合わせる。
レプリック・ドゥ・ランジュの結成から一年半近くが経って、カナデたちにテレビ番組への出演依頼が来ることも珍しくなくなってきていた。最初の方こそ奏や悠理あたりはかなり緊張を見せていたが、最近ではようやくそれも落ち着いてきていた。
それなのに、今回に限ってこれほどまでに奏が緊張しているのは、ついに、これまでニアミスが続いていた彼女の憧れのアイドル、アスハレと共演できることになったからだ。
『アスハレ』。正式名称、『アシタハレルヤ』。リーダーの桜間夏凜、そしてメンバーである槇原遥、桂木千秋、榧月紫からなる4人組のアイドルユニットで、すでに結成から8年が経っている。
結成当時からスタッフが動画サイトに上げる舞台裏の日常がとても好評で、無名の事務所からのデビューという不利な条件からスタートしながら、一気に人気を確立する一つの要因となった。
動画は練習の風景やメンバー同士、スタッフとのやり取りを中心に撮影されたものだった。特別な企画だったり、イベントだったりもたまに題材になったが、主には普段の彼女たちの日常だった。冗談を言って笑い合ったり、自分たちやスタッフの良いニュースに喜んだり、叱られて落ち込んだ後また前向きに頑張ったり。別にアイドルでなくても起こりうる、日常的な出来事が、むしろ彼女たちの物語の積み重ねとなって、動画視聴者にライブにまで足を運ばせる理由となっていた。
けれど、今やトップアイドルの一翼を担うとまで評価されるようになったのは、やはりライブパフォーマンスの魅力だった。
奏には言語化できないその何かが、あの時、アイドルを目指す切欠となり、同時にお手本にもなった。そしてそれは今もなお胸の内にアイドルを続ける原動力として燻り、確かな熱を発し続けている。
「あら、奏」
控室の扉を開けたところで、『シンシアリィ』のリーダー、本城霧香に出くわす。
「霧香さん……お疲れ様です」
少し複雑な思いにとらわれながら、奏はそれを隠すように挨拶をする。
けれど、そんな誤魔化しがきく相手ではなくて、霧香はくすくすと笑みをこぼす。
「良かったわね。共演、おめでとう」
言葉そのものでは祝福しているが、事情を知っている側からすると当てつけにしか聞こえない。
「霧香さんたちが断ってなければ、私たちに声がかかることはなかったみたいですけどね」
取り繕っても仕方がないという状況にあることを察して、奏は素直に不満げな表情を浮かべる。
「今日『シンシアリィ』が出演する番組のことを知らなければ、あえてゲストの枠を譲られたんじゃないか、って思ったかもしれないですね」
「あら、舐められたものね」
初めて、霧香が不快気に眉を顰めるが、
「冗談です」
奏は分かっていると言わんばかりにあっさりと前言を覆す。
毒気を抜かれたように、霧香は肩をすくめると、
「今度、感想を聞かせなさいよ」
そう言って、奏たちとは別のスタジオに向かって歩き出す。
そちらで収録されるのは、国内有数の知名度を持つ音楽番組。毎週国内外の有名アーティストをゲストに迎えているが、今回初めて『シンシアリィ』に声がかかったそうだ。
先日会った時にそれを教えてくれた霧香は、アイドルだからと見下している連中の鼻を明かすと息巻いていた。
「霧香さん。頑張ってくださいね」
それを思い出しながら、奏は霧香の背中に声をかける。すると彼女は、少し驚いたように振り返り、すぐに不敵な笑みを浮かべると、また前を向いて去って行った。
「さて、次のコーナーからは素敵なゲストにお越しいただいていますので、一緒にご参加いただきながら進めていきますね」
司会の女性が朗らかな笑顔をカメラに向けて言う。
「このコーナーでは、JIP Fes.の第1回から、直近の第7回までのハイライトを――」
そう。レプリック・ドゥ・ランジュがゲストに呼ばれたのは、2週間後に控えたJIP Fes.のプロモーション用に制作された番組だった。ローカル局の深夜枠での放送だが、昨年はそれなりの数字を出したと聞いている。
「それではゲストのご紹介ですが、まずは第2回で下馬評を覆して本戦優勝を果たしてみせた、『アシタハレルヤ』の皆さんです」
司会のフリに合わせて、スタジオ内のカメラの一つが、4名の少女たちが座る席にぐっと向きを変える。そしてそのタイミングに合わせて、まず右端にいた少女が口を開く。
「明日は、晴れるよ。明日も、晴れるよ。心の天気に祝福を。私たち――」
ここで4人が言葉をそろえる。
「『アシタハレルヤ』です」
ぺこりとそろって頭を下げた後、再度右側から順に個別の挨拶をする。
「リーダーの桜間夏凜です」
思わず引き込まれそうな、魅力満点の笑顔を浮かべて、手を振る。
「榧月紫でーっす!」
両手の指先を唇に当てると、カメラに視線を向けて、大きなジェスチャーで投げキスをする。
「もう、恥ずかしいから、それ止めてってば」
小声でたしなめながら、
「槇原遥です」
少し顔を紅くして、はにかみながら小さく頭を下げる。
「桂木千秋です」
最後に、おっとりとした表情の少女が小さく手を振る。
4人の紹介を受けて、司会が再びバトンを受け取る。
「ありがとうございます。続いてもう一組、ゲストに来ていただいたのは、前回、第7回で好成績を残された、『レプリック・ドゥ・ランジュ』の皆さんです」
先ほどのアスハレの時と同様に、カメラがカナデたちに向けられる。
最初のうちはドキリとしたものだが、それも大分慣れてきた。本日参加しているカナデ、サキ、ショーコの三人が卒なく、順番に紹介を行った。
「ありがとうございます。『アスハレ』の皆さんは言うに及ばず、『レプラン』の皆さんもテレビ番組や配信番組での活躍が目覚ましくて、アイドルファンの方にはお馴染みかもしれませんね」
司会がそう言いながら、手元の端末画面にさっと目を落とし、進行を確認する。
「さて、早速ですがまずは前半、第1回から第4回までのハイライトをご覧ください」
映像が切り替わり、『アスハレ』、『レプラン』のメンバーの映像がワイプ画面の方に移る。
奏もJIP Fes.の映像は一通り見たことがあったが、編集された映像を見ると多少雰囲気が違って新鮮な感覚があった。第1回はすでに大御所の風格がある『BYTH』の映像がメインで、ワイプ画面内の両グループから感嘆の息が何度か漏れる。そして第2回の映像が始まると、『アスハレ』メンバーの悲鳴や笑い声が大きくなった。
「どうですか? 当時の映像を見て何か思い出すことはありますか?」
司会からそう話を振られると、
「当時はとにかく必死だったから、思い出すというよりは……ただただ恥ずかしいです」
遥は見ていられないというように視線を逸らす。
「えー? でも当時の私たち、すっごい頑張ってるなって愛おしくなっちゃうけどなあ」
紫がにこにことしながらそう言うと、そりゃ、あんたはそうかもね、などと言って遥も苦笑いを浮かべる。
「どっちも言ってること分かるんですよね。この時はデビューしたてで、とにかく目の前のことに全力だったから。今見るとすごく下手糞で不器用なんですけど。この時にしか出せなかったものって、あると思うので」
夏凜がそんな風にまとめるが、
「あの時は、自己紹介するのが嫌だったなあ」
と、千秋がマイペースにそんな事を言う。
少し流れから外れた発言だったが、慣れっこなのかアスハレの誰も気にした風もなく、全員が笑いながらそれを肯定する。
「そうそう。当時は『アシタハレルヤ』ってグループ名、皆嫌がってましたね。マネージャーが決めてくれたんですけど、全員で『ダサい』って反対したりして」
あはは、と笑いがまだ収まらない状態で、夏凜が千秋の言葉を補足した。けれどすぐに表情を切り替えて言葉を続ける。
「でも、それから色んなファンの人が『アシタハレルヤ』っていう言葉になんとなく引っかかって動画を検索したんだとか、グループ名の愚直に前を向く響きに心が救われたんだ、って教えてくれて、今ではもう、恥ずかしいと思うことはなくなりました。むしろ、自信とか、誇りとか――そこまでは行かなくても、それに近いものを抱くようになりました」
真っすぐな目で、はっきりとそう言う夏凜に、奏は、胸が熱くなっていた。
コーナーの後半で流された第5回から第7回までのダイジェスト中は、レプランのメンバーが阿鼻叫喚となった。奏としては先ほどアスハレの遥が言ったことに完全に同意したい気持ちだった。
「第7回の開催前は、レプリック・ドゥ・ランジュの知名度はないに等しかったと思います。それが4位を獲得した要因について、桜間さんは何か、こうじゃないかと思いつくものはありますか?」
突然司会からそう質問を振られて、夏凜は目を丸くする。
「私ですか? ……うーん、私なんて自分たちのことに精一杯で、他のアイドルさんを評価なんてできないですけど。それでもあえて勝手な感想を言うなら、なんだか私たちと似ているな、っていう印象を持ちました。いつも必死な所とか、ちょっと不器用な所とか、ね」
くすくすと笑いながら夏凜が言う。
「あぁ、なんだか分かる気がしますね。カナデさんはどう――」
カナデに話を振ろうとした司会が、言葉を飲み込んだ。
そしてサキが表情を和らげて、カナデの頭をなでる。
夏凜の言葉を聞いたカナデの瞳から、ぼろぼろと、とめどなく涙があふれていた。
番組収録後、控室で着替え終わると、
「樋口さん、私、アスハレさんに挨拶してから帰りたいんだけど、いい?」
奏が少し悩んだ様子を見せた後に、そう尋ねた。
「ん? 入りの時に挨拶したし、もういいんじゃない?」
「そうだけど……あまり時間がなかったから。それに、きっとびっくりさせちゃったし、お礼も言いたいなって思って」
「ふーん? ま、いいけど。帰りは電車じゃなくタクシー使ってね」
あっさりと樋口のOKが出たので、支度を済ませると、挨拶をして控室を出ようとする。
「ね、私もついていこうか?」
翔子にそう声をかけられたが、
「ううん、大丈夫。また明日、学校でね」
頭を振って断ると、手を振って別れた。
雪村 奏(第1章~)16歳。レプリック・ドゥ・ランジュのリーダー。部活をケガで引退。アイドルへの憧れが強く、理想が高い。
王生 翔子(第2章~)16歳。レプリック・ドゥ・ランジュのメンバー。役者志望。強気な性格だが、脆い部分も持つ。
桐谷 沙紀(第2章~)20歳。レプリック・ドゥ・ランジュのメンバーで最年長。両親がおらず苦労しているが、明るく世話焼き。
樋口 明菜(第8章~)マネージャー
本城 霧香(第17章~)シンシアリィのリーダー
長谷部 瀬利(第17章~)シンシアリィのメンバー。霧香の幼馴染
桜間 夏凜(Ex.3~)アスハレのリーダー
槇原 遥(Ex.3~)アスハレのメンバー。ダンスが得意
桂木 千秋(Ex.3~)アスハレのメンバー。歌が得意
榧月 紫(Ex.3~)アスハレのメンバー。人懐っこい性格
灰田 敦司(Ex.3~)辛口の芸能記者




