第二閑話 その光、何も癒せず
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「では、初手はタマちゃんですね!」
方針さえ決まれば彼女の行動は誰よりも早い。思い切りも良いし目端も利く。戦いが決定した時には、彼女は既にバックパックから武器を取り出して構えている。弾倉とトリガーの金属音がしたと思えば、狙いを定めたタマちゃんが64式小銃を構え引き金を引く。豊和工業製の無骨なラインと側面に刻まれた『アタレ』の文字。安定と信頼のMADE IN ジャポン製。全長990mm、重量4.4㎏、口径7.62mmの鉄塊からばら撒かれる銃弾は一瞬で弾倉を空にし、轟音をまき散らす。
火薬と硝煙。薬莢が地面に触れるたびに甲高い音が交差する。普通ならそれで向かいの少年に風穴が開き、おびただしい出血に戦いは終わる。……はずなのだが。
僕らにとって残念ながらその光景は起らない。現実では起こるはずの無い目に見えない魔力の壁。この世界に来て知った『魔力防壁』と呼ばれるものが壁となり、分速500発を吐き出す弾丸の雨を阻む。
それを見た僕の感想は『現実、仕事をしろ』だ。
本当になんて世界なんだここは。『バリアー』が存在する世界、磁場とか重力場とかプラズマとか難しい事は僕には分からない。
だけど見た限り何の装備も、何の機器も無いのに彼は防いでいる。眼前で現実に、人類の自衛手段として英知の武器であり、他者を害する武器としての進化の形である小銃。鉄にすら穴を穿つ筈の火線を防ぐ。そんな非現実的な日常が眼前で展開されている。
それは僕らの世界でも現実に従った物理法則が仕事をしない世界。世の物理学者や科学者が見たら激怒する事だろう。
そんなタマちゃんの火器に相対する片目の少年は、防壁を展開して以来、何かを考え込むように動かない。タマちゃんの武器を珍しそうに凝視するのみで動こうとはしない。マズルフラッシュと立ち込める硝煙の中で垣間見える少年の表情は幽鬼の如く薄暗らい。僅かに表情がピクリと動くが、それが無ければ本当に彼をこの世の生者と認識出来たかも怪しい。彼は残る右目をギョロリと動かしてタマちゃんと手元の小銃をじっと見ている。
そんな少年の右手が動いた。その一振りで更なる非現実が僕の心を侵食する。彼の一振りで石床が柔らかいプリンの如く盛り上がったと思うと、震えながら人型を形作り始める。
石の人型は少年を庇うように立ち上がったと思うとゆっくりとこちらに向かってくる。全長は二メートルほど。石でできた人型の化物は窪んだだけの顔と、空いただけの口を見せながら『グボ……』と小さく産声を上げた。その声が余りおどろおどろしく、恐怖に白寺さんが悲鳴をあげた。
それは一体如何なる原理なのか。
マイクロチップは入っているのか?ややぎこちない動きだが誰かが空から糸で人形繰りでもしているのか?この世界では人工生命体はかくも簡単に生み出せるのか?
ロボット工学の人工知能分野がどれだけの国で、どれだけの大手IT企業が予算を組み込んでいるのか知っているのか?
そんな僕の疑問を知らないよと嘲笑うように。おそらくこの世界では当たり前にこちらへと向かう。
「うにゅ、人型ですね……。タマの見た所『ゴーレム』だと思うんですが。先輩はどう思いますか?」
「くふふ。そうじゃないの? 僕達の知識なら体のどこかに核があるとか『emeth(真理)』と書かれた部分や紙が埋め込まれているとかが通説だけど、この場合はどうだろうね? そもそも文字体系が僕らと違うしねぇ。」
田牟口君はバンザイして、つまりお手上げだねと首を振る。それを見て、源は『そんなことだろうな』と鼻で笑う。
「ハッ! 名前が分かっても対処法が分からない。そんな時はなぁ……真正面からぶっ壊せば良いんだよ。得意だぜ!」
新たに表れたゴーレム(仮称)の強度は石に等しい。当然だ、その身体はこの石床を材料に構成されているのだから。その新たな敵にに向けてタマちゃんが照準を変更し、弾倉を取り換えた新たな弾丸を叩き込む。
肉を裂き鉄板を穿つとはいえ、固まった岩と変わりのないゴーレムではその表皮を数センチ削り取るのが精いっぱい。新たな弾層を取りだすタマちゃんは『なんという非効率ですかぁ』と思わずぼやく。しかし確実にゴーレムは歩く度に、弾痕をその表面に残す度に、文字通り身を削られる。ぽろぽろと表皮から石が落ちる。たったそれだけ。そしてそれで十分だ。
殴り合いの肉弾戦なら僕らには打ってつけの人材が一人いる。
既に僕らの眼前まで歩み寄ってきたゴーレムは体中の表面が弾痕でその比重を減らしてた。しかしその表情は変わらず、何の痛みも表わさず、腕を振り上げタマちゃんを狙い腕を振り上げる。
間に割り込む影が一つ。振り上げた石の腕が振り下ろされたその顔面に、源の渾身の右ストレートのカウンターが入った。左右に嵌められた手甲(という名のメリケンサック)がゴーレムの顔面に大穴を開け、拳の形の凹みを作り出す。
「硬ってぇなぁ、畜生!!」
口汚いがその目は強敵との殴り合いが出来ることに対する喜びで輝いている。ゴーレムが標的をタマちゃんから源に切り替え、気持ち悪いうなり声と共に腕を振り回す。
源の綺麗なスウェーで上体を捻り、汚い言葉とは対照的なフットワークを駆使して躱し続ける。躱した後には一発、一発と確実にその拳を胴体に、腕に、顔面に、頬に、叩き込む。
ゴーレムの当たればは人なんてペチャンコになりそうな剛腕は空を切るのだが、源の拳だけが表皮を削り、石に拳跡を残しヒビを入れる。
最後にゴーレムの渾身の振り下ろしを左右のステップで避けると、お返しとばかり放った右アッパーがゴーレムの顎部分を捉えた。粗方の表面を削りとられ、ヒビを作り脆くなっていたゴーレムは首から上を飛ばし宙を舞い、残る胴体は力を無くし倒れた。右手でガッツポーズを作るがそこで満足しないのが源だ。その闘争心を宿した目は次の敵に目を向けていた。
「ケンカはお人形に任せて高みの見物かよ。ほんッとにイラつくぜ!」
言葉と共に唾を吐き捨て、僕らの戦いを見ていた片目の少年に向ける。その敵意を受けても少年に変化はない。ただ何処かぼんやりと、何かを考える顔をしながら再び自身を覆う防壁を展開したのみだった。
距離を詰めた源はそれを見て鼻で笑う。ガラスを砕いたような甲高い音と共に、少年を覆う防壁が砕け散った。源の拳はそのまま勢いを弱める事なく、僅かに驚きで目を見開く少年の顔面を捉えた。
少年の左頬にクリーンヒットした拳はそのまま振り抜かれ、頬肉を削ぎ落し骨を歪めながら壁まですっ飛ばした。数回きりもみバウンドし大聖堂の高そうな壁にめり込んだ少年は、源の拳を受けて脳でも揺らしているのか、力なく項垂れたきり動かない。左頬に残る表皮が削げ、赤い肉が丸見えになった痛々しい。
少年の口が動いて、少年を光が覆う。
僕はその光を見た事があった。
イシス教で一番に目にする奇跡。
慈悲を体現した傷を癒す治癒の光。
だけどその魔法には何かが欠けていた。
癒す筈のその奇跡は──
何かを訴えるように。
何かを願うように。
何かを求めるように。
少年の周りを回っていたが……やがて諦めた様に──悲しそうに虚空へ消えた。
──その魔法は彼を癒さない。