ありがとうの言葉
私の名を何度も耳元で呼ぶフィリーオ兄様の声で、目が覚めた。いつの間にかヘルメットが外されており、体をタイトに絞めていたバイクスーツも緩められ、首筋から鎖骨にかけてヒンヤリと冷たい手に触れられている。
「ん……、お…兄様?」
「すごく焦った。バイクに体がぶつかる前に支えたから大丈夫だとは思うけど、痛いところはある?」
トレーラー内の床に寝かされているようだが、痛みはなかった。私の首筋にあるフィリーオ兄様の手に手を重ねて、「ないです」と答えた。
「良かった。呼吸も脈も確認したけど正常だった」
まだ暗闇に目が馴れていない中、微かな囁きと共に、私の額にお兄様が口づける。瞼、頬へと順に唇を落としていき、私の唇に吐息がかかる気配を感じた。が、唇は重なることはなく、「邪魔が入った」と言って、重なっていた体が離れていった。
トレーラーの動きが止まるとバックドアがすぐに開き、急激に辺りが明るくなる。
――まぶしい
お兄様に上半身を起こすのを手伝って貰う。「ルナ、立てる?」と聞かれたが、首を横に振った。足が震えて力が入らないのだ。すると突然、体がフワッと宙に浮き、お兄様に抱き上げらた。安定した体勢になるため、慌ててフィリーオ兄様の首に腕を回して寄り添う。それから明るくなった扉の方を見ると、そこにはカナルがゲンナリした表情で立っていた。
*****
設備のある住居型トレーラーに移った私達は、バイクスーツを脱いでカナルが用意してくれたラフな服に着替えた。2階のリビングへ向かうと、すでにフィリーオ兄様とカナルは車体の壁に沿って備え付けてあるカラフルなパッチワークでできたベルベットソファに座っていた。
「カナルさん、ありがとうございます」
お礼を言うと、笑顔でカナルは頷いて「ルナさんは紅茶ですよね?」とティーセットを用意しながら「どうぞ座ってください」というようにジェスチャーで促す。さすが大舞台に立つイリュージョニストだ。立ち振舞いがサマになっている。一息ついたところで、カナルが壁に埋め込まれたモニターにトレーラーの位置を示したマップを表示させた。
「上手く逃れたようですね、追跡者はいないようです。行き先を知られると、キメラのフィールドテストの進行状況を調査することが相手に分かってしまって、この後の行動が制限されてしまうので、良かったです。良い判断でしたね」
カナルの称賛に対し、私は「判断は良かったかもしれないけど、もっと別の方法が良かったです」と、遠い目をしたところ、
「それはない」
「ないです」
同時に2人から全否定のツッコミが入った。「うぅ……」と唸りながら、何とも言えない気分でティーカップを口にする。
「ところで……カナルは『異種間掛け合わせ実験』を始めた話をどこで聞いた?」
お兄様がカップをテーブルに置かれたソーサーに静かに戻しながら、爆弾を投下した。私とカナルは目を見開いて固まる。カナルが「話しましたか?」とでも言うように目ヂカラを伴って私の方を見てくる。フルフルと小刻みに顔を横に振って、必死に「私じゃない」アピールをするが、「そんなワケないですよね?」と言いたげに怒りの笑顔で訴えられた。
――カナル、こわい! 笑顔のオーラが黒すぎる!!
無言の気まずい空気が流れる。
「いや、問い詰めるつもりはないんだ。言い方が悪くてごめん」
「いえ……ただ、申し訳ありませんが、情報元を言うことはできないです」
「謝らなくていいよ、そういうことじゃなくて……僕は単純に、カナルにお礼が言いたかったんだ。ルナに情報を流してくれてありがとう、おかげで助かったよ」
カナルがフィリーオ兄様の言葉を聞いて、驚きのあまり息を飲み込んだ。そして、嬉しさと悲しみを含む表情で涙ぐむ。
「カナルさん、良かったですね?」
そう私が微笑むと、照れくさそうにソッポを向いて僅かに頷いたのが見えた。
――カナルは、たった一人ぼっちで残酷な未来を変えるために、ずっと戦ってきたんだもの
――その努力をほんの一部だけれど、身近なヒトに気づいて貰えたのは……これが初めてなのよね?
――きっと、カナルの努力は報われる
カナルの孤独感が少し和らぐのを見た私の心は、優しさと温かさで満たされた。




