表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オヤクメを背負いしもの、この世が埋もれた果てで、希望の光を受け取る。  作者: ヒゲ博士
第二章 【樹皮の塒】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/30

母の匂い

 狭苦しい茶色の廊下を、カナリアの背中を追って歩く。アンの好奇心は壁の素材に向けられており、指で表面をなぞりながら足を進めていた。  

(鉄みたいに硬いのに、ささくれ立っていて、ザラザラしてる……指に刺さりそう。木だって言ってたけど……本当にそうなのかな)


 指の腹に引っかかる、細かい棘のような感触が新鮮だった。

 鉄に囲まれた環境で育ったアンは、植物や動物といった生物の生きた触感を知らない。ちょっと力を入れたら剥がれてしまいそうな脆さと、それに反するような硬さは、彼女にとって純粋な好奇心の対象だった。


「住処の素材は、グレンリボの樹皮だ」

「つわぁ!!」

「……なぜ驚く」

「と、突然話し始めるから……」


 不意に湧いた声に大げさに驚いてしまったのは、「勝手に触ってはいけないものだったのではないか」という、ちょっとした罪悪感ゆえだった。

 だがカナリアは、特に気にする様子もなく話を続ける。


「ここから数日歩いた先に森がある。グレンリボの森だ」

「グレンリボ……」


 過去に群生していた植物のアーカイブや、古生物学の授業を思い出す。だが、そのどれにも『グレンリボ』と呼ばれる木は存在しなかった。


(知らない木だ。この土地特有の木なのかな)


 自分の知っている知識が世界の全てではないと、アンは強く実感した。

 そして自身の母親も、外の世界に出て同じ事を思ったのだろうかと、不意に気にかかる。

 寡黙になったアンを横目で見たカナリアは、彼女が知らないのだと察しをつけた。


「岩の塔に住む者でも、知らないみたいだな」

「私達は、塔の中が世界の全てだったから。それ以外のことはわからないの。ねぇカナリア、良かったら教えてよ」

「……大きな木だ。かなり硬い。緑に喰われて腐り始める前に、自ら樹皮を脱ぎ捨てる。その抜け殻を集めて、この住処は作られている。」


 そこから、カナリアはアンに外の世界の話をぽつりぽつりと語って聞かせた。


 肉の鐘が鳴るグレンリボの森。触れたものは爆発する白い花。巨大な何かが住む泥地。


 まる童話でも聞いているかのような現実味のない現実の話を、アンは静かに受け止めた。


「我々の理解を超える力が、この土地にはある」

「力、か……」

「見ているものが全てではない。そういう話だ。アンにはまだ早かったか?」


 外見こそ怪物のようなネズミで間違いないが、カナリアの心根には人間に近い感性があり、他者を思いやる優しさが備わっている。

 だからこそ、その気遣うような問いかけにアンは納得がいった。

 優しさが嬉しくて、アンは笑顔で返事をした。 

「なんとなくわかるよ。気を使ってくれてありがとうね」

「ならばよかっ__アン。少し鼻をつまめ」

「??」


 カナリアの言うとおりに指で鼻をつまむ。すると、温かい風が肌を優しく撫でた。 


「ここの風は人間の身体には合わない。私達の仲間でも近づけない者がいるくらいだ。だが、ここの通路は女王への近道になっている。それに__」


 突然、狭苦しい廊下は終わりを告げた。


 視界が一気に開け、そこに広がっていたのは、タマネギやベリーといったたくさんの作物。そして、岩に打ちつける波の音が耳に飛び込んでくる。

 どこまでも広がる水平線と、波に反射してきらめく日の光が、アンの視界を埋め尽くした。その絶景に、アンは完全に心を奪われた。


「う、海だ____生まれて初めて見た」


 少し緑が混ざったような深い青の海。そこにいくつもの白い波頭が点在し、力強くこちらへと押し寄せてくる。

 反射する日光が、水面に無数の煌めきを宿らせていた。


「今の時間帯が、一番光を放つんだ」

「__ありがとう、カナリア。すごくきれい」


 今までアンが見てきたものは全て、電子記録の中のデータでしかなかった。だが今、アンは本物の自然を体感している。

 なんでもっと早く外に興味を抱き、見に来なかったのだろうとさえ思っていた。

 感慨にふけっていると、カナリアは足を止め、振り返った。


「この光景を、見せてやりたかったんだ」


 アンは、カナリアのつぶらな瞳の中に映る自分自身を見る。

 その瞳の奥には、きっと私に伝えたいことがあるのだと予感させる響きがあった。


「……なんでなの?」

「ええっと、確かこうだった」


 カナリアは少しだけ大きな顔を下へ向け、再び向き直った。そして小さな口を細かく動かして、誰かの言葉を再生するように放つ。


『あそこにいると、時間の感覚が狂う。それに、何かを奪われていることすら自覚させない。あいつらは、自分たちが与えていると勘違いしてるんだ』


 その強気で含みのある言葉遣いは、完全なるコピーだった。紛れもない、母の口調だ。


『だから、私はあの子に本物を与えてあげたい。もしアンがここに来ることがあったら、この大きな海を見せてあげて……』


 全てがわかったとき、アンは少しだけ嬉しくなった。

 まさかこんな場所で、母親の確かな痕跡を感じられるとは思っていなかったからだ。


「お母さんが、ここに来ていたんだね」

「……さっきも言ったが、私達は忘れっぽい。アンの瞳を見て思い出したんだ。話すのが遅れてすまない」


 声のボリュームが小さくなり、ピンと立っていたカナリアの耳がしゅんと垂れ下がる。

 気にしていないよと、アンが声をかけようとした時だった。


「よく自分の名前を覚えていたね、カナリア」


 背後を振り返ると、赤みがかったピンクの体毛を持った巨大なネズミが立っていた。

 アンよりも長身で、人間の大人と変わらないほどの体躯。そして、女性的な話し方で察しがついた。


「貴方が女王なの?」

「そうさ。まぁさっきから様子を窺っていたんだがね、娘の調子がいいみたいだから、嬉しくて眺めちまってたさ」


 女王は腕組みをし、ほうとため息をついてからアンに語りかける。

 

「色んな事を説明しないといけないが、今はまだいい。ちょっと問題の解決を、手伝っちゃくれないか?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ