戦いのあとで
1時間前。
アンの治療室には、彼女を襲撃した父親のガルガンド、助けに入った少年のエルドラフ、そしてクマのぬいぐるみのテトラがいた。
張り詰めた緊張感の中、三者は敵対し一触即発の状況にあったが、そこに小さなぬいぐるみが割って入ったことで、事態は一時的に膠着状態となっていた。
「世迷い言ってんじゃねぇよ」
【本当よ。私がアンのためにアーカイブを根こそぎ奪ったもんだから……その……ギデオンが鎮圧ボットを起動させたわ】
その言葉に三人の呼吸が止まり、三者三様の思考が駆け巡る。
「はい」
一番最初に、清く正しく、誰よりも白く綺麗な腕をピンと挙げたのは、エルドラフだった。
彼はこの1週間、ホストの文化に触れていた。学校で教えられた『授業』の作法を勤勉に学んでいたため、この緊迫した状況下であっても、質問する時はきちんと手を挙げるのだ。
【はい、エル君。】
「ギデオンってなんだ。」
【授業では割と都合よく改変されてるし……そうね。ギデオンの説明はしておかないといけないわ。】
概要はアンも知っているが、テトラからの説明はより具体的だった。
ギデオンとは、ホスト居住者を管理している汎用人工知能。つまりは従来のAIを超えるAGIである。
人間の感性に近い思考を持ち、常に学習し、古来から今日に至るまで存在し続け、人類の為だけに働き、安寧をもたらす「目に見えない意思」。
彼らの保護があり、生殺与奪の権を握り、繁栄をもたらすもの。その在り様は、もはや神に近い。
テトラの言葉はどこかギデオンへの感謝や崇拝を匂わせる言い草で、外の世界から来た少年には疑問しか湧かなかった。
「それって要は、飼い殺しじゃないのか。」
重たく鋭い一言に、その場の空気が固まった。三者三様の思考が一つになり、同じ回答が出力される。確かにその通りだ、と。
【人間の尊厳とか、そんな話はここから出た後ね。】
するとテトラはぬいぐるみの身体をよじり、壁へと向き直った。
その両目から強い光が放たれる。壁に映し出されたのは、天井から廊下を見渡す、4階から1階までを4分割した監視カメラの映像だった。クマの目がプロジェクターの役割を果たしたのだ。
【現在の状況よ。各階の天井から排出された制圧ボットが、銃と盾を装備して一階エントランスを占拠。居住者を……殺害しているわ】
とてつもなくおぞましい言葉が紛れ込んだことに、アンは身体を強張らせた。そして、震える声で質問を投げずにはいられない。
「な、なんで人が死んでるの? 人を育むことが……ギデオンの……」
【それはね――】
「最初からギデオンは、『種全体の繁栄』を優先していたってことだ。」
テトラの言葉を遮って入ったのは、父親であるガルガンドだった。
「地下10階もあるこの建物に住んでる奴は、歳を重ねるごとに上の階へと引っ越していく。なんでかわかるか?」
「それは、責任のある役職に就くからで……」
【……違うわ】
父の乾いた声と、母の意思を継ぐテトラの声。教えられる残酷な真実に、アンの心は無惨に裏切られていく。
【個人の命の価値が減っていくからよ。年齢を重ねるごとに、守る優先順位が下がっていく。出入り口近くの方が安全性にかけるからね。賞味期限切れの食べ物のように、消費されるために上へ送られるの。】
「その最たるものが、探索班だ」
ホストにおける英雄的役職とされてきた探索班。鋼鉄の吹雪が吹き荒れる外の過酷な世界へと足を踏み出し、居住圏を広げようとする大人たちを、アンたちは羨望の眼差しで見送ってきた。だが、彼らの生存率は10パーセントを下回る。
「選ばれるのは、不妊症の大人たちだ。俺も含めてな。」
ガルガンドは顔を伏せ、自嘲気味に言葉を零した。
今まで信じてきた希望の化粧が、どろどろと崩れ落ちていくのを、アンは黙って見届けるしかない。せめて胸に渦巻く呪詛を吐き出すために、アンは寡黙を破って想いを口にする。
「アマレットはね、ずっとお父さんの事を尊敬してたんだよ。アリシアも、アカイワも、みんなこのホストの外へ足を踏み出す親たちが誇らしくて仕方なかった。私だってそうだよ……」
だが、そこから溢れ出たのは怒りでも恨みでもなかった。滲み出た言葉は、全て期待の裏返しであり、行き場のない負け犬の遠吠えに過ぎなかった。
「ひどいよ……ずっと……だましてたなんて」
絶望と悲しさ。取り付く島がない感情にポロポロと涙を流していると、項垂れるアンの頬に、柔らかいぬいぐるみの手がそっと触れた。
【アン。ここから出るのよ】
「……ここから?」
【この、生きるためだけの牢獄から貴方を逃がすために、私は生まれたの】
その響きは、紛れもなく母のもので、深い愛情と温かさを孕んでいた。
【ミナミは初めて探索に出た時、色んなモノを見たの。煌めく大きな水面を、美しく気高く生きる生物達を。宝物みたいに光り輝く世界を、貴方に知ってほしいと願って生まれたのが私】
「テトラ……」
【もしまだミナミ……お母さんが好きなら、あの人が残した仕事を託されて】
テトラは自身の腹部の縫い目を少しだけ破り、中から2つの鍵を引きずり出した。その古めかしい鍵を見たガルガンドは、驚愕に目を見開く。
「おい、お前……」
【ミナミの一族は『オヤクメ』と呼ばれる仕事を代々伝えてきた。オヤクメを背負いし者は、この世界が埋もれた果てで、希望の光を受け取る。そのために必要なのがこの鍵よ】
アンは、テトラの小さな手から鍵を受け取った。
【この鍵を使う事で、貴方の希望の光が形になるわ】
「希望の光……」
【全てに救いを与える光……言い伝えではそうなってる。本当にあるかはわからない。でも、ミナミは最期まで探し続けてたわ。貴方のために】
テトラの言葉を聞き流すことなどできなかった。
泣きじゃくっていた少女は乱暴に目を擦り、顔を上げる。生まれ直したようなその瞳の奥には、確かな炎が灯っていた。
それが本当に母が望んだ道なのかどうかは、今はわからない。だが少なからず、英雄の娘が再びその足で立ち上がるには、十分すぎる理由だった。
「エル君。テトラ。……お父さん。みんな、手伝ってほしい。」
アンは鍵を強く握りしめ、前を見据えた。
「私はお母さんのやり残しを……完遂してみせる。」
彼女の決意を寡黙に聞いていたガルガンドは、ゆっくり立ち上がり、アンの前に立つ。
「……見届けてやる。しっかりこなせ。、」
ガルガンドは大変、威圧的だった。その言葉のなかにはいろんな気持ちが見えていて、アンはすかさず受け取った。




