変化の兆し 前編
ホストには消灯制度がある。無用なエネルギー消費しない為の施策であり、閉鎖的なホストの環境で唯一の生活リズムが取れる時間帯だ。
そんな思惑は余所者にとって意味がない。冷たい廊下めいいっぱい広がる仄暗い闇に紛れて、エルドラフは足の指を立てながら進んでいた。
(本当に静かだ…。まるで周りのすべてがなくなったみたいで、怖いな。)
指の腹に伝わる鉄の冷たさが、昔の記憶と今を比較する。
どこにいても轟く生物たち、悲鳴と怨嗟、眠れぬ日々だった。だがここは規則正しい。外の影響を受けないゆえにだ。
そんな生活を送っていたのだかリズムが変わるに戻ることはない。なので眠れぬ夜は探検に出ていた。だがそれは1つの理由に過ぎない。
(よし…やるか。)
そしてエルドラフは目を閉じて、耳を立てる。
(目を頼らない分。鮮明に聴こえてくる。全ての音が。)
エルドラフにはホスト居住者とは違う決定的な差があった。
それは肌から振動を吸収し、情報とする特性。耳はとても鋭敏であり、肌は振動を取り入れるためにきめ細やかになっている。
その為、相手の息づかいから心臓の音まで聞こえているのだ。
(カリーニが言っていた。目を閉じて音に集中すれば、意識が研ぎ澄まされるって。)
アンがいない間にできること。それは自分を磨き上げること以外ないとエルドラフは考え、実行に移していた。
(家にいた頃とやり方は変わらない。ただ、感覚を研ぎ澄ませるんだ。前より深く…ずーっと奥に意識を向けるんだ。)
周囲の状況は暗闇に消えている。だがエルドラフに見えていた。どれ程の障害物があろうとも耳に振動として入ってくるのならば見えるのだ。
長く通り抜ける廊下の虚空が見えてくるのだ。
そして厚い壁に囲われた部屋の寝息が聞こえてくる。
「みんなねて……んん?」
どの部屋も子供たちのいびきや寝息、たまにおならをする音だって響いてる。だが一室だけが様子がおかしかった。
低く深い苦しい声かと思えば、たまに吹き出る息と共に声が上がる。その裏では空気が破裂したような音まで、エルドラフの耳には届いていた。
(なんだこの連続した音は…。懐かしいような…いやらしいような。うむむ……言ってみるか。)
エルドラフは足音を立てないよう、裸足で目標に近づき、その扉の前で止まった。とは言っても壁も扉も厚い。音の大きさは微妙に上がっただけであまり意味はなかった。
(大して聞こえない……なら。)
ゆっくりと、扉に掌を向けた。彼の身体は振動を受け取る機能に優れている。壁越しの様子を探りたい時は、掌に触れるとわかる。
(なんだろう。やってはいけないような気がして仕方がない。かといってここで辞めるのも歯切れが悪く……)
謎の気まずさに動きを留めた。その瞬間に、横槍が入る。
ゴロロロロロ……
天井から漏れ聞こえる車輪の音に、聞き覚えがあった。昼間に通り過ぎた担架の音だ。
(こんな時間に検疫??どういう事だ……それにあの箱も気になる。探るか。)
目標を変えて、少年は担架乃後を追うことにした。




