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13.夜と誰か

 道のりは案外遠かった。

 森をから森へ行くのだから、ずっと森の中を歩いていけばいいと、僕はいい加減に考えていたが、案外そうではないらしい。

 まず、元々いた山小屋を出て北上していく。その途中、少し窪んでできた大きな道があった。そこは周りと比べて乾いて色褪せた土肌が露出していた。初め僕は、たくさんの人が通ったからこんなふうになったのだと思った。

 だけどエルフィーが言うには

「…川が枯れた跡、かな。結構前に枯れたっぽいけど…」

 と、言うことらしい。

 エルフィーが言葉を濁した先は何となく予想できる。

「神話の森が燃えたから、この川も枯れてしまったの?」

 ふと、口に出してしまっていた。

 エルフィーの驚いたような、少し怯えているような目と視線が絡む。その目に宿る怯えは一体、僕に対するものなのか、森が燃えてしまった真実を改めて突きつけられたからなのか。…僕には分からない。

 だけど僕が放ってしまったその一言は、腹の底にも響くように重々しくて、渇いた土肌を撫でて、風に抜けていった。

 後に残ったのは、地面から少し舞い上がってはためいている土ぼこりだけだった。


ー・ー・ー


 一心に北上し続けてから、しばらく経った日の夜だった。

 簡易結界を張っているとはいえ、人の通りが少ないとはいえ、女子供の旅は危険が多い。

 獣による危険よりも人間による危険の方を心配すべきなのは、少し笑ってしまう。それは冷え冷えとするような、うす黒い微笑みに違いないけれど。

 私は集めた木の枝を半分に折って、火の中に投げ入れた。ぱちぱちと時折聞こえる木の爆ぜる音が心地いい。アルトも、よく眠れているみたいだ。


 ただ私には少し、気になることがある。

 …どこの森も同じなのだ。

 傍目で見れば恐らく以前と変わらぬまま。だけど、少しずつだけれど確実に、森はその生命力を枯らしつつある。またも弱いものから息絶えて行くだろう。何度もそうやって繰り返してきた。

 …果たして人が、短命種が、そのことに気がつくのは一体いつになるのだろう。その頃に、果たして森は後戻りを許された状態でいられるのか、果たして消えたものたちは帰ってくるのか。

「森が可哀想だ…」

 ふと呟きとして漏れた私の嘆きの言葉は、誰にも届かずに夜に溶けていく…はずだった。

「全くもってその通りだよ」

 突然声が降ってきた。

 反射的に上を見上げる。私の上には空と木。木に、何かがいる。 

 私は慌てて火に土をかけて消し、フードを被って耳と髪を隠す。ただ、暗闇に目が慣れるまで時間がかかるので今はこちらが不利だ。

 ただ不幸中の幸いとでも言おうか、アルトは中々起きる気配がない。最悪の時は彼だけでも逃がそうと心に誓った。

「誰」

 手のひらに魔力を集中させようとして、辞めた。自分の居る場所を相手に明かすようなものだからだ。たとえ、すでに相手が私の位置を知っているとしても。

「酷いなぁ。そんなに警戒しなくてもいいのに」

 けらけら、と笑う声が木々の葉に跳ね返っては広がっていく。

 森の温度が下がっていくように感じるのは、私の気のせいなのだろうか。

 腹の底まで冷え切ってしまうような、氷より冷たくて確かに忍び寄る何かを感じる。殺意、敵意、悪意…どれも当てはまらない。捉えようのない脅威。いや、脅威すらかも分からない何かに足元を掬われる。

「誰だ、と聞いています」

 聞き出したい者と言いたくない者の押し問答。…害意は感じないけれど胡散臭さが半端じゃない。

「あ、今俺のこと胡散臭いって思った?」

「……そんなことは」

 沈黙が語ってるんだよなぁ、と姿の見えない誰かが鼻で笑う。けれど思ったより、その笑い声には邪気がなかった。

 一瞬気を緩めかけたけれど、まだそうするわけにはいかないと気を締め直す。

 …邪気がなくとも時として害を為すことなんて、そう珍しくもない。

「そんなこと、ある」

 気がついたら、私はそう言っていた。明らかに喧嘩を売っていると分かるような言葉に、飛び出した後に気がついても、もう遅い。

 そこに沈黙が、流れた。

 草木もさざめくのを憚って、そこかしこの夜の音さえも息を潜めてしまった。

 高まる緊張感。徐々に夜の闇に目が慣れてきたが、依然として、どこかにいるはずの相手は見つからない。

 その沈黙を破ったのは、他でもないその相手だった。

 ぶっ、とお世辞にも緊張感のかけらも強者のような威厳もない音がしたものだから、私は思わず「は?」と言いかけてしまった。

 相手は笑い転げていた。それも、こちらがびっくりするぐらいに可笑しそうに、愉快そうに。

 あまりに大きな声で笑うものだから、アルトが起きてしまわないか、と緊張感もなくはらはらしてしまった。

 私がそんなことを考えている間も、その誰かは笑い続けていた。どこまでも楽しそうに、どこまでも純粋そうに。


「いいよぉ」

 しばらく笑った後、急に誰かはこう言った。すっかり楽しくなった、とでも言うふうにして。

 何が、と問い掛けたい気持ちもあったけれど、なぜだか不思議と、私はそうしなかった。なぜだか毒気を抜かれてしまったから。

 次の瞬間、相手はふわりと目の前に降りてきた。まるで、重力なんてものに縛られていないのかと錯覚してしまいそうな程に、軽やかに、淑やかに。

 そこに着地したと言うのに、まるで目の前にいないかのように感じさせる何かを、その人は持っていた。人の形をしているのに人ではない何かのような、にんまりと目を三日月に細めて笑うのにその瞳はいつも変わらぬ温度を保ったままのような。

 服装は全て闇に溶けるような真っ黒で、ぼんやりと浮かぶその顔と瞳が、どこか異様な雰囲気を更に高めていた。

 …浮世離れ、している。と、そう思った。

 こんな私がそう思うのだから、アルトの目に彼は一体どんなふうに映るのだろうか、とその姿を見つめたまま考えていた。

 すると目の前の彼は何を勘違いしたのか、その腕を上げて、自身の胸の上にその手を開いて置いた。その動きの一つ一つも、無造作なのに洗練されていて、少しだけ見入ってしまう。

 彼はすうっと息を吸うと、その目を私の方に向けてその口を開いた。その時、森がまたざあっと揺らいだ。

「初めまして。俺の名前はね…」

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