53、千代丸出陣
梶川軍大勝利の報を受けた大高城は静まり返っていた。主君・織田千代丸はにこりともせず瀬田孫十郎の報告を聞いていた。
「松平主膳正、かねてよりの内応により、裏切りまして……あれ、若?」
喜ぶと思っていた主君がきゅっと口元を結ぶのを見て孫十郎は戸惑う。
「孫十郎、このくらいで喜ぶと思うたか?」
千代丸が呆れた声を出す。
「主膳正は勝ち馬に乗った。ただそれだけのことよ。清康や吉良が強ければそちらに転ぶ。それだけの話だ。これで寝た子を起こすことになる」
孫十郎は息を飲む。
「それは……今川のことでしょうか」
「そうだ。関東に北条、甲斐に武田ありとはいえ、今川は大軍がある。今川氏親が死んだが、今川が動かぬとは思えぬ」
今川……幕府創業の功臣にして幕府の大業を支えてきた一族だ。先代今川氏親の領土拡大路線が継承されれば、今川の大軍とぶつかることになる。
千代丸はそこまで読んでいる。孫十郎は千代丸の視野の広さに舌を巻く。童子とも思えぬ明晰さだ。
「孫十郎、馬廻り衆とともに出陣する」
「若が出陣するのですか?」
「そうだ。俺が戦に出向く。皆、俺を守ってくれ」
千代丸は断言する。孫十郎は勢いに押されて頷くことしかできなかった。
梶川軍は松平康孝の軍を敗走させると、今村城を落とし、三河小針城に迫った。
周辺の国人衆が寄騎したため、二万に膨れ上がり、安祥衆の合流で三万近くなった。
梶川平九郎は小針城を降伏させるとさらに東に進軍する。目指すは松平清康の本拠、岡崎城である。
「な、なに。若が岡崎に出陣だと」
馬上の人である梶川平九郎は慌てた。四歳の主君の出陣は聞いていなかったのである。
「……一体どうしたのだ。まあ良い。若には考えもあろう。このまま岡崎に進むっ。岡崎城を落とすぞっ」
気を取り直すと平九郎は命じる。結局、平九郎は岡崎で主君の到着を待つことになった。
夜も更けた頃、織田千代丸が平九郎の本陣にやってきた。甲冑は身に付けているが重くない特注した幼児用の物だ。動きやすい格好になった千代丸はにやりと笑む。
「平九郎、いてもたってもいられなくてな。大高を飛び出してきた。ここが気合いの入れ時だ」
「若……わざわざ岡崎にまで来たのは如何なることにて」
「清康を討つ時に俺がいなくてどうする。童子は戦が怖くて平九郎に任せきりと言われてはな。この千代丸、引き籠ってもおれぬのだ」
梶川平九郎は黙る。次に千代丸は見慣れぬ男の前に立った。白髭を蓄えた男は鋭い目で千代丸を見るとにこやかになり、床几を立ち上がる。すると両脇の男も立ち上がった。
「松平主膳正信定にござる。これなるは倅の与一清定と家老の上田源助元成にござる。此度は寄騎を許していただき、ありがとうございまする。この主膳正、千代丸様のために粉骨砕身働きまする」
「安祥衆の寄騎、心強い。礼を言おう。主膳殿。我ら織田の者は安祥衆の寄騎を迎え入れる」
松平主膳正信定はにこやかな表情を崩さず、息子の与一清定と家老の上田源助はほっとした顔になった。こうして安祥衆を加え、織田軍は岡崎城を包囲することになったのである。




