聖女のブローチと王子の嫉妬
「シルティア様、見てください! こっち! とってもかわいいですよ!」
「え、ええ、そうですね」
「ほら、このピンク色とか水色の宝石なんてどうですか?」
そう言いながらクレアが指さす宝石は、彼女の髪と瞳の色とそれぞれ同じ色ーー先日の事件以降、すっかりシルティアに懐いてしまったクレアに、シルティアは曖昧に微笑んだ。
「ねっ、どうですか? シルティア様って、いつも寒色系ばかりですけど、こういうのも似合うと思うんです!」
目をキラキラさせるクレア。
しかし、その背後から低い声が落ちた。
「ーー全然、だめ」
ふたりが振り向けば、ムッとした顔のエリアルがソファの背から身を乗り出していた。
“確認”を邪魔された機嫌はまだ治っていない。
「わかってないなあ。シルの綺麗な銀色の髪と瞳に映えるのはこっちの紫でしょ」
「それも似合ってますけど、殿下はただ自分の瞳の色に似た石をシルティア様に誂えたいだけですよね?」
「それ、君に言われたくないな」
自分を挟んで二人の間でバチバチと火花が散るのがシルティアには見えた。
「私は違いますよ。ただ、シルティア様はどんなものを合わせても素敵だって言いたいだけですもん」
冷ややかな視線のエリアルに睨まれながら、クレアがぎゅっとシルティアの腕にしがみつく力を強くする。
それを見てエリアルの目が細まる。
「……そんなこと、君に言われなくても知ってるんだよ」
その声色にさらに深い苛立ちが含まれたことを、シルティアは敏感に感じ取った。
「でも、シルはもとが綺麗すぎるから。あんまり可愛くして他の男の目についたら困るでしょ。だから、だめ」
「それ、困るのは殿下だけですよね。シルティア様だって年頃の女の子なんです。もっと自由にお洒落を楽しみたいはずです。だいたい、そうやって殿下の独占欲で素敵なところを隠すから、学園であんな噂まで生まれたんじゃないですか」
「噂?」
「シルティア様が悪女だって言われてた件です。本当のシルティア様は、見た目だけではなくお心まで美しくて強い方なのに……」
「ああ、それ」
エリアルが吐き捨てるように言う。
「シルの悪い噂を否定しなかったのは、僕だよ」
クレアが「え…」と目を見開いた。シルティアは斜め向こうに目を逸らす。エリアルが当然のような顔で続けた。
「シルに悪い虫をつけないためにね。それでいて、僕たちの婚約に不満がある者を炙り出せるし。実際、そうなったでしょ。君みたいにさ」
「っ……ええ、その通りですね。私は聖女の立場に浮かれていました。偽エリアル様に惑わされて……シルティア様には失礼なことばかりして……ああもう……本当に申し訳ないです……!」
「本当にね。君が聖女でさえなければ今頃、この場どころかこの世に居ないんだよ? そもそも、よく僕に好かれてるなんて思い込めたものだよねーー」
エリアルがさらに言いかけ、クレアが何かを言い返そうと身を乗り出しかけた時だった。
「エリアル様、もうそのあたりで」
シルティアが片手を上げ、ちょうど言い返そうとしていたクレアの口の前をその甲で遮りながら、静かに言った。
「彼女にそう思わせた原因は、きちんと否定してこなかったエリアル様にもおありでしょう? それ以上の言葉を投げるのは侮辱かと」
正論。さすがのエリアルもつい言葉を詰まらせた。
そして、少したじろいだ後、俯きがちに目を逸らしながら、子供のように呟いた。
「……わかったよ、ごめんね、シル」
「シルティア様……」
さっきまでの態度を一変させてシュンとするエリアルと、恍惚と憧憬の眼差しを向けてくるクレアに、シルティアはため息をつく。
「……だいたい、今日のこの買い物は、クレアさんが正式に聖女になることが決まったため、その正装につけるブローチを選ぶためだったはずですが」
「あれ?」
「そういえば」
「それがどうして、私のものを選びはじめて言い争うことになるのか……。ふたりとも冷静になってくださいませ」
シルティアの言う通り。
実はこの場でいま最も困っていたのは、この光景を目の前で広げられていた商人と職人たちだった。
それまで顔にこそ出さなかったものの、シルティアがようやく話の根幹に突っ込んでくれたことで、密かに心の中でウンウンと頷く。
「よろしいですか」
シルティアが、閉じた扇子の先で、机の上の宝石を指す。
「もし次、クレアさんもエリアル様も真面目に考えないようなら、私は二度と、おふたりからの贈り物を頂戴しませんからね」
脅しにするには少しおかしな言い回し。
だが、ふたりには効果覿面だった。
それから一分もせず、即決でクレアのブローチになる石と台座のデザインは決まった。
それと、なぜか結局、シルティアの桜色のブローチと紫色のピアスも。
しかし──それから商人たちがそそくさと風呂敷を包み直して部屋から出ていった後も、エリアルとクレアは互いに牽制するような視線を向けたままだった。
「ねえ、どうしてくれるの。君のせいで、シルに怒られたんだけど」
「私も同じことを言いたいです。はぁ、学園にいた時のエリアル様は誰にでもお優しくて素敵だなって思っていたのに、まさかこんなにも猫を被ってらっしゃったなんて。シルティア様はご苦労なさってるんでしょうね……」
「そういう君こそ、あれだけのことをしでかしておいて、シルにベタベタくっついて迷惑だとは思わないのかな」
「……あの件については反省しております。でも、そんな私に救いの手を差し伸べてくださったのはシルティア様です。救われた以上、前を向かなくては失礼ですし……そんな方の手を離せるわけないです。一生ついていきます」
「不愉快。もう一度、地下室にでも扉のない塔にでも監獄にでも好きに行けばいいのに。なんなら今すぐそう命じようか?」
部屋に一触即発かという張り詰めた空気が漂う。場を同じくしていた近衛たちが、どっと冷や汗をかく。
兵たちから見れば、クレアの態度はまだエリアルをよく知らないがゆえにとれるものだった。
たったいまエリアルが呟いたのが、本気の台詞だと知らないがゆえの──
年端も行かない愛らしい少女を牢につなぎに行くような仕事を、どうか自分たちにさせないでくれと心の中で彼らが祈ったその時だった。
冷たく静まり返った部屋に、突如、「ふふっ」と鈴が転がるような笑い声が混じった。
エリアルもクレアも兵たちも一斉にきょとんと目を瞬いた。
「シル?」
「シルティア様?」
「あ、申し訳ございません。つい……。なんだか微笑ましいなあ、と」
シルティアがまるで子供の喧嘩を微笑ましく見守る母か姉のような表情を浮かべていた。
目を細めてくすくすと笑いながら続ける。
「先ほどは怒ってしまいましたけど──改めて友人になったクレアさんと愛するエリアル様のお二人がそうして忌憚なくお話ししているのを見ていたら、なんだか嬉しくなってしまって」
「嬉しい、ですか?」
「僕たちが喧嘩してるのがいいの?」
「ええ。だって、おふたりはいずれ、この国を守る結界と祝福のために働く聖女と、政を取り纏める王になる方です。そんなふたりが、遠慮せずにものを言い合えるのは悪いことではないでしょう?」
「そうかもしれませんけど……」
戸惑うエリアルとクレアを気にせず、微笑むシルティア。
しかし、次の瞬間
「……でもですね」
少し頬を染めて、はにかんだような顔でこう言った。
「あまりお二人だけでお話に興じられすぎると、それはそれで、ちょっと妬けてしまいますから……ほどほどにお願いしますね」
「シっ……!」
そのシルティアの表情はあまりにも愛らしくて、エリアルは一瞬言葉を失い、クレアは頭を強く殴られたかと思うほどの衝撃を感じて固まった。
そして、その後
「どうしよう僕の婚約者がめちゃくちゃ可愛い……」
「シルティアさまが尊い……」
壊れた人形のように天井を仰ぎ見る二人をよそに、シルティアは埃を払うように手を叩いた。
「さ、それじゃ、今のうちに、クレア様を送って差し上げる用意をお願いします。エリアル様はいつも通り私が引き取ります」
てきぱきと部屋から撤収の指示を出す姿に、兵たちは舌を巻きつつ感謝を胸に抱いてその後の仕事に戻っていった。




