出会いの時の違和
だいぶ時間が空いてしまってすみません!
少しバタバタしているのですが、ちょっとずつまた投稿できたらなと思います
悲鳴が響く。
許しを乞う言葉が最後まで言い切らぬうちに潰される。
それきり静まり返ったそこで、シルティアは、そっと目を開いたが、その視界は、瞼の上から布に覆われていたため暗闇のままだった。
ただ、コツコツと近づいてきて自分の前で立ち止まった誰かの足音と、その瞬間、鼻につく鉄の錆びたような匂いだけをとらえた。
「──シル」
名前を呼ぶ声に顔を上げる。次の瞬間、目隠しが外され、眩しい光の中にエリアルの微笑みが浮かんだ。
「待たせてごめんね」
その口調はまるで、待ち合わせの約束に現れた恋人のような甘い響きだった。
決して、物々しい目隠しの布を取り去りながら言う時の声では、なかった。
「いいえ、迎えに来てくださりありがとうございます。エリアル様」
「当然だよ。悪者にさらわれたお姫さまを連れ帰るのは、僕の役目なんだから」
おっとりと、手のひらを向けて差し出してきたエリアル。それにシルティアが手を重ねると、ふわりと抱き上げられた。
「痛むところはない? 響いたら、ごめんね。でもシルの靴を汚したくないから、我慢していてね」
シルティアはこくりと頷いた。
そして、その部屋の中から外に出るまで、彼の足元から粘着質な水音が聞こえることについて、彼女は何も問わなかった。
その昔、シルティアがエリアルと二度目の対面を果たしたのは、最初の出会いからおよそ一月が経ってからのことだった。
『貴女の意思を最大限尊重する』
緊張した面持ちの父に連れられて王城の談話室まで出向いたシルティアに、王と王妃は真剣な眼差しでそう言った。
シルティアが、それが彼の両親からの慈悲だったと気づいたのは、その契約を交わした後だった。
シルティアは、その日から即座に、城に移り住むことになった。
それはシルティアにとっては急な話だったが、父はまるでわかっていた様子だった。ぽつんとひとり慣れない城に残されたシルティアは、着替えも調度品も何もかもが既に揃えられていた部屋に通されると、ほんの少し湧きかけた気味の悪さを、喉の奥へと押し込めた。
そして、ぼんやりと考えたのは改めて自分が【婚約者】となった彼のことだった。
実は、最初にこの城の庭で出会った時は、シルティアからエリアルのことはよく見えていなくて、ただ二つの丸い瞳が、自分を見つめたまま大きく広がっているのを見ただけだった。
だからこの日、明るい部屋の中で改めてきちんと対面した時、シルティアは胸が小さく高鳴ったのを自分の中で聞いた。
理由は単純で、王様の日の光をたくさん浴びた小麦のような淡い金色の髪と、王妃様の優しくも気高いアメジストのような瞳をそれぞれ貰っていたその王子様は、まるで妖精と勘違いしてしまいそうなほどに綺麗な男の子だったから。
そして
『シルティア──というんだよね、君の名前』
書類にサインを入れる間、そう言いながらはにかんだその表情が、本当に嬉しそうに見えたから。
『シルティア──シルティア──綺麗な名前だね……口ずさむだけで胸がいっぱいになる……。ね、これからは、もっと、いっぱい呼んでいいんだよね?』
シルティアは、少し首を傾げながらも頷いた。
名前を呼ぶくらいのことでわざわざ断りを入れられたのは初めてだった。しかし、嫌な気持ちにはならなかった。
『ありがとう。嬉しい』
そう言って、ふわりと花がほころぶような笑みを浮かべたエリアルを見つめると、なんだか自分まで温かくなるようだった。
優しそうな少し年上の男の子は、絵本のなかの王子様そのものに見えた。
けれど、その直後、そんなエリアルから、見せたいものがあると手を引かれて彼の部屋に案内されると、それは間違いだったのかもしれないと不安になった。
そこにあったのは、アンティーク調の鳥籠だった。
窓に近いところで、床からゆるりとカーブを描いて伸びる細いスタンドに吊るされた金網の籠。
けれど、その中にいたものを見た時、シルティアは心臓から冷たいものが一気に体に広がっていくのがわかった。
「君が残していってくれたものがこれしかなかったから、毎日見て君を思い出そうとしてたんだ。でもご飯も水も口にしなくって。ただ踊るみたいに動くばっかりだったんだけど、そのうちそれもしなくなっちゃったんだよね」
「そ、れは……だって…」
嬉しそうな表情のエリアルとは対照的に、シルティアは口元を押さえながら言った。
「その子……もう生きてない……です」
絞り出すような枯れた声だった。
その鳥籠の中にいた“もの”の体は既に黒く朽ちかけていた。それを見れば、どれだけここに閉じ込められたままにされているのかなんて、子供のシルティアにだって嫌でもわかってしまったから。
だけど、普通、侍従や城のメイドたちが、理由もなく生き物の死骸を王子の部屋に置いたままにするわけがない。
あるとすればそれは──
「うん。でも、この鳥には、君の思い出が残ってるんだよ」
そう愛おしそうに呟くエリアルがそれを許さなかったのだ。
シルティアは一瞬目を見開いて、それから静かに首を振って、籠に近づいた。
「シルティア?」
そして、できる限り揺らさないように籠を腕に抱えると、不思議そうに自分を見てくるエリアルを見つめ返しながら言った。
「うめてあげましょう…?
そう言ってくださるなら、なおさら、この子の体がもっとくさってなくなってしまう前に。──エリアルさま。そうしてきちんとしてあげたほうが、たとえ、姿が見えなくなってしまっても、思い出がのこるんですよ」
「そうなの?」
「はい」
「……そうなんだね…わかった」
目をぱちくりとしながらも、エリアルは、シルティアの言葉に理解を示すように頷いてくれた。
「どこか、あたたかいところはありますか?」
「うん。あるよ」
案内するね、と言って歩き出したエリアルの背中を見つめて、シルティアは安堵のため息を吐いた。
悪びれることも、懺悔も、言い訳すらもしなかったエリアル。
(……ちっとも自分がおかしなことをしていたなんて思っていないんだわ)
日当たりのいい庭の隅に、穴を掘ってそっと寝かせたそれに、シルティアを真似て優しく土をかぶせる彼の横顔を見ながら、シルティアは自分に課された役割を理解した。
道徳心というのか、それともそのまま、心と呼ぶのか。
彼に欠けたソレを示すのが自分の役割だと。
そして、それを王も王妃もわかっていて自分を迎えたのだと。
その後、空になった鳥籠は、シルティアが貰うことにして部屋に持ち帰った。
そして彼の部屋にあった時と同じように窓辺に吊るしたそれを、その夜はずっとベッドの上から見つめていた。
ーーー
この日、私は殿下の隣に立つと決めた
──たとえ、その隣がどれほど深い闇でも
ーーー
ーーー
(ーーとはいえ…です)
「え、りある様っ、少し待って…っ」
「無理、待てない」
婚約が成立した日から城の中に誂えられている自分の部屋で、両手首を真上からシーツに押さえつけられた体勢になったシルティアは慌てた声をあげたが、すでに、獲物を見るような視線を注いでいたエリアルからは、逃れられそうにもなかった。
「か、彼らからは、何もされていませんし、傷だって受けていません…わたしは大丈夫ですから…!」
「そう言って」
少し怒ったようなアメジストの目の奥が、暗く揺らめくのが見えた。
「この手首の縛られていた跡だって最初は隠してたでしょ」
「あっ…」
腕を引っ張られ、うっすらと赤い縄目が残るシルティアの手首が露わになった。その上を冷たい唇がなぞったかと思うと、そのまま滑るようにしてシルティアの首筋まで近づく。
「もう、ぜんぶ直接見て確認するまでは信じないから、黙っていてよ」
「! エリアルさま…っ…ん…」
唐突に降りてきた唇に声を奪われた。シルティアは慌てて一瞬だけ離れた手で彼の胸を押し返そうとしたが、二人の間の力の差は歴然だった。その手すらまた握りこまれて、抑えられてしまう。
「っ…エリアル様…お願…ですから…落ち着いて…」
荒くなる息の合間で、なんとか言葉を紡ごうとしたが、それも噛みつくような口づけに飲み込まれては届かせようもない。
まだ外は明るい、真昼間だというのに、このままだとちょっといろいろとまずい、と頭の隅で警告音が鳴った。
(隣にいる覚悟はとっくに決めていますけど……このままでは…っ)
「…っ」
最後の抵抗とばかりに、エリアルのシャツをシルティアはぐっと握りしめた──
その時だった。
「シルティア様―! 拐かしに遭われたって、ご無事ですか!!?」
叫びながら部屋に飛び込んできた少女、クレア・ハートの登場に、シルティアはエリアルを突き飛ばさんばかりの勢いでベッドから跳ね起きた。
「え……っと、タイミング、良くなかったでしょうか…」
「いえ!いえ!なにも問題ありませんわ!ええ、なんにも!!」
「ひどいよ、シル…」
ベッドの向こうに落ちたエリアルが恨めしそうに呟いた。




