閑話 文具店パペール
その日、はらり、はらりと、空から少し雪が降っているコンタールの町中をクルトゥーラは歩いていた。
フードのついたコートを着て、首にはマフラーを巻き、背中には鞄を背負っている。
鞄の中にあるのは筆記用具と、クルトゥーラの今日のお昼ご飯だ。
あたたかそうなその格好で彼女が向かうのは、この町にある文具店パペールである。
実はクルトゥーラは数日前からそこでアルバイトを始めたのだ。
クルトゥーラは人見知りである。
家族や近所の知り合いもその事を知っているし、クルトゥーラ自身も自分が人見知りであるという自覚はある。
同じ年頃の子供達が遊んでいるのを羨ましそうに眺めたりはするものの、なかなか自分からは話し掛けられない。
逆に向こうから話し掛けてくれても、しどろもどろで、ついつい最後には自分で逃げてしまう。
そんな自分の人見知りがクルトゥーラは嫌いだった。
嫌いだけれど、なかなか治せない。
それでも大人になって行く内に、必要に迫られればいつかは治るだろうと、何となくだがそんな風に思っていたのだ。
だがそんなある時、クルトゥーラに転機が訪れた。
セレッソの紙芝居だ。
クルトゥーラは本が好きだ。本があれば人と話をしなくても遊べるし、何より読んでいてとても楽しい。
ヒラソールに頼んで冒険者ギルドから本を借りてもらった事もあった。
だが本は買うとなるとお小遣いと相談してもなかなか手が出ない。
クルトゥーラはコンタールの町に図書館があったら良いのにと思う事も何度もあった。
そんな時に、セレッソが紙芝居を観ないかと誘ってくれたのだ。
楽しかった。面白かった。紙芝居を観る度にクルトゥーラはとてもわくわくしたのだ。
そして聞けばそれは自分で作ったものだと言うではないか。
物語は自分で作れる。
紙があれば自分でも書ける。
それを知った時、クルトゥーラは目から鱗が落ちるような感覚を感じた。今まで考えもしなかった事だ。
自分でも書けるかなとセレッソに聞いてみたら、セレッソは目を輝かせて頷き、
『もちろんですわ! 書きたいと思ったら、それが始め時ですの! クルトゥーラはどんな物語が好きですの?』
そう言って、両手を握ってぶんぶんと振ってまるで自分の事のようにセレッソは喜んでくれた。
その時クルトゥーラは思ったのだ。
セレッソのように物語を書いて、誰かにその話が出来るようになりたいと。
セレッソに紙芝居を読んで貰った時、クルトゥーラは本当に嬉しかった。
だから今度は自分もそうなりたい。
その為に、誰の前でも物怖じしないように、人見知りを治したい。
そう思ってクルトゥーラはアルバイトをする事を決めた。
接客を必要とする場所で働くことが出来れば、人見知りなんて言っていられない。
考えただけでも緊張するし怖いけれど、それ以上にクルトゥーラは治したいと思ったのだ。
もちろんアルバイトをする理由には、物語を書く為に必要な紙やインクを買ったり、家の為にもお金を稼きたいというのはある。
それは優劣をつけられるものではなく、どちらも大事なものだった。
「……あれ?」
さくさくと雪を踏みながらクルトゥーラが歩いていると、ふと、道の先に見覚えのある人物達が立っているのが見えた。
騎士の制服と同じデザインの濃紺のコート。コンタールの町にいる騎士隊の、ベナードとルシエだ。
二人が待っているのは馬車の乗り場であるところからすると、これからどこかへ出かけるのだろう。
手にも鞄を提げていた。
「……挨拶しなきゃ」
クルトゥーラはごくりと喉を鳴らすと、よし、と気合を入れて二人に近づく。
ばくばくする心臓を押さえながらベナードとルシエの近くまで行くと、二人はクルトゥーラに気付いて視線を向けた。
「お、おはよう、ございます」
緊張に僅かに震えた声であったが、それでも相手に聞こえるようにクルトゥーラは挨拶をした。
ベナードとルシエはクルトゥーラに向かって、
「おう、おはよう」
「おはようございます」
と、にこやかに挨拶を返してくれた。
クルトゥーラはきちんと挨拶が出来た事と、相手が挨拶を返してくれた事にほっとして、少し緊張を緩めた。
ほっとした感情は表情にも出て、少しだけ笑顔になっている。
「えっと、クルトゥーラ、だったよな?」
「は、はい!」
ベナードにそう言われ、クルトゥーラはこくこく頷く。
クルトゥーラがベナードと会ったのは数回だ。しかも、それこそ会話らしい会話はした事はない。
それでも覚えていてくれた事にクルトゥーラは少し驚いていた。
ルシエもルシエで、クルトゥーラ等の小さい子に対してはあまり人見知りは発揮しなのか、にこりと微笑んでいる。
「うふふ、あなたがクルトゥーラちゃんね。セレッソちゃんから良く話を聞いているわ」
ルシエの言葉にクルトゥーラは嬉しくなった。
にこにこ笑うセレッソの笑顔が浮かんできて、少しだけクルトゥーラを後押しする。
今ならもうちょっと話が出来るかもしれない。
そう思ってクルトゥーラは二人の顔を見上げて尋ねた。
「あ、あの、お二人は、どこかへお出かけですか?」
「ああ、ちょっと王都までな」
クルトゥーラの問いにベナードは頷いて答えると、隣に立つルシエは先程までのにこやかな笑顔が一転して憂鬱そうな雰囲気になった。
何か話題を失敗してしまったのだろうかと、ちょっとドキリとするクルトゥーラの前で、ベナードはやれやれと肩をすくめた。
「うう……行きたくない……」
「ルシエ、諦めろ。副隊長は強制参加だ」
どうやら騎士団の本部で行われている、月に一度の役職持ちの会議のようだ。
何か不快な事を聞いてしまったのかとはらはらしていたクルトゥーラはそれを見て、どうやら違うらしいと少しだけ胸を撫で下ろした。
「あ……会議、ですか?」
「そ。毎回この調子でなァ」
苦笑するベナードに、クルトゥーラも小さく笑った。
ルシエの人見知りはクルトゥーラも聞いていた。というよりも見たことがあった。
町を歩いては人に声を掛けられて肩を跳ねるルシエに、クルトゥーラはこっそりと親近感が湧いていたのだ。
クルトゥーラは両手の拳をぎゅっと握りしめると、ルシエの紫色の目を見上げた。
「あ、あの! その……が、がんばって、下さい」
クルトゥーラがそう応援すると、ルシエは少しだけ目を張った。
そうして直ぐに嬉しそうに、また少し照れたように頬を染めると頷く。
「ありがとう、クルトゥーラちゃん。……そうね、頑張らないと、よね。うふふ」
ベナードはそれを見てふっと笑い、ルシエに見えないように『ありがとう』と口の動きだけでクルトゥーラにお礼を言った。
クルトゥーラも嬉しくなって、えへへ、と笑う。
そうしていると二人が待っている馬車がやって来た。
「さて、それじゃあ行くか。またな、クルトゥーラ」
「はい。あの、その、行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
まずはベナードがクルトゥーラの頭を軽く撫でて馬車へと乗り込む。
それに続いてルシエも微笑んで馬車に乗った。
二人が乗り込むと御者がバタンとドアを閉めると、そう時間が掛からない内に馬車は動き出した。
馬車の窓からは手を振るベナードとルシエの姿が見える。
二人に手を振り返し見送って、クルトゥーラは再び歩き出した。
文房具店パペールはコンタールの町の中央通りから少し外れた場所にある。
町の建物と同じ赤色のレンガ造りの小さな店だ。
建物の上部には可愛らしいデザインの看板が掲げられており遠くからでも良く目立つ。
ショーウィンドウ越しに見える店内は明るく、羽ペンやインク瓶、鉛筆やノート、絵の具に画材と、様々なものが綺麗に並べられていた。
ドアを開けて中へ入ればカランコロンとドアベルが鳴り、ふんわりとした温かさが体に触れる。
パペールの中に入ったクルトゥーラは、
「おはようございます!」
と、元気よく挨拶をした。
その声を聞いて男が一人棚の奥からひょいと顔を覗かせる。
歳は四十代前半のひょろりとした線の細い長身痩躯の男だ。
オールバックにした黒髪に、モノクルを掛けた黒い目。
服装はアイロンが掛けられたぴしりとしたシャツとベスト、ズボン。その上からはパペールと小さく書かれたエプロンをつけている。
生真面目そうな表情と、そのきっちりとした服装からも、どこか気難しそうな頑固そうな、そんな雰囲気を持った男だ。
彼の名前はアルグメントと言い、この文具店パペールの店主であり、クルトゥーラの雇い主である。
「ああ、おはようクルトゥーラ。寒くはなかったか?」
「大丈夫です」
アルグメントの言葉にクルトゥーラは頷くと、荷物とコートを置きに店の奥へと移動した。
そうしてアルグメントと同じく、小さくパペールと書かれたエプロンをつけて戻ってくる。
「では、まずはそこの棚の整理から頼む」
「はい!」
アルグメントはそう指示をすると、自分も自分の仕事へ戻って行った。
クルトゥーラは言われた通り棚の整理を始める。
ずれた商品を整えたり、棚を拭いたり、床に落ちているゴミを拾ったり。
今の所のクルトゥーラの仕事はそういった事と接客である。
まだまだ慣れない為におっかなびっくりではあるが、アルグメントもフォローしてくれるので、クルトゥーラも安心して仕事をする事が出来た。
アルグメントは見た目通り仕事に対しては厳しいが、子供であるクルトゥーラに対しても、分からない事は聞けば何でも丁寧に教えてくれる。
きっと良い人なのだとクルトゥーラは思った。
「クルトゥーラ、次はあちらを」
「はい!」
そうやってクルトゥーラが働いているとカランコロンとドアベルが鳴った。
客が来たのだろう。
本日初めてのお客様だと気合を入れたクルトゥーラは顔を上げて、
「いらっしゃいませ! ……え?」
と元気に挨拶をした直後、入って来た人物を見て目を丸くした。
入って来たのは冒険者のサウセとアベートだった。
こう言っては失礼になるのだが、おおよそ文具店のイメージがない二人だった為、クルトゥーラは驚いていた。
クルトゥーラが見ている事に気付かずに、サウセとアベートは店内を歩き始めた。
「どの辺だ?」
「俺だって滅多に来ないから分かんねぇよ」
二人はそんな事を話しながら、どこか人目を気にしつつ店内をこそこそ見て歩いている。
どうやら何かを探しているらしい。
アルグメントからは「お客様が困っていたら声を掛けてやってくれ」と教えられていたクルトゥーラは、ごくりと息を呑んで二人に近づく。
実の所、二人を見ると教会での事がまだ頭の中に浮かんで、少しだけクルトゥーラは怖かった。
だけど。
だけど二人はちゃんと謝ってくれたのだ。
「…………うん」
両手をにぎゅっと力を込めて、クルトゥーラは恐る恐るサウセとアベートに声を掛けた。
「あ、あの、何かお探しですか?」
「えっ!?」
声をかけられた事に驚いた二人は慌てて振り向く。
そしてクルトゥーラを見てさらに驚いた。
「あ、あー、お嬢ちゃん、確か……」
サウセとアベートも教会の事を思い出して気まずそうな顔をしている。
こういう感情は自分だけが感じているものではないと気付いたクルトゥーラは、少しだけ緊張が緩んだ。
「……えっと、ちょっとな、インク瓶を探しに来たんだ」
サウセが頭の後ろに手をあてながらそう言った。
「お二人が使うものですか? それなら、えっと……」
「ああ、いや、その」
クルトゥーラが男性向けのシンプルなデザインのものを案内しようとすると、アベートが自分達のではない、というように首を振った。
「……ちょっと、可愛い感じのものを、探していて、だな」
「可愛いもの、ですか?」
クルトゥーラが首を傾げると、サウセとアベートはしばらくうんうんうなった後で、観念したように肩をすくめた。
そうして何とも困ったように眉尻を下げて言う。
「……その、だな。まだちゃんと謝っていない奴が、いてさ」
「手ぶらで行くと何つーか、その、言い出すタイミング的なものがね」
その言葉を聞いてクルトゥーラは少し目を張った。
二人が言っているのは恐らくセレッソの事だろう。
それが分かって、また二人の様子が何だかおかしくて、クルトゥーラはくすくすと笑った。
サウセとアベートもクルトゥーラにつられて苦笑する。
「それならこれはいかがですか?」
クルトゥーラは少し背伸びをしながら、上の棚に置かれたインク瓶を一つ手に取って二人に見せた。
ガラスに花の柄が浮かんだ洒落たデザインのインク瓶だ。
クルトゥーラが見せたインク瓶にアベートとサウセは目を輝かせて頷いた。
それから少しして、会計を終えたサウセとアベートは綺麗に包装されたインク瓶を持ち、笑顔で店を出て行った。
ドアを出るときにはクルトゥーラに向かって手も振ってくれた。
「……ちゃんとお話しできるといいな」
二人を見送りながら、クルトゥーラは小さく呟いた。
「悪くなかったぞ」
気が付けば隣にアルグメントが立っていて、そう褒めてくれた。
そう言えば一人で接客を終えたのは今回が初めてだったとクルトゥーラは思い出す。
アルグメントの言葉に嬉しそうに微笑んで、照れてクルトゥーラは笑いながら、
「人から喜んで貰えるのって、嬉しいですね」
そう言うとアルグメントもふっと笑って、クルトゥーラの頭を撫でてくれた。
もっと頑張ろう。
クルトゥーラはそう力強く思うと、アルグメントと一緒に仕事へと戻った。




