出会い
―――荒れ果てた高原。
数時間前まで、ここでは戦いが行われていた。
地面には無数の足跡が刻まれ、ところどころに大きな穴が開いている。焼け焦げた草。砕けた盾。折れた剣や槍。
鼻を刺すのは、火薬と血と、腐り始めた肉の臭いだった。
「……今回も激しかったな」
一人の青年が、その中を歩いていた。
黒い外套を羽織り、腰に剣を差した青年――ラント。
戦場跡に残された魔物や盗賊の死体から、使えそうな武具や魔石を回収する。それが今回の彼の仕事だった。
魔物の死体を一つ、足で転がす。腹部の傷が致命傷になったのであろう。
「使えるものは……なし」
「これも駄目か」
さらに進む。静かな高原だった。鳥の声すらしない。戦場という場所は、戦いが終わった後ほど不気味になる。
生きているものが、あまりにも少ないからだ。
――その時。
「逃げてぇぇぇぇぇっ!」
遠くから、少女の叫び声が響いた。ラントが顔を上げる。
「……?」
聞き間違いではない。
「早く! 早く走って!」
「む、無理ぃぃぃぃ!」
「待って! 私を置いていくな!」
「み、皆さん! 落ち着いてください!」
複数の声。しかも、明らかに若い女の声だった。
ラントは眉を寄せる。
「……こんなところに冒険者?」
森の深くにある高原。魔物が出てもおかしくない。
ましてや、声の主たちは明らかに若く戦い慣れていないように感じる。ラントはため息をついた。
「一応見に行ってみるか」
そう呟くと声のする方へ走り出した。
丘を一つ越える。
そして――遠目に姿を確認する。四人の少女。その周囲を取り囲む、ゴブリンの群れ。
数は――
「……十七、いや十八か」
ゴブリンたちはそれぞれ武器を持っていた。棍棒。錆びた剣。短い槍。弓。対する少女たちは、明らかに装備が貧弱だった。
先頭に立っているのは赤髪の少女。手には一本の剣。剣士なのだろう。年齢は十代半ばほど。額から血を流しながら、それでも必死に剣を構えている。
「来るなら来いっ!」
声は大きい。しかし、足は震えていた。その後ろにいるのは、金髪の少女。立派な鎧と大きな盾。装備だけを見れば、この四人の中では一番まともだ。
だが――
盾を握る手が震えている。
「はぁ……はぁ……」
すでにかなり消耗している。さらに後ろ。杖を抱えている少女は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。青髪で小柄な身体。
「もう……魔力が……」
少女は青ざめていた。
「あと一回……いや……無理……」
最後の一人は、白い修道服を着た少女。胸元には教会の紋章。シスター見習いなのだろう。彼女もまた震えている。だが、三人を庇うように立っていた。
「皆さん……後ろへ」
「無理だよ!」
赤髪の剣士が叫ぶ。
「下がったら囲まれる!」
「でも、このままでは……!」
「分かってる!」
少女は歯を食いしばる。
「分かってるけど……!」
ゴブリンが笑った。
「ギャギャギャギャッ!」
森の奥から、濁った笑い声が響いた。無数の声が重なり、夕暮れの高原を不快に震わせている。
「……嘘」
赤髪の少女――アリサは、剣を握ったまま呟いた。目の前の木々の隙間から、緑色の影が現れる。十匹。さらにその後ろからも、次々と姿を現した。
「……数、多すぎない?」
盾を構えたミリアの声が震えた。
「数えちゃだめ!!」
アリサが怒鳴る。
「見たら余計に怖くなる!」
「もう見えているでしょう!」
「じゃあ、見なかったことにして!」
「そんな無茶な……!」
ゴブリンたちはゆっくりと包囲を狭めている。逃げ道を塞ぐように。四人が後退すると、ゴブリンも進む。一歩。また一歩。まるで、獲物がどこまで逃げられるのかを楽しんでいるようだった。
「……アリサ」
魔法使いの少女、セラが小さな声で呼んだ。彼女は杖を両手で抱え、青ざめた顔でゴブリンを見つめている。
「なに?」
「……あの、さっきの魔法で……」
「うん」
「魔力が……ほとんど……」
アリサは一瞬、黙った。
「……あと一発は?」
「分からない……」
「分からないって?」
「出せるかもしれないけど……出したら……もう……」
セラは言葉を濁した。アリサは唇を噛んだ。
彼女の魔法は、さっきゴブリンを数匹吹き飛ばした。しかし、それは同時に、彼女の魔力の大半を奪っていた。一度に大量の魔力を使う。それが、セラの弱点だった。
「……一発だけ、お願い」
「でも……」
「お願い」
アリサはゴブリンから目を逸らさない。
「今は、それしかないから」
セラは震えながら頷いた。
「……分かった」
杖を前に向ける。魔力を集める。だが、先ほどよりも明らかに遅い。身体が重い。頭が痛い。呼吸が苦しい。
「……お願い……」
杖の先に、小さな光が灯る。ゴブリンたちがざわめいた。
「ギャ?」
「ギャギャッ!」
魔法を警戒している。
その隙に、ミリアが盾を構え直した。
「アリサ。魔法が放たれたら、私が道を作るわ」
「分かった!」
「セラはその後ろから走って!」
「えっ……?」
「魔力が尽きているなら、これ以上戦わせられないでしょう!」
ミリアはゴブリンの群れを睨んだ。
「私が突破口を作る!」
アリサは一瞬、彼女の横顔を見た。ミリアは貴族出身。剣もまともに振れない。実践で盾を持つのも今日が初めてに近い。それでも、ミリアは前に立とうとしていた。
「……無理しないでね」
「あなたにだけは言われたくないわ!」
ミリアが叫ぶ。
「いつも最初に突っ込むのは誰よ!」
「私!」
「自覚があるなら直しなさい!」
その瞬間。
「ギャアアアアアッ!」
ゴブリンの一匹が叫んだ。同時に、群れが動いた。
「来る!」
アリサが剣を構える。
「セラ!」
「――《ファイアボール》!」
杖の先から炎が放たれた。先頭のゴブリンに直撃する。爆炎が上がった。
「今!」
ミリアが叫ぶ。盾を前に出し、炎の脇を駆け抜ける。
「どけえええええっ!」
棍棒が振り下ろされた。
「ぐっ!」
盾が受け止める。衝撃が腕を突き抜けた。腕が痺れるが気合いで耐える。
「まだ……!」
ミリアは歯を食いしばり、ゴブリンの攻撃に耐え続ける。
「アリサ!」
「分かってる!」
アリサが踏み込む。
「やあああっ!」
剣がゴブリンを背後から斬り裂く。
「ギャッ!」
一匹倒れた。
だが、道は開かない。左右から別のゴブリンが迫っていた。
「ミリア、右!」
「分かってる!」
ミリアが盾を振り、一匹を弾き飛ばす。しかし、その直後、
「ギャッ!」
別のゴブリンが、盾の下から棍棒を突き出した。
「――っ!」
ミリアの脇腹に直撃する。
「ぐあっ!」
腹部に鈍い痛み。口の端から血が零れる。
「ミリア!」
アリサが斬り込むがゴブリンの剣がそれを受け止める。
「くっ……!」
腕が痺れる。力が強い。一匹ならどうにかなる。だが、二匹、三匹と続けば――
「アリサ!」
背後から声。振り向くと、ゴブリンが棍棒を振り上げていた。
「……!」
間に合わない。アリサは剣を戻そうとする。だが、目の前のゴブリンが剣を押し込んでくる。
「ぐ……っ!」
腕が限界に近づく。棍棒が迫る。
「アリサ!」
ミリアが叫んだ。しかし、彼女もまた別のゴブリンに囲まれていた。
「くっ……!」
盾を構える。一撃。二撃。三撃。盾が悲鳴を上げる。亀裂が走った。
「……っ!」
ミリアの顔が歪む。
「まだ……まだよ……!」
その背後では、セラが地面に膝をついていた。
「はぁ……はぁ……」
魔力が空っぽだった。頭が割れるように痛い。指先が震える。
「……もう……無理……」
杖を握る力すら残っていない。その隣で、シスター見習いのリゼットが回復魔法を唱える準備をしている。
「女神様……どうか……」
手のひらに淡い光が集まる。だが、弱い。あまりにも弱い。
「……回復魔法……」
彼女はミリアの脇腹を見る。血が滲んでいる。アリサの肩にも傷がある。セラは魔力切れ。自分の足も、さっき転んだ際に捻っていた。
「……誰を……」
リゼットの指が震える。誰か一人を治せば、まだ戦えるかもしれない。しかし、他の三人は?
「……皆さん……」
リゼットは唇を噛んだ。その時。
「ギャアアアッ!」
アリサの前にいたゴブリンが、ついに剣を振り下ろした。
「――っ!」
アリサは咄嗟に身体を捻った。剣が肩を掠める。血が飛び散った。
「痛っ……!」
その隙に、別のゴブリンが背後へ回る。棍棒が振り上げられた。アリサは気づいていない。目の前のゴブリンを押し返すことで精一杯だった。
「アリサ!後ろです!」
リゼットが叫ぶ。アリサが振り向く。ゴブリンの剣が、目の前まで迫っていた。
「……あ」
避けられない。剣を持つ腕も上がらない。身体が動かない。頭の中が真っ白になる。
――死ぬ。
その言葉が、初めて現実味を持った。冒険者になって三日。初めて受けた依頼。初めての魔物との戦い。そして。
「……嫌だ」
アリサの口から、声が漏れた。
「死にたく……ない……」
剣が振り下ろされる。
――その瞬間。
「そこまでだ」
低い声が響いた。あまりにも静かな声だった。
ゴブリンの剣が、アリサの頭に届く寸前で止まる。いや。止められていた。剣を握ったゴブリンの腕に、一本のナイフが突き刺さっている。
「ギャ……?」
ゴブリンが間の抜けた声を漏らした。その剣を投げた人物は、少し離れた場所に立っていた。黒い外套。冷静な表情。腰にはもう一本の剣。
青年――ラント。
「……大丈夫か?」
ラントはゆっくりアリサたちに近づく。ラントはゴブリンではなく、アリサたちを見て呟いた。アリサはその場にへたり込んだ。目を見開き、ラントを見つめている。
「多いな」
ゴブリンが動き出す。ゴブリンたちはすでに彼を敵と認識していた。
「ギャアアアアアッ!」
一斉に襲いかかる。ラントは腰の剣を抜いた。
「……面倒だな」
一匹目が飛び込む。ラントは身体を僅かに逸らし、剣を振るいゴブリンを切り裂く。二匹目が横から迫る。剣を返す。三匹目が槍を突き出す。ラントは柄を掴み、引き寄せた。そのまま、剣の柄で顔面を打ち抜く。
「ギャッ!」
倒れたゴブリンの身体を踏み台にして、さらに一匹へ迫る。
「ギ……!」
ゴブリンが後退する。だが、逃げるより先に剣が閃いた。一匹。また一匹。ゴブリンたちは次々と倒れていく。それでも数は多い。背後から別の個体が襲いかかった。ラントは振り返らず、剣を逆手に持ち替える。
棍棒が弾かれた。そのまま身体を回転させ、ゴブリンの腹へ蹴りを叩き込む。吹き飛んだゴブリンに、別のゴブリンがぶつかった。群れの動きが乱れる。
「……なるほど」
ラントは目を細めた。統率されているわけではない。連携なんてものはなくただ数が多いだけだ。
ならば――
ラントが踏み込んだ。その動きに、アリサたちは息を呑んだ。速い。だが、先ほどのゴブリンたちとは違う。ラントは無駄に剣を振らない。必要な場所にだけ刃を置き、敵の動きを利用し攻撃、次の敵を見据えている。
ゴブリンが攻撃する。ラントが避ける。その攻撃が別のゴブリンへ当たる。一瞬の隙。ラントの剣が走る。
「ギャッ!」
一匹倒れる。その背後から、別のゴブリンが迫る。
ラントは倒れたゴブリンの武器を蹴り飛ばし、足元の石を踏んで跳んだ。頭上を棍棒が通り過ぎる。空中で身体を捻り、着地と同時に斬りつけた。
「……!」
ミリアは盾を抱えたまま、呆然と見ていた。
「何……あの動き……」
セラは地面に座り込み、震える声で呟く。
「……魔法じゃ……ないよね……?」
リゼットは祈りの姿勢のまま、ラントを見つめていた。
「……あの方は……一体……」
戦場の中心で、ラントは一人、ゴブリンの群れと戦っている。だが、彼の表情に焦りはなかった。数十匹の魔物に囲まれているというのに。まるで、道端の雑草を刈っているだけのようだった。
やがて、最後のゴブリンが、武器を捨てて逃げ出した。
「ギャッ……ギャアアアッ!」
ラントは追わなかった。逃げる背中を見送る。そして、剣を鞘に収めアリサたちの元へ歩く。高原に、静寂が戻った。
誰も声を出さなかった。いや、出せなかった。つい先ほどまで、死の恐怖に包まれていた。それが、あまりにも突然終わったからだ。
アリサは自分の肩を押さえた。血が流れている。痛みを思いだし、苦悶の表情を浮かべる。だが、生きている。
「……私……」
声が震えた。
「死ぬところ……だった……」
ラントが彼女を見る。
「そうだな」
「……助けてくれたんですか?」
「見れば分かるだろ」
「……」
アリサは俯いた。悔しかった。怖かった。何もできなかった。仲間を守るつもりだったのに、最後は自分が助けられた。
「……強くなりたい」
小さな声だった。ラントが眉を動かす。
「なんだ?」
アリサは顔を上げた。
「私たち……強くなりたい!」
声が高原に響く。
「もう、誰かに助けてもらわないと何もできないのは嫌だ!」
ミリアが立ち上がる。脇腹を押さえながら、ラントを見た。
「私も……」
セラは杖を握り直した。
「私も……魔力がなくなったら……何もできないのは嫌……」
リゼットも静かに頷く。
「私もです……」
ラントは四人を見渡した。傷だらけ。疲労困憊。武器も満足に扱えない。魔力もない。それでも、まだ立ち上がろうとしている。
「……」
ラントは小さく息を吐いた。
「まずは怪我を治せ」
「え?」
「その状態で強くなりたいと言われても、説得力がない」
リゼットが慌てて頷く。
「は、はい!」
彼女はミリアの傷に手を当てた。淡い光が広がる。だが、すぐに表情が曇った。
「もう魔力が……やっぱり、一人分しか……」
ラントは四人を見た。
「誰が一番重傷だ?」
「……ミリアです」
アリサが答えた。ミリアが驚く。
「アリサ?」
「盾で一番攻撃を受けてたから」
「あなたも肩を……」
「私は歩ける」
アリサは笑った。
「ミリアは、さっきから足元がふらついてる」
ミリアは反論しようとした。だが、言葉が出なかった。リゼットはミリアの傷に手を当てる。
「……女神様の御加護を」
淡い光が、傷口を包んだ。ミリアの顔から苦痛が少し消える。
「……ありがとう」
「いえ……」
リゼットは疲れたように笑った。ラントはその様子を見ていた。そして、アリサに視線を向ける。
「お前」
「はい?」
「さっき、仲間を逃がすために前へ出たな」
「……うん」
「死ぬつもりだったのか?」
アリサは黙った。しばらくして、首を横に振る。
「……死にたくなかった」
「なら、なぜ前に出た?」
「……分かんない」
アリサは自分の剣を見た。刃は欠けている。柄も傷だらけ。
「でも……みんなが死ぬのは嫌だった」
ラントは黙っていた。やがて、彼は背を向ける。
「街まで送る」
「……え?」
「このまま歩かせたら、帰り道で死ぬ」
「そ、そんなに!?」
「そんなにだ」
ラントは淡々と答えた。
「それと――」
四人を見る。
「強くなりたいと言ったな」
「はい!」
アリサが即答する。
「なら、街に着くまでに考えておけ」
「何を?」
「自分が何を守りたいのか」
ラントは歩き出した。
「それが決まらない奴は、どれだけ鍛えても、いざという時に剣を振れない」
四人は顔を見合わせる。そして、慌ててラントの後を追った。
夕暮れの高原。その背後には、ゴブリンたちの死体が残されている。四人はまだ知らなかった。今日、自分たちを救った青年が。
やがて、自分たちの師となり、仲間となり――そして、彼女たちの人生を大きく変える存在になることを。
ただ一つ、確かなことがある。この日。四人の少女は、初めて本当の死の恐怖を知った。そして同時に、
強くなりたいと、心の底から願ったのだった。




