忍び寄る影
「また君に助けられたな。おかげで我々は血を流さずに済んだよ」
…言ってしまってからハサムはその発言の不用意さに気付き、忌々しげに自らの額を叩き付けた。
「…すまない…悪気は無かったんだが…」
「ああ、気にしないで下さい、分かっていますから」
大淵は余裕を持って答えた。…他に仕方が無かった。それだけだ。あの兵達は何らかの力で暗示を掛けられていた。自分がやらねば確かにアルダガルドの者達が少なからず傷付けられていただろう。
…例え、大量殺戮者という咎を負ったとしても…それは負う価値のある咎だと思う。
とはいえ、岩田総理にとって自分は、この上ない時限爆弾となった。…問題はこの事実が外に漏れるかどうかだが…噂…口伝と言うものは馬鹿にできないもので、どこかから漏れ聞こえるのが世の常だ。…これだけの事をしておいて、情報インフラの無い異世界だから揉み消せると思う方がおかしい。
…スノーダリアで殺害した千川も…
「…陛下からもよろしく伝え置いてくれと言われているよ。…挨拶にも来られない非礼を許してくれ、とも」
「それこそ俺に構っている場合じゃない。国家の一大事ですから。…所で、そのアースァルとはどんな国家なのだろうか…あの兵達は尋常では無かった。…操られているのか、何かの薬物か、それとも…自ら死にに来て、そのついでにあわよくば道連れをしようという意思を感じたのですが…」
「…政教国家…我々とて教会は大きな影響力をもっているが、彼の国ではそれを更に強権的にしている。…という噂だ。どんな教義かまでは詳しくないが…少なくとも、これまでの密偵の懸命な調べで、対岸からこのアルダガルドで何かをしようと企んでいる事だけは確かだ」
「…」
ハサムの屋敷の応接間で話し込んでいた。
小隊員の面々も屋敷内でメイルアーマーを脱ぎ、戦闘服も着替えてラフな私服で過ごしていた。
「…しかし連中は何故軍事侵攻を?」
「それもよく分からん。六日前の未明、突然砂漠に大軍団が現れたと思ったら向こうから大砲を撃ち込んで来た。…それで今に至るのだが」
「…こうなってしまった以上、とことんやってみるまでだ。…向こう岸に渡って調べてきますよ」
「君と仲間達だけでか…?」
「十分すぎる戦力ですよ」
「確かにな。ああ、いかん、私が独占してクリフェとカナの時間を奪う所だった。…二人とも、もう用事は終わったから入って来なさい」
ハサムが呼ぶと、ドアが開いてクリフェとカナが入ってきた。
「よう、だいたい二ヶ月ぶりだな!」
大淵は立ち上がり、二人を迎えた。
「お、お久しぶりです、ダイスさん」
「おひさしぶりれす、ダイシュしゃん」
ややぎこちなく挨拶するクリフェと、自然に抜けたのかおてんばでもしたのか、乳歯の前歯を一本欠いたカナがスカートの裾をつまんで軽く持ち上げて見せた。
「おお、かなり喋れるようになったな、カナ!…ん?クリフェ、お前…?」
「わ、分かるのかね?」
「ええ、どうやら日本の世界から来た俺達はこの世界の人々のステータスやスキルが見えるようなんです。…後になってこちらの人々と違う事に気付きましてね。 …しっかし、クリフェ、お前は軽剣士か。すばしっこいお前にピッタリだな!いつ頃発現したんだ?」
「ちょうど、ダイスさん達と別れてからです!…けど、同世代の試合稽古だと、いつも負けてて…」
「なーに、ハサムさんが師匠なら今に問題にならなくなるさ。…英雄ハサムに続く若獅子クリフェ、ってな」
「ダイス殿、良ければだが…クリフェに稽古をつけてやってくれんか?…せっかくの機会だからな」
「ああ、喜んで。俺も剣を使いますからね」
「お、お願いします!」
クリフェに頼み込まれ、大淵は空間から…例のスポンジ剣を二振り取り出してクリフェに一つ渡した。
「それじゃ、ちょいとお庭をお借りして…」
カナが綺麗になった愛用のぬいぐるみを抱きながらハサムと共に庭先を見渡せるテラスに立った。マオもテラスで用意された椅子に腰かけ、足をぱたつかせて手持ち無沙汰にしている。
…夕日の中に立ち昇る黒煙は薄れていた。…敵の砲が全滅したからだ。
「よ、よぉ」
見ると、ボロボロの毛皮をハサムに見かねられて家政婦たちに町に連れて行かれていたカリューが、洋風の戦闘服を仕立てられていた。…立派な筋肉質の体そのものが、特にアーマーを着なくても鎧を着ているようで何だか格好良い。
「こんな立派なモン貰ってありがたいはありがたいが、なんだか着慣れなくてなぁ…」
「まぁ、慣れる事だ。俺達といるなら、まともな服は着ないとな。あぁ、ハサムさん、代金の方は?」
「野暮な事を言うな。レディへの私からのささやかなお近づきのしるしだよ」
うーむ、自分ではここまでサラリと言えない。紳士である。
「あー、なんだか色々悪りぃな、ハサムの旦那」
「とてもお似合いだ」
「それじゃ、やるか、クリフェ」
「はいっ!」
「…俺がお前に教えるのはとにかく移動…機動だ。全ての戦士に取って一番大事な事だと思うが、特に軽歩兵や軽剣士、軽騎兵の真髄と言っていい。脚を止めた軽剣士に価値は無いと思え」
「は、はいっ」
「…一つ手本を見せよう。クリフェ、俺がお前の周りを動き回るから遠慮せず、当てられるものなら当てて見ろ」
言うなり、瞬時にクリフェの前に立った。
「わっ!」
クリフェの振った棒が空を切る。…次の瞬間には大淵は分かりやすく横にぬるりと移動し、真横に立とうとした。
「だぁッ!」
クリフェの横薙ぎがまたも空を切る。…今度は遥か遠くの木の枝にふわりと飛び移った。その身のこなしと移動に他の三人や家の者達は誰もが驚愕して凝視している。
「まぁ、これはちょっと大げさだが、鍛えれば汎用騎兵の俺でも特別な事をしなくともここまでできる。…お前なら、本気で鍛えればもっと早くできるようになるはずだ。これが他の汎用や重系に出来ない、軽だからこその強みの一つだ。機動は単なる移動や間合いの詰め、外しではなく、攻撃の予備動作でありソレそのものが回避…防御だ」
枝から飛び降りると、クリフェに一気に迫った。
「ッ!」
…かなり惜しいタイミングでクリフェの剣が掠めた。
「当てられそうなときはとにかく躱せ。動け。 …相手は攻撃に集中すると、次第に周りが見えなくなってくる。そのタイミングを見逃すな」
言いながら今度は大淵がスポンジ剣を繰り出した。
「わっ、わっ!」
クリフェは素早く身を捻って避け、続く横薙ぎを掻い潜った。
「おお、躱すじゃないか!いいぞ! 躱しながら、逃げながら俺の隙を探してみろ!」
「は、はいぃッ!」
「あらあら。大輔君、張り切ってるわね」
「はい。とっても楽しそうですね」
斎城と香山がテラスから二人の稽古を眺めながら微笑んだ。
「うむ。クリフェの奴、筋が良さそうだ。飲み込みも早いし、将来は良い戦士になるのではないか?」
「軽歩兵の俺としてはシンパシーを感じるね。 応援したいよ。チアガール衣装があれば着てやってもいいくらいには」
「ふむ?チアガール衣装とはなんだ?」
「黒島君が着たら危険になる衣装よ、気にしないで」
…一時間ほど、濃密な鍛錬を行った。
パンッ、とクリフェのスポンジ剣が大淵の小手を綺麗に捉えていた。
「お見事。 …まぐれでも手加減でも無いぞ。今の感覚を忘れるな」
「あ、ありがとうございました!」
「…大した逸材だ」
大淵は真顔で呟いた。
「おー、最後の小手は見事だったな。あの一瞬だけはあのチビ坊、薩摩隼人の猛者共にも敵うぜ」
カリューがニッと笑った。
「イエス。 逞しくナッてくれて、アリッサも嬉しいデス!」
アリッサに頭を撫でられ、クリフェは照れるように笑った。
「ああ、末恐ろしい逸材だよ」
「旦那様、夕食の御用意が…」
家令に呼ばれ、ハサムは大きく頷いた。
「ダイス殿とクリフェが汗を流して来たら、皆で食事にしよう」
荒涼とした土漠の中、黒衣を纏った男がその場に佇んだ。
…遥か遠くに見える巨大な城壁。最新式の大砲に抉られつつもその外郭は殆どが機能していた。…ただ、城塞内の穏やかな夕餉の光が城壁の穴と言う穴…そして壁上から微かに漏れていた。…中央の小高い丘に立てられた王城は燃料の節約か、殆どの明かりを消しているようだった。
「約束の地…」
男は涙を流した。涙が渇いた土交じりの砂粒を一粒の土くれに変えた。
…長かった。…秘術の解析…何より重要だった禁書の入手…すべてはあの男のお陰だ。
あと少しだ。…昼も多くの血を流して、連中は勝ったつもりだろうが…お膳立ての手伝いをしてもらっているに過ぎなかった。
…そして、今宵、ほぼ全ての材料が揃う筈だ。
あと一ヶ所の生贄…
そして…最も肝心な、召喚の為の強大な魂。 禁書を与えてくれた男こそが正にそれだった。
だがその実力を目の当たりにして、とても教団の全戦力を投じてもあの男を殺す事は不可能だと判断せざるを得なかった。
最後の鍵が断たれたかと絶望しかけた折、男は思いがけぬ提案をしてきた。
ダイスという男を探している、と。
何の為に探しているかは言わずと知れていた。その男の目には尽きない一つの欲望が渦巻いていたから。
殺戮。 それも、強大な相手を求めて止まない狂気。
これ程の強大な男が求めるダイスとやらの居場所さえ教えれば、そのダイスかこの男のどちらかが斃れる死闘となるに違いない。 どちらが死んでも、召喚に十分見合う魂となる。
そして、ダイスの居場所を探る事は教団の人脈…情報網を使えば容易い事だった。男に情報を与え、先駆けてその舞台を整える為にも今回の攻撃を行った。
都合のよい事に、侵攻自体はアースァルを牛耳る教団内で兼ねてから企てられていた事だった。志願した教徒達に強力な催眠を施して強力な兵として仕上げた。
あともう少しだ。
砂に手を置く。
周囲の砂から黒い物体が次々と湧きあがり始めた。…これだけの生贄があればこその副産物だ。 次々と湧き出す黒い影を見上げ、男は哄笑を響かせた。
「…昼のあれ、見たか?」
「あぁ、上陸した六百の大隊が空中で血煙になりやがった。…味方だから良いが…アレが敵になったらと思うと、俺は怖ぇよ」
「なぁに、アイツはハサム様の盟友なんだ。何もビビるこたぁねーよ。我らが守り神にして敵の死神ってな」
砂漠が近い為、夜は冷える。見張りの兵達は暖かいジンジャーティーを飲みながら鼻をすすった。
「おーい」
「…な、なんだ…!?」
壁外から聞えてきた声。 …三人が三人とも聞いていた。
篝火を向け、下を見るが…視界は黒々とした闇ばかりで良く見えない。
「おい、どうだ?」
「だーめだ、暗すぎて何も見えない」
「ったく、俺が見てみるから、篝火を寄越せ」
しかし、受け取り損ねて篝火を壁外に取り落とした。
「あっ、馬鹿!」
「あーあ……あ?」
篝火が一メートル下で止まり揺らめいていた。
「おお、何かに引っ掛かったのか!」
「…何に…?」
篝火の下から、満面の笑顔の面が上を向き…目が合ったような気がした。
黒々とした物体は形を変え、鋭い幾本もの触手を兵達の顔面が形状を保たなくなる程に刺し貫いた。…面が、その兵士の内の一人に変わった。
「おーい」
幾本もの触手の集合体が人を模し、その異形が篝火を拾い上げて城壁上を歩き始めた。…また別の班を見つけては近寄り、異変に気付く瞬間にまとめて屠っていく。
…その無人の城壁を次々と同じ異形が上ってきていた。




