第14話 軽やかな足音(ステップ)が、空気を変えた
体育の授業は、基本2クラス合同で実施される。
今日は2ーCと2-Dの女子が第2体育館で合同授業。
その日は体育館のハーフコートを使用しての、フットサルのクラス対抗試合が授業内容だった。
C組に茉莉、D組に凜が在籍で、二人とも前半出場でD組が3点差で勝っていた。
ハーフタイムでコート外に出て、壁を背に座り込む凜。
そこに同じく出番を終えた茉莉が来て、声をかけた。
「お疲れ、凜ちゃん」
「お疲れー」
そのまま、凜の隣に座り込む。
「凜ちゃん、あれだけ走ったのに、息上がってないのね」
「私、長距離やってたからねぇ。持久力はあるの」
「そうかぁ」と言いつつ、少し呼吸の乱れがある、茉莉。「追いかけるので精一杯だわ」
間もなく、ハーフタイムの終わりを告げるホイッスル。
メンバー総入れ替えで後半が開始される。
後半に入り、追加点は入らないものの、始終D組がボールを支配する。
開始5分で、あきらめムードも漂ってきた。
「このまま勝たせてもらうわよ」
自信あり気に凛が言う。
それを聞いた茉莉が、ちょっと考える素振りを見せ、にやりと笑う。
「それは、まだわかんないよ」
そう茉莉が言ったとき、ちょうどボールがラインを割った。
ホイッスルが鳴る。
「鳴瀬、出番だ。出ていいぞ」
やれやれという感じに、一人の女子生徒が立ち上がり、手をあげる。
その動きにC組は一気に盛り上がる。
「ひよりー、いっちょ、かましたれー!」
「頼むわよ、ひより!」
「いけ―! ひより!」
軽くジャンプしながら、交代の生徒と入れ替わり、ピッチに入る。
その女子生徒は、鳴瀬ひより。
女子サッカー部の1軍、控え選手だった。ポジションは、インサイドハーフ。
そのせいもあって、フットサルの授業では、ほとんど出番がない。
今日はめずらしく、教師から声がかかった。
「すごい人気ね、彼女」
「サッカー部の子なのよ。まぁ、見ててよ」
スローインから、ひよりにボールが渡る。
クラス対抗戦の残り時間は5分。
点差は3点差のまま。
全員が一度はボールに触れないとシュートできない「全員タッチ」のルール。
ボールを軽く足回りで揺らすと、ひよりは持ち前の技術を惜しみなく発揮した。
立ちふさがるD組の生徒を、軽やかなピボットステップで交わし、鋭いフェイントで相手を揺さぶり、マークを外す。「こっち!」と叫ぶクラスメイトへ、優しい速度のパスを出し、そのまま次のポジションへ移動、またパスを受ける。
次々とパスを順にクラスメイトへ供給し、まわしていく。
ひよりの正確なアシストによって次々とパスが繋がり、ゴール前へ。
ルールにより未得点者のゴールは3点。ひよりのお膳立てから綺麗なシュートが決まり、C組は一気に同点へ追いついた。
会場が歓声に包まれる中、残り時間はわずか。最後はチーム全員のパスが回り、ボールは再びひよりの足元へ。
「ひより、決めて!」仲間の声に応え、彼女は鮮やかなワンタッチシュートをゴールネットに突き刺した。大逆転劇の主役となったひよりを、C組の全員が笑顔で出迎える。
そんな逆転劇を見て、凛がつぶやく。
「うそでしょ......」
茉莉がドヤ顔で、それに答える。
「ね、すごいでしょ? 彼女」
凛は頷きながら、ひよりと呼ばれたその女子生徒の動きを目で追っていた。
「あのステップ、反則でしょ。追いつけないわよ」
「あれで、控えだっていうんだから、信じられないよね」
「え? そうなんだ」
それを聞いて、凛はなんだか、寂しさを感じる。自分もそうだが、この学園の選手層の厚さは、時として抗いようのない大きな壁として立ちふさがるときがある。
結局、その試合はそのままタイムアップ。
C組の逆転で幕を下ろした。
* * *
中学までは、別の学校だった。
小学校から続けていたサッカーで、自分は結構イイ線行っていると思っていた。
だから、高校でもトップ下か、インサイドハーフで活躍できると信じていた。
ところが、この学園に来て1年で、その自信は脆くも崩れ去った。
自分と同じレベルの選手は、中学の時と比較にならないほど周りにあふれており、そんな中で自分は埋もれかけていた。
なんとか1軍にはいられても、ここにきて持久力不足が露呈し、控えのポジションから抜け出せずにいた。基礎体力をあげるために、いろいろこなしてはいても、ライバルはそれ以上のラインを保ち、追いつけない日々が続いていた。
鳴瀬 ひよりは、1年間、ずっと自分の理想と現実の差に、悩み続けていた。
* * *
放課後、2つあるサッカーグラウンドのひとつで、女子サッカー部の練習が行われていた。
4月になり、新入生が加入して、一番人数が増えているタイミング。
いずれ、ついていけなくなった生徒が離脱していくだろう。
1時間ほど準備運動を兼ねたアップをしていたところで、監督から集合の声がかかる。今月末に行われる練習試合の選抜メンバーが発表された。
そこに、私の名前はなかった。
* * *
高校に入り1年続けて、控えとは言えレギューラー入りを維持してきた。
ひよりはそれが、自分の自信をかろうじて支えていたと思う。
それが今回、呆気なく崩れ去った。
自分が今までいたポジションには、新入生の1年が控えとして入った。
中等部で活躍していた選手だそうだ。
外部入学の私とは違う道程の子。
それでも、自分はやれると思っていたのに。
気分を変えようと、日課の校舎外周をまわるランニングに行くことにした。
でも今日は、気分が乘らず、いろいろと考えながら走っていたせいで、いつものコースから逸れて、人気のない校舎の外れに来てしまっていた。
部室棟が周囲を囲み、コの字になった建物に囲まれた広場。
そこで何人かの生徒が、何かをやっていた。
プレハブ小屋の中からは、楽器の音が聞こえ、広場では4人の生徒が華麗にステップを踏んで、舞っていた。
ひよりは、その光景に少し興味が沸いた。
西日が校舎の壁を鴇色に染める頃。
心が落ち込んだ、彼女の瞳に、強烈な印象とともに写しだされた光景は、新入部員と思われる生徒に、ステップを教えている、先輩?の生徒の圧倒的な熱量だった。
「ちゃんと音を聴いて、風を受け、纏ってね!」
その先輩の叫びと合わせて、常盤色と浅黄色のフラッグが猛然と宙を舞い、空を裂く。
ブォン!と重低音の風切り音が鼓膜を震わせ、地面を踏みしめる足元は、その動きに合わせて、寸分の狂いなく、鋭いステップで黄金色の光の粒子を纏い、跳ね上げる。
教わる生徒は、必死に先輩の背中を追い、動きをまねようと追随するが、まだまだぎこちない。
ステップを踏むたびに、彼女たちの流す汗が琥珀の光を放ち、空中に霧散し溶けていく。ターンを入れるたび、翻る体操服と、フラッグが混然となり、露草色から茜色へと鮮やかに、そして晴れやかに染め上げていく色彩の乱舞。
その練習風景は、ただの練習という言葉では収まらず、まさになにかの儀式のごとく、気が引き締まるそんな光景だった。
炸裂する旗が風を打つ音、激しい呼吸、地面を踏みしめるステップの音。
そして、視界を埋める極彩色の動きの残滓が、落ち込んでいた彼女の心を容赦なく、鷲掴みにし、引きずりまわし、離さなかった。
絶望の淵にいたはずの意識が、ものすごい勢いでかき回され、その熱意の嵐と、光の渦に完全に飲み込まれ、ただ一心にその光景に時を忘れて、見つめつづけていた。
* * *
次のC組とD組の体育の合同授業は、前回と打って変わって、バスケットボールの授業となった。
前半は、基本動作やパス練習、シュート練習などをこなし、後半はクラスごとに2チームに分け、ハーフコートでの練習試合になった。
ハーフコートの体育館に、キュ、キュっと、シューズの摩擦音が鋭く響く。
ひよりの脳裏には、あの夕暮れに見た極彩色の舞が焼き付いて離れなかった。
パスを受けた瞬間、ディフェンスが目の前に迫る。
しかしまったく恐怖も、躊躇いもなかった。
身体が勝手に、脳裏に焼き付いた、あの狂乱のステップをトレースし始める。
軸足を床に突き刺し、鴇色の光を撥ね上げるような鮮やかなピボット。
翻るフラッグの軌道をなぞるように、鋭く上体を沈めて相手の逆を突く、風を纏うフェイントに、敵の重心が大きく崩れた。
一瞬の隙を見逃さず、トップスピードで一歩を踏み出す。相手を鮮やかに躱し、遮るもののないゴール下へ。息を呑む周囲を置き去りに、彼女は高く宙へ跳んだ。しなやかに伸びたその右手から放たれたボールは、綺麗な放物線を描いてバックボードに吸い込まれ、ネットを揺らした。
彼女には、数秒先の自分の位置が見えた、気がした。華麗にかわす自分の姿が。
一度だけではない。試合が再開されるたび、彼女の身体はあのステップを愚直に、鮮烈に繰り返し再現していく。
ピボットで躱し、跳躍し、決める。その一連の美しい躍動は、まるで体育館のコートを己の色で塗り替える、あの放課後の熱い演舞のままだった。
* * *
ボールがネットを揺らすたびに、黄色い歓声があがる。
隣のコートで試合をしながら、その光景を見ていた、凛と茉莉は、ひよりの手の中に、幻のフラッグを見た気がした。
昨日、あのいつもの広場で、統風と綺羅が実演してみせたあの演舞。
自分たちがぎこちなく真似ていたあの動作。
いま、目の前には、華麗に舞う一人の少女がいた。バスケの試合であることを忘れてしまいそうなほどに。
その光景は決して、忘れられるものではなかった。
* * *
放課後の部室で、凛と茉莉の話を聞いている統風と綺羅は、いつになく気圧されていた。その熱量に。
「ほんと、すごかったんだから」
「あれ、一度みたら忘れないよ」
その話を聞いただけでも、その生徒の動きが印象深かったことはよくわかった。
「会ってみたいね。その子に」
「わたしも」
統風と綺羅も、その光景を実際に見てみたくなった。
会ってみたかった。
* * *
放課後。
ランニングに出て向かった先は、いつものコースじゃなくて、あの広場だった。
もう一度、あの子たちの舞う姿を見てみたかった。ただそれだけだった。
あの校舎に囲まれた広場に着いてみたものの、そこには誰もいなかった。
しばらくキョロキョロと周りを見回してみたものの、今日は練習がないのかシンと静まり返っていた。
少し私もあの熱量に浮かされただけだったのだろうか。
今日見れなかったのは残念だけど、仕方ないとあきらめて帰ろうと、振り返ったとき、真後ろにひとりの女子生徒が立っていた。
「あの、何かお探しですかぁ?」
正確には、体の三分の一の大きさのドリンクサーバーを抱えた、里桜だった。
「いえ、あの、昨日ここで練習していた人を探してて......でも、今日はいないみたいね」
「ああ、それうちの同好会ですぅ。マーチングバンド同好会っ。練習はこれからやりますから、見てってください」
そう言って、里桜は両手で抱えていた水の詰まったサーバーを、ひょいと片手で取っ手に持ち替えると、空いた右手で、ひよりの手を掴むと、プレハブ小屋に向かってぐいぐいと引っ張っていく。
「あ、あの、私は......」
「メンバーに紹介しますからぁ。ご遠慮なく」
強引に、抗いようもなく、連れていかれた。
* * *
ノック音が三回。
「はい!」
近くで、備品の整理をしていた颯汰が、扉のノックに反応して、開けにいった。いちおう、着替えもすることがあるので、ノックしてから入ってもらうようにしているのだが、先ほど、校舎に水を汲みにいった里桜以外は、この場にいた。きっと、里桜ちゃんが帰ってきたのかなと、皆が思っていた。
颯汰が扉を開けると、確かに里桜が立っていたのだが、もうひとり背の高いショートヘアの女子生徒が立っていた。
「あれ、ひよりちゃん?」
その女子生徒に声をかけたのは、クラスメイトの茉莉だった。
「見学希望の方をお連れしましたぁ」と言い、そのまま部室へ連れ込んでしまう。
ちょうど、会ってみたいと思っていた彼女が、目の前に現れた。
* * *
部室に入ったひよりは、緊張で喉が張り付いてしまったかのようだった。 勢いで来てしまったものの、特に何かをしようと決めてきたわけではなかった。ただ、昨日と同じ光景を、ふたたび覗くことができればとう、淡い、不確かな期待を胸に、来てしまっただけ。
ぐるぐると思考が回転する中で、一度焼き付いて離れないあの光景が、私自身を揺さぶり、ここに連れてきたのは確かなことだと思い返す。そしてそこから生まれる興味が、緊張を上回った。
「あの......私、この間、偶然、ここで練習してるのを見かけたんです」
統風と綺羅たちの視線が、静かにひよりへ向けられる。
奥で音出しをしていた、楽器の音まで鳴りやみ、皆がひよりの言葉に注目していた。
「その様子を見てから、その光景が頭から離れないんです。いまでも......あの光景が」
ひよりは胸の前でそっと手を握りしめた。
昨日の夕暮れの色、風を割いて舞うフラッグ、そして華麗なステップ。
全部がまだ、心の奥で熱を持っている。冷めていなかった。
「......私でも、できるのかなって。あんなふうに、動けるようになれるのかなって……思って」
その声は震えていたけれど、確かに“前へ進みたい”という意志が宿っていた。
部室の空気が、静かに、しかし確実に変わった。
「できるかじゃなくて、やってみたい、が大事だと思う」
統風はそう言って、右手を差し出した。
「その気持ちがあれば、きっとできるよ。私は、部長の音羽統風です。あなたは......?」
「2-Cの鳴瀬ひより(なるせ ひより)です。私、やってみたいです。あんな風にできたら、素敵だなって」
統風の手を握る、ひより。
「ようこそ、マーチングバンド同好会へ」
その言葉にあわせて、駆け寄る、茉莉、凛、綺羅。
茉莉が、ひよりの肩に手を添える。
「ひよりちゃんなら、きっとできるよ」
その言葉に、少し涙ぐみながら、深く頷いた。
ここでなら、何かできそうな気がした。
今までの控えの自分じゃなく、自由に空中に弧を描くように舞う姿で。
そして部員は10名になった。




