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ユーステッド、遭遇す

『彼女は形だけの妻であることを承知でデルフィヌスへ来たという。だからといって、なにか政略(せいりゃく)的な思惑(おもわく)があるわけでもないようだ。(りん)として微笑む彼女の顔は自信に満ちている。私が彼女を愛することがなくとも、変わりなく。』

『息子は彼女に懐いているようだ。本当の母ではない彼女を。喜ばしい事なのかもしれないが、私は納得はしていない。妻のことを忘れていくような気がして彼女のことを(うと)ましく思ってしまっている。』

『そのツケがきたのだろう、原因不明の病にかかってしまった。国境での戦いで受けた傷が私の体を(むしば)んでいたようだ。』

『なぜ愛しもしない男のことをそんなに心配して、毎日息子まで連れてここへくるのだろうか?私は……彼女に何もしてやれないというのに。』

『月夜を見ようと思って、久方ぶりにバルコニーへ足を運ぶ。そこで目にした彼女の姿は――……』


…………



……。



「んはっ!?」


ぼろりと口から半分湿ったクッキーが落ちる。

夢中で日記を読んでいるうちに眠ってしまってようだ。……あれだけ満腹状態(まんぷくじょうたい)でいれば眠くなるのは仕方ないか。ベットが食べかすだらけになってしまった……さすがに行儀が悪いで済まない……怠惰(たいだ)にも程があるな……。


「……さむっ。あれ、夜?」


嘘だと言ってほしい。僕はどれだけ寝てしまっていたんだ?


そうだ……夕方には女辺境伯が帰ってきているはず。普通なら無理やり起こされるだろうけど……もしかして「長旅で疲れてるだろうからまた今度でいいわ」的な感じで気を使われた?あり得る。彼女は僕と会うことを強く望んでいるわけではないだろうし……。


「僕だって……そんなに期待して会いたいわけじゃない……」


日記をテーブルに置いて、夜になって冷たい風を招き入れているバルコニーへと足を運ぶ。

ガラス扉を閉めるだけのつもりだったけど、ここから見える夜の景色が気になったんだ。


「やはりすばらしい……夜になってまた違う景色が見れるなんて贅沢(ぜいたく)だな」


昼間のような活気があるわけではない。静けさがまた違う美しさを引き出しているんだ。月は高い所にあるけど、遠くの島に設けられた灯台の灯りがまるで満月のようになっていて、夜を描いた絵画を見ている気持ちにさせる。


ゆっくりと目線を動かしていく。そして、僕は見つけた。


「……あ」


反対側のバルコニーから僕と同じように……デルフィヌスの街と海を見つめる女性を。


藍色(あいいろ)の長い綺麗(きれい)な髪が、風に遊ばれるようにふわりと揺れ、遠くを見つめる瞳の色は昼間見たデルフィヌスの海と同じ透き通った青色で……その表情は(はかな)げでありながら、とても愛おしいものを目に焼き付けているようだった。


トクントクンっと胸の奥でなにかが動き出すのを感じる……心臓とは違う心の音。


なんて簡単なんだろう。なんて単純なんだろう。美しいと思っただけでこんな感情を抱いてしまう僕は……


「あ、あの……!」

「!!」

「まって!君が……貴女が……あぁ…………」


反対側のバルコニーまでは多少距離がある。大きな声を出したつもりだけどはっきりと聞こえていなかったんだと思う。僕に気付いた彼女はサッと部屋に戻ってしまった。


驚かしてしまったんだとは思う。けど、そこまで露骨(ろこつ)に逃げなくても……届くはずのない伸ばした手が宙を掴む……今すぐ触れるのなら、向こうのティアの部屋まで走ればいいことではあるけど……そんなことすれば本当の……夜這いに……


「……どうしたらもっとうまくやれ――」


手すりにつかまってうな垂れて……もしかしたらって思ってもう一度向こう側のバルコニーを見たんだ。


「ティア……」


スカートの(すそ)を持ち、僕に向かって頭を下げていた。とてもきれいな所作で……。だから僕も姿勢を正して礼を返す。同じタイミングで顔を上げて、一瞬だけ目が合ったかな?ティアはすぐに部屋に戻ってしまった。


………。


ガラス扉の鍵を閉めて、ベットの縁に腰を掛ける。


「ああぁぁぁぁ……僕はなんて……馬鹿なんだ……」


ゴロンゴロンとのたうち回り、床にも食べかすを巻き散らかす。


なにが「きっと特殊な性癖を持っているに違いない」「好みの香りをまとわせて寝所へ誘うつもりなんだ」だ!バカか!


ちょっと恥ずかしがり屋なだけの綺麗な女性じゃないか……どうしていつもひねくれた考えをしてしまうんだ。さっきまで読んでいた日記にも……しっかりと彼女が、どんな人物か書いてあっただろう?


『彼女の姿は美しく、聡明(そうめい)で、私の愛したデルフィヌスの海そのものだった。目が離せなかったのはいつの間にか彼女を愛していたからだろう。けれど、私はもう愛を示すことも、伝えることもできない。いや、違う、そんな資格はないのだ。この先、私がいなくなって、彼女がひとりになってしまった時、私の代わり……これも違う、こんなことを考えるのは彼女に失礼だろうな。そう……私以上に、彼女を愛してくれる誰かが……ずっと隣にいてくれることを、願う。』


シエル・デルフィヌス辺境伯の書いた日記の最後のページ。


まだ、たった2日だ。

だけど、この短い時間で接した人たちはみんな温かい人物ばかりだ。

まぁ……出会いが最悪だったり扱いが雑だったりはしてるし、ティア本人とは会話も交わしたりはしていないけど……決めた。


ティアはまだ、シエル辺境伯(へんきょうはく)のことを愛しているかもしれない。

ティアはただ、大国からの命令に逆らえなかっただけかもしれない。


「それでも……少しくらい……僕だって格好つけてもいいはず……」


僕だってこの美しいデルフィヌスに魅了されたひとりだ。

シエル辺境伯(へんきょうはく)のように、すぐにデルフィヌスも家族も完璧に愛することはできないかもしれないけれど、少しずつでもなにか力になれれば……


そうだ、まずは父上に「彼女は父上の考えているような人物じゃない、勘違いしている」と、いうことを伝えるのがいいだろう。


少し迷惑をかけるかもしれないが、友人に送る手紙に一緒にしたためて伝えてもらおう。書斎(しょさい)の机にインクが置いてあったはず……すぐにしたためて朝一で配達を頼むことにしよう。

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