エピローグ
降誕祭が近い所為で、人の行き来が多くなっているようだ。
ぎゅうぎゅうの人混みでごった返す駅のホームで、ギデオンはその人の姿を見つけた。
「カートランド先輩」
呼びかけると、従者と話していた紳士は振り返る。
「なんだ。ギデオンじゃないか」
「お久しぶりです」
「そんなに言うほど久々でもないだろう。一ヶ月と少しぶりくらいじゃないか?」
いつもはもっと間隔が空いているだろう、と言われ、そうですね、と気不味く頷くしかない。
「お前から声をかけて来るなんて珍しいじゃないか。え?」
「いや、その……すみません」
姿を見かけては気づかれないように逃げていたのだが、どうやら気づかれていたらしい。もしかすると、毎回そうやって見逃してくれていたのかも知れない。
「どなた?」
傍にいた女性が不思議そうに声をかけてくる。
「お前は直接会ったことがなかったか。僕の学生時代の後輩のオルドリッジだ」
「初めまして、……奥様?」
誰なのだろう、と思いながら挨拶をすると、女性は「まあ!」と怒りも顕わにする。
「私は妹です! マーガレット・スタンフォードと申しますの」
「おいおい、勘弁してくれよ。僕はこんなに自分の顔に似ている女性と結婚なんかするつもりはないぞ、気持ち悪い」
「それはこっちの台詞だわ!」
突然言い合いに発展してしまった二人の様子に、勘弁して欲しいのはこちらだ、とギデオンは思った。
「お前の所為で妹の機嫌を損ねたぞ。どうしてくれるんだ」
「はい、すみません……」
そんなことを言われても知るか。だったら先に名前を言ってくれればよかったじゃないか。
こういう面倒臭いところもあるから、先輩との付き合いには気を遣う。それが苦手で困るから、いつも逃げ回っていたのだ。
うんざりとしているギデオンの様子を面白そうに眺めていたマシューだったが、ふと、滅多に見せないような柔らかい笑みを向けた。
「ミセス・ジェンキンスと結婚することにしたそうだな」
「あ、はい。両親に紹介に行って来たところなんです」
仕事の都合もあり、一泊の行程で行って、朝一番の汽車で戻って来たところだ。
降誕祭の頃にまた行く予定ではあるのだが、それより前に、取り敢えず紹介と挨拶だけでも済ませておこうと思ったのだ。
そうか、と頷き返すマシューの横で、メグが目を丸くする。
「え? ディーンと結婚なさるの?」
その驚きようから、彼女が件の妹さんだったか、とギデオンは気づいた。
「そうなんです。あなたにご紹介頂いた縁から恵まれまして」
「まあ、そうなんですね。よかったわ。お幸せに」
「ありがとうございます」
メグは嬉しそうに笑った。ギデオンも微笑み返す。
そこに、手洗いに行っていたジェラルディーンが戻って来た。
「あら、メグ。……と、カートランド侯爵も」
「偶然ね、ディーン。元気?」
「ええ、メグも。まだロンドンにいたのね」
貴族達は基本的に十月頃からは領地に戻って暮らしている。妻子は特に用がなければ、冬の間は領地からはあまり出ないことだろう。
違うのよ、とメグは首を振った。
「昨日こっちに来たところ。明日、久々に家に帰ることになるのよ」
九月の終わりにジェラルディーンと会ったあと、用があって実家に戻っていたらしい。
「その間にうちの人ったら、子供達を連れてフランスに旅行に行ってしまってたのよ。妻を置いて。酷いと思わない?」
確かに酷い。けれど、長期間家を空けなければならなかった母親の代わりに、子供達の面倒を見てくれていたというのならば、なかなかいい父親で夫なのではないだろうか。
「そうなのよね。優しいの。うふふっ」
嬉しそうに惚気る表情が微笑ましい。
ジェラルディーンもいつかこんな表情をして、ギデオンのことを語るような日が来るのだろうか。
「それで今日は、お兄様を見送りに来たところなのよ。買い物のついでにね」
なるほど、とジェラルディーンとギデオンは頷いた。
「あの。いろいろお世話になりました、侯爵」
頭を下げるジェラルディーンに、マシューは「気にすることはないさ」と笑った。
「僕はこれでもこいつの寮兄だったからね。なにか困ったことがあれば、援助の手は惜しまないよ」
え、とギデオンが顔を上げる。
驚いたようになっているその表情に、マシューは不愉快そうに顔を顰めた。
「なんだその反応は」
「い、いえ、別に……。ただちょっと、意外だったというか」
慌てて首を振るが、ふん、と鼻を鳴らしたあと、肩のあたりをステッキのヘッド部分で小突かれる。丁度骨に当たったのでちょっと痛い。
「まあ、いい。今日の僕は頗る機嫌がいいからな。多少の無礼は許してやる」
「ちょっとお兄様。そんな言い方ないでしょ」
「いいんだよ。――行くぞ、バーネット」
控えていた従者に声をかけると、そろそろ発車の時刻だ、と身を翻して行ってしまった。
その後ろ姿が人混みの向こうに消えるまで見送った三人は、顔を見合わせて肩を竦める。
「ようやくお許しが出て家に帰れるから、あれでもとても機嫌がいいの」
そんなことを言われ、そういえば屋敷を追い出されたような話をしていたな、とギデオンは思い返す。なにをやらかしてそんな目に遭ったのかは知らないが、二ヶ月も経ってようやくとは。
横暴で苦手な先輩ではあるが、いろいろと世話になってしまった。特に今回は、倒れたところを助けてもらったりなどもしているし、あとで改めて礼を伝えるべきではないだろうか。
そんなことを考えていると、ジェラルディーンが「お礼状を書かなきゃね」と呟いた。気持ちは通じ合っているようだ。
メグとはそのまま少し立ち話をして、今度食事に招待する、と約束して別れた。
「――…あ、メグ」
駅舎を出て行こうとする後ろ姿を呼び止める。
「以前ね、侯爵が奥様との出会いのお話を小説にしていいって仰ってくれたの」
「えぇ? いやぁね、お兄様ったら。変なことを」
呆れたように言い、大袈裟な溜め息をついて見せる。
「ブレットから恋愛小説を書けって何度も言われててね。差し支えなければ、モデルにして書かせて頂いてもいいかしら? もちろん名前とかは変えるから」
先日の新作についてはなんとか了承が出たが、もっと恋愛要素が強い作品希望、と要望を出されている。読者の為というよりは、ただ単に自分が読みたがっているだけのような気もするが、仕事を貰っている身なのでそんなに逆らうことも出来ない。
「いいんじゃなぁい?」
メグは笑った。
「リュヌは――義姉は、コーネリアス・ウィングフィールド先生のファンだし、もしかすると喜ぶかも知れないわ。一度会って、直接話してみればいいわよ」
以前からお互いに会いたいという話はしていたのだ。今度こそ本当に席を設けよう、とメグは言う。
ジェラルディーンは頷き、また春頃にでも、と言って今度こそ本当に別れた。
駅からの帰り道、辻馬車を拾わずに、ジェラルディーンとギデオンは並んで歩く。
「少し冷えるね」
「帰ったら、すぐにお茶を淹れるわ。生姜を入れて飲むと温まるから」
うん、とギデオンは頷く。
彼はもう少ししたら、今住んでいる下宿を引き払い、ジェラルディーンの家にやって来ることになっている。一部屋空いているのでそこに住むのだ。
十二夜の内に、ソーギル子爵領で結婚式を挙げることになっている。再婚同士なので、挙式はひっそりと身内だけで済ませ、友人や知人にはあとで手紙を書いて報せることにしていた。
年が明けたら、二人は夫婦として、新しい生活を始めることになる。
それは少し不安で、とても楽しみでもあった。
「あ、満開になってる」
家まであと路地ひとつというところに来て、冬薔薇が満開の庭先を眺めてギデオンが立ち止まった。
「本当ね」
薔薇屋敷として有名なその家も、数日前までは半分ほどしか咲いていなかった。それが今日は満開になっている。
天気がよかったのかしらね、などと囁き合い、その花をしばらく眺めていた。
『薔薇の下には死体が眠っているんだって』
幼い頃、なにかで読んだ本の内容を、空恐ろしげにブレットが言った。
そんなわけがあるか、とみんなで文句を言い、実際に根元を掘り返してみて叱られたことがある。あれはウィリアムの家の庭でやらかしたことだ。
何年か経って、ブレットが言っていた言葉の意味は、なにかの例え話なのだということを知った。
『きっと、誰かが知られたくない秘密を埋めて、薔薇の棘に守ってもらっているんだよ』
そう、ウィリアムが言った。
だから秘密はすべて、薔薇の茂みに隠してしまおう。
ウィリアムに伝えることが出来なかったこの想いを、ギデオンには知られないように、荊棘の下へと。
― 了 ―
ここまでお読みくださりありがとうございました。




