11、犬っころ
割り当てられた配達の仕事を終えると、もう辺りは暗くなりかけていた。仕事場を急いで出たボリスは、酒場通りへとまっすぐ突き進んだ。目当ての酒場は決まっていた。行き慣れた道を進み、少し古びた酒場の扉を叩く。
重たい扉を押すと、少し軋むような音がした。子どもが1人で来るような所では無かったが、酒に夢中の大人たちはボリスには目もくれなかった。酒場の店主は小さな少年の姿を認めると、「お」と声を出した。どうやら慣れているようだった。
ボリスはカウンターで酒を煽っている男の所へまっすぐ進み、じっと見つめた。赤ら顔の男の目がぎょろりとボリスの方を向いた。「またか」と言わんばかりの視線に臆することなく、ボリスは男の横のカウンターの椅子によじのぼると、ちょこんと腰かけた。男は気だるげに振り向くと、「お前か」と呆れたような声を出した。
「なあ、おっさん」
男は、今日はあの制服は着ていなかった。仕事はもう終わったのだろうか。男は「あぁん?」とチンピラのような言い方で相槌を打った。それから「ったくよ」と悪態をつくと、懐をあちこち探る。目当てのものが胸ポケットにあったのか、それをびしっ、とボリスに突きつけて見せた。
「おっさんじゃねえ。ここに立派な名前があんだろーが」
顔写真付きの身分証を目の前に突きつけられ、ボリスはそれをまじまじと見た。男の顔写真の横に、鷲の紋様が描かれている。それから生年月日、そして「軍警察」の文字。指し示された氏名欄には、「パヴェール・ラスキン」とある。この男の名前だとはすぐわかったが、それはボリスの興味をさして引かなかった。
「それよりさ、教えてくれよ。強くなる方法を」
ボリスはこの間から何回か聞いていることを、今日も聞いた。ラスキンは何度も繰り返されるこの質問に、慣れたものと返事を返す。
「何言ってんだガキが。百年早いわ」
ラスキンはぐっ、と酒をあおった。
「だって言ったろ。俺にはセンスがあるって。俺もっと強くなって、ウラジを守ってやる。悪い奴はぶちのめす」
「言ったけどよぉ、それはそのだな。そんで誰だっけそれ。お前の友達か」
何度か話したはずなのに、てんで名前を覚えられないらしいラスキンは、はて、と首を傾げていた。
「改心したのはいいんだけどよ。なんか方向が違う気がするんだよな」
のらりくらりと躱すような答えばかり返すラスキンだったが、ボリスはめげなかった。「頼むよ」と何回も言うと、うーんと腕を組み、と勿体ぶったような動作をしてくる。
「ほらあれだ、まず体力つけろ。お仕事をな、一生懸命やれ」
「前もそれだったじゃねえか。誤魔化されねえぞ」
「千里の道も一歩からだよ、少年」
ラスキンは酒のグラスが空になったのを確かめると、店主に言ってもう一杯注文した。ボリスが何か言うが、こんな返事ばかりでてんで相手にされない。ボリスはむくれた。小さく舌打ちすると、思い切り悪態をつく。
「このクソッタレのケチ男」
「あぁ?」
悪態をつくと、む、とラスキンが肩眉を上げた。ボリスに顔を寄せると、びしっ、と人差し指で額を小突いた。
「ったくよぉ、お前は口を開けばクソクソと。口が悪すぎんだよ。まず言葉遣いを直せ。話はそれからだ」
ムキになったように話す様子にボリスは動じなかった。けっ、とあざ笑うような表情を作り、大げさに肩をすくめてみせた。
「酒癖直してから言えよ、おっさん」
店主が目の前で、はは、と笑う声が聞こえた。図星を突かれ、ラスキンはもごもごと口ごもった。「いや、それはだな」とみっともない言い訳が始まりそうな気配を見て、ボリスはため息をついた。今日はだめだろうな。
「んじゃ、俺帰る。また来るから」
ボリスはすたっ、と長椅子から飛び降りた。店主がジュースを用意してくれていたが、それには手をつけずにたた、と扉へと走って行った。「気を付けろよ」と、背中に声が飛んできた。ボリスは振り返らず、扉を開けた。
***
ボリスが店を飛び出していくのを見て、カウンターにいる男はやれやれとため息をついた。次の酒が運ばれてくるのを受け取ると、「これだよこれ」と嬉しそうに匂いを嗅いだ。
「はは、懐かれてますね」
隣にいる男の面白そうに笑うと、ラスキンは「ああ」と頷く。どうしたもんかと話す声は、だが少し楽しそうでもある。
「とにかく生意気でよ。目つきも悪ぃし、憎たらしいったら」
「いつも何かとくっついてくるんだよ」
酒瓶を持つ店主が、飲まれなかったジュースを回収しながら、これまたやれやれと笑った。「可愛いんだか可愛くねえんだか」とラスキンはまだぶつぶつと呟いていた。男は少年が座っていた場所をちらりと見やる。彼の言った他愛のない言葉の中にひとつだけ、気になるものがあった。
「でも本当なんですか?その、センスがあるっていうのは」
男が尋ねると、ラスキンは「んー」と首を傾げた。おどけた所の多いこの男にはどうにも読めないところがある。酒を飲んでいると猶更だ。赤ら顔の彼は頬杖をつくと、悩まし気な様子を見せた。
「まあな。あいつは強くなるよ。鍛えればな」
もう少し背が伸びたらいいけどな、と彼は付け加えた。男はほう、と感嘆の息を漏らした。そこまで言わしめるものがあるなら、何を勿体ぶることがあるのか。男にはよく分からなかった。ラスキンは満更でもない様子だったが、少年のいた所をちらと見ると、少しだけ顔を曇らせた。
「しかしなあ、あんなガキがよ。武器持って生きなきゃならんとはな。どうにかしてるとしか思えん」
その声に、男も表情を変えた。彼の言いたいことはよく分かった。この辺りはまだ火の粉が飛んでいないが、軍警察はまだ内戦地区の治安維持に手を焼いていた。争いは争いを呼び、まだ戦いが終わる気配はない。誰かがどうにかしなければならない。そう、どんなやり方を使ってでも。
男は酒を煽った。グラスを机の上にこん、と置き、決意を新たにした。左手の義手がテーブルにぶつかり、無機質な音を慣れた。一方のラスキンは窓の外を見ていた。少年は誰かに呼び止められたらしく、まだ店の前にいた。中年の売り子の女と何やら話していたかと思うと、面倒になったのか突然だっ、と走り出した。ラスキンはその姿に微笑みを見せた。
「はは、なんか犬っころみてえだな」
――犬っころと呼ばれていることなど微塵も知らないボリスは、酒場を出て町を走り抜けた。町には、路上で眠る少年たちの姿が見える。ごみをあさるホームレス、通りを占拠する乞食の親子。辺りには微かに硝煙の匂いが漂っていた。
ボリスは思いっきり息を吸い込んだ。少ないながらもちゃんとお金をもらえるようになった分、食いっぱぐれることは無くなった。だからだろうか。前よりも足が速くなった気がする。ウラジに褒めてもらった足は、自慢だった。ボリスは大地を蹴り上げ、街灯の灯りを頼りに走り続けた。一度も振り返らず、一度も立ち止まらなかった。
ここまで拙作をお読みいただき、ありがとうございました。拙いところは多々あったと思いますが、書き終えることができて良かったです。
本作についてですが、原案となったのはチャールズ・ディケンズの「オリバー・ツイスト」で、同じく孤児の少年のお話です。オリバーがいつでも善人なのに対し、今作の主人公ボリスはかなりグレていますが……。「グレちゃったオリバー・ツイスト」的な意味合いも含んでいるかもしれません。
一方、友達の少年ウラジのモデルは、マーク・トゥエインの「ハックルベリー・フィンの冒険」に出て来る主人公、少年ハックです。雰囲気は大分違いますが、自由人的な側面は、彼から来ている所がかなり大きいです。
彼らのその後のお話も、また時間のある時に書けたらなと思ってはいます。機会があればお会いしましょう。それでは、また。




